なな

 男に出会ってから数日、太宰は順調に育ており事務員たちはやれうつぶせするようになっただ、声を出して笑っただ。指を握っただ。なんて笑っては楽しそうにしていた。
 福沢もひっそりとだがうつぶせになった姿や己の指や髪を握っている姿を写真に収めたりしていた。ふわふわとした赤子の手が握りしめてくるのが可愛くて家ではつい太宰の手に指を差し出したりしていた。最近では目の前に差し出しただけで手を伸ばしてくるようになったので寝返りをするのももうそろそろだろう。
 太宰がこうなった後、事務所に置くようになった育児本を見ながら皆その時が来るのを楽しみにしていた。
 男の話はすでに全員に伝えており、時間はかかるが元に戻るのだと分かったみんなは余裕をもって太宰を育てていた。
 離乳食にそろそろしないといけませんね、なんて最近は離乳食の本を買ってきたり、レトルトもあるみたいだよと色々スーパーで探したりしていた。福沢の方もすでに離乳食の本を個人で所有していた。
 その中で与謝野の方が幼い太宰の姿に他のメンバーと同じように釘付けになりながら、一人医師らしい考え方をしていた。福沢に太宰が予防接種で何を受けているか聞いたことあるかなんてそんな話をしてきたのだ。
 せっかく子供になっているんだから、受けてないのはこの機会に受けさせようと、そう話してくる。福沢は少し考える。
「どうなんだろうな……さすがにそのような話は普段せぬし、それに太宰は物心つく前から親に捨てられていたという話だったが、それがいつかは定かではない。さすがに乳幼児のころということはないだろうから、今ぐらいの頃はまだ親元にいたはずだ。物心つく前に捨てるような親が予防接種を打ったとは思えないが……、真相は分からぬしな」
「ほーーん、あいつまともに受けたことなさそうだったからもしやと思って聞いてみたけどやっぱりそんな感じだったんだね。ところで社長あいつが捨てられたなんて話どうして知ってるんだい。そんな話社員でも普通しないだろう」
 首を捻りながら答えた福沢は、与謝野の言葉に固まってしまっていた。まあ、何でと言われたら恋人だから。いや、それも違うが二人で過ごす時間も多く、時にはそんな話になってしまうこともあったのだ。与謝野の目がじっと福沢を見る。なんと答えていいかわからない福沢は口を閉ざして暫く動かなかった。扉の向こう側できゃらきゃらと太宰が笑っている声がする。
「予防接種の件だが、そう言えばあいつの腕には左腕に残るはずの何かの予防接種の後がなかった気がする。少なくともそれ以降のものは打っていない可能性が高いんじゃないか」
 たらりと冷汗が流れる気がしながら、福沢はそう言って話をそらそうとした。与謝野がああ、そういえばそうだったね。だったらそれ以降のものは受けといたほうがいいかなとそんな話をするのにほっとした。
「そうだな。……だが太宰の意思もない今の状態でそういうことをして大丈夫か。本人の意思確認なども一応した方が。大人になってからもできるものは色々あるだろう」
「何言ってんだい。あいつが大人しく予防接種なんて受けると思っているのかい。前に一回その話してみてもあ、注射は痛いので嫌いですで終わったよ。今ならそんな戯言もいわないからさっさと終わらせるんだよ。うちの連中は確認して太宰以外は予防接種しているからあいつに打たせるチャンスを狙っていたんだ。賢治に打たせる時についでにとか思ってもあっさり交わされたからね」
 ふっふっふと与謝野が悪役のような笑みをして笑っていた。ああ、これはもう確定してしまったなと今の太宰の幼い姿を浮かべては悪いと思ってしまった。だがまあ、幼い分痛みも少ないだろうし、いいだろうと考え、その前に嫌な男には電話して太宰の予防接種について拾ってから何かしているか聞いてみるかと予定リストの中にぶち込んでいた。
 与謝野は予防接種受ける病院探しておくから開けられる日時を後で教えるようにといって意気揚々社長室を出ていく。開けた扉から大きく太宰の声が聞こえてくる。


 その数日後、福沢はぎゃんぎゃん大泣きする太宰を連れて病院から家に帰っていた。あやしているものの中々泣き止まない。世のお母さんはこれを何度も繰り返すのかと母の偉大さが身に沁み、同時にこれを後何度繰り返すんだと黄昏ていた。


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