好きです! 付き合ってください。
 ふわふわと長い髪が揺れた。小さな肩が震えているのを感情のない目が見下ろす。ごめんねと男の口から言葉が漏れた。私は君のこと好きじゃないんだ。男の言葉に女が涙を流す。見上げてくる目が涙に濡れているのを男が冷たい目で見ていた。



 夕食を取り、入浴も済ませ後は寝るだけとなった夜。福沢はこんこんと戸を叩く小さな音を聞いた。立ちあがり玄関に向かう。鍵をあけ扉を開けば、そこには一人の男が立っている。その姿はまるで幽霊のようであった。ぼんやりと立ち尽くし深くうつむいている。そのせいで見えるのは旋毛だけだった。
 福沢はそんな相手を家のなかにあげた。鍵をかけ男の手を引き居間へ向かう。ひんやりとした冷たい手。卓の前に座らせ福沢は炊事場へと向かう。冷蔵庫の中から牛乳を取り出し鍋に注ぐ。火をかけ数分。ぶくぶくと気泡が泡立ち始めたところで火を止めかき混ぜる。マグカップに注いで最後に蜂蜜をいれた。
 そのマグカップを持って居間に。座っている男は色の見えない眼差しを何処か一点に向けていた。今にも崩れ落ちてしまいそうだ。そんな男の前にマグカップを置き、その隣に腰掛けた。男が壊れた錻のような動作で福沢を見つめる。暫くして肩の力をぬきゆっくりと福沢にもたれ掛かってくる。重そうに持ち上がった指先がマグカップに触れた。熱い表面を確めるように指が撫でる。ほぅと男から息が漏れていく。
 気味が悪いんですと男が口にした。
「今日告白されたんです。寮の近くに住んでいる女性で私より一つ年上。綺麗な人で一度心中に誘ったことがあるのですが、それ以外の接触はありません。ほぼ知らない人ですね。そんな人から告白されて、私が好きだとかずっと見ていたとか云われたのですが、それがとても気味が悪くて。
 私を好きって私の何を知ってそんなこと云うのでしょうね? 私の何を見ていたと? どうせ彼女の中の理想の私を見ていたのでしょう。私の事など何も知らない癖に私の事を好きだなんて馬鹿げている。好きなだけでも幸せとか此方に期待を込めた目を向けながらよく云えたものだと思うよ。何かをしてほしいと思っているのが筒抜けだ」
 男の肩が小刻みに震えていく。気味が悪い気色悪い吐き気がする。吐き出される言葉達。福沢の手が男の肩に伸びた。抱き寄せてぎゅっと抱え込む。震える頭を大きな手がそっと撫でる。
 今腕の中にいる男は人の好意と云うものが嫌いだった。人を好きという気持ちが分からない。それを己に向けられることが何より気色悪くそして恐ろしくてならない男。
 だがそんな男はもてた。生まれつきの顔のよさに、その顔に浮かべられるのは何時だって柔らかで優しげな笑みだ。性格には多少の難があるがそれを補ってあまりある顔のよさ。それに何より人を惹き付けてやまない魅力のある男だった。女処か男にさえも男はもて好意を伝えられることも多かった。
 その度に男は自分の中で制御できない感情に飲み込まれ、自身を傷付けていた。
 福沢はある時そんな男に気付いた。そして何かあれば福沢のもとに来るように教え込んだ。自分を傷つけなくても大丈夫な安らげる場所を作ってあげたい。そう願い己が出来る範囲ではあるものの、男に優しく接してきた。そのおかげで一年たった今、男は自らの足で福沢の元にまで来るようになっている。
 肩を震わせ、身を小さく丸め、恐ろしいものから逃げようとする男。その体を抱き締めて福沢は男の名を呼ぶ。
「太宰」と。ぽんぽんと安心させるように福沢の手が男の背を叩いた。




