そんな風に始まった関係。
 何もなさないであろう無意味な私と太宰の二人の姿。
だけどそう言うものでも続けていけば変化は現れるものだった。こんな関係を半年続けて私はいつの間にか太宰の姿を自然と目に追うようになっていた。
 非日常の夢の中、日常の現実のなかどちらでも太宰を探した。
 夢の中で見られる太宰は僅かだった。煙草の火を消し立ち上がる。その僅かな瞬間に太宰の姿が見える。また現実の中で太宰がみられるのも僅かだった。
 いつも貼り付けられた笑顔の下、太宰の本心は隠されていた。ごく稀に笑顔が消え、偽りのない太宰の素顔が現れる。それは何もない無で恐ろしいものであった。
 私はそんな姿を見るたび胸が痛んだ。
 笑って欲しいとそんな願いを強く抱いた。
 いつの頃からか私には太宰が迷子の子供のように思えていた。大切な人に置いていかれて、帰るべき場所を探して迷っている迷子の子供。
 そんな子供の帰るべき場所がいつか見つかると良い。そんな思いで抱く度、頭を撫でる。そこにいるのは子供ではないけれど、彼がいる場所まで伝われば良いと願いも込めた。絡み付く蓬髪に太宰の姿を見つけた。


「たまには、飯でも食べに行かぬか」
 煙草の火を着けた太宰が驚いた目で私を見つめた。まだ眠気を強く感じる。だがそれも寝落ちてしまうほどではなく、私は緩やかに起き上がった。行為後に何か声をかけることなどしたことはない。この関係のなかに太宰はそんなものを求めていなかったから。
 けれど私は他の何かを求めたくて声をかけた。
 驚いたのは一瞬。すぐに静かな瞳に、妖しい色香を浮かべて太宰は笑う。
「薬、耐性ができてしまったのですね」
 何一つ悪びれることなく太宰は笑みを浮かべる。ふふと笑うそのなかに彼の姿はない。
「嫌か」
 問えば太宰は美しい顔のまま固まる。そろりと揺れる目線。それは太宰のものだった。笑ったまま口が小さく動いたのも彼だった。きゅっと口の端をあげる。
「良いですよ。福沢殿」
 太宰が他の人の音を紡ぐ。見慣れた光景。そして見慣れぬ光景。奇妙な世界に足をいれながらいつも通りに仮面を被る。その仮面の下で戸惑っているだろうにそんな姿、欠片も見えなかった。
「行こうか」
 手を差し出す。太宰が尊大な態度で振り払った。そんなものいりませんよ。穏やかでありながら低い声が告げる。先を行く姿に森医師の影が重なった。
だけどそれは部屋をでて、ホテルの外にでれば消えてしまった。
 太宰が振り返り見つめてくる。その足が動く方向に私はハッと息を飲んだ。そんなことまでも知っているのかと驚いてしまう。歩きながらも太宰は何処か不安そうな顔をしていた。 
「疲れると夕飯を用意するのが億劫になる。何処かで食べるにも一人だとむなしくなるからな。誰でも良いから付き合って欲しいんだ」
 私はすぐに太宰に向けて声をかけた。太宰はほっとした表情を浮かべ、歩くスピードをおとす。
「何処に行きましょうか」
 問いかけてくる姿は太宰のものであった。
「そうだな。そう言えばこの辺にうまい居酒屋があると与謝野が言っていた。そこへ行こうか」
「はい。分かりました」
 隣に並んだ太宰。だけど彼の歩みは私よりも遅く少し後ろに下がってしまう。それからは同じになってその距離を保つ。普段の太宰と私の距離だった。その距離で居酒屋まで行き、二人で夕飯を共にする。私ががっつりと食べることのできる牛丼を頼んだのと違い太宰はおにぎり一つだけを頼んでいた。
「あんまりお腹すいていないんですね」
 それだけでいいのかと私が聞くと太宰は困ったように笑ってそう口にした。
「そうか。すまぬな。付き合わせて」
「いえ、どうせ私も家には食べるものありませんでしたし、丁度良かったです」
 そう言って笑った太宰は小さなおにぎりをちびちびと食べていた。私では腹の足しにもならないような量。それを食べるだけの行為が酷く苦痛に感じるのか、太宰は食べながら時折顔をしかめる。
「御馳走様でした」
「御馳走様でした」
 私が食べ終えたのと太宰が食べ終えたのはほぼ同時であった。太宰のほうが遅くなるかと思っていたが、私が後少しで食べ終わるのを見て太宰は食べるスピードをあげてきた。飲み込むように食べて私が箸をおいてすぐに太宰もおいてくる。茶を飲みながら相手を見つめる。食べ終えた太宰はにこにこと笑って私が席を立つのを待っていた。立ってば太宰も立ち上がりついてくるのだろう。
 もう少しこうしていたい。そう思いながら私は立ち上がった。予想通り太宰も立ち上がり私についてくる。勘定を払い店の外にでる。その時太宰がなにかを言おうとしたがそれは無視した。
 何処へともなく歩いていく。太宰は途中までついてきながら、途中で立ち止まった。一歩も動かなくなる。少し残念に思いながらも私は声をかける。
「また頼んでも良いか」
