「今日はどれにしますか」
「んーー、そうだね」
 鏡花が問いかけると彼女の主である太宰はその瞳を動かして、彼女が手にする衣を見比べる。少しだけとがる口元。それから片方を選ぶ。選んだのは青色の落ち着いた生地のものだった。着替えるために起き上がり衣にそでを通す。
 それを幸せな気持ちで鏡花は見ていた。
 家の主である福沢から大量の衣を贈られてから数日。その日から太宰は着替えをするためにもわずかとはいえ毎日動くようになって少しだけ健康になってきている。本当に少しかすかなものだけど鏡花はそれがとてもうれしかった。
 綺麗な着物を着て福沢からもらった簪をつける太宰はとても美しい。特別派手に着飾っているわけでもないが、部屋使いとしての欲目でもなく福沢の十三人もいる奥方の中で一番美しいと思えた。
 頬がこけているのがその魅力を下げているが、それでも美しいのは本当だ。あの福沢だって衣を選ぶときにもう少し健康的な顔つきをしていたらお前はもっと美しいだろうになんて言っていた。
 その時太宰はそっぽを向いてそんなこと知りません。なんて言っていたけどでも嬉しかったのだろう。その日太宰が自分の顔を鏡でじっと見ていたことも、夕食をいつもよりしっかり食べていたことも知っている。
 次の日からはまたいつも通りの量に戻っていたけど鏡花はそのことがうれしかった。またどこかの機会で言ってくれないかなんて思っている。
 機会はいつでもあると鏡花は思う。というのもその日から福沢が来る回数は確実に増えており、二三日に一度は太宰の様子を見に来るし、三日ぐらい続けてくる日もあった。
 来てとくに何かするわけではない。太宰に二三話しかけたりするぐらい。そのすべてに太宰は冷たい態度で返すけど喜んでいることは知っている。いつも福沢が帰った後に太宰はその口元を上げてうれしそうにしている。
だからどこかでと願う日々。
 太宰が衣に着替え終わり、ベッドの上に腰を下ろす。壁に寄り掛かりながら窓の外と鏡を見ていた。髪には髪飾りがしっかりと飾られていて衣と簪二つが鏡の中に映っている。
 太宰の口元が嬉しそうにそっと上がっていた。

 
 その日の夕方、福沢が太宰のもとに訪れていた。
 体調はどうだと問いかける彼。太宰はいつもと同じでかわりありませんよとつっけんどんな態度で福沢に接する。好きなはずなのにそんな態度をするわけが鏡花にはわからないが何かを言うことはなくお茶を用意していた。ちょっとした茶菓子も付けて福沢に出す。
 最初の頃は何も教わっていなくて福沢のもてなし方が分かっていなかったが、今ではすっかり慣れていた。ここまで来るのに誰も教えてくれない、主である太宰すら知らないと大変だったがこっそりと福沢を招く他の妻たちの使用人を盗み見て覚えたのだ。
 ありがとうと受け取った福沢は褥のすぐそばに座ってそのお茶を飲む。お茶は太宰が用意した茶葉を使ったものだった。福沢が少しずつ長居をしていくようになって、鏡花もきちんともてなすようになってから、きっとこの店に売っているものの方が好みに合うはずだからと敦に頼んで買ってきてもらっていたのだ。
 その通りでその茶を飲んだ時福沢はこの茶はうまいな。何処の茶葉を使っていると鏡花に聞いていた。鏡花は太宰を見たが、太宰は教えませんよとそう冷たく言っていた。だけど冷たいのは表面だけで福沢が帰った後にこれであの人はここに通う理由がまた一つできてしまったねとそう嬉しそうにしていた。
 茶菓子も太宰が選んだものであることが多い。寝込んでいるはずだし、この家に嫁いできてからは外になんて一度も行っていないのに太宰は外のことに詳しくて敦に茶菓子を買ってきてくれるよう強請っていた。
 今日の茶菓子もあたりだったのだろう。一口食べた福沢が少しだけ口角を上げていた。太宰は鏡を見ているようなふりをしながら福沢を見ている。 もう一口食べてからうまいぞ。お前も食べろと福沢が太宰に菓子を一つ差し出していた。
 いりませんよと太宰はそっぽを向いた。福沢はそうかと残念そうにしながら懐に入れていた懐紙を一枚取り出して、その上に差し出した分を分けていた。食べたくなったら食べろと太宰の傍にそっと置く。
 太宰の目はそれを見ないけど、きっとまた福沢がいなくなった後食べるのだろう。
 その時の太宰はどんなものを食べる時よりも幸せそうにしている。太宰が好きなカニ料理を食べる時よりもずっとだ。
 その姿を見るとああ好きなのだなって鏡花は毎回思うのだ。太宰はそれを決して福沢に見せたりはしないのだが。