 福沢がその事を知ったのは太宰に出会ってから半年ほどたった時だった。たまたま女性に告白されている太宰をみて気付けた。
「ごめんね。君のことは可愛らしいとは思うけど好きではないんだよ」
「あの、でも、本当に好きなんです! 今は好きじゃなくてもいいから付き合ってもらえないでしょうか! お願いです」
「うーーん、残念ながら君をそう言う対象にはみれないんだ」
「それでも、お願いです!」
 太宰に告白していたのは随分と粘る女性だった。何度も好きだとその言葉を繰り返し、太宰はそれにごめんねと言葉を返し続けていた。
 モテると言うのも面倒なものだな。
 思いながら偶然見てしまったその光景から目を離し、その場を去ろうとした。その時ふと太宰の顔色が優れないことに気付いた。にこにこと笑いながらもその口元が歪み、時おり覗く目は瞳孔が見開いている。何かがヤバイと感じ福沢は二人の間に割り込んだ。
「太宰。こんなところで何をしている仕事はどうした」
 女性は一瞬えっと言う顔をしてから凄い形相で福沢を睨み付けた。太宰は女性よりも長くほうけ、それからハッとしたようにげっという声をあげた。
「しゃ、社長」
 不味いと言うような声を作り、すみませんと慌てたように逃げ去っていく。あっと思ったがそれより前に女性が声をあげて追いかける。だが太宰の足は早く逃げられたようで立ち止まった女性は福沢を一度睨んでから去っていた。
 女性と言うものは存外強いと思いながら息を吐き出した福沢。太宰が逃げていた方をみた。気になってしまい太宰を追いかける。多分こっちへ行ったのではないか。そう思う方に歩いてみても太宰は見つからず諦めようともした。だが諦めきれず太宰の姿を探していると福沢は吐き出すような音を聞いた。音がしたのは細い道の奥。誰も通らないような路地裏。まさかと思い福沢はその道に入った。そしてそこに踞る太宰を見つける。
 太宰は何度も吐き出しながら頭をかきむしっていた。苦しそうな姿。ぎょっと目を見開いた福沢は暫し動きを止める。そんな福沢に気付かず、太宰はポケットの内側から折り畳み式のナイフを取り出した。それを自分の手のひらに向かって振り下ろそうとするのをみて足が動く。
 一瞬でかけよりその手をつかむ。太宰が福沢の方を向いた。瞳孔の見開いた目がさらに見開かれあと声が落ちる。はぁはぁと荒い息を数回吐き出して太宰の口許に笑みが作られた。
 社長と弱々しい声が福沢を呼ぶ。
「先程はすみませんでした」
 ごめんなさいと声を掛けられるのにそんなことはいいと福沢は言う。それより何をしていた。太宰に問いかけたのに何のことですか。返ってきたのはそんな言葉。へらっと笑って太宰はなかったことにしようとした。
「太宰」
 強い口調で福沢が告げる。太宰の目が左右にさ迷った。取り締まりに合う犯人のような反応を見せる太宰。福沢の顔を一度見上げすぐにそらす。ごくりと喉をならした。
 途方にくれた表情をする太宰から力が抜けて。福沢が握りしめた手だけがだらんと太宰を支える
「……………………………………………何です」
 か細い声が空気を震わせた。人より耳が聞こえる方だと自負していた福沢でさえ聞き取れなかった声に眉を寄せる。
「…………嫌いなんです」
 再び聞こえた声は先程よりは大きい。それでも後一歩で聞き逃してしまいそうなほど細い声だった。
「人に告白されると言うより好意を向けられること事態嫌いなんです。それなのに今日は朝から六回近くも告白されて……それで少しおかしくなっていただけなんです」
 もう大丈夫です。太宰の細い声は告げる。そんな風にはとてもではないが見えなかった。どう返していいのか分からないながら、せめてと思い福沢は座り込んだ太宰の横に並んだ。力が抜けて倒れ込みそうな太宰を支え、荒い息が落ちるのを側でずっと聞いていた。



 その日から太宰のことをよくみるようになった。探偵社でみる太宰は怠惰でいい加減、仕事こそ良くできるもののどうみても胡散臭い男。なのに何故か外ではよくモテた。人当たり良く女性に対しては優しい態度を崩さないからだろう。
 お陰で毎日のように告白されている始末。
 告白された後はいつも顔色が悪くなる。たまに社員を通して恋文が来るのを恐ろしそうに受けとる。受け取った後は皆から隠れて見ずに全て捨てていた。その時恋文を見つめる目は何処までも冷たくそして苦しそうだった。
 時折耐えられなくなるのか、そう言うことの後に怪我が増えることがあった。包帯や服で隠してはいるもののおざなりな手当てしかしてないのだろう。近寄れば血の匂いがした。


