社長」
 穏やかな声に呼び掛けられるのに同じように穏やかな声で何だと返した。ふわふわとした髪に指を通す。ふわっふわっと触れる感触に口元があがる。後ろを見ようとする太宰に茶色の頭に顔を近づけて口許を隠した。
「もういいですか?」
「まだ、もう少しだけ待って」
「はぁ。…………私は良いんですが……社長が面倒じゃ」
 ことりと太宰の首が傾く。躊躇うように言葉にした口は困ったように歪んでいて……、だけどそこに映るのは母の腕で安らぐ子供の柔らかさだった。髪に触れていた手が頭を撫でていく。
「面倒等ではない。むしろ楽しんでやっているが」
「ほんと、ですか?」
 嬉しそうな声が響く。口許に浮かぶ笑み。にやにやとしてしまいそうになる口元を必死に抑え本当だと予想以上に甘くなってしまった声で答えた。
「でも、こんな人の髪を拭くだなんて本当に楽しいんですか?」
「私はお前が好きだからな。だからとても楽しい」
 きょとんと目が少し大きくなったようにも思えてしまう表情で太宰が問い掛けてくる。その問いに柔らかに答えればその目がさらに見開いて……、
「そっか」
ふわりと微笑む。キラキラと輝いた目が福沢を見る。
「なら私も社長の髪拭きますよ。社長もちゃんと乾かしていなかったでしょう」
「む。私のは別に……」
「私がやりたいんです。やらせてください」
 是非と問い掛けてくる姿に一度渋った福沢は仕方ないと頷いた。
「だがお前のが終わってからだ」
「はーーい」
 特に湿り気のない髪に手櫛を通し軽くドライヤーを当ててもういいぞと声をかける。振り向いた太宰が軽やかに立ち上がって福沢の後ろを取る。髪に触れる柔らかな感触に目を閉じた。うふふと太宰が笑う声が聞こえてくる。
「結構跳ねていますから柔らかいのかなと思っていましたが……案外硬いですね。社長の髪。猫の毛みたいなものを予想していたのに全然違うや」
「嫌か?」
「まさか! 新しく貴方のこと知れてとても嬉しいです。それにこの感触も気持ちよくて……、社長がよく私の髪乾かしてくる理由がわかった気がします。ねえ、また今度もやっていいですか」
「お前がやりたいなら」
「やったー! 社長大好きです」


 太宰が人の行為と言うものに目を向けるようになってから半年近くたった。好きと云われても前よりは恐れず目を向け、ある程度ならば受け入れるようになった。それでもまだ完全に恐れなくなったわけではなく、時々は告白されて福沢の元に来るときもあった。
 だが、そうでなく来るときの方が今では圧倒的に多い。週に二日、週半ばと週末、福沢の家に夕飯を食べに来るし、それ以外も福沢が誘えば大抵はきた。時おりは太宰から福沢の家に寄って良いか聞いてくることもあって……。
 二人のなかは中々良い感じだった。
 ただ、恋愛と云う土俵にはまだ上がれていなかった。
 初めて福沢が好きだと太宰に向けて言葉にしたあの日、太宰は嬉しそうに笑ってくれた。そして私も好きですよと福沢に向けて言葉にしてくれた。ただし、それは人としてであり、福沢の思いとはまた違っていた。太宰は福沢の好きを人としてと受け取ったのだ。
 それでその時は福沢は良かった。
 そう簡単に受け入れることはできないだろうと分かっていたから。何度も口にして、そのうちに届いてくれたらとそう思っていた。太宰は福沢よりずっと賢い男だ。繰り返していれば何時かは自分が思っているものと福沢の好きの意味が違うことに気付いてくれると思っていたから。
 だけど……半年近くたった今も太宰はその違いに気付くことなかった。
 気付くことのない太宰を見ているうち、己の間違いに福沢は気付いてしまった。太宰は賢い男だ。だけど太宰は自分に向けられる人の好意には何処までも鈍感な男だと云うことを忘れていたのだ。大切に思われていることは理解するようになったが、それが人としてなのか、一人の人としてなのかの区別はつけられないまま。
