笑顔にぶれがあった。
美しいが言ってしまえばそれだけ。作られているものと分かっていても手を伸ばさずにはいられない危うさが感じ取れなかった。福沢殿と呼ぶ声にどことなく邪気がない。ほとんど擦り切れそうな声であった。
 褪せた目が私を見つめてくる。乾いた唇に口づけ手、その体を抱きしめる。福沢殿と何度も名前を呼ぶ声は私が知っているものではなかった。



饅頭茶漬けが食べたいです
 何か食べたいものがないかという問いかけへの太宰の答えに思わず顔をしかめてしまっていた。それも仕方のないことだろう。人の好みについてとやかく言うべきではないと思うが、それにしてもあれはゲテモノというしかなくあの男に思いを寄せていたことさえどこで食べられるのかなど探そうともしなかった代物だ。
 売っている店があるとすら思っていない。
 どうすればよいのか迷う。ベッドの上から太宰はじっと見てきていた。駄目ですかと聞く。
 正直言うとだめだと答えたい。
 食べなければいい話だとしても見たくもなかった。だが頼んでいるのが太宰だと思うとむげにもできなかった。迷って悩んで数分後、分かったと答えていた。眉間には盛大な皺が刻まれているだろう。ただと続けた
「私はそれを売っている店を知らぬ。食べたいというのなら私の家で作ることになるがいいか。あとこの時間に空いているスーパーがあるといいが」
 話を聞く太宰の目が見開いていた。それでその後にほうと息をつく。そうですかと言ってくる声。それはさすがにしっているかとそんな声が聞こえてきて何のためかはわからないものの試すための言葉だったことが伝わってきた。どうしてなんて聞くことこそしないものの本当に饅頭茶漬けでいいのかと問いかけていた。太宰の目はゆっくりと瞬きをしてから福沢を見る。
 んーーと口をとがらせ正直な話はあまりといい、それよりは蟹が食べたいですと言っていた。
「じゃあ今夜はカニ料理にしよう。うまい店がある。行こうか」
 手を差し出すと太宰はその手をじっと睨んできた後に掴んでいた。はいと少しかすれた声が聞こえてくる。
 太宰の目がじっと睨んでいた。
 どうしてかはわかっている。
 考えているのだ人から差し出されたその手を掴んでもいいのか。そしてどうして私がこんな風にしてくるのかを。
 私が森を見ていないということがついにばれてしまったのだ。
 思えば少し前までのブレブレの演技もそのためだろう。
 何があったとは思っていたのだが、どうもあの演技はわざとだったらしくおそらく私にこの関係の異常さを気づかせようとしていたのだろう。昔にそんなものわかっていたというのに。私が気付いてこの異常な関係を終わりにする。それが太宰の立てた計画内容だったのだ。
 なのに私がずっとこの関係を続けるから、太宰はもう私が森を見ていないことに気付いてしまったのだ。
 だからと言ってこの関係が終わるかというとそうではないらしくて、どうして私がこんな関係を続けるのか疑問に思い見てきているのだ。
 あの饅頭茶漬けを食べたいという言葉もそのためのものだった。
 そのころにはまだわかってはいなかったと思うがどうしてたのか確認しようとしていた。
疑い探ってはいるもののでは関係がなくなったのかというとそういうことでもなかった。関係は続いていて二週間に一度ぐらいの頻度で太宰を抱いていた。太宰は森のふりを最初こそするものの正直どうして森のふりをするのか、その理由についてはもうわかっていないのだろう。
 時折凄く無垢な子供の顔をしている時があった。
 そういうときは演技が外れていて何処を触っても反応はない。薄々わかっていたことではあるのだが、どうも太宰はこういう行為をあんまり感じるタイプではないようであった。むしろ不感症に近く何をしてもなしのつぶてである。普段気持ちよさそうに上げる声も演技で射精するその行為すら己の体を偽っているものであった。気持ち悪いと思ってしまわなくもないがそういうことができる男だと知っていた。
 正直な話を言うと太宰が感じていないのであれば性行為に意味はないのだが、ただ太宰にとっては必要なものであるので太宰が気持ちよくないと分かった後も抱き続けている。
