「131−73=58。これも正解と。うん。全問正解で満点だね。どうする。もう一回テストするかい。妾としてはそろそろ休憩すべきじゃないかと思うけど、あんたがやりたいのならあんたの意思に任せるよ」
 ペンを握り締めた子供がじっと与謝野を見上げた。その唇は小さくとがっており、困ったように目はあたりを彷徨った。どうしたい。そう与謝野が問いかけるが与謝野はすぐには答えなかった。
 あたりを何度も見ては与謝野を見上げる。その間、敦や鏡花も谷崎や事務員達にも目を向けていたが、全員そ知らぬふりをして仕事をしていた。
 目が合うことはない。
 ペンを持つ手が動いて、じっと与謝野を見る。与謝野はもう一度どうすると聞く。あたりを子供の目がさまよい、そうした後子供はもう一回するとそう答えていた。太宰が子供の頭を撫でていく。
「じゃあ、それが終わったら今度は休憩にしよう丁度おやつの時間だ。美味しいのあるよ」
 与謝野が笑う。子供はほっとしたように吐息を吐いてペンを握り締めていた。子供が探偵社にやってきてから二週間余り。
 子供が話せない事が分かったのは五日ほど前だったが子供は驚くほどのスピードで知識を吸収していた。もう日常会話なら支障なく行える。最初はもうこれでいいかと思っていたが、子供がどうにも勉強が好きだと分かったので勉強会は今も続いていた。
 探偵社の中で相手ができるものがしている形だが、与謝野や国木田、谷崎であることが多かった。敦と賢治は教えるのが下手で、鏡花はなんやかんや世話を焼こうとしても二人で無言になることが多かったからだ。
 太宰は当然の如く参加しないし、乱歩もまた参加することはなかった。君達でどうにかしてよと太宰ほど拒絶することはないが、あまり積極的に絡んでくることもなかった。時折気まぐれのように子供と話すが、一言二言話すだけですぐによそに行ってしまうようなそんな感じだった。
 子供自身も乱尾のことを苦手に思っているようなそぶりがあった。乱歩さんがあんな態度だからねと周りはあまり気にしていない。太宰に関しては子供からは関わろうとすることもなく、むしろどことなく避けている様子があった。
 気にするところはあるものの今は基本的にはうまく回っている。与謝野からもらったプリントを解いていた子供が顔を上げた。問題は全て終わっていて、終わったよと子供がそう言う。早いねと与謝野は子供の頭を撫でて胃プリントを見ていく。
 赤ペンで丸を付けているが、すべてまるで埋まっていく。
「また満点だ。引き算は完ぺきだね。次からは掛け算や割り算をやってみようか。このペースじゃ、あっという間に中学の範囲になりそうだけど、国木田のやついつまで数学は嫌だと言う気かね」
 ペンを置いた与謝野がまた子供の頭を撫でていく。その後呆れたようにためいきをついていた。きょとんと子供の首が傾いて与謝野を見上げた。
「国木田さんって算数教えるの旨いんですか」
「うまいって言うか彼奴は元教師で、いうなれば算数のことを教えるのが仕事のプロだったんだよ」
「……そうだったんだ。……僕に教えるの嫌なんですか」
「嫌ってわけじゃないよ。ただろくな事思い出さんからできればやりたくないって。まああいつ肌に合わんからって教師止めたみたいだからね」
 へえと子供が与謝野を見上げていた。そうなんですねと言う声はまだ何かを考えているような声であった。しばらくして子供はその顔を上げていた。にこりと笑い、勉強終了ですねと机の上のものを片付けていく。動く子供を与謝野はいい子だねとまた頭をなでていた。
 周りで仕事をしていたみんなも立ち上がっておやつの準備をし始める。
 元から何かしらのおやつを取ることが多かった探偵社は子供が来てからと云う者毎日その場にいるみんなでおやつをとるようになっていた。応接室に人がいなければそこに椅子を出してみんなで座って食べる。わいわいといろんな話を子供に振りながら食べていくのに、子供はいちいち驚いて不思議そうにしてみんなを見ていた。触れる話はたいてい答えるが、中には答えないものもあった。
 どうしようもないほど興味のわかない話だ。そう言う話には困ったように周りを見ながらも口を閉ざすので周りはそれで子供の情報を把握していた。興味がないもの以外は子供の反応は大体一緒だ。変わりがないものである。
 唯一違うのは太宰の話か。あまりしないようにしている話だが、太宰に関しては興味がないわけではなさそうだが、とくに話したいわけでもなく不思議な反応を見せる。
 二人の間をどうすればいいのか探偵社の者たちはまだ分からないでいた。
 