「また太宰さん告白されていたんですって」
「昨日も告白されてたのにね。凄いわよね。そう言えば誰か朝恋文を貰ってきてなかった?」
「ああ、それ私。どうしてもって頼まれて……」
 聞こえてきた会話に福沢はため息を落とす。また荒れるなと。
 彼女たちの話ででてきただけじゃなく一昨日も二回近くの告白。そして恋文はもう一枚もらっていることを福沢は知っていた。どうにも太宰に入れ込んでいる娘がいるらしく、ここ数日幾ら振られても諦めずに告白し続けているようだ。諦めないと言うのは凄いことだとも思うが、こと彼に関しては素直に諦めてほしいと思ってしまう。昨日みただけでもすでに青白い顔をして苦しそうであった。このままでは……。
 考えていたとき外に出ていた太宰と国木田が帰ってきた。
 お前はふらふらといなくなってと怒鳴る国木田。それに良いじゃないか〜〜とへらへらと笑う太宰。
 その姿をみてやはりやってしまったかと厳しい顔をしてしまう。気付かれないように平静を装う姿は何処からみても普段となんら変わりない。だがずっと太宰をみていた福沢にはその顔が痛みで強張っていることがすぐに分かった。
 また自分で自分を傷つけたのだろう。
 福沢は太宰の姿をじっと見つめそれからため息をついた。やはりどう考えてもこのままでいいわけなかった。
「太宰」
 固い声が福沢からでる。きょとりと瞬いて呼ばれた太宰とその近くにいた国木田、他にも周りの社員が福沢をみる。
「話したいことがある。少しいいか」
「へ? あ、はい。分かりました」
 なんだろうと言う顔をしながら太宰がやって来る。何か呼ばれるような案件があっただろうか。そう考えている太宰をつれ社長室に戻りながら、近くにいた者に暫く人払いを頼むと告げる。分かりましたと言う声に満足する福沢。その後ろでは太宰が少し険しい顔をしてさらに考えにふける。人払いが必要なほど重要な案件。そんなものがあっただろうか。探偵社に来ている仕事だけでなく最近の横濱の情報全てを洗い出しているであろう太宰を横目でみて自身の中でのみ福沢はため息をつく。
 社長室に入り扉を閉めた瞬間、福沢は太宰の腕を強く掴んだ。突然の事で取り繕うことができず、痛いと太宰の口から出た。外套とシャツに隠れた二の腕を露にすれば白い包帯が血に滲んで赤く染まっている。あっと太宰が焦った声を出す。
「あ、あのこれはちょっと転けてしまってのもので血はでてますが怪我はさほどおおき」
 言い訳を口にする太宰をじっと見つめれば、その口から出る言葉が次第に小さくなる。最後には途中で閉じてしまった。
「自分でつけたのだろう」
 問えば太宰の目線は下をさ迷う。迷子になったような顔をしながら固まってしまう。それに福沢は吐き出したい息を堪えどうするべきか考えた。
 太宰は好意が嫌いだと言った。
 その好意に含まれるのは何も恋愛的な意味だけじゃないのを見続けてきて福沢は知ってしまった。太宰は誰かにほんの少し優しくされるだけでもその身を固くする。心配されるような素振りをされると笑顔のしたで青褪め拳が震える。
 だからこそ福沢もこれまで心配しながらも放ってきたのだ。
 福沢が心配することで余計太宰に負担をかけないように。
 でもこのままではずっと太宰は好意を向けられることを嫌い苦しみ続ける。せめて自傷行為だけでも止めさせなければならなかった。
「私はこの武装探偵社の長だ。例えどういう理由で在ろうと長として社員が傷付くのを黙って見ていることは出来ない」
 あくまで会社の社長として上に立つものとして放っておくことは出来ないと福沢は口にする。人としてではなく社員として見過ごせないのだと言うように。それに太宰が福沢を見つめる。
「怪我をしているといざというときに使い物にならないときもある。そうなっては困る。分かるな」
「そんなへましませんよ」
「もしかしたらがあるだろう。せめて手当てだけでもきちんとしろ」
 険しい顔を崩さないようにしながら固い声を作る。心配しているのが表に出ないように必死に演技した。そこまで余裕がないのだろう。太宰が気付くことはなくホッとすると同時にらますます福沢の中で太宰に対する心配が募った。
 はぁいと力ない返事が聞こえる。分かったならいいと厳しい声で口にしながら福沢は社長室にある戸棚から救急箱を取り出す。手当てをしようと言えば、後で自分でやりますよ。そう返ってくる。お前がやるのは不安だ。私にやらせろと命令するように声にした。固まった太宰が大人しく腕を差し出す。
 手当てをし終わり、部屋を出ていこうとする太宰に福沢は声をかける。
「今日は私の家にこい」
「へ?」
「最近食事もおろそかにしているだろう。顔色が悪い。今日は私の監視のもとちゃんとした食事を取って貰うぞ」
 嫌そうな顔をした太宰が福沢を見つめる。福沢も太宰を睨むように見つめた。根負けしたのは太宰の方だった。分かりましたよとため息を吐きながら答えた。


 その日から福沢は時折太宰の怪我を手当てし、太宰を家に呼び食事を取らせるようになった。五ヶ月ぐらいは社長としてと言う体裁を崩せなかったが、だが続けていくうち徐々に太宰は福沢を受け入れるようになった。そして社員だからと取り繕わなくとも手当てをされ世話を焼かれるように。
 その頃から好意に対する嫌悪を吐き出すようになり、福沢はそんな太宰の肩を優しく抱いたり、背を宥めるよう叩いたりして寄り添った。次第に太宰は福沢の腕の中で安心して息を吐き出せるようになり、そして福沢が言わなくとも苦しくなれば自分から来るようになったのだった。
 腕の中で苦しみを吐き出し、そしてゆっくりと息をし安らぐ太宰。彼を見つめ、福沢はいつも願う。腕の中の子がいつか人の好意に怯えなくてすむ日が来ることを。





