暖かい茶を飲む。それだけなのに口元が少し上がってしまった。十三番目の妻、その部屋付きの者が淹れてくれる茶は特別美味しいものであった。
 あれからというもの時間ができたら十三番目の妻のもとに行くようにしていた。そこで出される茶はいつもおいしい。家で用意しているものとは違うのだろうがどこのものかは教えてくれなかった。それに用意されている茶菓子もどれもおいしかった。
 毎回違うもの。偶然だとは思うのだがどれも好みと一致するもので歓迎されているようなそんな気になってしまう。妻の態度は全くそんなものではないが、それでも勘違いして、くる頻度を増やしてしまっていた。
 言葉を交わすと妻は冷たいが、でもその瞳は福沢の様子を気にしているし、そうでないときも鏡の中に映る福沢が贈ったものを見ていた。福沢が茶菓子をうまいと言えば嬉しそうにすることだってわずかな変化なれど知っているのだ。
 そんなのだから福沢はまるで十三番目の妻に愛されているような気になってしまって、それでつい時間を見つければ来てしまうのだ。 
 自分を愛してくれるものの傍にいるというのはとても心地が良いものだから。
 特に己のことを好きだと言いながらもその裏に金を見ているような他の妻の相手をしている福沢にとっては、それは奇跡のようなこと。太宰の傍にずっといられたらいいのになんてことまで考えてしまうほどであった。
 いっそのことほかの妻たちのもとになど行かずに太宰のもとに通えたらと。
 が実際はそうはいかないので時間があるときを見つけては来ているのだった。 
 それにちゃんとそれは福沢の勘違いであることも分かっていた。十三番目の妻が福沢のことを好きであるはずがないのだ。それははっきりと残そうとしていた遺書に書かれていたことだ。
 最近では本当にそうなのかと揺れ動くことも多くて忘れないように毎日遺書の内容を読み込んでいた。
それでもやはり太宰の傍は居心地がよかった。太宰の目には今も福沢が贈った簪と衣が映っている。最近は特に疲れることも多いからどうにもこうにもこの場から動きたくなくなっていく。
 丁度今日はもう他の予定は何もなかった。ただ一つあるのは六番目の妻のもとに行くだけだ。何処の部屋もそうだがこの部屋とは違い沢山の金を使って華美に装飾された部屋。上質ではあるものの鼻の良い福沢には少々きつく感じてしまうぐらいに香のたかれた部屋の中で抱く。
 それだけの仕事がある。
 好きだなんて耳元に吹き込まれるものの福沢の気持ちなど見ようともせず、ただ金をたかろうとしてくる。まあ気持ちを見ないのはお互い様なのだが、そんな相手のもとに行くよりここの方がましだった。
 そもそも己のために金を使うことを好まない太宰は部屋の中も飾り付けずに質素なものであるし、香もほとんど焚いていなかった。最近になって少し焚き始めているようだが、おそらく通常の量よりも少なめだろう。福沢の鼻をもってしても感じる程度のもの。
 だがとても心地よくて毎日のように荒んでいく福沢の心を癒してくれるようだった。
 ますますこの部屋にいるのが心地よくなって出ていくのが嫌になる。会話をしてもどれも冷たい返事、拒絶されて終わるけれど、どれだけ考えてもこの部屋は福沢を歓迎しているとしか思えなかった。
 都合よく考えているだけとは思い、毎回お茶一杯で帰るようにしているのだが……、今日の福沢はもう少し粘りたくなってしまった。
 この心地よい居場所にまだもう少しの間だけいたい。
 そう思ってしまってだから部屋付きの少女にお茶のお代わりを頼んだ。少女も太宰も両方とも驚いた顔をして福沢を見ていた。しまったと思ったもののやはりいいとは口にできない。あともう少しだけだからと己の心の中で言い聞かせて二杯目の茶をいただく。
 福沢が居座るのに太宰が居心地が悪そうにしていて申し訳ないと思ったが、どうしても譲ることはできず時間をかけて飲んでいく。ゆっくり。ゆっくりと飲んでいたがそれでも飲んでいればいずれはなくなるもので杯は空になってしまっていた。
 三杯目を頼んで時間を稼ぎたいものの流石にそれをしてしまうのはどうなのだろうと空の器だけをもって椅子に座り続ける。
 どうすればいいのか分からなくて気まずい。それは福沢よりも何もわからない相手の方が感じていることだろう。暫く無言になりながらも何か会話をしなければと福沢は部屋の中を見た。
 ほとんど何もない部屋だ。