 このままでは一生太宰は福沢の思いに気付かないだろうと云うことに気付いてしまった。
「太宰」
 髪を乾かし終え、ゆっくりと休んでいた太宰の名を福沢は呼んだ。
「どうしましたか」
 ふわりと向けられる笑みは他のものに向ける笑みとまた違う。いつも張り付けた笑みを浮かべる男だが、いつの頃からか福沢には自然な笑みを向けるようになっていた。その笑みを浮かべ信頼し安心した眼差しを福沢に向ける。
「いや……、何にもない」
 そんな太宰をみるだけで福沢は幸せな気持ちになった。だからこそ臆病になる。太宰に己の気持ちを伝えたい思いは勿論あるが、それでこの姿をみられなくなるのならばこのままの方が良いのではないか。そんなことを思ってしまう部分がある。
「もう。何ですか。それは。用もないのに呼ばないでください」
 ぷくりと太宰の頬が可愛らしく膨らむ。それから何てと子供のように笑った。
「で、どうしたんですか? 本当に呼んだだけなんですか? 何かあるのでは」
 悪戯な表情から一転して太宰は心配げに眉を寄せて福沢を見つめる。大丈夫ですか。問い掛けてくる太宰に福沢は大丈夫だと柔らかく声をかける。褪赭の瞳が不思議そうに福沢を見つめた。
「ただ呼んでみたくなっただけだ。すまなかったな」
「それなら良いのですが……」
 ぱちぱちと褪赭の瞳が幾度か瞬く。変な人ですねと太宰が穏やかに笑う。それから社長とその口が福沢を呼んだ。どうしたと問えば私も呼んでみただけです。そんな答えが返ってきて無邪気な笑みを浮かべる太宰に福沢も自然口許が緩んでいた。
 こんな時間が長く続けば良い。そんなことを思う。壊れることなくこの時間が……。だけど、それでは駄目なのだと福沢は知っている。それではいつかこの時間は奪われてしまう。太宰は魅力的な男だ。太宰を好きになる女性は多い。女性だけでなく男性のなかにも太宰に惹かれるものは多くいて。今はまだ太宰が少しでも心許した人間の中にそう言ったものはいない。けれど、いつかそう言う思いを持つものが現れたら、そして太宰に告白したら……。きっと太宰は受け入れる。人の好意所か自分の思いも分からない男はそのさきが気になってそれを受け入れるのだ。そしたら今のように多く共にいることはできなくなる。福沢といる時間が他の誰かに奪われるのだ。
 それは、嫌だった。
 太宰が幸せになるのに自分のような歳をとった者が思いを告げるのは迷惑だろう。そう考えて身を引こうとした時もあったけれど、太宰の思いに気付いてしまった今はそう言ったことはできそうになかった。奪われたくないと胸の奥、ほの暗い部分が叫んでる。その前に捕まえてしまえと。
 だけど、やはり恐ろしくもあって。福沢は何時も迷う。
「太宰」
「何ですか」
 また呼んだだけであることを知っている太宰が嬉しそうに笑う。それから社長と福沢を呼んで。まるで新しい遊びに夢中になる子供のようだった。他の者はきっとみられることのない姿。そんな太宰の頬に福沢は手を伸ばした。
 柔らかな頬に触れる。太宰はいやがることなく受け入れふふと口角をあげる。猫のようにすり寄ってくる姿は愛らしかった。にこにこと笑う姿にこれからもこの姿を見続けたいと思う。
「太宰」
「はーーい」
 くすくすと太宰が笑みをこぼす。社長と実に楽しげに福沢を呼ぶ。
「好きだ」
 ふっとこぼれた言葉。太宰はそれに私もと返す。
「私も好きですよ、社長」
 明るい笑顔はなにも知らないからこそ浮かべられるものだ。頬に触れた手に僅かばかし力がこもった。
「社長?」
 不思議そうに太宰が福沢を見つめる。どうしました。問い掛けられる声。太宰の瞳に映る福沢の顔が歪んでいた。太宰の手が福沢に伸び、頬へ触れて行く。何かありましたか。問う声は福沢の事を心から心配している。すまぬ。そんな言葉が福沢からでた。
「社長」
 太宰がことりと首を傾ける。すまぬ。もう一度呟く。やっと心を許せる場所を作れただろうにそれを一時とは云え奪うなどと酷いものだと自分の事ながら罵る。