 甘い声もなくただ静かな瞳でゆすぶられている太宰を見る。そのわずかな時間はとてももの悲しいような気持になったりするのだけど、でもその時は太宰が求めるままに動いた。酷くされたいときはひどくして、優しくされたいときは優しくして、己を使い分け、太宰にやさしくするよう心掛ける。
 それが太宰にとって一番つらいことであることには当然気づいていた。それでもそうして抱いた。
 太宰が愛していますかと聞くことはそれからだんだんなくなっていた。
 行為が終わった後は今まで通り変わらず太宰の体を清める。
 目覚めた太宰とともに夕食を食べに行くことが多い。一つ違うのは太宰がわがままを言わないこと。どこへ行くと聞いてもどこでもいいというだけですべて任せてくる。だから近くの店を全部調査して太宰の好きなところをさがし、そこに行くようにしていた。食べている時も太宰はどうしていいのか分かってないようだった。
 前までは太宰のままだったのに今では森のふりをするときもあった。
 変わらないのは福沢を求めていることだけだ
 変わっていた太宰と過ごして一つ分かったことがある。太宰が愛していると言っていた福沢の代わりに見ていた男のことだ。その男を太宰は本当に愛していたわけではないようだった。
 大切な友人で大事な人だったのは確かだろう。そこに間違いはないけれどただ肉欲を伴うような愛は持っていなかった。持っていたのは自分のことを愛してくれる誰かで太宰はその誰かが彼ならなってくれると期待していたのだろう。
 だがその期待が叶う前に死んで、諦めきれなかった思いがいびつな形を作った。
 ここで大切なのは太宰は生者を求めていなかったことだ。手を伸ばしていた相手が死んだことが太宰にとって苦しみだったのだろう。だから今の太宰はもう生者を求めておらず、今までずっと死者の影だけを見ていた。
 でもここしばらくは死者の影が見えていない。私が壊してしまったからだ。太宰が生者も求めていないことに気付いたが、それでも私はもうやめることはできなかった。
 本当に私というものは実に業の深い獣だった。




「あなたは何がしたいのですか。どうして私を」
 太宰が問いかけてきたのはいつか問われると分かっていた問いだった。その問いを問われたとき何かが変わるのだろう。その時どうこたえるか。どう答えれば太宰の瞳の中に私が移りそしてその手を掴めるのか。ずっと考えていた。
 考えていたが福沢はすぐには答えることはできなかった。太宰の中に己のものを吐き出しながら目を白黒させた。
 寄りにもよって今言うのかと固まる下で太宰はじっと私を見上げてきていた。どうしてとそう問いかけてくるのだ。
 太宰の肉体はぎゅっと私のものを絞めつけてくる。
体と脳は別物なのかうまく頭は回らない中でも体は反応して出したばかりなのに固くなっていく。太宰は不干渉と言うよりそもそもの感覚が鈍いのだろう。涼しい顔をしてみてきている。この行為には快感を得ないから今のこの状態が普通の男ならどれほど苦しいのかということもよくわかっていないに違いない。なんとか抑え込んで太宰の頬を撫でた。動いたのもあって少しは湿っているがそれぐらいだった。
「貴殿が好きだから。貴殿を好きだと思ってしまったからだ
何とか言えたのはそんなものだった。
ごちゃごちゃ考えたが言葉を飾るのは性に合わなければきっと太宰の心にも響かない。太宰は物事を難しく考えるからこそきっと簡単なものの方がいい。だからわかりやすいもの、それ以外ないものがいい。怖がられたとしてもまずは思いを伝えるのがよいだろうと
「好きだ。貴殿がとても愛しい」
 太宰の目が見開いている。薄く開いた口。へっとでていくような声。わずかに首が傾いて素の顔で太宰は驚いている。心底驚愕した目で見つめてきて、何をと唇を震わせた。太宰の頬を撫でる。
 残念なことにあまり触り心地は善くない。抱くときは食べさせているが、普段はそうではないからやはりあまり食べていないようだった。
 多分ずっと悩んでいたのだろう。悩みがあるとすぐに食べなくなる男だった。頬を撫でていた手を動かして蓬髪を撫でる。くせ毛の髪はあまり撫で心地は善くないけれど、それでも好きなものであった。