 目につくものと言えば窓の傍に固定された鏡だけのような味気ない部屋。その部屋の中で鏡に目がいってしまうのは仕方がないことだろう。いつも太宰はその鏡を見ている。その中に映っているのは太宰ぐらいしかない。その太宰が身に纏う簪と衣を見ている。
 でもそれは本当なのだろうか。
 そんなことあっていいのだろうか。
 そう思って福沢は身を起こして鏡を覗き込んでいた。何を見ているのか問う。太宰の目が大きくなっていた。
 実は何か別のものでも映っているのではないだろうか。それを見ているのでないだろうか。そんな期待を込めていたけど鏡の中に映るのは太宰と福沢だけ。他には何もなかった。太宰がいつも見ているのは自分自身で間違いなかった。
 鏡の中の太宰と目が合う。
 太宰の目が逃げるよう動いた。そしてその目は窓の外を見る。福沢の目が太宰の目を追いかけてしまう。窓。そこにから広がる外。小さな窓からは知っていたことだが福沢が住む本館が見えていた。
 分かっていたことなのに今更また愛されているようだなんてそんなことを強く感じてしまって福沢は狼狽してしまった。思わず立ち上がって部屋の中を出ていく。
 このままでは本当に勘違いしてとんでもないことをしてしまいそうだった。


 それから数日福沢は十三番目の妻のもとに行けなかった。気持ちはとても行きたいのだが、暇な時間ができたと思えば足は向いてしまうのだが、それでもこれ以上勘違いしてしまったらと怖くなって行けなかった。
 自分勝手さに嫌になったりもして悶々とした日々を過ごしていた。
 そんな時だった。一番目の妻が倒れたと一番目の妻の部屋付きが言いに来たのは。別段と驚きはしなかった。むしろまたかというような気持であった。
 いっては悪いが心配する気持ちもわかない。
 何せ福沢が十三番目の妻のもとに行くようになった後から同じようなことを言ってきたものは後を絶たないのだ。妻たちの間では十三番目の妻がせこい手を使って福沢の気を引いたということになっているのだ。
 確かにまあ、注意深く見守るようになったのは確かだが、結果論だ。十三番目の妻は福沢の気を引こうだなんて考えてもいなかった。そんな甘っちょろいこと思いもせずただ死のうとしていたのだ。
 それを分かっているから妻たちのそんな態度にイラついてしまった。
 それでもまあ、それを表に出すことはなかった。言っても妻たちには同じことのようにしか聞こえないだろう。彼女たちは福沢の気が引け金になりさえすればいいのだから。
 腹が立つけどそれが真実で分かっているから何も言わずただ淡々と処理していた。医師に見に行かせたり、それが一番目の時は自分で行ったりもした。どれもこれもただの仮病だ。
 具合なんぞ欠片も悪くない。
 もともとなかった愛がもっと冷めていくの感じていた。
 一番目の妻のそれにだってただただ冷めながらそうか。では医師を行かせるとだけ答えていた。今日いいに来たのは四番目の妻の方が先だった。そうすると一番目の妻の部屋付きはどうしてですかと目くじらを立てた。具合が悪いのです。旦那様が来てくださってもいいじゃないですか。まして奥様はこの家の正妻ですよ。本来ならもっとなんて自分の主張を押し付けてくる。奥様は旦那様に会いたがっております。奥様のためにも来てくださいなんて懇願されたが福沢の答えは変わらなかった。
 どうせただの仮病なのだ。分かっている
 それに正妻なんて言うけれど結局はただ一番目に嫁いできたというだけ。他の妻と何ら変わりなんてなかった。
 それでもなかなか解放されない。はあと思わずため息をついてしまうとさらに部屋付きの者は怒って奥様のためにと往生際が悪くも行ってくる。
 どうせ愛してもいないくせにとその言葉だけがあった。
 その言葉だけを考えてしまう中で、どうしたって十三番目の妻の姿が浮かんできてしまった。
 一心に福沢が与えた簪と衣、そして福沢が普段過ごす本館を見ている。その姿は本当に福沢を愛しているようで。ささくれ立っていく福沢の心はどんどんどんどんその姿を見たくなっていた。そうじゃないと分かっているけどでもその姿を見て心を安らかにさせたくなった。
 気づけば福沢は一番目の妻の部屋付きとの会話は強引に終わらせて、十三番目の妻の元まで来ていた。
 駄目だと思うのにその部屋の扉を開けてしまう。
 部屋付きのものと十三番目の妻両方が驚いていた。
 今日も十三番目の妻は福沢が贈った簪を指して衣を身に纏っていた。どういう訳か今日はその手の中にもう一枚衣を抱きしめている。
 ぎゅうと胸が締め付けられるようなそんな感覚を覚えてしまう。
 十三番目の妻を愛おしいと思った。
