昼、早めに仕事を終えて屋敷に返ってきたは福沢はふっと思い立ち十三番目の妻の姿を見に妻たちの住む別館に向かうことにした。使用人たちが慌ただしく動いている。妻たちの姿はほとんど見えなかった。皆部屋の中で怠惰に過ごしているか、何処かに出掛けているのだろう。
あまり興味はない。
妻たちにはできる限り会いたくないので丁度良くもあった。
十三番目の妻の元までただ向かう。出迎えてくれたのは部屋付きの少女であった。少女はすぐに福沢を部屋に招いてくれた。そこで福沢が見たのは十三番目の妻が褥の上とはいえ起き上がり髪を結い簪を挿した姿であった。
そうしながら鏡をじっと見ていた。わずかであるが口元には笑みのようなものを浮かべていた。満足そうな表情でじっと鏡を、そこに映る簪を見ている。
ほうと福沢の口から驚きの吐息が出ていた。
鏡があればと部屋付きの少女が言ってきたから送ってみたもののまさか本当に十三番目の妻がそれだけで簪をつけてくれるようになるとは思っていなかったのだ。どうせ意味がないと思っていたのに、なのに今十三番目の妻は簪をつけ、そしてどこか今までとは違う表情をしている。
柔らかくなった瞳が簪とともに何かを見ていた。
ほうと福沢からまた吐息が出ていた。つくづく十三番目の妻のことはよくわからなかった。自殺未遂をしたあの日、部屋の中から出てきた遺書によって死にたがっていたことは知った。その理由もしっかりと書かれていたけれど、でも最近ではそれが真実だったのかすらも疑わしく思い始めていた。
遺書には福沢を憎む文もしっかりと記載されていたにも関わらず、妻がずっと屋敷にいたがるのも理由であり、そして妻のこんな態度ももう一つの理由だった。
じっと簪を見つめる姿。部屋付きの少女に言われたときは本当にそんなことがと否定したものの言われる前からもしかしたら喜んでくれているのかとそう何度か思ったことがある。それぐらい十三番目の妻は熱心な目で福沢が与えた簪を見つめているのだ。
少し前までずっと握りしめていた手は奪われまいとするかのようにとても強いものだった。
どうしてと今もまたずっと見ている妻を見て思う。妻が鏡とともに見ている窓の方角には福沢の住む本館もあった。まるで福沢のことを好きでいるようなそんな態度だ。
ばかばかしいと思いつつ福沢は十三番目の妻をじっと見詰めてしまった。そんな福沢に気付いて部屋付きの少女も何も言わなかった。
時が止まったかのように動かない。
再び時を動かしたのは福沢でも部屋付きの少女でもなく、十三番目の妻であった。
ただ見つめてしまう中、十三番目の妻がようやっと福沢の存在に気付いていた。瞬きを何度かしてからその瞳に福沢を映す。
簪を見る目はとても柔らかかったのに福沢を見る目はとても冷たいものだった。無機質のような輝きのない目で福沢を見つめてくる。
また来たのですかという声は冷たくて福沢がここに来たことを嫌がっていた。やはり好かれているなんて思い違いだったかとそう思ってしまうけど、でもそうとは思えない何かもある。
どういうことなのかわからない中で福沢は一つ口を開けていた
「明日行商人が来るそうだからお前の衣を買おう。とそう言いに来ただけだ。また明日も来るが、もう少しだけ動けるようちゃんと食べて眠っているよう
また来る」
半分嘘をついてしまった。行商人が来るなんて予定明日はない。なのでどこかに明日来てもらえる行商人がいないのか探す必要が出てきた。迷惑なことであるのは分かるが、それでも早く十三番目の妻に衣を贈りたくなった。
そうしたらまたその衣を身にまとい鏡を見てくれるだろう。その姿が見たかった。
十三番目の妻が何を考えているのかはわからない。
でもその姿はまるで福沢のことを大切に思っているようでもあった。
翌日福沢は十三番目の妻にたくさんの衣を贈っていた
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