過ち

昔幼い子供に羽織をかけた時があった。まだ政府で働いていたころ、人を切るために生きていたころだ。毎夜の如く血に濡れる己のことをおぞましいと思いながらもそのころはまだ止めようとは思っていなかった。必要なことなのだと己に言い聞かせては人を切り続けていた。
 その人も人を斬った帰りだった。
 返り血でずっしりと濡れた服を身にまとい早く帰ろうとしていた所に聞こえてきた小さな物音。ついその場所を見てしまうと見えたのは塵のように倒れた子供の姿だった。まだ新しい血の匂いがして子供を見下ろす。黒く変色していたが子供もまた血まみれであった。おそらくはほかの人の血だ。誰かがほかの誰かを殺したのか。それとも……
 思いながら子供の元に近づく。
 地面に横たわる子供の体はほとんど動かないほど。それでもまだ生きていた。かすかな息を吐きだしていた。冷たい風が吹いていく。寒い日だ。薄着の子供は少し震えたように思えた。幻覚かもしれない。じっと見下ろす。助けたところで助からないだろう。もし仮に生きたとしてもできることなど何もない。それならば見捨てるべきだと踵を返そうとしたが、薄い布一枚の子供のことが気になってしまった。
 せめてと子供の体にかけたのは優しさではなくただ己のためだった。

 何もしてあげられぬひどい己のことを少しでもいい奴とそう思いだかった。
 ひくりと子供の体が動いた。ゆっくりと見上げてきては途中で止まる。疲れたように体を投げ出しながらそれでもその手が動き出していた。福沢が掛けた羽織をつかんで握りしめる。羽織の中に丸くなる姿は確かに荒んでいた福沢の心に安らかなものを考えた。こんな己も死ぬ行く誰かに何かしてやることはできるのかと。
 自己満足だ。それでもその一瞬、確かに福沢は救われたのだ。




 そんな日のことを思い出しながら目の前の男を見下ろしていた。太宰という名前の部下。
 社長室に侵入していた男は何だというかと思えば、どうして羽織を肩にかけているのかなんてそんなことを聞いてきたのだ。羽織を返しに来たと言っていたがその羽織もまだ太宰の手の中。どういうことだと不思議に思いながら見降ろしていた。
 思い出した過去は嫌な過去だ。
 できればもう忘れてしまいたいようなエゴに満ち溢れた一時の出来事。相手の姿などはもう既に覚えていないけれど、それでも完全に忘れることはできず胸の中に残ってしまっていた。
 嫌なことを思い出し、引き裂かれそうな痛みを気にしないようにして福沢は口を開けた。
「」
 一応の理由を口にする。聞いた太宰は静かなものだった。何のために聞いたのか。薄い反応で身にかけている羽織を掴んでいた。
 とられた己の羽織を見つめる。
 そうしていると太宰は寒いですと言った小さな声で一瞬聞き間違えたかとも思った。
「寒いです」
 太宰が言う。聞き間違いでも何でもないのに迷いながら福沢は着ていた羽織をかけている。太宰の手がその羽織をぎゅっと握りしめる。抱き寄せるのを見つめた。どうしてよいかわからず見つめる。特に何も言ってこない。何がしたいのか分からなかった。
 福沢は太宰を呼んでしまった。太宰は答えなかった。とても穏やかな顔で目を閉ざす。何も言えず福沢は吐息をこぼした。目を合わせるため座っていた床から立ち上がる。このまま席に戻ってもよかったがそうする気にもなれず自分の机から書類を手にした。
 そして太宰の隣に座りなおす。仕事を始めても太宰は目を閉じて大人しくしている。こいつの仕事はいいのだろうかと考えたが、どうせうまくやるだろうと気にしないことにした。ぺらりと書類をめくる。時折見える太宰は目を閉じ眠っているように穏やかな顔で羽織を抱きしめていた。どうしてそんなに大切そうにしているのか分からなかったが.嫌なものではない。どこかふわふわとする気持ちになりながら福沢は書類を見ていく。
 どれぐらいそうしていただろうか。
 手にした書類をすべて終わらせるぐらいの時間はあった。
