悪い予感と言う奴があるだろう。何もしてないのに湯呑が割れるとか、やたらと烏を見かけるだとか。どうにも天候が気になるとか。何もないのに漠然と不安を感じるとか。
 朝から福沢はそんなものを感じて落ち着かないでいた。
 誰かに言えるようなしっかりとしたものでもなくて言葉にするのは憚れたが、こういった予兆は案外馬鹿にできるものではない。前世で嫌というほど思い知ったことの一つであり、だから福沢はその日は全ての出陣や演練を取りやめていた。
 何かが起きた時すぐ対処できるよう全員傍に置いたのに何かしら感じることがあったのだろう。皆も同じような準備をしていた。
 こんな予兆などはただの気のせいであればいい。何も起こらずにただ平穏に過ぎていけばいいと望むのと同時に、福沢は何かが起こればいいとも思っていた。そしてそのなにかが福沢の元までくればいいと。
 今何かが起きるとしたらそれはきっと太宰の事に他ならないとそう感じていたから。
 そして福沢のその勘は当たっていて、密かな願いもまた叶うのであった。

 明文化できないもやもやを抱えて過ごしていたその日の午後、いきなり本丸のゲートが開いたのだった。本丸のゲートは通常固く閉ざされており、内側からの操作でしか開かないようになっていた。そのゲートが開いたのに当然本丸内はすぐさま臨戦態勢を取られる。武器を構えゲートから出てくるかもしれない何かをすぐさま斬りつけるつもりで待ち構えた。
 そんな殺意に満ちた本丸に訪れた招かざる客は出てきたその時にその場にいた者の殺気すべてを打ち消していた。ゲートから這いずるようにでてきた者たちはたった二人。しかも二人とも傷だらけで今にも破壊されてしまいそうな状態であったのだ。
 息も絶え絶えなその姿で本丸にやってきた二人の招かざるものにどうしたらいいのかと戸惑う周り。全員の目が主である福沢を見る。
 福沢の目はやってきた招かざる二人を見る。その二人は福沢の本丸にもいる刀剣たちであった。山姥切国広に今剣。福沢の本丸にいる彼らとそして彼らに縁のある刀は傷ついた敵かどうかも分からない二人を見て眉を寄せていた。こんな状況でもなければ何人かは駆け寄っていた処だろう。
 福沢もすぐに駆け寄りたくなる気持ちを抑えて二人を見ていた。
 二人の手首には汚れているが包帯が巻かれていた。何処となく見たことのある気がする姿。それはここしばらくずっとこびり付いているあの演練でのことで間違いない。
 ぞっと腹の底が冷えながらもどくどくと胸は高鳴っている。
 見つめる福沢の目と侵入者の目があった。
 二対の目は揺れて、それからその顔がぐしゃぐしゃに歪んでいた。今にも泣きだしそうなほどその目に涙をためてお願いだと。福沢に向けて叫ぶ。
「ぼくらのあるじをたすけてください」
「主を助けてくれ」
 主の主とそう呼ばれて福沢は今までずっと考えてはそうでないと否定してきた憶測が、正しかったこと知った
 何が起きているのかすべてわかってそれでどこに行けばいいと駆け出していたのだった。
 事態を理解できていない周りは騒然としたが、いち早く分かった乱歩が国木田と与謝野、それに幾人かの刀剣たちは福沢についていくよう指示して、それ以外は残って二人のせわ、それに清潔な布団を一組準備と手伝い札を蔵から出してくるように言っていた。
 戸惑うものの乱歩と福沢の剣幕に圧されてあわただしく動き出す。
 やってきた二人は死に絶え絶えの姿で必死にゲートの操作をしながら自分たちも行くと言ったが福沢がすぐに駄目だと言っていた。
「そんな状況では行かせられん。お前らはここに残って少しでも体を休めていろ。そして太宰がここに来たら出迎えてやれ。
 太宰は私がちゃんと連れて帰ってくる」
 二対の目が悔し気に歪む。えっと慌ただしかった周りの動きが止まってすべての目が福沢と二人を見ていた。元探偵社社員だけでなくこの本丸にいる者たちはその存在を知っている。それは主である福沢がずっと求め続けていた相手であるから。その相手の名前がでて驚く中で福沢はそんな周りのことを気にする暇もなく開いたゲートの中、飛び込もうとしていた。すべての話はあとでする。今は助けに行くのが先だとそう口にするのだけで精いっぱいだった。
 飛び込んだ福沢の後を状況が理解できずにいながらも必死に国木田と与謝野がついていく。敦や鏡花も手を伸ばしたがお前らは駄目だよと乱歩に言われて立ち止まっていた。
 閉じたゲートの前に刀剣二人が立ち尽くしていた。



