ガンと鈍い音が耳元で響いた。複数回にわたって続く音。熱いのか痛いのかすら分からなくなっていく感覚。顔はやめてほしいのだけどね。そう思いながらも太宰は何の抵抗もせずに横たわっていた。汚い路地裏。地面に押し倒され男に跨がれ殴られながら太宰はただぼんやりとその光景を見ているだけだった。
 殴られる度に地面にこすれる頭から鬘がずれていく。視界に入るスカートが汚れていて、ああとそれにだけ声を上げた。お気に入りだったのにと……殴られながらそう思った。



 始まりはマフィアに入り森に出会った日からであった。
 ロリコン趣味の森は幼い太宰にドレスを着せて可愛がった。男はこんな服を着ないんじゃないか。なんて思っていたのは僅かな間だけ。
 森がその服を着ている間だけは可愛がり優しくして愛をささやいてくれるのが分かると太宰は進んでドレスを着て女の子の振りをするようになった。この服を着ていたら頭を撫でてもらえる抱きしめてもらえる我儘を言っても許される誰かに必要とされて誰かに愛される。なぜなら可愛いから。可愛ければ人は愛してもらえるんだ。
 それがゆがんだ認識であると気付かないまま太宰は大人になった。
 16歳ぐらいになったころからいくら可愛い服を着ても森には愛されなくなったけど、可愛い服を着た女の子の振りした太宰を愛してくれる人間は他にたくさんいた。ただの太宰は愛してなんてもらえないけど、必要となんてされないけれど可愛い服を着れば誰かが愛してくれるそれで十分だった。
 可愛い服を着ていたら愛してくれる愛してもらえる必要として貰えるそれだけで十分だった。
 マフィアを抜けてすぐに自分が異常であることに気付いてしまいながらもそれでも太宰は止められなかった。愛されるためにはどうしたって可愛い服を着ないといけないのだ。だから周りには秘密にしながらも太宰は可愛い服を着続けた。そして適当な男を見つけてはその格好で近寄って愛された。女の振りをしたままただ可愛らしい恋人ごっこで愛を貰うこともあれば、性別を暴露したうえで抱かれることもあった。
 可愛いと言って頭を撫でられたり抱きしめられたり口にしたちょっとした我儘をかなえてもらえるの好きだったしそう云った行為に愛を感じた。それとは別に痛いほど苦しいほどいっそ乱暴なまでに抱かれるのもまた好きだった。必要とされている自分の姿に魅力を感じられている愛される可愛い存在でいられていると認識できた。
 兎にも角にも太宰は女装した可愛い姿を愛してもらわなければ自分を成り立たせることができないほどに歪んでいた。


 糞がと毒づいて男が立ち去っていくのに太宰はああと息を吐き出した。それなりに気に行っていた人だったのになと思いながらもまあ、仕方ないか。次を探そうと頭はすでに切り替えている。女の振りをして付き合っていたから男とばれて手酷く振られる。怒りをかって殴られるなんてことはいつものことだ。太宰にとってなにも気にすることじゃなかった。愛されなくなったらまた愛してくれる人を探せばいい。太宰自身にはそんな人いるはずもないけど、可愛い格好をした太宰にならいくらでも見つかる。だから……
重い体を引きずって立ち上がりながら路地裏のさらに奥へと向かおうとした。白い手が自分の顔に触れる。何処か切れたのか血が流れている肌に触れ熱の加減を確かめる。腫れるのは嫌だと激しい痛みが胸を襲う。明日も仕事なのに探偵社のみんなに心配されてしまう。なにより腫れてしまったら可愛くない。どんな可愛い洋服を着ても顔が青あざだらけの腫れた顔なんて可愛くない。愛されなくなってしまう。それは嫌だ。
 愛されていたい。誰かに必要とされていたい。
 だから太宰の体は無意識に奥に奥にと進んでいた。この奥にはかなり乱暴な浮浪者が数人集まっている。男でも女でも可愛くて綺麗な顔の人間を犯すのが趣味な奴で太宰も何度も抱かれたことがある。
 その男の元で手酷く抱かれることができたならきっとまだ太宰は可愛くあれている。誰かに愛される姿でいられている。



 ふっふふふふっふふふ
 笑い声が暗闇の中に木霊する。ゴミ溜りのような場所に精液まみれで放り捨てられて太宰は嬉しさに笑みを上げる。抱かれることができた。血まみれで顔も腫れながらも抱かれることができた。こんなのでもまだ自分は可愛くあれている誰かに必要とされることができているそう思えてうれしかった。上機嫌でもう殆ど動けない体を無理矢理に動かした。まだ日も開けない時刻。だがあまりのんびりしていたらすぐに日が昇る。みんなが目覚める前に一旦寮に戻って怪我の手当と着替えをしなければと。太宰は壁伝いに歩きながら必死に寮を目指した。
 歩く度に中に出されたものが流れ落ちていく。その感触にまた太宰は笑みを浮かべる。欲は多ければ多い方がいい。それだけ多く愛されたことになる。必要とされていることになる。
 だから。
 足から力が抜けて崩れ落ちながらも太宰の口元から笑みは消えなかった。
 その時までは。


