命が助かってからというもの福沢の十三番目の妻である太宰の元には毎日のように福沢からの使いの者がやってくるようになっていた。ちゃんと食べているか確認し、さらに部屋の中を簡単にだが探し、自殺できるものがないか見ていく。もしものためにと太宰が隠し持っていた自殺するための道具もすべて奪い去られている。
 そうなるだろうことは目覚めた時から太宰に聞かされていた鏡花は、本当にそうなったことよりも太宰がそんなものを隠し持っていたことに驚いた。ずっと近くで見てきていたがそんなことちっとも気づかなくてそんな彼に悲しくなったり、彼を生かしてしまったことに罪悪感を抱いたりもした。そんな鏡花のことを分かっているのか太宰は問いうとあの日から自殺めいたことをすることはなくなっていた。
 見張りが来た後に着物で首はくくれるし、窒息死もできる。飾りを飲み込んでも窒息するし、庭の木々を探したら毒のある草はいくらでもある。なんなら壁に頭を打ち付けて死ぬことだってできる。何したって無意味なのにねなんて言っていたこともあったが実行には移していなかった。
 ああ、暇だなと日がな一日主のいる本館の方を見つめるだけの日々。死にたいなと時折呟きながら見つめる瞳には何が映っているのかは鏡花には分からなかった。
 生きていることは嬉しい。
 だけど本当に喜んでいいのか分からないただ虚無の時間が続いていた。
 そんなある日の昼どきであった。鏡花の主の部屋に人が訪れたのは。それはいつもの使いのものではなかった。扉を鳴らしたものを見て鏡花はその目を見開いてしまった。自分はいつの間にか眠ってしまったんじゃないか、そうでないとしても幻を見ているとそう思ってしまう。
 それぐらい驚いて動けなくなってしまった。
 鏡花の異変に気付いたのだろう。褥の上から動こうともしなかった太宰が初めて立ち上がってどうしたのとそう問いかけてきた。長らく歩いていないから筋肉が弱まってこけそうになりながら歩いてくる。
 何かを言わなければと思ったけれど鏡花からは何も出ていかなかった。こけそうな主が見えてもまともに動けない。どうしてなんて言葉は何とか出た気がする。それだけ驚いている中、
太宰の目もまた大きく見開かれていくのが見えた。
 どうしてと聞こえてくる声。
 二人に驚かれた人物。福沢は目元に深い皺を作りながら己の妻の様子を見に来た。ただそれだけだと答えていた。
でもと主の口が動く。
「自分から妻の部屋に行ったことなど一度もないでしょう」
「それはそうなのだが……」
 銀の目がおよぐ。額には酷い皺ができていた。言葉を探して結局何も言えず深い息を吐き出していた。その間、鏡花は何をしていいのか分からずおろおろと目をさまよわせ、そして太宰の体を支えていた。本来ならこの家で一番偉い人である福沢をもてなさなくてはいけないのだろうが、正直な話、もてなし方など分からないし、何より主の事の方が気になっていた。
 最近は何とか食べていても体力だって相当落ちている。いつこけてしまうか。福沢もそれを分かっているのか鏡花に何も言うことはなかった。
 それどころか気まずいのを隠すためもあるだろうが、太宰のベッドを整えてもう一度眠る手助けもしてくれていた。
「食べてはいるものの動いていないと聞いていたが、どうやら本当のようだな」
 太宰を横にさせた後、ため息をついている。叱られたような気持になって鏡花の体が小さくなっていた。ごめんなさいと言葉が出ていくが太宰の方はそんなのはわたしの勝手でしょうと口にしていた。
「動かないだけでは人は死にません」
「そうだが、体力が落ちる。体力が落ちれば色々びょうきにかかりやすいと聞いたこともある。少しはつけた方がいい。
 使いにお前が少しでも運動するよう見張るように言おう。せめて普通に歩けるぐらいの体力はつけておけ」
 太宰は何も答えなかった。目をそらして他所を睨んでいる。ずっと福沢のことを求めていたのを知っている鏡花にはそれが不思議でならなかった。
 せっかく来てくれたのだ話はしなくとも、もっとその姿を見ていたいものなのではないだろうか。
 疑問符を浮かべながらも福沢の前言うことはしなかった。
 福沢は本当に様子を見に来ただけだったのだが、数分もいたら出ていてしまう。福沢がいなくなった部屋で鏡花は疑問の答えを少しだけ知った。
 いなくなった後、横になった太宰はこうしてずっと体調が悪いままならあの人ずっと私の様子を見に来てくれるのかななんてそんなことを呟いていたのだ。
 元気になってもらえたらとそう思う鏡花はその時何も答えなかった。
 でも太宰の考えはあったっていたのか、それ以降も福沢は太宰の部屋に何度か顔を見せるようになった。一週間に一度あるかないか。来ても数分だけのほんの短い時間だが、太宰を見てもっと動け。このままなら本当に病気になるぞ。などと声をかけてくるのだった。
 太宰はそれがうれしい様子。
 毎日使いの者が来て太宰に運動するよう言って見張ってくるが、うまいこと懐柔してかなり甘めにしてもらっていた。唯一たまにくる福沢の付き人、国木田だけはその手が通用しなかったがほとんど来ないので太宰は運動していないようなものだった。
 体力なんてつかず寝たきり。最近では起き上がるのも難しくなってきている。食事は一応ちゃんと食べているのだが、やはり動かないとダメになっていくようだった。
 それでも太宰は福沢に部屋に来てもらうため運動などしようともしなかった。
