福沢殿と私を呼ぶ。とても穏やかな声に伸ばされる手。唇は弧を描き、そしてそっと私の唇に近づく。触れるだけの口づけ。三日月に微笑む瞳。そして薄く開く口。
 誘うように赤い舌が覗く。
 まるで映画を見ているようだった。
 AVのような安いものではなく、監督、役者、スタッフそれぞれが互いの魂を削り撮った至極の映画。その中のワンシーン。
 とても美しくそれでいて艶めかしい。
 一つ一つの動きが計算されて私に向けられる。あの男の姿を思い出してしまう。
 嫌になるほど似ていて私は望まれるがままに噛みつくよう乾いた赤い唇にキスしていた。口の中に舌を押し込んで嬲る。トロリとその口元が蕩けて、福沢殿とまた甘い声で囁く。
 その声音は何処までも森のものであった。
 その姿で私を誘う。
 抱いてと縋ってくる。ねえと微笑む。私はその体を掻き抱いてベッドの上に押し倒すのだった。
 柔らかなベッドは二人分の重みを受けいれて軋む。滑らかなシーツの上で白い肌が身もだえる。優しく時に激しく太宰の体を抱く。甘い声を上げ感じる姿にすら太宰はいなくてそこにいるのは森であった。
 唯一好きだ、愛していると告げる時だけ瞳の中にほんのわずか愛されたがった太宰が映る。
 だからその言葉を気付かれないよう少しずつ増やして太宰を見つめる。
 愛を囁く度子供は幸せそうな口元をする。
 行為が終わる。太宰の頬を撫でる。丸みのある頬は柔らかい。体が見えないところまで傷だらけなのにこういう所は美しい。自分の武器を分かっているからだろう。腹立たしくも感じた。暫く太宰を撫でていくと太宰の瞼がぴくりと動く。
 最近は太宰が気絶するまで抱くのが私の中のはやりになってしまっていた。いじめたいわけではない。大切にしたいと当然思っている。出来れば優しく抱きたい。
だけどここしばらく太宰の方も私に激しく抱かれていることの方を好むようになってきていた。
元より私のせい欲が人より強かったことがばれており、優しいのより激しいのを求めるのが多かったが、今は少しそれとは違う。
最初はどうしてか分からなかったがものの少し経つと分かり始めてきていた。太宰はなくすことに敏感だったのだ。
 一度失ってしまったことがあるのだろう。
 それともそれより前からのものだったか、太宰は大切なものを失うことを強く恐れていて、だからこそ大切なものなんてきっと作りたくないのだろう。
 それでもあきらめきれず慰めきれず始めたこの関係を今は終わらせたがっている。
 この関係を終わらせる理由を探してていて、それが酷くされることだった。太宰は優しく愛されたかったのだろう。恐らくは今までそう言う行為をしてきた者たちは違う。太宰の事を優しくしたことはなかった。だから優しく抱いてほしかった。そうされることに愛を感じている。
 その愛を感じられなくなって終わりを決意したいのだろう。知っていながら私は太宰に望まれるようにして抱いていた。どうせ決意できないことが分かっている。
 太宰の事は見ず、己が気持ちを良くなるために腰は振る。太宰は嫌だとはいわないものの痛みを感じているはずだ。それでも甘い声は絶えず上げていた。
 太宰が望むからと言ってこんな風に抱くのはどうかとは思うけれど私はまだこの時間を失いたくはなかった。
 そのためには優しく抱くのでは駄目だった。それに太宰は気付いてないだろうか。悔しい話、優しく抱くよりもこちらの方が私の性分はあっていたのだ。
 優しくしたいと誰よりそう思っているけどそれとは別に男には獣の部分と言うものがあって、欲に飢えたその獣は愛しい者を抱きしめ抱き潰し己だけのものにしたいと叫んでいた。
 その白い肌に爪を立て、牙を食い込ませて相手のことなど何も考えずただ己のものにするための行為だ。
 それで満たされてしまう何かがあって、満たされながら名前を呼ぶのだ。
 愛している。愛しい。好きとそんな言葉を腹のうちから吐きだしながら
 飼い殺しきれない獣をなだめながら抱き終えた後、太宰を見降ろす。気絶した太宰は数分もしたら起きるのがいつものことだった。
 その前に太宰の体を洗い清めて服を清潔なものに変えておく。そうやって一通りやり終えると太宰の頬に触れる。
 太宰の頬は少しこけていた。
 頬に触れた後、髪に触れる。太宰の髪はいつ触れてみても違う感触をしていた。ごわつき指通りが悪く輝きもない時もあれば、かと思えばつややかに輝きするりと指の間を通るようなときもある。
 あれも日によって違ったりしたが、太宰はその差が激しかった。恐らくは太宰本人の部分も交ざっているのだろう。