「太宰」

 突然聞こえてきた声に太宰の中を満たしていたものがすべて霧散されていく。ひゅっと掠れた音が喉奥から鳴り琥珀色の目がまあるく見開かれた。赤く染まっていた頬から血の気が無くなっていく。
 壊れたロボットのような動きで太宰は真横を見つめた。細い脇道にその人は立っていた。
 未だ暗い夜の時刻それでもわかる月の光を移したような銀の髪。日ごろ感情の読めない顔が今日この日ばかりは何を思っているのかよく分かる。はっきりとそこには怒りの感情が描かれていた。
 あっと、声を上げるよりも早く一瞬のうちに距離を詰めたその人太宰の勤める探偵社の長、福沢に手を取られていた。
「何をしている」
 低い声が耳朶を打つ。青ざめ震えた口元からはまともな音さえでていかなかった。ああ、ああと呻くような声が漏れ太宰の呼吸がはやくなっていく。目の焦点はあっていない。肩が震えだすのに福沢は慌てて太宰に声を掛ける。ゆっくりと呼吸をさせようとしても早くなっていくばかり福沢の声すら届いているようには思えなかった。このままではまずいと感じた福沢は咄嗟に太宰の腹を殴っていた。ぐったりと倒れ込んでくる体を支える。
 抱え上げたその体は痛々しいほど血と傷と体液にまみれ、驚くほどに軽かった。



 目を見開いた時一番最初に見えたのは福沢の姿で太宰はその瞬間には何があったのか思い出してしまっていた。血の気が引く感覚が襲う。目の前で福沢が何かを言っているのが分かるのにその声が聞こえなかった。知られた見られた。その言葉だけが頭の中をめぐる。普通でないことは分かっていた。太宰がしていることはおかしいことで誰かに知られたら軽蔑されるようなことだと。
 だけどそれでも、だって。そうしないと一人なのだ。
 そうしないと誰も愛してくれない。誰にも見向きされない。誰にも必要とされない、誰にも見てさえもらえない。一人になってしまう。
 ああしないと、あんな恰好をしていないと誰かに愛してもらえないから。していいないと可愛くないと。私だって誰かに愛されていたいのだ。



 仕方ない仕方ないのだ。だって、愛されたい。見てもらいたい。愛してほしい。この格好をしていたら優しくしてもらえる。抱きしめて頭撫でてくれて褒めてくれるわがままだって聞いてもらえる。この姿だからこの姿じゃないと、だからだから。
 