 そんな太宰が自分から自主的に動く日が訪れた。行商人が家の中にやってきたのだ。各部屋の夫人が次々と行商人を招いていく中、太宰もまた鏡花に頼み行商人を招いていた。褥の中から起き上がり、この子に似合うものをと鏡花を指して言っていた。もういらないと鏡花は言ったが、だめだよの一言。だって私が選んで買いたいのだものと楽しそうに言う太宰を見ると久しぶりの元気そうな姿に鏡花は何も言えなかった。 
 お着換え人形になって彼女が選ぶ衣や飾りを身にまとう。
「元がいいから何でもにあってしまうね。どれがいいかな」
「そうですね。これなど」
汚い身なりをした主人が従者を飾り立てようとするのに行商人は驚きつつも何か余計なことを口にすることはなかった。仕事のできる行商人のようだった。過去には失言して太宰を怒らせ追い出されたものもいたのだ。 
 二人によって飾り立てられていく鏡花はにこにこと笑う太宰だけを見ていた。そんな時だった福沢の声が聞こえたのは。
「お前は本当にその従者が好きなのだな」
 その声に鏡花が振り向くと、福沢は入り口に寄り掛かるようにして部屋の中を見ていた。どことなくあきれた様子がある。太宰から少しかすれた音が出ていたのが聞こえた。喉を引きつらせる音だ。見ればとても驚愕した顔で福沢を見ていた。でもそれはすぐに笑顔に変わっていけませんかとそう口にしている。
「否。そんなことはない。むしろ従者を奴隷のように扱う馬鹿もいる中で大切にしているのは好ましい。ただもう少し自分のことについても大切にしてもらいたいな。
 そんなに従者の者ばかり買わず自分のものも少しは買ったらどうだ」
 太宰の目が床を睨みつけた。そんなもの必要ないですという声は低くなった不機嫌なものだ。福沢と目を合わせないようにしながら行商人にもういいからと言っていた。
 今までもの全部買うから、もう帰って。そう早口で告げている。訳も分からない行商人はどうしていいのかと鏡花を見た。偉い人に直接問いかける勇気は持たず同じぐらいもしくはそれより下の鏡花に助けを求めている。
 だけど鏡花もどうしていいのか分からず困っていた。
 今日こそお茶を入れるべきなのか。少しでも引き留めた方がいいのか。でも太宰は来てくれることにとても喜んでいるのに、塩対応であまり長居はしてほしくなさそうであるから何もしない方がいいのか。
 悩んでしまう中で待てとそう福沢が言うのが聞こえた。
 福沢は三人の元まで近づいてきて、そして行商人が広げていた装飾品を見下ろした。銀の目がじっと見て、太宰を見る。
 何度か二点を往復した後、手が伸びて装飾品の一つ簪を掴んでいた。どうするのかと見守ってしまう中で福沢の手が太宰の髪にその簪を挿していく。
 青い石がついた質素ながらも美しいものだった。
 太宰の褪せた目が見開かれていく。
「うむ。これなどいいのではないか。すまぬがこれを一ついただく。額は」
「あ、はい」
 惚けていた行商人が慌てる。鏡花はまだ呆けていたし主の太宰も呆けていた。その中でやり取りは行われ太宰の髪に挿したままの簪は福沢によって買われていた。
 青い色が太宰の濃い色の髪に映えている。
「今度また行商人が来たら呼んでくれ。その時は衣でも買おう」
 行商人が去った後、鏡花にそう言って福沢は部屋を出ていた。どうすればと太宰を見れば、太宰は福沢が挿していた簪を抜き取り眺めている所であった。
 ただそれだけの仕草であったけどとても嬉しそうで、その日から太宰はその簪を毎日のように眺めていた。
 毎日外を眺めるだけだった太宰の新しい習慣に鏡花は少しうれしかったがそうは思わなかったのは福沢であった。
 その後何度か来た福沢は来るたび太宰が髪にも挿さずながめているのを見て眉をひそめていた。自分の装飾品一つでもあれば少しは身なりを整えるため動くようになるかと思ってみたがそう簡単な話ではないかなんてため息とともに呟いていたのを鏡花は聞いたことがある。
 それから鏡花はずっと考えていて、福沢が来たある日鏡花は鏡を一つこっそり求めた。
「鏡? どうしてだ」
 鋭い目が鏡花を見下ろす。太宰の気に入りの従者ということで部屋付きという立場に戻してもらえているが、鏡花のことは許されているわけではない。冷たい目を向けられるのは当然のこと。
 主一人世話できない使えないもののくせに物をねだるなどと。そう思われているだろうことを感じながらも鏡花は鏡をねだる。
「主はあの簪をとても気に入っています。だからああして毎日手にしている……のです。身に着けてしまうと自分から見えないから。
 なので鏡をください。部屋に鏡を置けば身に着けてても見えるからつけてくれると思うのです」
 福沢の目が見開いた。少し開いたその口が気に入っているのかと信じられないことのように聞く。強く頷いていた。だから毎日眺めてるってそんな言葉が出ていく。
 その日の夜、福沢から太宰に鏡が贈られた。その時福沢の手で太宰の髪に再び簪が挿された。太宰の目が簪が挿された己の姿を鏡ごしに映すのを確かめた後福沢は出ていた。
 その後も太宰は長いこと鏡の中に映る簪を見ていた。
 その翌日も自分の手で簪を髪に挿し鏡越しに見た。鏡は窓の枠の部分に置かれた。そうしておけば簪とともに福沢のいる本館も見えた。


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