 今日はゴワゴワとしていた。ここ最近は忙しそうにしていたのでそれも関係があるのだろう。触り心地は悪いが忙しくしているところを見て心配していたから、ほっともした。太宰の忙しいがただの忙しいであればいいが、そう言う時情報収集のためなどと称して良くも知らぬような奴に抱かれることがあるのだ。でも今回はなかったようだ。
 ごわついた髪をゆっくりと撫でていれば太宰の瞼がわずかに動く。睫毛が揺れて色褪せた瞳がのぞいた。ぼやけた瞳は一瞬だけ。すぐにしっかりとしたものになり、その後またぼやける。
 今何時ですかと寝起きで舌の回っていない声が問いかけてくる。
 夕方ごろに始めたはずだが、もう既に真夜中と言って良い時刻になっていた。ただ太宰が気絶してからは数分と経っていない。そんなものかと太宰は頷いていた。その瞼は眠たそうに何度か落ちるものの眠ることはなかった。最近太宰は行為の後すぐに己を見せるようになっていた。森のふりをしているのは行為の前、そして最中のみだ。
 ぼんやりと太宰の視線が天井を見ている。私の手はまだ太宰の頭をなでていた。ふわふわと柔らかで優しい手つきになるよう気を付ける、十四とかのくせして甘えん坊で何かあればほめろ、なでろと煩い子供の相手をしていたおかげで人を撫でるのは得意になった。子供を撫でる時よりも慎重になって撫でていく。
 太宰はうとうととしていた。
 落ちかけたが目開けてお腹空きましたとそんな事を言ってくる。
 少しずつしてきた実験がどうも成功してきているらしい。
行為の後毎日ご飯を連れていているとあの食べるのが嫌いすぎる太宰が自分からお腹空いたと言ってくるまでになっていた。
 当然私は喜んでご飯を食べさせに連れていく。何処がいいと問う。太宰の答えはいつもまちまちだった。具体的に答えがあったり、そうではなくこんなものが食べたいと言うものだったり、中には毒草を食べたいと言うものもあった。決まっていたのは私を困らせる為のものを言うというその一点だけだった。
 無理難題を押し付けて、困らせる。何だったら怒らせようとまでしてくる。
 だから福沢は自分ができることであれば何でも叶えてやるようになっていた。
 「  の湯豆腐」
 今日は無理難題は無理難題でもまだ何とかなるものであった。閉店時間まであと少しではあるが、太宰を抱え込んで走ったらぎりぎり間に合う。どうやら今日は願いをかなえてもらいたい気分の日だったらしく助かった。
 分かったというと太宰の体を抱えあげて走り出した。大体いつも太宰は自分で言ったくせに驚いた顔をする。それで叶えてやると社長はマゾか何かなのですか。なんて大変失礼なことを言ってくるのだった。
正直ここにいるのが私でなければ太宰は何発か殴られていたと思う。
私はとうの昔にそんな太宰に絆されてしまっているのでそんな気を起こすこともできないのだ。今日もまた太宰は呆れた目をして私を見る。
「社長ってその脚力を別のことに生かした方がいいと思いますよ。何で無駄なことにその力を使うんですか」
 今日はあまり腹だたしくない言いようであった。腹は立つがまだ可愛らしいレベルである。まあ私はどうでもいいのですがと言って太宰はメニューを開いていた。湯豆腐なんてそう量を食べるものではないと思うが、太宰は四人前ぐらいを平然と頼んでいる。ここで気を付けるべきはそれが太宰の食べる分ではないと言う事だろう。
 太宰はお腹が空くようにはなっているが、入る量は少なめで下手したら未就学児よりも食べない。だから今太宰が馬鹿みたいに頼んだ分を誰が食べるのかというと、
「社長お腹空きましたよね」
つまりまあそういうことになる。私の意見など一つも聞いていないにもかかわらず食べるのは私なのだ。
 正直乱歩ももう少しましだったと思えるぐらいにはここしばらくの太宰のわがままは酷いものになっていた。だけど私はそんな太宰を愛おしく思ってしまったのもあって文句を言うことは一度もなかった。
 太宰は所在無さげに座って店員が運んできたグラスを手にしている。そして時折飲んでいる。いつもこの時は太宰が水で腹を膨らませてしまわないか不安になる。実際似たようなことがあったので余計にだ。あの時の太宰は本当に酷くて五人分も頼んでおいてすべて私一人に食べさせたのだった。しかも焼肉だった。
 今日のようにぎりぎりで駆けこんだので大急ぎで食べた。結果翌日にも胃の中に物が溜まっているような感覚が残って初めて昼食を残すことになってしまったほどだ。
 それでも太宰は悪びれもせず、水を控えることもせず今日も大量の量を飲んでいた。
 あの時でさえ怒らなかったからそうなってしまったのだろう。