 

 太宰は最悪な気分で布団の上に横になっていた。両手両足は大の字になるような形でそれぞれ固定されお腹の方も釘を打ち込まれて床に固定されていた。人であった頃ならさすがにこれで死んだであろうが、残念なことに今の太宰は人ではなく刀剣もどき。この姿で数日固定されていてもまだ死ぬまでにはいってなかった
 それが太宰には最悪であった。
 政府が悪巧みをしていることにはだいぶ前から気付いていた。それが太宰を裏切ることであることにだって気付いていて、それでも好きなようにさせていたのはそれで死ねると思ったからだ。
 政府の息がかかったブラック本丸の主に太宰の情報を売り、太宰を掴ませさせる。そうしたら次にさせるのは刀剣破壊だとそう思っていた。太宰が目障りで死んでほしいからこその裏切りだと思っていたのだ。
 だがそれは間違いだったと言うか、政府としては捕まえてしまえさえすればそれでいいという方針らしい。太宰を捕まえた男は太宰を破壊することなく破壊する寸前までの苦痛を与えることを楽しみとして生かしていた。逃げられないよう拘束はされているものの太宰はそんなおとこも政府も心底愚かだと気分が悪くなる思いであった。あまたのブラック本丸を潰してきた太宰をただ拘束するだけで無効化できると思っているのだから当然であろう。
 どんなことをされたのかなんて細かいことまでは伝えてないので政府は知らないのだろうが、ブラック本丸の中には性癖が歪みまくったものも多くいて、刀剣が形が保てなくなるほどの破損か核の破損がなければ死なないのを良い事に今男がやっているような方法で拘束をしてくるものだって中にはいた。その本丸さえも潰しているのが太宰なのだ。
 まあ、あの時は世話係としてたまに傍に来ていた刀剣を甘言に惑わせて他の刀剣たちを連れてきてもらっていたので太宰が直接動くことはなかったのだが、その手を遣わなくても拘束から抜け出してどうにかする方法だってできたのだ。
 今ももちろんできるのだが、太宰はそうする気にもなれなくて大人しく拘束されていた。死ぬ気満々だったのもあり今更どうする気も起きないのだ。そのうち殺してくれないかなと期待していることしかできなかった。
 そうやってただ嫌な気分で無意味に過ごしていたのだ。
 何も考えてはいなかった。
 だからか周りの変化に気付くのも遅くなっていた。気付いたのは人の足音が聞こえてきた時だ。太宰のいる部屋に男は決して刀剣たちを近づけることはなかった。刀剣たちが太宰の言葉に惑わされて部屋に入ってくることを恐れたのだ。それなのに聞こえてくる足音。それは男の者ではない。
 何かあったのかと死ぬ事だけを考えていた鈍い頭が動く。嫌な予感がした。どうにも良くないことが起きそうであるとそう思ったのはやたらと煩い周りの音が争っている音であると気付いたからだ。
 私の言葉は聞き入れてもらえなかったのだとその時太宰は気付いた。
 そして次に扉が開くとき誰が入ってくるかも予想がついて太宰は拘束されている手首に力を込めていた。ぐりぐりと縄に押し付ける。嫌な音がして関節が外れる。一瞬痛みのような衝撃が走るものの気にすることはなく片腕を縄から離して、もう片手も同じようにして拘束から抜け出していた。上半身を少しだけ動かしお腹を貫く釘を掴む。力を込めて引き抜く。
 人であればさすがにこれは痛かっただろうから刀剣でよかったななんて下らぬことを思いながら体を動かして足を拘束している縄を釘で削っていく。一応戻したもののまだうまくは嵌っていないのか手は思うようには動かず時間がかかった。それでも何とか片足の拘束を解くともうめんどくさいやともう片足は関節を外して縄から抜け出す。
 音が止んできている。
 今すぐにも出ていきたいが少しだけ我慢して体の中に少しずつ己の気をおくった。これは自分の刀剣たちにすら言っていないことだが、刀剣であり、審神者の力も持つ太宰は自分の破損個所を自分で治すことも可能だったのだ。他の刀剣を直すよりもさらに力の消費が必要な他集中力もいるので滅多にはしない事なのだが……。今の太宰はそうしていた。
