人を愛することはないと思っていた。私にはそんな機能はないと。だがそれは間違いで私にもそういう機能は備わっていた。それを教えてくれたのは福沢さんだった。人を愛するどころか他のすべての機能がないと思っていた私にそうではないと私にも普通の人のように感情があるのだと長いこと寄り添って教えてくれた人。与えられた優しさに当然のように私は好きになり、そして福沢さんもまたこんな私を好きだといってくれた。
 こんな私にできた誰よりも素晴らしい私の恋人。
 大切な人。
 福沢さんが傍に居てくれたらそれだけで幸せだった。例え触れることができなくとも彼が傍に居て声をかけてくれるならそれだけで充分だった。共にご飯を食べ語り合い少し離れながら同じ部屋で眠る。そんな毎日があるだけで良かった。
 些細で私にとっては大きな幸せ。そんな日が壊れるときが来るとは思っていなかった。
 天人五衰との戦い。何とか横浜を守りきり戦いを終わらせることができたが、その最中窮地に立たされた探偵社を守るため社長である福沢さんは社員一人をマフィアに移籍させる条件を飲んでマフィアの助けを手にいれた。仕方のなかったこと。探偵社を守るためには最善の策だった。それは良くわかってる。
 仕方のなかったこと。
 与謝野先生ともう一人。森さんが選ぶとしたら二人しかいないと分かっていてもそれでもその道を選ぶしかなかった。そして与謝野先生はかつて森先生の元で色々ありすぎた。彼女を森先生の傍に行かす訳にはいかない。だから与謝野先生をあらかじめ選択のなかから外すのは当然のこと。そして一人を除けば二人目はない。二人まで除くと価値が薄まるから。
 だから優先順位で選ぶしかなく私が切り捨てられてしまったのは仕方のないことだった。それに切り捨てられた何てそんな心のないようなものではない。苦渋の決断でどうしようもない結果だったのだ。
「太宰」
 呼ばれた名に顔をあげた。戦いが終わり一ヶ月も経った。何時か来ると思っていた日がついに来てしまう。昨日探偵社にマフィアの遣いが来てマフィアに移籍する者を告げた。もしかしたらと思っていたけれど私だった。
 苦しかったけれど仕方なかったのだ。他のみんなをマフィアになんてやるわけには行かなかったから寧ろ良かったぐらいだろう
 社長の銀灰の目が震えながら私を見ていた。持ち上げられた手が私の頬に触れかけて一瞬先で止まってしまう。沿うように動きながらも熱を感じることはできない。
 マフィアに行くのは明日だ。明日の朝、探偵社に行ってからマフィアに。
 落ち込んだようだったみんな。私がいなくなることを泣いてくれた。お別れパーティーでもしましょうと涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも敦君は言ってくれて。でもそれは断ってしまった。胸が傷んで私も彼らの傍にいたかったけど、でもそれ以上に福沢さんの傍に触れあえなくとも二人で最後の時間を過ごしたかった。
 すまなかった。
 福沢さんが告げる言葉。首を降った。仕方のないことだった。わかってる。そんな言葉を聞くよりも今はただ福沢さんともっと多くの事を話したかった。だけど何を話していいのか分からなかった。言葉が出ていかない。ただいとおしかった。
 触れたくて手を伸ばして触れられなくて下ろそうとした手の近くに福沢さんの手が寄ってくる。二人重ね合わせるふりをした。
 熱はない。それでも暖かい気がして笑みを浮かべると福沢さんも笑っていて嬉しくなる。
「福沢さん」
「何だ」
「好き」
 溢れる思いのままに言葉を転がせば福沢さんの笑みはますます深くなって。普段は絶対に見せてくれないほどに優しい笑みをたくさん見せてくれる。
「私もお前が好きだ。例え会えなくなっても」
「今日はずっと貴方と居たいです」
 触れあえない手の距離が本の少し縮まった気がした。離れていた体の距離もまた近付いてきて
「ああ、いよう。朝までずっと二人で」