 新しく取りに立ち上がる気にはなれず、太宰の横で太宰が動くのを待っていた。
 太宰が動くことはしばらくなかった。穏やかな顔で時を止めているように静かだった。今ゆっくりと口を開いた。
「社長」
 福沢の名前を呼んだ。なんだと太宰を見た。太宰の目がうっすらと開き遠くを見ている。
「私と付き合ってください」
 言葉が聞こえた。頭の中が真っ白になっていく。体から抜け落ちる力。遠くで紙が落ちる音が聞こえた。世界から離れていく。はあという声が己を引き戻す。今なんと福沢から震えた声が出ていく。付き合ってください。太宰はすぐに答えた。はあとまた間抜けな声を出してしまう。何を言われたのか全く理解できない。そのまま問いかけてしまう。太宰の目は福沢を見ていた。
 褪せた目。その中に福沢を映していた。問いにそうされてしまう。ふっとその口角が上がった。
「好きなんです。好き……。だからね」
 お願いします。ささやかれる言葉。何を言われているのかと己の耳さえ疑う。太宰は時折福沢を見ていた。福沢の唇が震える。どうしていいのかと考える。
 だけど考えるまでもなく答えは決まっていた。福沢は太宰をそういう目では見ていなかったのだから
 深呼吸を一つにした。
 太宰の目が福沢を見てくる。その目を見つめ断りの言葉を口にする。
 その途中太宰の声が福沢の耳に届いた。
「社長。社長って昔政府の下で暗殺を行っていたことがあるでしょう」
耳に届いた言葉に固まり、何でと声が出ていく。バクバク鳴り響く鼓動。うるさいほどの声。太宰の目が嫌になるほど真っ直ぐに見てくる。
「たくさんの人を殺したんですよね。着ていた羽織日の匂いがしみこむぐらいたくさん殺したんですよね。その事実を誰にも知られたくないでしょう。そうだとしたら」
 口にしながら太宰は穏やかに笑っていた。その内容と正反対に優しげだ。福沢は固まりそして徐々に太宰を睨みつけてしまう。
「私を脅す気か」
 問えば太宰はそうですよとあっさりと答えた。
 険しい声で太宰の名前を呼ぶ。大抵の者ならその声の前に泊まった。
 あの乱歩すらも。でも太宰は止まらずにお願いしますと口にしてくる。好きなんですと囁いていた。
 無駄だと悟った福沢は駄目だと今度は口にした。
 太宰の目が見開く。駄目だともう一度言う。はいと太宰が声を出した。それでいいのですかと聞いてくる
「よくはない。だがそんなことで付き合うわけにもいかん。人と人が付き合うということは大切なことで無理やり捻じ曲げてやるべきことではない。だから」
「それなら探偵社はどうですか」
 思いを口にしていく。太宰の目はじっと見開いていて。ゆっくりと元の落ち着いた表情に戻っていた。美しく笑い一つ言ってきた。福沢の目が見開く番だった。
「私は探偵社の不利益になる事実をいくつか知っています。貴方のこととか与謝野さんのこととか。今持っている以外にも集めればたくさん手に入るでしょう。それがなくたって私が少し手をかければ探偵社を窮地に陥れることなど造作もないです。
 それはどうですか」
 太宰の笑顔はとても美しかった。
 終わりなどないように増していく美しさ。ねえと囁いてくる声は聞くものの心を惑わせる。凍り付いた冷たい気森の福沢の耳にもそれは届く。心がざわつく。太宰は好きとまた口にしていた。
 福沢が好きと。でも福沢は知っている。太宰はそんな目で福沢を見ていないことを。どうしてと口が動くが目の前にある褪赭は笑うだけだった。




 太宰と付き合うことになったものの分からないことだらけであった。
 前ととくに何か変わることはない。太宰は福沢に何も求めるとこはなく付き合ったという言葉だけがある状態だった。
 何も求めてこないからこそ福沢はこの関係がどうして行われるのかとそのことを考えた。太宰が何を求めて何を思っているのか。知るべき妥当と思い福沢は太宰を呼び出しだ。どうしてだ。何を求めている。問いかければ太宰の答えは簡単といえば簡単で、難しいといえば難しいものであった。とても奇妙でどう思えばいいものかわからない。