 いつからとか細い声が聞こえる。
 貴方はと震える声がつぶやくのにそうなのだがと弱った声で答えた。
「それでも好きなのだ」
 言葉を紡ぐのは苦手だ。間違えないよう考えて紡いでいくがうまく伝わらないことはあるし、伝わった後で練りまわされて本来の意味と全く違うものに変わることもある。
それでも伝えなければ伝わらないものがある。
いつもどうやればこの言葉が人に伝わるのか考え続けている。
 太宰を見る。
 ねりくり回す余裕なんて彼にはないだろう。だけどちゃんと受け取れる余裕も彼にはない。
 そんな太宰が間違わないようちゃんと届くように何度も考えて答える、
「この関係を始めてすぐのころからだった。はじめは森を見ていたがでも何時しかそれは変わっていた。貴殿のことが好きになった。貴殿をいとおしいと思った。森の中に貴殿を探した。わずかに見えるそれがいとおしくて私は好ましかった。
 貴殿のことをずっと好きだった。」
見つめる前で褪せた目は泳いでいた。あちこちを何かを探して動き、ゆるりと首を振る。そんなはずないと言いたげであった。
 なら何でと太宰が言った。何で今までと震える声が聴く
「いったらお前は逃げると思った。お前が私との関係を続けてきたのは私が森を好きだと思っていたからだ。自分に好意を持っていると分かったら逃げてしまうだろうとそう思ったから言わなかったのだ。お前は自分を人が好きになってくれるものだと思っていなかったから」
「ならなんで」
 褪赭の瞳は震えながら私を映してくるけど、それは酷くぶれたもので時々姿が消えていた。太宰の手を握る。体が動いたせいでものが刺激されてこんな時でもやはり快感を得てしまう
 腰を振りたくなるのを抑える。
「もうお前は逃げられぬだろう。この手を離さないことを知っている」
「酷い人ですね」
「ああ私は酷い男だ。それでも貴殿が欲しい」
「どうして私を」
 泣き出しそうな太宰の目が私を見つめて揺れた。何でどうしてと問いかけてくるけどそれ以上は何も言ってこなかった。私なんかのどこがうつろな目で太宰が利く。何でと問いたくもないくせにもう太宰に言えるのは優しさなんてどこかに置いてきてしまった言葉だけだった
「好きになってしまったから。恋しいとそう思ってしまったからだ」
 太宰の頬を撫でて褪せた目が見える。その口元に触れる。何でと離れた口が言う。縋りながらも何も見ようとしない太宰の目にひかれた。愛したい愛されていたい。でも何も失いたくない。
 その諦めている、それでいて貪欲なまなざしは私の中、満足したはずの獣を呼び起こした。
 誰かに愛され愛し尽くしたいという名をつけることができない獣。
 いつからこの獣を飼っていたのかなど覚えていない。でも気づけばその獣はいていつだって愛して愛されることを望んできた。
愛されたいから人を助ける道を目指し、一度は挫折しながらも歩んできた道のり。その中で多くの人に愛されるようになって、これでいいかと満足したはずだったのだ。
 だけど本当は満足などできていなかった。もっと愛されたかった。多くの人、それだけじゃなくて誰か一人にこの人しかいないというほどに深く強く、そしてそんな人を愛し尽くしたかった。自分が持てるすべてで愛して自分だけしか必要がないようにしたかった。
 そんな相手いないと目を閉じた中ででも出会ってしまったのだ。
 誰かに愛されたい。誰かに愛してくれと願う太宰に。何も持たない太宰の目は愛されることだけを願っていた。ただ一心にそれだけを望む太宰は私の望みをきっとかなえてくれる。この壊れそうなほどの思いをきっと受け入れてくれるとそう思ってしまったのだ。
 好きだと言葉にする。貴殿が好きだと太宰に伝える。太宰の目は震えながらも私を見てくる。映してくれている。
「私は……」
 震える唇は言葉を紡ごうとするけれど、言いたい言葉などまだ見つけてはいないのだろう。何も言えないままただ口を開けていた。中のものを動かさないよう慎重になりながら太宰の目にずっと居座るよう動く。太宰の目は言葉を探すために時折さまようからそのわずかな時間すらも逃れられないようにする。