「……私はあまり口が回るタイプではない。どちらかと云わなくとも口下手で己の気持ちを言葉にするのが苦手だ」
「存じておりますが……」
 褪赭の目が瞬く。どうしてそんなことをと見つめてくるのに福沢は一度口を閉ざした。いつの間にか良い慣れてしまった言葉。今さらそれを口にするのを恥ずかしいとは思わないのに、同じ意味の言葉を今から口にするのだと思うと気恥ずかしさが襲う。それにやはり残る恐怖。口を閉ざし迷いながら言葉を紡ぐ。
「それでも言わなければ思いは伝わらぬ。伝わってほしいからずっと伝えてきた。だけどその言葉だけでは伝わりきらなかった。だからまた新しい言葉を伝えようと思う。気恥ずかしくまともに言葉にできないかもしれないが聞いてはくれないか」
 社長と太宰が福沢のなを呼んだ。何を言われているのだろうと福沢を一心に見つめてえっと、と声をこぼす。戸惑うその顔は目元が下がり泣き出しそうにさえみえる。
「太宰」
 名前を呼べば太宰の肩がぴくりと震える。臆病な子供の顔が見え隠れしていた。やはり早いか。まだ言葉にすべきでは。思うのが、では何時まで待つ。このままではずっと言えぬままだとも思う。ずっと言えぬままそして誰かに奪われる。
 喉の奥でつまっていた言葉がでていく。
 それだけは嫌だった。
「あ、いしている」
 途中噛み、最後は小さな声になってしまった。口の中にこもった聞き取りづらい声だっただろう。しまったと思うものの言い直す力も残っていない。頭のてっぺんから爪の先、体中あますことなく暑かった。耳すらも赤くなっている自信がある。口元がぐにゃりと形を変えている。顔を覆ってしまいそうになるのを堪え太宰を睨み付けた。そうでもしてないと飛び出していきそうだった。
 そんな福沢に対し太宰はぽかんと口を開けていた。
 ぽかんと間抜けに口を開け一回、二回瞬きをする。はい?と溢れでた声。呆然と福沢を見上げてくる。大きく見開いた目は溢れそうだった。

「冗談ですか?」

 どれだけ時間が立っただろうか。少なくとも五分以上はたって、やっと太宰は言葉を口にした。それは太宰らしからぬ、それでいて太宰らしい言葉だった。福沢は返事をすることなく太宰を見つめる。真っ直ぐに見つめるのに開いていた太宰の口が閉じていく。
「冗談ですよね」
 そうだと言ってほしい。そんな思いが伝わってくるような弱い声で太宰は聞く。福沢は答えない。ただ真剣な眼差しで見つめた。その顔は熱が冷めず赤いまま、そして目は熱く潤んでいた。
 太宰の口がもう一度開き、目がふるりと震えた。ああ、泣いてしまう。そう思った。実際は泣かなかった。黙って立ち上がる。座布団が音を立てた。
「し、失礼します!」
 部屋から逃げるように太宰がでていく。
 やはりこうなってしまうかと福沢から苦笑が落ちる。胸の中に大きな穴が空いた。



 ああ、間違えた。
 福沢がそう気付いたのは夕飯を作り終えてからだった。普段と変わらぬ一人きりの食事。適当なものを食べようと思っていた筈なのに、出来上がっているのは蟹の酢和えに蟹のあんかけ。流れるように溜め込んである蟹の缶詰を使った料理を作っていた。
 はぁと福沢はため息をつく。
 嫌いなものでないから、良いと言えば良い。だが積極的に食べたいと思えるようなメニューではなく気分が沈んでしまう。ここに太宰がいたならば喜んで食べれてくれただろうにと考えてはさらに落ち込む。
 いっそ食べずに寝てしまおうか。そんなことを一瞬でも考えてしまう。
 太宰に告白し、そして太宰が福沢の目の前から消えてからもう四ヶ月以上たってしまった現在、福沢は当初自分が考えていた以上に太宰不足でやけになりかけていた。
 もそもそと美味しいと感じない料理を食べながらため息をつく。