 太宰は貴方が私だけのものであればいいとそう言っていた。それだけはしっかりと口にしながら後の言葉は探しながらだった。言葉を探し、どうすればいいのか考えながら口にしてきた。
「他には何もいりません。何もなくていい。
 恋人という関係でなくとも本当はいいのです。でも人と人の関係で一番近いのは恋人でしょう。私たちは家族にはなれませんし、さすがに貴方を犬というのは問題があります。それに犬は誰にでも尻尾を振りますからね。私は私だけのものであってほしいのです。だから他はなにもいいのです。デートとかセックスとかそういったものは一切求めません。貴方は貴方の好きなように生きたらいい。ただ私だけのものでいてください。誰とデートしてセックスしてもいいけど結婚はしないで、恋人という関係は私だけにしてください」
 太宰の言葉を福沢はずっと聞いて、ずっと考えていた。それはどういうことか。太宰は何を考えているのか。望んでいるものは何なのか。だけど福沢はその言葉からは何一つ読みと取れなかった。何を言っているのだと思ってしまった。理解できないと口にした。太宰は不思議そうにした。簡単なことだと貴方が私のものであってくれたらいいのだと太宰は口にするけど福沢はやはり分からなかった。太宰がどうしてそんなことを求めるのか。だって太宰は福沢のことなどどうとも思っていないのだ。
太宰にとって福沢はただの駒だ。
 武装探偵社の社長。
 武術に長けており仲間の伊能を制御する異能を持つ。それだけの駒である。福沢だけでなくあらゆる人が太宰にとって駒であった。仲間も敵も全部が駒でどう動かせばいいのかを考え、またどう動くのかを観察している。人であることは知っている。それでも太宰にとってはただの駒。何をしようと何をされようと何をしていようとその心が動くことはない。
 薄い膜一枚へだって遠い場所にいることを福沢は知っていた。
 それは太宰にとって己を守るためのものであろう。美しく笑って他を拒絶して太宰はそうして己の場所を守っている。それなのになぜ福沢にうそをつき、そして福沢を求めてこようとするのか。それが福沢には理解できなかった。だけど太宰は笑って不思議そうにしている。分かたないはずないんですけどと言いたげにしながら見てきて、そしてその頬を赤く染めた。
「死んだらあなたが好きにしてください。どうしてくれてもいいです。貴方が望むままに。貴方が私のものであるという言葉それさえあればいい」
 太宰の瞳はうるんでいて今にも涙を流しそうであった。胸一杯の気持ちをあふれさせるよう太宰は言葉を紡ぐ。薄っぺらで何もない。それでもそれだけを求めている。
 福沢はその時分かった気がした。
 福沢は選ばれたのだと。太宰の処刑執行人に選ばれてしまったのだと。どうしてと思いながら福沢は太宰を見る。太宰が笑っている。ため息を飲み込んで福沢は言葉を吐いた。
「私はこんなことではお前のものにならない」
 見開いた目に輝きはなかった。





 太宰と逢瀬をするようになった。
 あの人ノアの会話から福沢は一つのことを決めた。それは太宰に近づこうということだった。以前は着にはなっていたが、自分から近づいてもいいものなのか。わからず太宰のことはそのままにしておくことにしていた。それをやめて近づきそして太宰の心の内側に触れてみようと。そしたら何かが分かるかもしれない。遠く離れた場所でこの世などと心を閉ざした太宰に何かを与えてやれるかもしれないと。
 そのために逢瀬をすることにしたのだ。
 初めての逢瀬は電車での観光であった。