「貴殿が答えを言えないことは分かっている。だからせめて私に時間をくれないか。この関係を続けさせてくれ」
「そうしたらどうなります」
 そうして太宰にすがった。
 太宰の目はまた揺れるが、私からは逃げようとはしなかった。
「貴殿にきっと好きだと言わせてみせる」
 太宰の心に届くようその耳元に口を寄せ一番近くで囁いた。より奥に入ってしまって脳に気持ちよさが届く。こんな時ぐらい消えてくれたらいいと思うが、どうもうまくいかないのが人間というものだ。
 こういう時は太宰がうらやましくなる。
 その太宰はというと呆然と天井を見上げていた。何かを考えるよう静かにしている。本当はずっと太宰の中にいたいけど、今は考えさせてあげようとそっとその瞳の中に入らないよう体を動かした。
どうせその心の中は私でいっぱいであった
 しばらく太宰を見下ろすだけの時間が続く。私のものは落ち着いてきてくれたがまた何かあれば復活してしまうのだろう。何とか抜け出したいがそうすればさすがに太宰の思考の邪魔になってしまう。できずにいた。
 ぱちくりと太宰の瞼が大きく動いた。
 一度目を閉じてからまた天井を見る。その目はそこにとどまらず私を見た。考えがまとまったのだろうか。太宰の口は動いてどうしてと聞いてきた。
「……何故貴方は森さんを嫌いになったのです」
 頬を撫でる。思い起こすあの男の姿。もう何も感じることはない。この目で実際に見たとしても同じだろう。
 獣の牙は太宰を鋭くねらっている。
「嫌いになったわけではない。ただもう終わっていたことだったのだ。あの男とは過去にもう終わっていた。確かに好いていたこともある。未練たらしく思いを残しはしていた。でもだからと言って本人にあのように誘われても受け入れることはなかっただろう」
「どうして……。どうしてそんな風に終わらせられたのですか」
 答える心は何処まで行っても穏やかでしかない。だけど太宰の心はその言葉によって大きく揺れるのだ。迷い児。否、迷うのが怖い子供の目だ。
 かつての私もそんな目をしていたことがあるのだろう。そして同じような目を奥底に隠していた男に惹かれて手を伸ばしあった。ただ一時の舐め愛を求めて
でもこれはそんなものにはならない。そんなものではもう終わらせない
「……心の底からではなかったからだ。私もあの男も心から好いていたわけではなかった。ただそれぞれの道を行く中で誰にも言えぬ葛藤があり、寂しさがあり、それに一番近いところにいて寄り添えたのが互いだった。
 他に言えない何かを抱えて寄りかかるのに丁度よかったから好きだなんてそんな風に思ったのだ。
 でももうそんなことも言えなくなって私たちは互いへの思いを終わらせたのだ。あの男に求めていたのは愛ではなく縋れる場所だった」
「私には」
 答えを求めて太宰がとう。だから答える。近づきたくなって近づく。中のものがこすれて感じてしまう。
「お前は愛だよ。これはもうそれ以外に言えぬ。ただ愛してほしい。愛している。」
「縋れる場所でなくていいのですか」
 問われる言葉。思い出す森と縋りあったあの日々。悪くはなかった。心地よかった。でも太宰と過ごしてきた時間よりもいいものではなかった。縋れなくても今が一番安らかだった。
太宰の瞳の中に私がいる
「それはかりそめの場所だ。貴殿がいてくれるならそれだけでいい」
 太宰の目がほそまってそしてほっとしたように息を吐き出していた。
「……時間には何か期限を決めた方がいいのですか」
「求めているのは私だから貴殿が決めればいいのだが、そうだな私としてはない方がいい。じっくり好きにさせてみせるから」
「……そうですか」
 口元に笑みが浮かんでいる。安らかな表情をしている。ゆっくりとその頬を撫でていくと閉じていた目が開いた。そういえばともう今日は何も言わないのではないかと思っていた口が動く。

「続きしましょうか。辛いでしょう」


……一応一般的な感覚は分かるようだった。






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