聞こえてきた声に福沢は顔を上げた。
 嫌だと誰かが声をあらげている。眉を寄せるも関わらぬが懸命かと福沢は目の前の猫に意識を戻した。煮干しを手にしじっと猫を見つめる。が、猫は興味など欠片もなさそうに毛繕いを行っていた。そのまま数分時間が過ぎていく。何時まで続くのかと思われた光景は突然のハプニングによって打ち消された。
 福沢と猫しかいなかった路地裏に人がやってきたのだった。にゃんと猫がその場を去っていく。酷く慌てた様子の人を福沢は見上げた。ふわりとした仕立てのよさそうなワンピースを着ているまだ少女と言っていい年頃の女。良いところのお嬢さんとかだろうとその姿を見て思った福沢は先ほどの声の主も恐らく目の前の少女だろうと考えた。きょろきょろと辺りを見回しては何処かに行こうとする少女の手を咄嗟に福沢は掴んだ。
「ここに隠れていろ」
 押し込んだのは福沢のすぐ後ろの小道。奥は行き止まりとなっているそこに少女を隠して福沢は先ほどまでと同じ体勢になった。
 だっと複数の人が走ってきた。少女と同じようにきょろきょろと辺りを見回して、そして彼らは福沢に視線を向けた。
「ここに十七程の女性が走ってこなかったか。何処に行ったか。知らぬか」
 問われるのに福沢は少女を隠したのとは別の道を指差した。
「それならば向こうに行ったが、何故追い掛けているんだ」
「そうか。協力かんしゃする。だが貴様には関係ないことだ」
 走り去って行く男達。それを見送ってから福沢ははぁと小さくと息をついた。やはり無闇に関わるべきではなかったかと己の浅慮を嘆く。そこに少女がひょいと顔をだしていた。
「あの、ありがとうございました」
 ほっと、安堵したように笑い嬉しそうな姿を見せる少女。その少女を見てから福沢はどうするべきかと考えた。このままにしておくわけにも行かないだろうと。
「礼は良いが、何故逃げているのだ。あれは 貴殿の護衛かなにかだろう」
「どうして……」
「危害を加えようとするものとそうでないもの僅かな違いがあるからな」
 福沢の言葉に少女の目が見開く。やはりかと思うのに少女は罰が悪そうに視線を左右に彷徨わせていた。きゅっと噛み締められた唇。そこから小さな声が漏れていく
「……私だって外を歩いてみたいもの」
 呟いた少女はとても寂しそうな顔をしていて、福沢ははぁともう一度と息を吐き出した。立ち上がり少女に手を伸ばす。
「ほら」
「え?」
 首を傾けた少女が不思議そうに福沢を見上げた。
「撒いてしまったのは私だからな。これで貴殿に何かあれば私の責任にもなる。今日は私が貴殿の護衛を勤めよう。何処に行きたいのだ」
 瞬きを二回。それから少女の顔には赤みが指しふわりと笑顔を浮かべた。
「良いんですか」
 ああと福沢は頷く。本来ならばすぐにでも護衛の者に引き渡すのが良いのだろうけど、あの子供の顔を見てしまうとそうもできなくなっていた。少しぐらいは望むようにさせてあげたいと少女に付き合うことを選ぶ。さっき走っていた男達よりは自分の方が強いと言う自負も福沢にはあった。
 嬉しそうにする少女はでもとすぐに悲しそうな顔に変わった。
「……何処でも良いです。私外にでたことがないから何があるか分からないんです」
「そうか」
 またぞろため息を着きたくなりながら福沢はこの年頃の女の子だと何処が喜ぶのかを必死に考えた。それは最も福沢が苦手とする分野であった。