 太宰が福沢の元で安らげるようになってから一年近く経った。その間に探偵社には人が増え、太宰は後輩たちから慕われていた。素直に好意を向けられるのにでも太宰は苦しんではいないようだった。時々迷い子のように困った顔を見せることがあるが、何とか受けいることができている。
 寄り添っていて福沢は気付いた。太宰は人から恋愛感情を向けられるのは嫌いだが、好意を向けられるのは嫌いではなく苦手。慣れていないだけに過ぎないのだと。自己肯定感が驚くほどに太宰はなく、だからこそ何故自分が好かれるか理解できない。そして相手が何かを求めているのではと警戒する。
 素直な好意を向けられたことも少ないから余計にで、自分が誰かに好かれる筈もないと思い込んでいた。だが福沢が寄り添い、そして探偵社の皆が太宰に好意を向け続けることで、段々と好意を好意と理解し、自分も好かれることがあるのだ。そう思えるようになってきていた。まだ全てを受け止めることは出来ないだろう。
 だが何時かはきっと受け止めて皆から愛されている事を心から理解する日が来るだろう。
 そして……愛せないでいる自分を愛せる日が来てくれたらいいと福沢は思っている。
 ただそれとは別に恋愛感情についての好意だけはどうしても太宰は受け入れられないようだった。それだけは本当に嫌いで何度も向けられるのに苦しんでいた。
 今もまた向けられた好意への嫌悪を吐き出す太宰を抱き締めて子供をあやすように背を叩く。太宰の体はかわいそうな程に震えていて気色悪いと何度も叫んでいる。
「気色悪いんです。気持ち悪い。嫌だ。好きだと言いながら彼らは本当は私のことなんて好きじゃないんです。ただ私を自分達の都合のいいように操りたいだけだ。自分達にとって都合のいい私を想像して妄想してそんな風に私をしたいだけ。おぞましい」
 嫌悪感たっぷりに吐き出され泣いているのかと思うほど肩を震わせる太宰。そんな太宰の声を聞きながら福沢は目を伏せた。

 すやすやと安らかな寝息が聞こえだしたのに、そっと福沢は息を吐き出す。苦しんでいたのを吐き出した太宰は福沢の腕の中で眠ってしまった。最近は何時もこうだ。一通り吐き出した後に安心したように眠りにつく。穏やかな寝息をたてる太宰に福沢は困ったように笑う。
 元々睡眠不足気味の太宰が自分の腕の中で安心して寝てくれるのはありがたい。でもそれだけではすまない理由と言うものが福沢にもあった。
 大きな体を子供のように丸めて胸元で寝入る。そんな太宰の安らかな寝顔を見つめる。まだ丸みを残した柔らかな頬。いけないと思いつつも唇が触れた。溢れるいとおしさをぎゅっと抱き抱えて抑えた。

 福沢が太宰に寄り添うようになってから二年変化が起きていたのは太宰だけではなかった。福沢自身もまた変わっていた。
 最初は太宰があまりに苦しんでいたから見ていられなくて手を伸ばした。苦しんでいる太宰が少しでも和らげばいいとそれだけの思い。そこに社長としての義務などはあっても特別な感情はなかった。
 だけど腕の中で安らぐ姿や、その後恥ずかしそうにごめんなさいと目を伏せて頬笑む姿。時々浮かべるとても柔らかな笑み。そんなものを見ているうちに癒され、惹かれて、福沢は太宰を好きになっていた。
 太宰の嫌う恋愛感情として好意を抱いてしまった。
 気づいた当初は男同士だとか、年齢の差だとか、色んな事を考え気のせいにしようとした。だけど太宰と触れあう度にそうではないと強く思ってしまう。諦めて認めると途端に胸の中でいとおしさが溢れた。太宰をみるだけで鼓動が激しい音をたて多幸感が溢れるようになった。
 太宰にたいして罪悪感を覚えながらもその思いを消すことはできず福沢はせめて太宰に気付かれないよう隠すことにした。好意を嫌う太宰が福沢の思いに気付いて安らげる場所を失わないように。自分の思いが実らなくとも良かった。ただ太宰が笑っていてくれるなら。
 そう思いながらでも時々思いが溢れてしまう。眠っている太宰に今のように触れてしまうのだった。
 すまぬと福沢の口から声が出る。
 許してくれと思いながらもう一度福沢は太宰の頬に口付けた。






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