 告白すれば太宰が福沢から逃げるであろう事は予想についていた。嫌悪を感じることはないだろうが、告白される意味が分からず、何かの間違い気の迷いと考えて逃げるだろうと。その通りにあの日福沢の家から逃げ出した太宰は翌日から福沢の前に姿を表さなくなった。仕事の時ですら姿を現せない徹底ぶり。福沢がいない時間帯に仕事に行きそこで真面目に働いているらしい。
 サボりが増えたとは云え、たまにきたときは随分と仕事をするので気味が悪いと社員達が噂していた。
 そのときの事を思い出しては怯える社員にすまぬと謝りかけた記憶がある。普段より仕事はしていて怒るべきか、このままにしておくべきかと頭を抱えていた国木田にも謝りかけた。もうひとつの噂で最近太宰が具合を悪そうにしていると云うのもあり、心配そうにしていた敦達にも謝りそうになったことがある。それは私のせいなのだと。
 太宰に会えなくなって寂しい思いを福沢は味わっているが、それが自分だけでないことも知っていた。逃げ出した超本人の太宰もまた寂しがっているのだ。それが体調にもでてしまい始めている。隠すのがうまい男なのに何かあったとすでにばれ書けていた。
 このままでは倒れるのではないかと心配されていて、そろそろどうにかしなければならないのだろうと福沢も思っている。
 だからだろうか。福澤はふっと思った。こんな失敗をしてしまったのはだからなのかと。太宰が来なくなってすぐの頃は何度か間違えて、太宰のぶんの夕飯を用意したことがあった。でも四ヶ月もたってば今の生活に慣れそう言う失敗も起こさなくなっていた。もともとが一人暮らしなのもあって戻るのは簡単なことだったのだ。
 それが今日に限って自分では食べもしない料理を作ってしまったのは、どうにかしなければと何時も以上に太宰の事を思っていたからなのか。
 一口食べた料理から太宰の好きな調味料の味がする。正直福沢はあまりこれを美味しいと思わない。太宰に料理を作るようになるまでは使ったこともなかった。口直しにと飲む味噌汁も昔の味とは違っている。
 太宰が少しでも美味しいと喜んでくれたらと、太宰のために改良を重ねた太宰のために作られた味だ。
 もう昔の味を作れないにしても、これを食べるのは寂しいなと福沢は肩を少しおとした。膳には半分以上残っているが箸をこれ以上つける気にはならない。残った膳を前に考えるのは太宰の事。
 今どうしているのか。ちゃんと食べているのか。
 そんなことを考える。
 太宰の姿を思い出しては会いたくなった。太宰の心の準備ができるまでは待つつもりであったが、そろそろ会いに行こうかと一人では美味しくない食卓をみて思う。


 太宰が住む寮の部屋の扉を開ければ、ぴくりと部屋の奥の布団が動いた。もぞもぞ丸まる布団にまるで花袋みたいだとかつての社員の事を思いだす。
「太宰」
 名前を呼べば布団の隙間から褪赭の瞳が見上げる。
「……あい、している」
 二どめに口にする言葉はやはり慣れず顔が熱くなった。口ごもり前と変わらず聞き取りづらい。太宰の反応は前と違いすぐに布団の中に隠れてしまった。
「お前をいとしく思っている」
 告げる唇が歪んで音が妙になる。天岩戸よろしく太宰は閉じ籠ってしまう。太宰と名前を呼ぶだけでも布団を握りしめる力が強くなるのが分かる。
「……勘違いです」
 暫くして小さな声が岩の中から聞こえた。そんなはずはないとその声が云う。
「何故、そう思う」
 福沢は太宰に聞く。だってと弱々しい声が聞こえた。
「私を好きになる理由なんてないじゃないですか。私を本気で好きだって云うなら私の好きなところ教えてください。言えないでしょ」
 天岩戸が少しだけ開いた。布団の隙間から褪赭の瞳が欲しがりの子供のように見上げてくる。
「正直に云えと云うのであれば、分からない」
 みえる瞳が大きく見開かれた。泣き出しそうにうるんでは隠れてしまう。より小さくなった塊を見つめ、福沢は用意してきた言葉を思い出す。口にするのは恥ずかしい。あまりにも長く、自分の言葉とは思えない。だけど自分の思いの殆どが詰まっていて、最初の一言を口にするのですら倒れそうなほどのぼせて口がうまく回らなかった。