 考えた末に福沢が来たのは最も思いつきやすいデパートであった。商店街を回るかとも考えたが流石にそれは楽しくないだろうとすんでのところで思い直した。そして以前暇だ。何処にも連れていけないならせめてデパートにでも連れて行けと我が儘を垂れた乱歩を思い出してそこにしたのであった。
 少女は自分で行っていた通り一度も外に出たことがなかったのだろう。ここに来るまでの間も街の様子やたくさんの人を見てはすごい、あの人は何ですか。あの面白い人はと色んな事に興味を覚えてはその目を輝かせていた。
 ねえねえと問いかけられる福沢は一つ一つ答えようとするものの彼女の興味はどんどん変わってまともに答えることはできなかった。
 もう少し落ち着いてくれと思ったものの今日あったばかりの名前も知らぬ相手に言えることもなく福沢はやれやれと思いながら大人しく少女の姿を見守っていた。
デパートに来た後も少女は楽しげにいろいろな店に入っては商品を見て笑っていた。
 少女が無邪気に笑っては早くと呼びかけて福沢に次の場所を促してくる。少女の後を歩きながら福沢はそういえばとふっと思い、足を止める。少女を呼ぼうとして名前を知らぬことを思い出しては少し悩んでからおいと声をかけていた。少女がどうしましたと振り返る。女性を呼ぶのにこの呼び方はと福沢は躊躇したのだが少女の方はまったく気にしている様子がなかった。
 にこにこと笑いながらもしかしてもう嫌になってしまいましたかと問いかけてくる。それでしたらここまでで充分ですよとまで言ってくる少女にそうではないと福沢は首を振った。
「そうではなく。そろそろ昼時だろう。お前の方は腹はすいてないかと思ってな。すいてないならいいがふいているのであれば、たしかフードコートというのもあったはずだ。そこで何か食べていくか」
 少女の目がキラキラと一瞬輝いた。決まりかと福沢は素早くあたりを見渡し、地図のある場所を確認したが、でも少女は落ち込みだして、いいえと首を振っていた。大丈夫ですとも言っている。福沢の目が少しだけ見開いて少女を見る。お腹空いてないのかと聞いた。少女は少し遅れてからはいと答えていたが、福沢はそれを嘘だと思っていた。何故少女がそのような嘘をつくのかとじっと見下ろす。
「本当にいいのか」
 それだけの問いだったが少女は己がウソをついていることを見破られたことに気付いたらしい。少し困ったように微笑んでいた。そしてだってといった
「衝動で出てきちゃったからお金持ってないんですもの。お金がないと物を買えないことぐらいはいくら箱入り娘であろうと知っていますよ」
少女の口元が少し尖っていた。福沢の目は少し見開きつつ呆れたように吐息を吐き出す。
「そんなことを気にしていたのか。もとより家出している者がお金など持っているとは思っていない。私が奢ってやるから来い。何でも好きなものを食べるといい」
 言いながら福沢の足は見つけたデパートの地図に向かっていた。少女がいいんですかと弾んだ声を上げて福沢の後ろをはねるようについてくる。ああと答えながら地図でフードコートの場所を確認して進みだした。
 少女はやったと少しだけ飛び跳ねていた。
「私少しだけ知ってますよフードコートってお食事するところでファストフードというものが売っているのでしょう。ハンバーガーとか言う者もありますか、食べている所を見たことあって私も食べてみたかったんです。どこぞのバカ父が可愛い女の子は砂糖菓子しか食べちゃいけないんだよなんて言って食べられる機会がなかったんですけど私も食べていいですか」
 きらきらと少女が嬉しそうな目を福沢に向ける。ああと答えながら福沢は世の中とんでもない馬鹿もいるものなのだなと少女には悪いが気味悪く思っていた。すこしだけ少女に同情してしまう。
 フードコートにつくと少女は楽しそうに一つ一つの店を見てはどれがおいしいですかと福沢に聞いてきていた。正直福沢に聞かれても答えられない。このような店を利用したことは福沢はなかった。パット見たメニューの好みで言えば牛丼屋だ。安い手ごろという点ではうどん屋。がっつり行くならラーメンとこのあたりに福沢は目が行くが、相手は女の子。それでいいのか分からない。
 なので福沢はあれが食べたいんじゃなかったのかとハンバーガーのお店を指さしていた。少女の頬は少しだけ膨らむ。
「そうなんですけど。こんなにたくさんいろんなお店があってどれも食べたことないから気になるんです。酷いと思いませんか。自分はラーメンとか食べているんですよ、私夜中に出前とっているの知っているんです。それなのに私には可愛くないからダメ。女の子なんだから可愛くいないとって食べるの許してくれないんですよ。
 あそこにあるうどんぐらいしか食べたことなくてどれも食べてみたいんです」
 ねえと少女が同意を求めてくる。福沢はそれは酷いともう一度会ったこともない誰かにドン引きしてしまっていた。そんな変態が本当に要るのかなんて少女の話を疑ってさえしまう前で少女はだからとフードコートの中を見て眉を寄せていた。
「どれを食べるか私にとっては真剣なんです。何でも私が買ってあげるからってお小遣いすら持たせてもらえないですし……。否あんな人のお金などいくらでも盗んでやれますけど、でも……」
 少女の目がどれにしようかと真剣に選んでいる。そんな少女を見ながら福沢は別にと言っていた。
「食べたいのならいつでも付き合うぞ」
 へっと少女の目が見開いて福沢を見る。その目に映る己を見て福沢は何をしようとしているのかとこれから己が言うことに呆れたりもしたがそれでも口を動かすことを止めなかった。
「貴殿が家を抜け出したくなる気持ちはよくわかったからな。抜け出す手伝いができるかはわからないが、ただまたここに連れてくることはできる。貴殿一人分なら代金もそうかからんからわたしのほうで払ってやれるし、まずは一つ一つ気になるのから食べていけばいいんじゃないか」
 ぱちぱちと少女の目が何度も瞬きをしながら福沢を見る。くちびるがすこしふるえた。そしていいのとそう聞いていた。ああと福沢は頷く。少女はこれまたうれしそうに笑った。
 それはとてもきれいな笑みでじゃあ、再来週と福沢に言う。
「再来週の水曜日なら私抜け出せるはずですから、会ってくれますか」
「ああ、いいが」 
 ずいぶんしっかり分かるのだなとは思いつつもいわなかった。それより何が食べたいと少女に問う。少女はそれではまずあれにしましょうとハンバーガーを指さしていた。前に人から自慢されて食べてみたかったのだとそう言っている。少女を連れてハンバーガーショップに向かった。

 注文は分からないことだらけだったが何とかやってのけて、そして今は福沢と少女二人の手にハンバーガーがあった。少女はそれをまじまじと見つめてそれから満面の笑みになってかじりついていた。福沢もそれを見てからかじる。
 濃い味が口の中に広がる。少女はんーーと足をばたつかせていた。美味しいですねとそう云って笑う
「いつも食べている者と違って味付けが濃く素材の味が消えてしまっている部分もありますがこれはこれで美味しいです。ソースがいいですね。たまに食べたくなる味をしています」
 食レポのようなことを少女が言う。なるほど確かにと思いつつ福沢も食べ進めた。あまり食べない味。変な感じがするが少女の言う通り美味しい。
「他のお店の者も絶対食べたいです。再来週約束ですからね」
 くち周りにソースをつけた少女がいう。きらきらと期待している目にああと福沢は答えた。答えるついでに少女の口元についたソースを拭っていく。、
 少女が一瞬キョトンとした様子を見せた後に、その頬を赤く染めていた。




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