二週間後、太宰ははやる気持ちを抑えて福沢の家に来ていた。
 待ち合わせ場所につく前からどくどくと煩くなる胸。スキップなんてして踊り出しそうになるのを必死にこらえていた。にこにこと笑うつもりがなくとも笑顔になっていて隙ができていたのかナンパはいつもの倍された。それを福沢が止めに入ってきてくれたのだが、止めろと言って男の腕を掴む福沢の後ろ姿はいつもよりきらきらとして格好良く見えたのだった。見た瞬間に飛びつきたくなったのを抑えるのは大変だった。
 無事だったかと問いかけてきた福沢にまともに答えることもできずただ頷くだけだった。それを福沢は勘違いして福沢の家につくまでの間ぎゅっと肩を抱いて歩いてくれたのだが、それがもう何ともいえぬ心地で太宰の気持ちは昇天しそうだった。
 家についてから歩いている時よりも強く抱きしめられてすまなかったなと頭まで撫でてもらっている。とても心地よくて福沢の腕の中で太宰はこの人が私のものなのだと上機嫌であった。
 胸がずっとなっている。
 今すぐにでも告白してもっともっと自分のものにしなければそう考えて何を言うのかを家に来てからはずっと考えている。ちらりちらりと福沢を見れば。視線に気づいた福沢はもう大丈夫だからなと穏やかな微笑みを太宰に向けて、ゆっくり休んでくれとそう言ってくれる。
 本当に幸せな時間。
 この時間をもっとずっと感じるためにと太宰は口を開ける。言葉は何も出ていかなかった。好きだと言おうとそう思っていたのに、いざ言おうとすると頭の中が真っ白になって固まってしまう。
 ぱくぱくと口だけ開く。気付いた福沢がどうしたと心配そうに見てきて、それからおでこを太宰のものと合わせていた。熱はないなと離れていく。
 ぎゅうと心臓が搾り上げられる。
 言葉が浮かばない。気持ちだけが流行ってついに太宰は動いていた。福沢の肩に手を置き、その体を押し倒す。重い筈の福沢の体は意外なほど簡単に倒れていた。
 銀灰の目が瞬きをして太宰を見る
 どうしたと少し驚いたような声が太宰に問いかけた。何かあったかとそう聞いてくる福沢を太宰は見下ろす。この後どうしていいのかが分からなくなっていた。
 男に抱かれていたことが太宰にはある。それはこのような体になる前からで体を使ってうまいこと交渉を進める術を磨いてきた。だからどうやればそのきがないものをその気にさせるかもすべて把握しているのだが、今はそれが頭の中から消え去っていた。
 次に何をすればいいのか考えても何も浮かばない中で太宰はとにかく福沢の瞳を見た。
 顔を近づけて福沢を見つめる。口づけてしまいそうな距離だったが口づけていいのか分からずそれ以上は近付くことはできなかった。ぎゅっと福沢に体を寄せながら福沢だけを見る。今すぐにでも福沢が欲しいとそう思うけど、どうやってそれを言葉にしていいのかが出てこない。
 屑な男たちを落としたことはそれこそ星の数ほどあるけど、大体太宰が何も言わなくても白い肌を見せ少し近付けば勝手にその気になって自分から動いてきたからこういう時どうアピールしていいのかが頭の中から飛んでいた。
 どうにか気持ちが伝わって欲しいと熱い眼差しで見つめる。
 福沢さんと福沢の名前を呼んだ。それ以外言えることはなく口を閉ざしてみる。熱い吐息がわずかな隙間から出ていた。もっと近づきたいと思って体を寄せる。
 互いの鼓動が触れあいそうな距離だった。
 ここまで密着したら後はすることなんて一つしかないだろう。きっとそうなる。福沢もまたその手を伸ばしてくれると太宰は思ったがそれは間違いであった。
 弱い力だったが、確実に押し返されたのだった。
 待ってと言って押し返され、太宰の目は点となって福沢を見た。どうしてとそんな言葉が出ていく。なんでと福沢を見つめる先で福沢はこういう事は簡単にするものではないと太宰の頭をなでていた。何かあったかと微笑んで見つめてくる。何かあったのならいつでも頼ってくれそう言う声は優しい。
 ただそこにいつもなら見える欲のようなものはなかった。
 大丈夫かとただそんな声をかけられて太宰は信じられない思いで福沢を見つめた。口を開くが驚きすぎて言葉は出ていかない。そんな太宰の頭を福沢はただ優しく撫でていく。
 起き上がり胸もとに太宰を抱き込んでそれで福沢は言った。
 大丈夫私はここにいるからと。
 何が何だか分からなくて太宰は目を回した。