「今日は少しは動いてはどうだ。ちょうど中庭の花がきれいに咲いてきたころでな。たまの運動として見てくるのもいいんじゃないか。
 こんな部屋にいても退屈なだけだろう。書物の一つでもあれば別だろうが……。何か読みたいのはあるか、ますます動かなくなりそうだが、退屈するよりはいいだろう」
「別に私はこれで十分満足していますし、中庭まで行くのは面倒なんですよ」
 にべもなく太宰は断る。福沢が肩を落とす。ふうと出ていく吐息。茶を再び飲んで福沢はじっと太宰を見ていた。見つめられる太宰は福沢とは視線を合わせず鏡だけを見ている。少し前から気づいたことだが、この時だけ太宰は鏡の奥にある窓の外の景色を見ていることはなかった。
 それはおそらく福沢はここにいて、その奥にはいないからだろう。
「そうだ。今中庭まで行くのは面倒だと言っていただろう。それならこの部屋のすぐ外にでも庭を作ろうか。そこにお前の好きな花でも植えただどうだ。
 椅子の一つでも置いたらお前もそこで休めるだろう」
 茶を飲みながら福沢が新たに提案する。太宰の目が少しだけ見開いていた。今までにない大きな提案だ。太宰からため息のようなものが出ていく。
「結構ですよ。何をされても私は動く気なんてありませんよ。
 何一つ無意味です」
 太宰の言葉は全部拒絶しているようだった。そうかと福沢の肩はまたもや下に落ちている。ごくりと飲み干されるお茶。菓子も食べ終えて空の器が鏡花の手に戻ってくる。
 これで今日も終わりだろう。物寂しい気持ちになりながら皿を下げていく。そんな鏡花にすまぬと福沢が声をかけていた。首が傾く。今まで福沢が来ていた中でこんなことはなかった。何かしてしまったかと背筋を正す横、福沢はもう一杯茶を入れてもらえるかとそう言ってきていた。
 鏡花の目も太宰の目も見開かれていた。
 えっと福沢を見つめる中で、頼むとそう言われる。
 鏡花は慌てて頷いて新しく茶を入れる。茶を入れるようになってからは一杯飲み終わったら部屋を出ていくというのが常で二杯目を求められたのはこれが初めてのことであった。
 すぐに用意して福沢に渡す。
 福沢はありがとうと受け取ってから茶を飲み始めた。ここの茶はうまいなとそんなことを呟いていた。鏡花は太宰を見た。驚いていた太宰は今もまだ驚いていて、福沢を見ていたが、福沢と目が合うとまた鏡に視線を戻していた。
 今度は福沢が太宰を見つめ始める。
 何を考えているのか読めぬ表情。太宰を見つめながら茶を飲んでいる。会話は特になかった。太宰の方が少し気まずそうにしている。簪が揺れていた。
 二杯目を福沢が飲み終える。さすがに三杯も飲むとお腹が緩くなるかななんてそんなこと言いながら飲み終えた茶器をそのまま手に持っていた。
 太宰はますます気まずそうになる。鏡花も三杯目を用意すべきかわからなくて内心おろおろとしていた。
 時間がただ過ぎていく。誰も何も言いださない。そんな中で福沢の目がふっと太宰がいつも見ている鏡の方を見ていた。言葉を探すように福沢の口が開く
「お前はいつも熱心に何を見ているのだ。お前自身を見ているわけでもあるまい。お前は何をそう大切にしているのだ」
 言いながら少しだけ身を乗り出した福沢が鏡の中を覗き込んだ。そこにいつも映っているのは太宰の姿。そして太宰が身に着ける簪と衣。福沢が贈ってくれたそれらを太宰は福沢のいる本館とともに見ている。
 大切にしているその光景の中に、今は福沢が混ざっていた。
 太宰の目が見開いて鏡の中を見た。鏡越しにでも福沢とその目があったのだろうか。とっさに逃げ出した目は鏡からそれて窓の外を見ていた。
 福沢の目もそれを追いかけてゆく。そしてその目が見開かれていた。大きく見開いて福沢が何かを見ていた。がたりと椅子が音を立てる。鏡花の目がそんな福沢の変化を不思議に思い見つめた。
 立ち上がる福沢。
 ぎゅっとその目元に皺を寄せながら邪魔をしたなとそう言って部屋からでていく。
 鏡花の首も太宰の首も傾く。どうかしたのかなという主の問いに鏡花は答えられない。しまったドアを見つめながら太宰の指先が福沢が置いていた菓子をつまみ上げて口に含んでいた。
 上がる口角。
 茶菓子もお替り分用意した方がいいのかな。そんなことを呟いていたので鏡花は頷いていた



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