 その時は単純にどうして太宰がそんなことをするのかが分からなくて何も言えなかっただけだが、最近はそれが太宰にとってのこの不毛な関係を解消する方法だと気付いたので何も言わないことにした。何も言わずにすべてを受け入れる。
 この時の太宰は私に自分を嫌って欲しい太宰なのだ。
自分から手放すのは惜しくてできなかったから、私から手放されるのを待っているのだ。
 分かるからこそ私は一層優しくする。
 太宰を抱くときは彼が望むままに酷くして、そして太宰にとって誰でもなくなった後うんと優しくなる。
 彼が望むままに。それよりもずっと深くそうすることで今ゆっくりと太宰の中に私は私をしみこませているのであった。
 誰でもいいが誰かが今の私と太宰を見たらきっとこういうだろう。
 可哀想な奴。
 それぐらい私は慎重に太宰に接している。
 料理が店員によってはこばれてきて太宰の前に置かれる。湯豆腐は柔らかく食べやすいので少しは多めに入れても太宰も食べられるだろう。
 太宰が食べる気になりそうな量の見積もりがうまくいかなかったものだが今となると間違えることもなかった。 
太宰がいただきますと皿に箸をいれて食べていく。食べるのは遅いもののもう嫌だと言い出しそうな様子はなかった。あまり早く食べすぎると太宰が気にするかもしれないのでゆっくりと食べていく。
 前に早く食べ終わった時は太宰が途中で気にしてもういいと言い出してしまったのだった。一杯食べてほしいのでゆっくり食べる。熱いくらいだった湯豆腐は冷めてしまっているが、太宰と食べる時は別のものが満たされていく。食べ終わった後も太宰は暫くお椀を手にしたまま動かないでいた。ぼんやりと机の上を眺める。少しずつその時間が長くなっている気がする。太宰の中で私に対する何かがなくなってきているのだろう。それが嬉しくあった。
 ぼんやりとしている太宰を見る。長い睫毛が軽く動いて、何度かゆっくりと瞬きをしていた。そろそろだろう。ゆっくり立ち上がる。太宰の目が私を見てそれから立ち上がった。
 ありがとうございましたと小さく頭を下げてくる太宰は自分から財布を出すことはなくなってきていた。前までは私が言っても頑なに払うと言ってきたがそれがなく奢られることになれてくれている。会計が終わった後は二人ぶらぶらと夜の街を歩く。何処に行くなどは決めていなかった。
 いつも目的もなくただ歩いていく。
 それで途中まで過ごして、ある程度したら止まるのだ。
 どうすると前を少し歩いていた太宰に声をかけた。太宰の足が止まり福沢を見る。口元が小さく歪んでいる。
 目が左右を動いて……、それからこくりと太宰の首は縦に振られていた。口元がほっと歪むのが分かる。
 最近は良く頷いてもらえるようになっていた。
 行こうと差し出す手を掴むのは二分の一ほどの確立だ。今日の太宰は掴んでくれることはなかった。ぎゅっと手を握りこんで私の前を一人で歩いていく。急いでその後を追いかけた。そして辿り着いたのは福沢の家だ。
 家にいる間は何をするでもなくただ二人で過ごす。暫くの間居間で過ごしていると太宰が眠そうにしてくる。そうなったら眠りに行く。客間に布団を敷き、どうぞと眠らせる。その横に座りながら太宰の頭を撫でて太宰が眠るまで傍にいる。
 最初のころは眠ってくれなかったが今は安心して眠るようになっていて、ゆっくりと眠ってくれる。それを確認してから私も眠りに行く。起きたら太宰に何を作ろうかと考えるのだった。


「社長」
 行為の終わり、私は太宰に呼ばれて一瞬その体を止めてしまっていた。今回の太宰はどうしてか気絶しないことには気付いていたのだが、問いかけてくれるとは思っていなかったのだ。
「どうしたのだ」
 首を傾けて太宰を見降ろす。ベッドの上に横たわる太宰はお願いです。なんてそう言ってきていた。
「煙草の火をつけてくれませんか」
 願われること。私は机の上に置いてあるものを見た。借りている部屋には太宰がずっと煙草を一つ置き続けていた。毎回行為の後につけていた煙草だ。
 最近は気絶するように眠るのでつけている姿を見ることはなかった。匂いももう忘れてしまっている。太宰の手は煙草に向かい伸びているけど触れられそうにはなかった。手ひどく抱いたばかりで体も重いだろう。うまく起きられないでいる。
その頼みを受け入れて煙草に手を伸ばしていた。