 普段の太宰からは考えられないほど纏まらない話を繰り返すのに福沢は血がにじむほどに歯を噛み締めて聞いていた。落ち着くように言っても太宰にはその言葉が聞こえない。必死に言葉を紡ぎ続けている。そうしないとまるで見捨てられるとでも思っているような太宰の表情に云い様のない感情が湧き上がってくるのを必死に堪えた。
訳あって夜中と云って過言でない時刻横濱の街を散策していたら太宰の姿を見つけた。様子がおかしくけがを負っているようにも見えたのですぐに駆けようとした時福沢が見たのはその横顔に浮かぶ異様な笑み。それに足を取られた福沢の前で太宰の体が大きく傾いた。それでも笑みは浮かんだまま頬を赤く染めあげて太宰は嬉しそうな姿をしていた。しばらく福沢はその姿を見てしまう。何が目の前で起きているのか分からなった。決していいものではないことだけは分かって救い上げなければとその一言を思った。
 何からとか何が起きているのかとか考える暇もなく太宰の名を呼ぶ。
 目を見開いた彼が倒れそうな泣き出しそうな顔をするのにとっさに彼の手を掴んだ。何をしている。問いかけた声が自らでもわかるほど怒りに震えていて自己嫌悪が芽生える。こんな感情を今の太宰に向けるべきではない。もっと別の問いがあったはずだと。太宰が過呼吸すら起こしだすのにその嫌悪感はより大きくなる。今はとその嫌悪感を抑えて気絶した太宰を家に運んだ福沢。怪我の手当をしている途中に目覚めた太宰は福沢を見るなり、またその顔から血の気をなくしそして声を掛ける福沢の言葉すら聞こえないように必死に言葉を紡ぎだしたのだった。その口から紡ぎだされる言葉の数々に福沢は湧き上がる怒りを抑えた。
 目の前にいる子供をこうまで歪ませてしまった何かを見つけ出しては地獄の果てまで殴りに行きたい思いが湧き上がる。だがそれよりも今はその子供を落ち着かせ救い出すのが先決だと自分に言い聞かせる。
 可哀想なほどに顔を青ざめ恐怖で瞳を震わせる太宰は肝心なことすらわかっていない。福沢が太宰に怒りを向けたとしたらそれは自分の体を一欠けらすら大事にしていないからだ。傷つきながら酷い凌辱の後をその身に受けながらその事を何とも思っていないような、所かそれで良かったというような顔をするからだ。太宰に女装するような趣味があったからと言って驚くようなことはあっても引くようなことなどは絶対にありえない。
それなのに太宰は問題なのは女のような格好をしていたその一点だけだと思っている。それが悪いことでそれだけで捨てられるのだとそんな風に思っている。
 その事実にすら怒りや悲しみや不甲斐なさと云った様々な感情が押し寄せて吹き出しそうになる。それらを飲み込みながら福沢は太宰に手を伸ばす。
「太宰」
 飲み込み切れなかった分が言葉に乗り思っていたよりもずっと強い声が出た。頬を掴んで焦点を合わせようとした手も福沢が望んでいたよりもずっと力が込められてしまっていて。また自分にいら立ちを覚える。だがそのお蔭で太宰に正気が戻ってもいた。
 まだ息は荒く、その体は震えているがその目はしっかりと福沢を見ている。ごめんなさいと太宰の口から漏れた。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと何度も太宰は繰り返す。それが何に対する謝罪なのかなんて本人すらきっとわかっていたに。
 今誤るようなことは何もない。それでもそうするしかない。何をどうしていいのかがわかっていないのだ。
 言いたいことは山ほどあった。言おうとしたことも山ほどある。そんな格好をしなくても大丈夫なのだと伝えたかった。そんな格好をして見知らぬ者らに愛されようとしなくともすでに太宰を大切に思うものならいくらでもいるのだと言いたかった。福沢もそうだ。国木田や敦、他の探偵社社員だってみんなそうだ。太宰を大事にしている。大切に思っている。望むのなら何をしなくたって抱きしめる。頭だって撫でる。我儘だって聞けるものなら聞く。だから自分の身を大切にしてほしいとそんな風に愛されなくとももっとちゃんとお前を愛してくれるものはいるのだと伝えたかった。
 だが太宰の姿を見てそんな言葉はすべて胸の奥に押し込んだ。
 何を言っても今の太宰には通じない。長年にわたり太宰を蝕みつづけた思いは簡単には払拭されることはない。何を言っても届かない。むしろそれが一層太宰を苦しめることになる。その事を感じ取ったからだ。
 だから福沢は言いたかった言葉を飲み込んで代わりに別の言葉を吐き出す。
「可愛い。太宰、お前は可愛い」
 へっと太宰の目が瞬いた。何を言われたのか理解できないというように一回二回。驚きで体の震えが収まった太宰の姿を福沢は見つめる。血や精液、それに土埃などで汚れて今はぼろぼろの姿をしているが、それが元はどんな姿だったのか想像する。太宰の顔は化粧をしていたのかいつもより目がちょっと大きく、それから肌も明るい色をしているように思う。普段からして美しい顔をした男だ。その顔はきっととても美しく可愛らしいものだったのだろう。着ているのは赤のワンピースドレス。長めのそれはふわふわと揺れてとても愛らしいものだったに違いない。そこに羽織った花柄の白いカーディガン。愛らしさが強調されたその格好はどこぞのロリコンを思い起こさせてそれにさらに怒りが募ったが今はそれを悟らせないよう固めた表情筋の下に押し込む。
「化粧をしているんだな。普段から綺麗な顔がもっと綺麗に可愛くなっていると思う。服もお前にとても似合っていて愛らしい」
 言いなれていない言葉を紡ぐ。こんな風な容姿を褒める言葉を使ったのは初めてで合っているのかすら分からない。それでも福沢は言葉を紡ぎ太宰に可愛いと言う。だからと言いながらその体を抱きしめて優しく頭を撫でる。
「愛してくれる人が欲しいなら今は私を選んでくれないか。
 私はこう云った言葉を言うのはそれでもお前が望むのなら幾らでも言おう。お前は可愛い。とても愛らしい。抱きしめるのも頭を撫でるのもお前が望むなら幾らでもしてやる。優しくしてやるし存分に甘えてきていい。
 だから私にしてはくれないだろうか」
 どれだけそれ以外の愛され方を教えたって、愛さてるのだと教えたって今はまだ太宰には分らないだろう。ならば、太宰が望む愛を与えながら少しずつ教えていけばいい。少しずつでもいいから太宰が分かるように導いていけばいい。そう考えて言葉を紡いだ。
 なれない言葉は口から出るときつまりそうになるがそれでも、何度でもなれない言葉を口にして太宰に乞う。
 肩を震わせた太宰は俯いてその顔は見えない。小さな声が聞こえる。
「もっと抱きしめてそれで……名前を呼んで下さい」
 それがどういった意図を持ったものか分からなかったが福沢は躊躇わずに太宰に抱きしめる腕の力を強めるそして名前を呼ぶ。太宰と。太宰の頭がふるりと揺れた。
「できれば下の名前がいいです」
 消え入りそうな声が届いて福沢は軽く目を瞬く。そしてすぐにそれに応える。
「治」
 自分が持ってるだけのすべてを籠めて柔らかな声で太宰の名を呼んだ。太宰の体が震えてその手が福沢の服を掴んだ
「私。可愛いですか」
「ああ、可愛い」
 問いかけられるのに答える。もっと自分に弁があればと思ったがそれでも十分だったようで太宰は福沢の腕の中た良かったと安堵の声を吐き出した。細い体から力が抜けて崩れ落ちていく。安心した太宰の顔はほんの少し満たされたのか小さく笑っていた。




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