 ほっと、したように太宰が笑う。これでいいのだと私は思うことにした。これでいいのだ。



 社長。
 太宰が名を呼んできたのに私は足を止めた。横目で太宰をみると柔らかく歪んだ口許が目につく。ついと指先が着物の裾を弄んできた。白い手を掴む。ふふと口許で笑って、福沢殿とその薄い唇が音を紡ぐ。
 その声には答えなかった。
 掴んだ手をそのままにその場を離れていく。歩いていく太宰は従順だ。向かったのは太宰と秘密の時間を過ごすホテル。フロントで名前を言い、鍵を借りる。
 この方が都合も良いでしょうと言って一月まるごと部屋を借りたのは森の振りをした太宰だった。あの男が好みそうな部屋を借りる姿を見、ここまでしなくともと呆れたが言うことはしなかった。
 エレベーターのなかに乗り込む。福沢殿と太宰が名を呼んで私の唇を奪った。
 弧を描く口。三日月に細められた目。誰かを思い浮かべてしまう。太宰の唇がもう一度重なって。それに求められるままむしゃぶりつけば舌は逃げ、体は離れていく。丁度良くドアが開く。太宰は躍り出ていた。
部屋の前で止まり遅いですよと抗議してくる。鍵を開ければ中に入り込んでいく体。福沢殿と部屋の中央で太宰が笑う。
今度は私から唇を重ねる。ねだられるまま強くかき抱けばふふと嬉しそうに笑って太宰は囁く。
 夢を見ましょう。と。
 私はその言葉に太宰を見て、そして目を閉ざした。
 ああ。夢を見るといい。お前が求めるかぎり幾らでも優しい夢を見ればいい。私はお前の夢を守り続けよう。
 そう思いながら口付けを与え、ベッドの中に細身の体を横たえる。好きだ。言葉にしながら求めれば太宰は何処かほっとした顔をする。


 肩で息をする体を見下ろす。髪の張り付いた頬を撫でる。好きだ。小さく溢した声に太宰は嬉しそうに笑う。ふわふわと撫でてから立ち上がった。着物に着替える。太宰も体を起こす。
「風呂を浴びてきたらどうだ」
「……えー。面倒です」
 声をかければ大きく瞬きをしてから太宰は声をだした。それはもう他の誰かではなかった。
「良いから入ってこい。またしばらく風呂に入ってなかったのだろう。匂うぞ」
 言えばぱちくりと太宰が瞬きをして私をみた。じぃと見つめてきてそれから首を傾ける。駄目ですかと聞いた後、太宰は嫌いですかとも聞いてきた。
「ああ、私は清潔な方が好きだ」
 太宰が傾けた首をさらに捻って見てくる。口を閉ざしながらんーーと唸っていた。もう一度促せば風呂場に向かう太宰。向かいながら森さんと同じ筈なのになと小さな声で呟いていた。
 確かに森もそうだった。休む暇もないくらい忙しい男はすぐに生活を疎かにしていて、たまに会うと匂うことが多くあった。それを隠すように振りつけた香水は鼻について。何時だったかこれが正しい使い方なんですよ。言っていた。
 思い出したのに首を振る。
 太宰のあれは真似しているようで真似でなかった。たんに太宰が風呂をはいるのが嫌いなだけだ。
水音がするのを聞きながら部屋を片付けていく。太宰の服を折り畳み袋の中にしまい、部屋の中のタンスから太宰の服を取り出す。服は脱衣所に運ぶ。服は置いておくぞ。声をかければはーーいと。太宰の声が水音の隙間から聞こえてきた。タオルを一つ取り部屋に戻る。太宰がでてくるのをまつ。
太宰はそう時間をかけることなくでてきた。その髪は拭いたのかも疑わしいほど濡れていた。
「太宰来い」
 手招きをすると太宰はとことこと私の元までやってきてくれる。目の前に立つ姿。私は自身の横を叩いた。そこに座る太宰の髪を拭いていく。太宰はされるがまま。私の好きなようにさせてくれる。拭きながら私はそっと太宰の匂いを嗅いだ。香水の匂いが漂ってくることはなかった。それに嬉しくなりながら髪を拭き、雑だった服装を整えてから私は立ち上がった。
 見上げてくる太宰に行くかと言う。太宰が、少しかたまってからこくりと頷いた。
 太宰と向かったのは定食屋だ。最近は抱いた後はいつもここで太宰と食事を取っていた。太宰はあまり食べない。最初の時と変わらずおにぎり一つを頼むだけ。私は量が多めなものを頼んでその中から一つ太宰が好みそうなものを太宰の皿に移していた。太宰が困った顔をするのにそれぐらいは食べろと言う。俯いた頭はこくりと小さく縦に振られて、おにぎりを食べながら私が乗せたものを食べる。
 二人の間に会話はなかった。
 もそもそと食べる太宰を見つめる。見つめながら夕飯を食べていく。太宰にとっては居心地の悪い時間だろうが、私はこの時間が好きだった。
 可哀相は可愛い何だよ
 太宰とのこの関係が始まってから乱歩に言われた言葉を思い出した。そうだな。だけど、間違いと言い切れるものでもないだろう。その言葉に私はそう返した。不満そうに乱歩は口を尖らせたけどなにも言わなかった。私がなにも言わせなかった。
 どうかしましたか?