火をつけて欲しいと言われていたので傍に置いてあったマッチで火をつけていく。そう言えばいつの間にか備え付けられていたこのホテルのマッチから別のものに変わっていた。恐らくどこかのバーのものだ。あまり気にしないようにしていたもの。変えたのには何かしらの意図がある、もしかしたら誰かとの思い出の品かもと思ったが、太宰に求められたのは詮索しない事だろうと分かっていたので何も言わないようにしていた。
 火をつけると煙が立ち上がり、匂いが部屋の中に充満していく。
  のような香り。
 太宰が遠い目をして煙を見つめていた。その鼻の穴が小さく開いて匂いを嗅いでいる。好ましいではなく懐かしい匂いなのだろう。褪せた目はほんの少しだけ潤んでいた。おと小さな声が聞こえる。鍛え上げられた聴覚をもってしても聞き取れない声だった。きっと誰かの名前。
 その名前を呟いた太宰は遠い目をしている
 なんとなく次にいう太宰の声が分かっていた。
そろそろ言われてしまうのだろうとここしばらくは待っているような、その時を恐れているような、また望んでいるような奇妙な感じであった。
 煙を見つめる太宰は暫く何も言わないでいた。
 息をひそめるようにゆっくりと呼吸をしながらただ見ている。その顔が泣き出しそうに見えていたのはほとんどだったが、今はただ静かに見えるだけだ。皮さえもはぎ取ってしまったのではないかと疑うほど静かに煙を見ている。
煙は天井まで上がった後、滞留しそれからゆっくりと消えていっていた。それを見ていた太宰の目は煙を求め閉じられていた。
 何も言わないことにしたのだろうか。
 それでいいというのであればそれでもいいのだが、太宰が何かを言う時がこの関係が何かしらの形で変化する時だと思っていたので寂しくもあった。
 目を閉じたものの太宰は眠る様子はなく匂いを感じている。
 少し部屋の中が冷えているので布団をかけてしばらくはここで過ごすことにした。落ち着いてきたころにどうすると問いかける。
 一度寝るかそれともと聞く。太宰はしばらく考えてから寝てからどこか食べに行きますと期待していたことを口にするのだ。
 撫でる手をしっかりとしたものに変える。触れているのだと伝えるためのもの。安らかな寝息が聞こえてくるのにはなれ、太宰をの体を清めるために動いていく。
 一通り拭き終わるとまた静かに太宰を見下ろした。太宰の頬はこの前の時よりも少しこけていた。最近何かに悩んでいることも多かっただろう。探偵社も特に仕事がなかったから。
 難しい男だ。
 ここしばらく暇なのもあって鬱々と考え続けていたのだろう。頬を撫でていく。おそらく寝たのも久しぶりだろう。起きるのは遅いだろうか。今は夕方だが、普通のお店がやっている時には起きないかもしれない。
携帯を取り出していくつか親しくなっておいた店に今日は遅くまでやってくれないかと頼んでいた。家に帰って作ればいいのだが太宰はまだそこまで私に対して心を許していないようで我慢する。そのくせこういう時はのんきな奴だった。
ふっと思い立って手が太宰の首に回る。
ピクリと眉が動いたものの起きる気配はない。すぐに離して太宰を見ていく。安らかな吐息だ。子供のように体を丸めて寝ている。その姿を見ていたら眠くなってしまってほんの少しならと太宰の傍に横になっていた。安らかな吐息とかすかに心臓の音を聞きながら眠っていく。
 目を覚ますと褪赭の目と目が合ってしまった。あわてて起き上がる。太宰の目は追いかけてそれからふっと笑っていた。
「社長も寝るんですね」
 穏やかな声は穏やかだがどこかおかしい。思わず瞬きをしてしまう。太宰の褪せた瞳はじっと福沢を見ていた。はっと出ていく声。何を言っていたのだとついそんなことを言ってしまうのは仕方ないだろう。悪びれもせずにだってと言っていた。
「社長行為が終わった後いつも何かしているし、疲れたようにも見えないから。眠る必要がないのかななんて少し思ってしまったりするんですよ。まあ、そんなわけないというのは分かっているんですけどね」
 くすりと震える喉。ぼんやりとしている顔が途中からやたらと楽しげなものに変わっていた。嘘くさい笑みとともに起き上がってそれでどうするのです。食事ですかと聞いてくる。
 ずいぶんよく寝てしまったと思っていたが確認してみると予約した時間にはちょうど良いぐらいであった。
 夕食に行こうとベッドの上、寝転がっている太宰に手を伸ばす。もしかしたら手を取ってくれるかと思ったがそんなことはなく太宰は自分で起き上がっていた。
わかりましたとそういって準備をしていく太宰はそれまでのぼんやりとしていた様子はなかった。何かを捨て去るようにてきぱきと動いている。




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