「気付いたら好きになっていたから何処が好きかとか言うことが出来ない。だが、お前のちょっとした仕種を可愛らしく思う。お前が笑っているのをみると私も幸せな気持ちになる。楽しそうだと楽しくなるし、悲しそうだと悲しくなる。どうにか元気になってほしいとそう思う。そのためならば何でもしようと思える。
 乱歩や、与謝野に対してもそうだろうと言われてしまうかもだが、あの二人とお前は違う。あの二人が何処で何をしていようと苦しんでいないのならどうでもよいが、お前の事は気になる。できれば私の傍で笑っていてほしいとそう思う。
 お前に会えない間、とても寂しかった。日々が色褪せたようで何をしていてもお前の事を思い出した。仕事中でさえお前の事を思い出してはお前が何をしているか気になった。普段の些細な買い物のときもこちらのほうがお前が使いやすいだろうか、こちらのもののほうが好きだろうかとそんなことを考えて選んでいた。ご飯も美味しくなかった。お前と食べているときはとても美味しく感じるものが、一人だと味気なく食べられなかったんだ。
 いつの間にか私の日々の中心がお前になっていることに気付いた。お前が喜んでくれるか、笑ってくれるか。それが私の基準になっていた。
 好きになった理由は分からない。でも勘違いではないと言える。勘違いだったのならここまで私の中に太宰が根付いたりはしないだろう。
 何をしようにもお前の事をまず考えてしまう」
 何とか言葉を言い終えたとき福沢の全身は湯だったように赤くなっていた。頭がくらくらする。今にも倒れてしまいそうなほど熱い。そんな状態で見つめる布団は先ほどから欠片たりとも動いてなかった。
 太宰。
 からからに乾いた喉。もう何も考えられない脳味噌。それでもなんとか太宰のなを呼ぶ。返事もなければ動きもない。福沢は一歩近付いた。長時間サウナに入っていたみたいに体が震える。穴があれば埋まりたかった。
「とってもよいか」
 痙攣する指が、布団に手を掛ける。返ってこないのに福沢は布団を取った。
 真っ赤に顔を染めた太宰が出てくる。耳を両手で塞いでいるが隙間が出来ていて意味はなかった。
「愛している」
 恥を捨てた後の愛の言葉は簡単に云えた。それだけ太宰の姿が愛らしかったのかもしれない。真っ赤な顔だが口元は穏やかな笑みを浮かべていた
「で、でも」
 太宰から声が出る。小さく早く福沢の言葉よりもずっと聞き取りづらいものだった。
「私、四ヶ月も勝手に貴方の前から消えたりしたし、それに……その」
 福沢と会うことのない視線がきょろきょろと彷徨う。言葉を探すその仕種に福沢は何となく太宰が次に口にする言葉が読めた。
「好きとか、分からないから……、貴方の事嫌いじゃないけどでも」
 太宰の手が福沢から布団を引ったくった。隠れる癖毛。今浮かんだばかりの光景が繰り広げられるのに福沢はつい笑ってしまう。
「貴方に迷惑掛けるから、だから……、だから勘違いじゃないと……
 逃げ出したのは、私だけど……、でも、貴方に会えないのは……寂しい」
 声は布団の中にこもっていた。半分が布団にすいとられていく。それを聞いて、福沢はならと太宰に声をかける。
「なら、お試しで付き合ってみないか。もしお前が私の事を好きでないとなればその時別れたら良いから。今はお試しで。
そしたら何時でも会える」
 布団の上から太宰に触れる。どうだろうかと聞く声は緊張で少し震えていた。布団越しに太宰の動揺が伝わってくる。そんなの良いんですかと云う声は上擦っていて、それに答える声もまた上擦っていた。
 どうせ別れる日など来ないから。その言葉は飲み込んで福沢は太宰を抱き締める。



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