 真っ直ぐに相手を見つめる。相手の目が己を見て、何かしらの反応を見せたところで口角を上げ微笑み、蜂蜜を垂らすようにトロリと欲を混ぜる。少し口を開いて甘く息を吐きだす。赤い唇の隙間から、さらに赤い舌をのぞかせて、
 相手にゆっくりと近づき、肩を押す。
 名前を呼べば……


 いちころの筈なのだがどうにもうまくいかなかった。
 福沢の腕の中に閉じ込められ、頭を撫でられている太宰は理解できない事態に首をひねっている。
 どうしてと腕の中から福沢を見つめるが、彼は優しい目をして太宰を見ているだけである。



 はあああと太宰からため息が出ていく。
 その目は目の前の書類を見ているようで見ていなくてずっと福沢について考えていた。福沢が太宰の事を好きと知ってからというもの、太宰は福沢に会いに行く度、抱かれようといろんなアプローチをしていた。福沢が手を出してくるように露骨に誘っている。
 だと言うのに福沢が太宰に手を出してきたことはない。いつもその逞しい胸元に抱きしめられて子供のように頭を撫でられるのだ。
 好きだと言うのが間違っていたのかと考えたこともあるが、福沢は確かに太宰の事を好きだと言っていた。それに太宰の事を見つめてくる福沢の目は今では分かりやすいほどに太宰への愛おしさを語っていた。
 好きでないはずだない。
 それならば普通は抱いてくるはずだ。男とはそう言うものであることを太宰はよく知っている。そう言うものであるからこそ抱かれたい。なのに福沢はどうしてかそうしない。
 太宰には理解できない行為でずっとそのことについて頭を悩ませていた。
 最近では今日のように仕事の日ですらその事を考えて手がつかなくなる。どうしてだろうと再び深いため息を吐きだしていた。
「だーーー、ざい」
 そんな太宰の肩を叩く人物が一人。
 肩を叩かれた太宰はふっと我に返って顔を上げた。後ろを見ればじっと見下ろしてくる与謝野の姿。声は軽いものであったが、与謝野の目はそんな目ではなかった。恐ろしいほどに真剣に太宰を見てきている。
「何かあったのかい」
「否、別に何もないですよ」
「嘘は良いんだよ。何があった」
 問いかけは太宰が笑った瞬間問いかけではなく尋問になっていた。与謝野の手が太宰の肩に置かれている。華奢な女の手だ。なのに与謝野の手は力強くて無理矢理引き出すのは腕がおれうであった。
 何にもないんですけどと苦笑する太宰を与謝野は上からじっと見ている。
 嘘は良いともう一度言っていた。
「どうして嘘だと思うんですか」
「あんたの今までの姿を見てそう思わない奴なんていないんだよ。いいから大人しく白状しな」
 与謝野の目はぎらついている。どう足掻いたところで返さないとそう言ってくる目。はあと太宰からはまた一つため息が出ていた。
「ちょっとした仕事の悩みですよ。誰かに頼るほどのことでもない自分でどうにかできることですからお気になさらず」
「だから嘘は良いんだって。社長がかかわっているんだろう」
 にっこりと太宰は完ぺきな笑みを作った。だけどそれも切り捨てられる。切り捨てられた太宰はその目を一瞬だけ大きくした後、だからかと納得もしていた。与謝野が自分のことを気にしてくるのが不思議だったのだが、福沢が関わっていると分かっているのなら話は早かった。
 与謝野にとって福沢は恩人のような存在であり、父のような存在でもある。
 そんな人について太宰のようなものが悩んでいると言うのが気にくわないのだろう。
「あんた最近社長を見ていることが多いからね。すぐわかったよ」
 与謝野の言葉にそうだっただろうかと考えて、そうだったかもしれないと頷く。福沢のことばかり考えていたから、つい見てしまっていたのだろう
「で、なんでなんだい」
 与謝野がじっと太宰を見てくる。
 太宰はそんな与謝野ではなく福沢のことを思い出していた。好きだと頬を赤らめていっていた姿。優しく頭を撫でてくる手。太宰の女の時の名前を呼ぶ声。ぎゅっと抱きしめてくる腕の強さ。待ち合わせについた時微笑む顔。
 どれもこれも太宰を好きとそう言っているものだ。
 なのに手を出してくることだけはない
「……社長に好きな人ができたそうなのですが、」
 社長は手を出さないみたいなんですよね。と押し倒した体を反転し、抱きしめてくるだけの福沢を思い出し口にしようとした太宰はその途中で言葉を止めていた。あっと声が出ていく。与謝野の目が大きく見開いていた。
 間違いましたと言おうとしたものの太宰は口を閉ざす。
 言葉自体は何も間違ってはいない。
 何よりもう手遅れだった。
 与謝野の目はらんらんと輝いており、それは社長に聞いたのかいとそう言っていた。こくりと太宰は頷く。よしわかったと。何がわかったのか分からないことを言って与謝野は社長室の扉へと向かっていた。