 特段話すことなんてなかった。
 思い出は後から後から溢れてくるけれどそれを語り合うような必要なんてなくて、それでも二人他愛のない話を続けた。時にはずっと名前だけを呼びあった。最後なのだからもっと他に何か沢山と思ったけれど最後だからと話すようなことはなにもなくただ二人で穏やかな時間を過ごしたかった。
 そうやって過ごしていると気付けば朝になっていた。
 福沢さんの目元にはほんの少し隈が出来ていた。
「隠していきますか」
「いや、たまにはこれもいいだろう。まだもう少しだけ」
 福沢さんの言葉に頷く。もうでなくてはいけない時刻なのは二人とも分かっていた。でもまだ一緒にいたかった。二人で他愛のない話をし、その言葉がやむ。
 次の言葉が出ていかなかった。
 福沢さんに見つめられて、見つめ返すことしか出来なかった。時計の針が時間を刻む音だけが聞こえてきた。
 行かなければなと小さな声で福沢さんが呟く。答えたくなかった。聞こえなかったふりをしようとしたけど、でもできずに頷く。立ち上がろうとしたら名前を呼ばれて立ち止まった。
「治。愛している」
 喉が熱くなった。目頭まで燃えるような感覚がしてこれが泣くと言うことかと思った。頬にはなにも流れないけどでも確かに私は泣いていた。

 探偵社までの道。二人並んで歩いた。
 一緒に住んでいるが恋仲の事を隠しているので共に通勤するのは初めてであった。いつもの景色が福沢さんと並んでいるだけで特別なものに見えてこれが一度だけなことが苦しかった。
 長く続けばいいと思ったけど三十分程度で終わってしまう。

 探偵社の扉を潜ると泣いているみんなが見えた。太宰さんと駆け寄ってきてくれるみんながありがたくてでも空いてしまった距離に悲しみも覚えた。自然離れてしまう福沢さんがこの時ばかり少し憎かった。
 みんなと話していると時間が来た。
 扉をあけマフィアがやって来る。
 たった一人のお迎えに森さんが来てるだけでもあれなのに中也や芥川君、姐さんに黒蜥蜴のみんなまで来ていて少しうんざりとしてしまった。
 じゃあ、言ってくるねと別れの言葉を告げる。
 もしかしたらみんなと会うこともないのかもしれないと思うと苦しかった。でもそれ以上に福沢さんに会えなくなるのが苦しくて、でもそんなことはおくびにもださずマフィアの元に向かう。
 これで良かったのだと幾度目か言い聞かせた。




 歩いていく背を見つめる。
 己のした決断のせいでマフィアに行くことになってしまった恋人。もう会えることはないだろう。
 仕方のないことだった。
 彼も分かってくれている。でも……
 人一倍寂しがり屋だった彼の事を思うと胸がいたんだ。
 歩いていく背は毅然としていて寂しさの欠片も見えない。だけどそれは彼がそう振る舞ってくれているから。一人になったらきっと…
 胸がいたい。もう会えないのだそう思うことが辛く、何より……

 彼の背が見える。彼が後数歩歩いてしまえばもう彼とは会えなくなる。この関係性も終わってしまう。
 一瞬だけ彼の歩が落ちた。前を見ていたのが僅かに俯いて……
 そう見えただけ、己の目が見せた願望なのかもしれない。だけどそう思うともうだめだった。
「みな、少しの間異能を使うのを控えてくれ」
 出ていた言葉。それに対する周りの反応を気にする暇もなくただひとつの背を見た。何より愛しい背中。それに向かって手を伸ばした。

「治!」

 相手の名を人前で呼ぶのすら初めてだった。相手の手を掴むのも。細い手を掴んで胸元に抱き締めるのも何もかも初めてだった。
 一瞬だけ薄い唇に口づける。
 千代古令糖の色の目が見開くのさえ愛おしかった。言葉は喉に使え、けれど自然に溢れた。昨夜言いたくてだけど言っていいのか分からず悩んだ言葉が今はそんなことすら忘れたようにすらすらと出ていく
「治。好きだ。愛している。例え触れられなくとも。もう会えなくなろうと。
 待っていてくれ。
 今は無理でも必ず迎えに行く。長く待たせることになる。数十年後のことになるだろう。それでも必ず。私が社長の座を降り、お前に気兼ねなく触れられるようになった暁には必ず迎えに行く。
 その時まで待っていてくれ。お願いだ」
 抱き締める体は己より少し低いぐらいでみっともなく縋るような姿になってしまう。でもそれが今の私だった。この子に酷なことをしいているのを知りながらそれでも乞わずにはいられない酷い男だった。
 腕の中の肩が震えた。
 拒絶されるのではと一瞬恐れてしまったけれど、私を見上げた目は濡れながらも微笑んでいた。
「私、待ってもいいんですか。待ったら「会いに行く!
 そしてもう二度と離さない」
 震える声を最後まで聞く余裕はなかった。抱き締めた腕に力がこもってしまう。
 嬉しいと声が聞こえた。
「待ちます。私いくらでも待つから、迎えに来て。ずっと待ってますから」
「待っていてくれ。迎えに行くから」
 白い頬に涙の筋が薄くできる。震える唇に我慢できずもう一度だけ口づけをした。

 絶対に迎えに行くその誓いを贈る


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