「ただいま」
 太宰は休みの日も私と行動することが多いが、たまに一人で家の外に出掛けることもあった。近所の猫を見に行くとか、ちょっとした買い物だったり、国木田や中也の家にお邪魔するときなどは一人で出かけて一人で帰ってくる。
 今日もそうだったのだが、聞こえてきた声はいつもと違い弱弱しいもの。
 不機嫌だった時のものだった。
 すぐに立ち上がって玄関に向かう。何かあったのかと聞こうとした私は太宰を見て固まってしまった。それは一瞬。すぐ懐に入れていたペンを取り出しては太宰のすぐ横にいた人物に向かい投げつけていた。
 どわっと醜い声。掠ったペンはドアに刺さる。賃金だったので弁償代はかかってしまうが、こればかりは仕方ないだろう。
 すぐに腰を落として太宰に向けて手を広げていた。
 太宰の体が腕の中に飛び込んでくる。あ、太宰君と気色悪い声が聞こえる。ぎゅと太宰の腕の力が強くなった
「何しにきた。藪医者」
「……あなたこそなんでいるんですか」
 思い出したくもなかった男がそこにいた。顔を歪められるがそうしたいのは私の方である。
「何でも何もここは私の家だ」
「は。……あ、いやそうか。ちっ。まさかあなたに先を越されるとは私が太宰君を拾うつもりだったのに」
「ふん。貴様ごときに拾われてたまるか。この子は私が大切に育てる」
「育てるも何も……二人して私が毒親の元にいると考えているのは何なんですか。まあ、実際そうだったんですけど、いい加減おこりますよ」
 剣呑な雰囲気の中、ぷくううと太宰が頬を膨らませる。あ、可愛いと森の奴が叫ぶ。もうペンがないのが残念でならなかった。少しでもやつの視界に入らないよう抱きしめる力を強くする。
 筋肉だるまを見たいわけじゃないとか失礼なことを言われるがどくことはなかった。腕の中の太宰が苦しいのかどんどんと胸をたたいてくるのでそれで少しだけはなした。
「で、貴殿はここに来たのだ。太宰も変な奴をつれて来ては駄目だろう」
「そりゃあまあ可愛い子供を見かけたらついてくるでしょう」
「だって森さんから逃げて無駄な体力使うより、ここに連れてきて福沢さんに退治してもらう方がいいと思ったんだもん。今後もしつこく来られるかもしれないし、私にはもう素敵な親がいるってこと見せつけておいた方がいいでしょう」
 森は論外として、太宰はさすが太宰。確かにその通りで言ってしまったことが恥ずかしくなるぐらいだった。すまぬと謝りつつしかしとも思ってしまう
「一人でこんな男と歩くのは危ないだろう。もう敵でないとはいえ変態だ。悪いのはこの男なのだが……。私に先に連絡をして来い
 で、貴殿はいつまでいるのだ」
「酷い言い方ですね。客人ですよ」
「招いてもいないものを客人とは言わん」
「何か話したいことがあるらしいですよ」
「話」
「あるのは太宰君だけなんだけど」
 なんだ。太宰を腕の中に囲い込む。顔すら見せたくないのだが、この男はそういうことすらわからないようだった。にやにや嫌な笑みを浮かべている。
「太宰君。私の家の子にならないかい」
「断る」
「……まあいいのですが、私もお断りします」
 森の声が聞こえるや否や断っていた。太宰の方がそれにため息をついている。私のことですよとぷりぷり怒っているものの機嫌自体は悪くない。パフォーマンスをはさんでから森にも断りを入れていた。
 答えなんてわかっていた森はため息をついて大げさに肩を落とす。残念だとそう言っていた。
「歓迎の準備もできているのに、それにお姉ちゃんだって近々できるというのに」
 しくしくとわざとらしく泣き真似。そんなことまでして縋ろうとする森を蔑んだ目で見てしまいながらも一つ森の言葉に気になることがあった。ンと首を傾ける前に太宰がへえと身を乗り出し、もう帰ってくださいと森を追い出している。
 森の奴ももっと粘ればいいのにあっさりと帰っていた。
「太宰、あの男が言っていた」
 森がいなくなった後太宰に問いかける。にんまりと笑って私を見てきた。
「福沢さん。私前からお姉ちゃんが欲しかったんですよね。いいですよね」


「いやさ、あの人うざかったから助かりはしたし、また会えたのは嬉しいんだけど、まさかこうなるとは思わなかったよね」
 私と太宰の家の中で腕を組んで与謝野がはああと深いため息をついていた。まだ幼く太宰より年上、小学校中学年である。親が死んで引き取り手がなく困っていたのを福沢が引き取ったのだった。前世でもまた幼いころから引き取り暮らしていたが今はそれよりもっと幼かった。
 与謝野の目は太宰を見ている。
「乱歩さんじゃなくあんたの姉になるとはね」
 その口から出ていく深い吐息。太宰はにこにこと笑っている。そうしながら器用に首を傾けてちょっと不安そうに上を見上げてもいた。おおむねは楽しそうでどうやったらあんな顔ができるのか聞きたくなる。
「乱歩さんの方がよかったですか」
「別にどっちでもいいけどただあんた相当甘やかされているだろう」
 呆れたため息をついた与謝野が部屋の中を見る。そして私を見るので視線をそらしていた。自覚はある。同じく自覚のある太宰は悪びれる様子すら見せなかった。
「福沢さんは甘やかすのが好きですから。与謝野さんもたくさん甘えられますよ」
「私は別にいいんだけどね。まあ、これからよろしくね」
「はい、お願いします」
 にこにこと太宰が楽しそうで私はそれだけですべてよかった


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