 観光電車と呼ばれるものに乗ってそこから見える景色を楽しむものだ。太宰の好みを考えた結果そうなった。太宰はでばーとなどで買い物をのんきに楽しむような男でもなく、町の中を意味もなくふらつくのも太宰は人のことが気になって休まらない。人のいないような喫茶店で一服するのはまだ落ち着いて過ごしてもよさそうだが、それだと太宰は福沢を意識しないだろう。個室になれ人の目を気にせずに済んでなおかつ襲撃があったとしてもすぐに襲撃者の目から逃れる場所といえば電車ぐらいしか思いつかなかった。
 太宰は最初からどこかそわそわとしていた。どうしていいのかわからないのか迷っているようだった。
 自分が思っていた道とは違う道を行きだした福沢のことを気になるようでぼんやりと眺めていた。時折福沢が窓の外の景色の話をする。そちらを見ていたりした。その逢瀬で福沢は二るのことに気付いた。一つは太宰はあまりものを食べることを好んでいないこと。電車で逢瀬をそれなりに楽しんでもらうためと用意した駅弁は好んではもらえなかった。
 どころかいやそうで一回二回食べるのさえ苦痛を感じているようだった。嫌いなものがあったとかではなく食べることそのものが嫌なのだろう。それではいつ栄養出張になるかわからない。その辺を気を付けながら見ていくことにした。二つ目は太宰は羽織に対して何かを良い思いれがあるということ。最初からそうだった。
 羽織から何かが始まったようなものなのだが、逢瀬によってそれは確かなものに変わった。太宰の目がじっと羽織を見ていたから、寒いのかと聞けば羽織を見た後素直に頷いていたのだ。また暑い時期。寒くなどはない。それでも太宰に羽織をかけた。太宰はその羽織を抱きしめていた。
 それがこの世で一番大事な宝物なのだというように大切そうにしていた。
 どうしてと思った。どうしてそんなものをとそれでも太宰がそれを大切だというのであれば福沢は差し出し続けようと決めた。
 逢瀬は何んとか繰り返した。その度に寒いのかと聞いた。太宰はいつも頷く。福沢はその度に羽織をかけた。掛ける度に思い出す言葉があった。観光電車での逢瀬の日、太宰が言ったことはどうして社長はいい人になったのです。ずっと人を斬っていたら良かったのにと。羽織を抱きしめながら口にした太宰は迷い児のように悲しげで福沢はずっと太宰の言葉の意味を考えている。
 逢瀬の最後はいつも長い沈黙が訪れた。別れるその時、太宰はいつも羽織を抱きしめていた。返したくないというようなその姿。ぎゅっと抱き支援続けているのに福沢は返さなくていいとともっていた。変わりはほかにもある。その日に返してもらう必要はなかった
 それでも何も言わなかったのは、太宰の心がそれを強く欲しがるのを待っていたからだ。
 逢瀬の旅に最後の時間が長くなる。無言で握りしめているだけの太宰がいつか返したくないという日が来る。その時を待っていた。
 だがその時は訪れなかった。
 太宰はどうしても自分からはそれを言い出せないようだった。こんな関係は口にできる癖に思いは言ってこないのだ。
 不器用さに呆れながらいとおしさのようなものを感じた。
 だから福沢は自分から言った。家に来ないかと太宰は迷った末一つ俯いていた。
 福沢の家に訪れた太宰はその姿は見知らぬ場所に一人連れてこられた幼子のようであった。隅で丸くなって羽織を抱きしめている。震えてはいなかったが、おびえているような気がした。その日からの逢瀬はもっぱら福沢の家になった。おびえる子供のようだった太宰も回数が重なれば福沢の家で安らぐようになっていた。
 薄く張られていた幕が一枚ぺらり地面に落ちてしまっていた。それでも距離はまだ遠い。ほとんど家で過ごしながら時折太宰を外に連れ出した。太宰は外は嫌いだが、外があることを忘れないようにさせたかった。
 少しずつ変化していた時間の中、ある日大きな変化が訪れていた。
 太宰が食べなくなったのだ、今までも食べることを来っていたが、それでも生きるために何かしらを口にしていた。
 それを一切やめてしまったのだ。福沢は焦った。このまま死ぬつもりではないのかと何とか太宰に食べてもらうぉうとしたが太宰は食べてはくれなかった。最終的にお願いだ。食べてくれと縋ったのに太宰は驚きそれから食べさせてくれたらといった。