 やってしまったなと太宰は与謝野を見送った。


 それから数時間後太宰は福沢に呼び出されていた。
 叱られると思ったのだが、険しい顔をした福沢はだけど怒ることはなくどうしたのだとそう聞いてきていた。優しい眼ではないものの心配している目ではあった。
 太宰はその目を向けられながら謝っていた。
「社長の秘密を口にして本当に申し訳ありません」
「それはもういい。それよりどうした。何かあったか。疲れているのか。ひろうがたまっているのなら少し休むか」
 福沢は太宰の謝罪に眉を寄せて言葉を重ねていた。重ねられる言葉に太宰派そんな事ありませんよ。大丈夫ですと首を振るものの福沢の目はじっと太宰を見てきていた。
「お前は……簡単に私の秘密をばらすようなことはしないだろう。国木田とかならばおふざけであるだろうが、それだってお前なりに考えている。こう言ったことにまでは口出ししてこないはずだ。
 それがどうしてだ」
 真っ直ぐに見つめられ太宰は目を泳がせることとなってしまう。女の時に向けられる目と重なるが圧倒的に違う。でもやっぱり似ている。そのと太宰からは小さな声が出ていく。
「私にも好きな人がいるので、付き合うとはどういう感じなのか気になってしまって」
 何とかその口からは言葉が出ていた。これならと福沢を見つめる先、福沢の目は大きくなり太宰を呆然と見降ろしている。好きな人と鸚鵡返しのように呟いていた。はいと頷く。
「お前が……。
 だが私の事は参考にはならんよ。私はまだ付き合っていないし、これから先、付き合えるかも分からないからな」
 ふっと福沢は寂しそうに口角を上げる。それを見て太宰はどうしてですかと聞いていた。
「社長ほどの人なら好きですと一言いえば付き合ってもらえそうですけど。なのに何で」
「……そうだな。だからかな」
 太宰の首は演技でもなんでもなく傾いていた。だからと言った福沢がわからずに大きな目が見上げる中、福沢もまた太宰を静かに見下ろして、そして、一つ聞いてもいいかとそう言っていた。
「お前はもし、お前のことを好いてくれている者がいるとして、その者と性行為を望んだりするか。
 その相手のことをお前は好いてなくてもだ」
 太宰の目がこれまた演技でなく瞬いて、自然と首の傾きも深まっていく。はあと覇気のない声が出ていた。
「まあどんな人かにもよりますが……。それが私にとって都合のいい人であれば眠ることもあるかもしれませんね。
 だって人間は所詮欲の生き物でしょう。気持ちよくさせる自信はあるのでそのテクでさらに私に惚れさせて私から離れられなくします。人にもよりますが責任感を感じて自分から離れられなくなる人もいますしね」
 分からないながら太宰は答える。笑顔を浮かべた。福沢の目が見開いて、それから、そういう事かとそんな事を呟いていた。




 それから数日後、太宰はまた福沢の腕の中に閉じ込められていた。
 閉じ込めた福沢は太宰の名前を呼ぶ。
「私はお前を抱いたりはしないよ。だってお前はまだ私の事を好きではないだろう。本当の意味で好かれてないのであればそういう事はしない。それはお前を傷つける行為になるからだ。
 でもその代わり分かって欲しい。そんな事をしなくとも私はお前の傍から離れたりしない。お前が私を嫌がらない限り、お前が会いに来てくれる限りはずっとお前の傍にいる。
 だから安心して今は私の腕の中にいてほしい」
 その目はどこか悲し気に細められながら太宰に向けて言葉を告げる。その言葉を聞いて太宰は大きく瞳を震わせていた。ぎゅっと抱きしめてくる力はとても強いものだ


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