 それである程度怪我が治ると太宰は動き出していた。音が聞こえてくる方向とは逆方向に向かい窓を開ける。さんに足をのせるとよじ登り、それから……高さも確認せずに窓の外に足を、
 襖が開いたのは飛び降りようとした丁度その時だった。
 あっと思ったものの太宰はそのまま足に力を込めて飛び降りていた。後ろに誰がいるのかを見もしなかったけどちゃんと分かっていた。そしてやってしまったなと思う太宰はこの後起こることももうわかっていた。
 この馬鹿が! と聞こえてくる声。知っているような気がする知らない声だ。まだ声変わりも何もしていないのかもしれない。そして強く何かを蹴りつける音がしたと思うと、手が太宰の体を掴んだ。ぎゅっと包み込まれて地面の上に落ちていく。衝撃の殆どは覆いかぶさってきた体の方に伝わり、太宰には伝わらなかった。
 どうせ日本家屋だから高くはないのだろうと思っていたが、結構高かったらしい。馬鹿と偉い人は高い所が好きだと言うし、二階建てだったのだろう。自分の望みに合わせて簡単にカスタムできるようになっているとはいえ改築なんてよくやるなと感心したのは最後の逃避だった。
「この馬鹿が! どうしてお前はこうもマイナス方向にしか物事を考えられんのだ! もっと私を信じて少しはいい方向に考えてくれてもいいだろうが! 私の事を少しは信じろ。何で何一つ信じないのだ」
 あらぶった感情のまま吐きだされた言葉は最後は揺れて泣き出しそうになっていた。強い力で抱きしめられる。記憶にあるもよよりもずっと小さな胸の中に押し付けられながら太宰はだってとそう言っていた。
「そうやって考えて違った時が恐ろしいのですもの。それにあの頃の貴方のことは信じていても、今の貴方は違う時間も生きた違う貴方なのだもの。私が信じた貴方じゃなくても不思議ではないし、もしそうなっていても貴方に縋る権利さえない。
 今の貴方も昔みたいにかわいそうな子が好きだったらうまくいくかなって思ったけど、きっと貴方苦しむのだろうなって思うと今更会う訳にもいかないなっておもってしまって」
 出ていく言葉が最低なものである自覚はあった。
 それでも言葉にしていく中で聞こえてきたのはいきを飲み込む音とそれから大きなため息であった。肺の中にある空気全部を吐きだすかのように長いため息。だからおまえはどうしようもないのだとそんな声が聞こえてきた。
「そんなどうでもいいこと考えるのなら早く私の元に来い。おまえがこなくてどれだけ寂しかったと思っているのだ。私以外にも多くのものを泣かせて……。お前の部下たちも泣いていたぞ。
人の気持ちも少しは考えてやれ。私の気持ちはもっと考えろ」
 声はずっと震えていた。抱きしめられる太宰はそんな声を聞きながらその口元に僅かな笑みを浮かべてしまった。そうですねなんて口にしながら。それよりと聞く声は少しだけ上擦っている。
「私の事好きですか」
 泣きながら怒っていた声が止まった。ぎゅっと抱きしめていた腕が離れて銀の目が太宰を見降ろしてくる。鋭い眼差し。太宰を見て眉間にしわが増える。
「安心したからと突端に強気になるんじゃないぞ」
「だって」
 太宰の手が伸びて福沢を引き寄せる。再び同じ態勢になりながら太宰はやはり笑っていた。
「貴方が私に教えてくれたのだもの
 それで私の事好きですか」
 褪せた目が福沢を見る。輝いているその目を前に福沢にできるのは長く息を吐きだすそれ一つだけであった。
「ああ。大好きだよ」
いくつもの思いを込めた声が出ていく。子供のように太宰が笑う傍、二人の上から国木田の怒声が響いてきていた。


  
 その後。福沢の本丸に戻った太宰は探偵社のメンバーに散々怒られることになるのだが人助けしていただけなのに酷いよと一人拗ねたふりしてその場をかき乱し、それより私の子たち迎えに行っていいとそれらしいことを言っては曖昧に終わらせていた。
 迎えに行っていいも何もこれからどうするのかなんて何一つ決まっていない状況であったが、太宰の中では全員で福沢の本丸に居座すことが確定している様子であった。





一応完結
 でも短編として続きめいたものは書くと思います

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