 福沢はそれに驚いていた。何でと思った。信じられなかったが、それで食べてくれるというならとだざいにあーーんんと食べさせた。本当に食べるのかと思っていた太宰は福沢が差し出したものをちゃんと食べていた。その日から太宰は福阿波が食べさせれば食べてくれるようになった。量は少ないもののちゃんと食べてくれる安堵した。と同時にどうしてと疑問に思った。
 その疑問に答えてくれたのはほかのだれでもない太宰であった。
 ある日何もかもを投げ出すよう横になりながら太宰は言ったのだ。もう何も食べたくないと。何を食べてもまずく血の味がする。水さえも血の味がすると食べたくないという太宰は今にも死にそうであった。
 そんな太宰が言った。
 福沢が食べさせてくれる時だけ血の味がしなくなったのだと。そうであれば福沢がやることは一つだけ。太宰に毎日ご飯を食べさせるようになった。そのことを最初に告げた時、太宰は大きく見開きながら泣き出しそうな顔をしていた。どうしてと囁きながら今にも泣きたそうにしていた。
 やめてといいそうなその姿に福沢はだからだと思った。だからお前を放っておけないのだと。太宰の目には誰もいなかった。誰も映っていなかった。でもうっすらと福沢が移っている。だからと思った。
 太宰に食べさせる毎日。そんな日々の中、太宰が時折美味しいとこぼすようになっていた。そういう時,太宰は嬉しそうに口元をほころばせて恥ずかしそうな顔をして福沢を見てきた。
 細い手を掴みたくなるのを我慢した。
 ある日福沢は太宰を自分が好きな店に連れていた。自分が好きなものを太宰に知ってもらいたいと思ったからだった。お気に入りの公演も通った。私を知ってくれと見つめる。太宰はぼんやりと立ち尽くしていた。まだ踏み込めない一歩。
 その一歩を踏みこんでくるのを福沢はずっと待っていた。
 それは遠い日のことになるだろうけど、いつかでよかった。
 ずるくて優しい気持ちが福沢の中にあった。



 そんなある日の子tだった。
 福沢は家の中で丸くなっている太宰を見つけた。
 出張で出かけていた帰り、家の中に太宰がいることは驚驚いたもののうれしくなるだけで細かいことなどは気にしなかった。
 眠っているような太宰に近づく。
 ばさりとその体に羽織を落とした。安らかに眠っていると思っていた太宰の目が薄く開く。見上げようとして途中でやめて、代わりに羽織を握りしめていた。ぎゅっと抱えて丸くなる姿。その姿を見て頭の中で何かがはじけた。
 忘れたい記憶。いつかの子供の姿が浮かんできたのに息を呑んだ。
 太宰は気付いて首を傾けながらもまた眠りに落ちていく。安らかな吐息が聞こえてくる中で、福沢は一人、血の海の中に立っていた。
 血の匂いがする裏路地、そこに横たわっている子供。どうせ死ぬだけだと落とした一枚の羽織。エゴだらけのあの日。
 他の誰のためでもないただ己のためだけのあの時が今、目の前にある
 ずっと人を殺していれば良かったのに。
 太宰の言葉が耳の奥に響いた。すべてが一つになっていく。福沢は膝から崩れ落ちていた。
 安らかな寝息が聞こえる。
 太宰の手には羽織が握りしめられている。その姿を見つめながら福沢から出ていくのは謝罪の言葉だった。
 すまない。
 絞り出す声。
 すまない
 何とか口にしながらそれでも太宰に手を伸ばしてしまった。すまない。口にして太宰を見る。赤い血が目の前にずっと流れている
「それでもお前が好きだ。いとおしい。せめてずっとずっと傍にいるから私のしたことを許してくれ。好きなんだ。お前がどんな道を行こうとずっとついていくから」
 赤い血の中で幼い子供が横たわっている。
 褪せた色が福沢を見ていた。福沢を映していた

 




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