 その時の事を思い出していたら太宰が不思議そうに首を傾けて問いかけてきた。いや、首を横に振り私は何もないと答える。そうですか。太宰は納得できた様子ではなかったが、興味はさほどないのか食事に戻っていく。皿の上にまだ残るおにぎりを見てはぁと息をこぼしていた。
 もう食べる気をなくしてしまったのだろう。
 食べようと思えばはいるはずだが、どうにも太宰は食べる気を失いやすかった。日頃から自殺未遂を繰り返す男だ。生きることに気持ちが向かなくて、そのもっともたる食事への関心が湧きにくいのだ。
 もう少し食べなさい。
 太宰に声をかける。太宰の目が私を見た。へらりと笑いながら皿のなかを見る目は笑っていなかった。箸が行儀悪く皿の中のものをつつく。それにため息がでそうになりながら、ほらと太宰の口許に箸を押し付けた。これだけでいいから。
 私の言葉に太宰は頷く。小さく開く口。そのなかに一口ぶんを押し込む。十も咀嚼しないうち飲み込んだ太宰はほっとしたように息を吐き出した。箸を置いてぼんやりと座りだす。私は自分のぶんを食べていく。いつもと違い時間をかけて食べれば太宰はそんな私をその目に映しながらも見てはいなかった。
 行為が終わった後の太宰は何時も脱け殻のようで、何かを考えながらも形にすることはできずただぼんやりと曖昧な形を作っている。太宰と言っていいのかすら分からない曖昧ななにか。形はだけど確かに太宰だった。
 時間をかけて食べ終え食後の茶を飲む。太宰も湯飲みを手にしていた。飲み終えて机に置く。手にしながら太宰は私をじぃと見ていた。行くか。そう聞けばんと太宰は首を振る。立ち上がって店をでた。
 歩いていれば太宰が立ち止まる。もうと小さく聞こえてくる声。私はそれに頷きながらまたと言った。何時もその言葉に太宰はほっと吐息を溢して肩を落とす。
 じゃあと太宰が踵を返して去っていく。その後ろ姿を見つめてほぅとため息がでていく。
 可愛いは可哀相
 その言葉をまた思い出した。
 太宰の後ろ姿が見えなくなる。寮まで帰るつもりはないだろう。何処に行くのかと追い掛けたくなる気持ちを封じ込める。私はどう思おうと太宰の事を好きになっていた。
 哀れみがいつの間にか愛情に変わってしまっていた。
 ふっと己を嘲笑う笑みが溢れた。何と馬鹿なのだろうと思うけどその感情を消すことは出来なかった。
 私を誰か別の男と重ねて愛を求める太宰が哀れにみえた。だからこの男に付き合ってやろう。そんな思いから私は関係を続けることにしたのに、それが太宰を抱き偽りの愛を囁くうち、気付けば偽りだけでない思いになっていたのだ。
愛がほしいと縋り付いてくる子供が、その目に私を映して乞う子供が哀れで可愛らしく思えて。
愛らしいが愛おしいに変わるのはそう時間は掛からなくかった。
 この子が笑ってくれたら嬉しい。これから先も私に縋り必要として生きてくれたら……、そんなことを思って今私は太宰との日々を過ごしている。
「すまぬな」
 誰に対してのものかもわからぬ謝罪が溢れた。




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