ろく

「あんよが上手。あんよが上手」
 ぱちぱちと事務所の中で手拍子の音が響く。鏡花が真剣な顔をして手を叩いていた。その少し離れた所に最近やっと立てるようになった太宰の姿。
 よちよち。ぽてぽて
 足音を立て近づいてきていた。回りはその調子ですよ。いい調子。後少しですから。頑張ってと敦、谷崎、賢治、ナオミ、さらにその他大勢の事務員が応援していた。休憩中のため、何も言えず国木田は渋い顔をして仕事をしている。
 ぽてぽて
 進んでくる太宰。
「あんよが上手」
 最近事務員に教えてもらった言葉を鏡花は繰り返す。うーーと歩いていた太宰が止まる。うーーと鏡花を見て、自分がいる位置を見た。
 うっ? と首を傾けてうっ? と唸る。
 どうしたんですか。後少しですよ。頑張ってと声をかけていた社員達。その言葉で太宰は一歩踏み出そうとしてべっしゃんと転んでいた。体が傾いたのに驚いたのは周り、え、あれ? と思ううちに太宰は転けて、え、いや、どうしたらと戸惑う。今度はむっくりと起き上がっていた。
「う? うぅ? あっ、……ぁう? うう
 ……ぅ、ぅう、ぅあああああ、あああああ」
 ころんとお座りして首を傾けたり辺りを見回したりした後、太宰は泣き出していた。声をあげふわんふわんと泣く。慌てふためき駆け寄って抱き締めるが太宰が泣き止むはずはなかった。
 ばん! と社長室の扉が開く。
 蝶番が壊れてしまうんじゃないかと言うほどの勢いで扉を開いた福沢は、太宰を見て肩をしかめる。腕を差し出せば、ふわーんと泣きながら太宰は福沢に飛び写る。ふわんふわんと泣いてぎゅうとしがみついてくる太宰を受け止めあやしながら福沢はでときいていた。
 その声はとても低いものになっている。
「いや、その歩きの練習していたら太宰さんがよろけてしまって」
「何だと。そう言う場合は転けないようちゃんと見ておくものだろう。それも出来ぬのであれば」
「ちょっとみんなを怒らないでよね。元はと言えば社長のせいなんだから」
 低い声の最中、割って入った声に小さくなっていたほぼ全員がえっと声をあげていた。焦ったように乱歩さんと何人かが事務所の奥で詰まらなそうにして福沢をみてる乱歩に声をかける。乱歩はそんな声は聞こえないとばかりに悪いのは福沢さんなんだからと言葉を繰り返していた。
 はぁとさらに低い声が福沢からでていく。
「いつもやっているようにやってみてよ。そしたら社長が悪いってすぐに分かるから」
 何をと福沢が眉をしかめる。乱歩はほらほらと言っていた。ほらほらといい続けられ、仕方ないと福沢は泣き止んだ太宰を見る。まだ涙目ながらもこれ以上は泣く様子はなさそうで、今は福沢の腕をはむはむと食んでいた。
 そんな太宰を床に置き距離を開けた。ふぇと太宰が福沢を見て泣き声をあげた。や、やと首を振っている。福沢はすぐに駆け寄りそうになるが乱歩が邪魔をする。
 いつも通りにやってと言われ、人一人殺せそうな顔をして乱歩を睨んだ。その顔は太宰を見て柔らかなものに変わっていた。
 太宰がふぅと福沢を見て、
それから自分のいる位置を見てうぅと泣く。ほら、おいでと福沢が声をかけたら、一歩歩いて止まった。そこから数分悩んでまた、一歩。
 あっと、周りから声が上がった。
 
 そこで太宰の体が崩れた。倒れこんでいく。その瞬間、福沢が動く。
 少しあった距離を一瞬で詰めて太宰を抱き締めている。
「あーー!」
 ぱぁあと輝く太宰の顔。きゃあきゃあと手を叩いて喜びぎゅーと抱きついていた。え、つまり、周りは固まり、ほらそれでだよと乱歩の声が聞こえて口を開けた。
 毎日そんなことしてるから太宰が転んだら助けてもらえるんだてこと覚えちゃうんでしょう。
 福沢を責める声。なるほどと頷きながら敦や鏡花の目に強い光が灯る。僕らだってと沸き立てば、福沢はそうなのかと太宰と乱歩を何度も見て眉を寄せていた。
 でも、例えそうだとして。
 悩んでいるのに腕の中、太宰がきゃあと笑い続けている。






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