 香が少し強めに焚かれている。いつも福沢がこの部屋で嗅いでいるものとは違っていた。だけどどこかで嗅いだことのあるものだ。よく知っているようなものの気がして、足を止めると思い出したのは己の部屋の香であった。
 たまらない気持ちがあふれて足は勝手に動いていた。十三番目の妻の元まで大股で向かってそしてその体を抱きしめている。腕の中で妻の体が震える。
 戸惑う声が聞こえてくる。
 どうしましたなんて少し上ずった声が問いかけてくる。何か答えてやらなくてはいけないのだろうが、私の中からすぐには答えは出ていかなかった。十三番目の妻を抱きしめ続けては息を吐き出す。
 やっと少しは落ち着いてきてもう少しだけこうさせてくれなんてことが言えていた。こくりと頷く頭。分かりましたけどと震えた声が言いながら私を見てくる。その手は所在なさげに下へ降りていた。よく見れば何かに耐えるよう衣を強く掴んでいる。
 でもちらりとみた腕の中に閉じ込めた十三番目の妻の顔は嫌がっているものの顔ではなかった。
 十三番目の妻の匂いがする。心地よい匂いだ。いつも安らいでいた匂いと同じで荒んでいた気持ちが和いでいく。
 どうしてなんてそんな疑問が駆け巡り始めていた。
「どうしてお前はいつも簪や私の部屋を見ている。私が憎いのではないのか。遺書にだってそう書いていただろう。私やお前の両親が憎い。この世界に生きていることがつらいとそう書いていたじゃないか。
 なのになんでこの場所にいたいなどと言ったのだ。この場所に何があるというのだ
 なあ」
 腕は縋りつくように十三番目の妻を抱きしめながら問いかける声は情けなく震えていた。腕の中で十三番目の妻は息を呑みながら、身を固くする。
 何度か浅い息を繰り返すのを抱きしめながらなあともう一度問う。どうしてと言えば震えた吐息が出ていく。そんなものと妻の口からは出ていた。
「そんな紙切れの中に私の本心など書いてないからですよ。
 耳障りのいい私が死ぬ理由を書いてやっただけです。ただそれだけ。私の本音はそんなところにはないのです」
 吐き捨てるような言葉だった。
 そんな言葉であの言葉は嘘だったのだと告げる。福沢のことを憎いと嫌いだと書いていたのはうそだったのだと。抱きしめていたはずの体がいつの間にか褥の上に沈んでいた。その体に覆いかぶさりながら、瞳を見つめる。
 いつも簪や衣を見、本館を見、福沢を見続けていた目だ。
 その瞳の中に真っ直ぐ福沢が映る。今夜の太宰は目をそらそうとはしなかった。福沢を映して歪む瞳はまるで福沢のことを求めているようであった。
 ならばと福沢の口からは言葉が出ていく。
「ならばお前が求めるものは何だ。どうしていつも私を見ている。
 なあ、お前は私をどう思っているんだ」
「なんでそんなことを問うのですか。その問いに何の意味があるというのですか。私は」
 十三番目の妻である太宰の口が震えていた。逃げ出したそうにその目はしながらも決して福沢から目を離すことはなかった。見つめて問いかけてくる。福沢もずっと見つめる。何の意味もないじゃないですかと言う太宰に意味ならあると福沢は答えていた。
「私がお前を愛したいから。
 私を見つめてくるお前の目の中には私への思いがあるように見えた。それがとても心地よかった。愛しかった。その中にもし本当に思いがあるなら私はその思いごとお前を思いたい。
 なあ、教えてくれ。お前は私をどう思っているのだ」
 再び太宰が息を呑んでいた。
 その瞳が丸くなって最大まで福沢を映す。唇が震えてそんなの嘘だなんてかすれた声を出している。嘘だと何度も口にしている。だってと口が動く。
 そんな太宰の体を福沢は抱きしめていた。
 布越しにもわかる細い体だ。固い体。何の柔らかさもなければ膨らみだってない。正真正銘女ではないものの体。医師に見せたあの自殺未遂の日から医師にも言われていた。遺書にだってしっかり書かれていた
 太宰は十三番目の妻として太宰の家から女性だと騙られて贈られてきた男。妻だなんて言えない存在。子供が欲しい福沢にとっては致命的な欠陥。
 それでも福沢は太宰を愛おしいとそう思ってしまったのだ。
 お前がただ愛おしいのだとそう口にする。太宰の目が見開いて揺れる。それから私もとその口が動いていた。
「私もあなたが好き。ずっとずっと前からあなたが好きだったの」
 細い体を抱きしめる。その腕に今よりもずっと力がこもってしまっていた



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