 ごちそうさまでした。
 たくさんの話をしておやつのz感が終われば子供は一度お昼寝の時間に入る。姿から考えられる年齢ではもうお昼寝は必要なさそうだが、子供はどうにも疲れやすいのか昼頃になると眠くなる傾向があった。うとうととし出すのに、いつのころからか決まって昼寝をするようになっていた。
 昼寝をする場所は決まっていて、医務室のベッドであった。そこに行く子供を見届けあと、敦がはあと肩の力を抜いていた。
 いつも通りでいようと思うが、子供といる時間はやたらと気の張る者であった。子供はあまり感情が豊かとは言えなくて今何を考えているのか、どう思っているのかを考えるのが大変だったのだ。鏡花にも似たような者はあるが、彼女は仲間として培ってきた時間もあってまだ分かりやすい。が子供にはそれもないうえ、何かが普通と違っていてどうにも読みづらかった。
 子供がいた席をぼんやりと見ながら、敦はにしてもと声を出していた。
「あの子本当に太宰さんの子供じゃないんでしょうか」
 ぼそりと呟く。それに周りにいた与謝野や谷崎が敦を見て、あーーと声を出していた。
「世の中にでるような奴はいくらでもいるとはいえ……、あれだけ頭の周りがいいもんね。そりゃあ疑うよ。教えることすぐに飲み込んで教えてないようなことまで当ててくるんだよね。正直怖くなる」
「……でも太宰さんは子供じゃないって言っているんですよね」
「まあね」
「もし太宰さんの子供だったとして親は誰なんでしょうね。なにかあんまり想像できなくて」
「あーー。それはね」


 ぼそぼそと聞こえてくる声だ。太宰はそれを扉越しに聞いていた。
 その手はだらりと垂れ下がり、与謝野は扉にくっつけられていた。はあとでていく吐息。ゆっくりと開く褪せた目。
 もういいかと呟いてその足は扉からは離れていた。そのまま遠ざかろうとした。。だがその足が止まる。太宰の目が前を見てそれからゆっくり微笑んでいた。
「お久しぶりです。社長」
 穏やかな声。太宰の目の前には福沢が立っていた。じっとその銀灰の目は太宰を見つめている。ああと一つ頷いて、それから太宰の背にしていた扉を見た。
「入らなくていいのか」
「ええ、用事は終わりましたから」
 太宰が笑う。福沢はその笑みを見てまた一つそうかと頷いていた。それないいかと言いつつドアを見る。太宰は一度も空けなかった扉を見た。
「みんなは元気にしているか」
「何故そんなことを聞くのです。ご自身が確かめたらいいじゃないですか」
「それはそうなのだが、」
 福沢の問いかけ、太宰は疑問に思うようなそぶりはせず、ただ静かに問い直していた。福沢の口元が小さく噛みしめられる。その瞳が少しだけ彷徨い、それでも太宰を見た。
 強い力でじっと睨みつけるような、真っ直ぐに見つめてくるその目を前にして、太宰は一度その顔から笑みを消していた。ふうと口からでていく吐息。
「みんな元気ですよ。あの子供を幸せにやっているみたいですよ。みんなまだ疑っているみたいで。
 困りますよねと太宰が悪う。福沢の目はじっと見ている。そうかと言いつつ福沢は太宰に問いかけていた。
「本当にお前の子供ではないのか」
 静かに見つめる。太宰の笑みが消えていた。でもそれを一瞬のことでまたすぐ笑みをうかべる。ふわりと口元に妖艶な笑み。そう思いながら手は口元にあがりしくしくと声を出す。
「悲しいです。社長は信じてくれたものだと思っていたのに、疑うなんて
 どうして私の事を信じてくれないのですか。本当に私はあの子供の親などではないのに、あの子供は私とは……
 私の子供ではないのに」

 おいおいとしまいには両手で顔を覆って泣くぞぶりをする太宰。一回り言い終えると両手の隙間からちらりと福沢の様子を見ていた。福沢は太宰の鳴きまねにもうろたえることなくじっと太宰を見ており、そしてすまぬなと太宰に謝っていた。
「失礼なことを言ってしまった。おまえがそう言うならそうなのだろう。すまぬな。お前を疑ってはいなかったが確認しておきたかっただけだ」
 太宰の口元の笑みが奇妙な形で歪んでいた。そうですか。そう言いながら太宰は歩き始める。福沢を追い越していくのだ。福沢は何も言わずみる。ああ、そうだと途中で太宰が立ち止まっていた。
「あの子が手に余ったらいつでも捨ててくれていいですからね。何も探偵社がずっと面倒を見続けるなら必要はないんですから、そこは忘れては駄目ですよ」
 にっこりと太宰はそんなことを口にする。聞いていた福沢はそれにも何も言わなかった。だが終わり際太宰と太宰の名前を呼んでいた。
 何ですと太宰が微笑む。
「久しぶりに私の家に来ないか。たまにはお前ものんびり過ごしたいだろう」
「……行きませんよ。だって社長。あの子の事よく招いているのでしょう。他の者に奪われた場所など行きたくないですよ」
 福沢の口元が苦い形を作る。そうかという口は太宰を見てゆがめられていた。


 その日の夜、福沢は子供を連れて自分の家に帰っていた。畳の上に座る子供は大人しく本を読んでいる。言葉とともに読み書きも覚えた子供は福沢の家、その書斎に昔からあるような、福沢も呼んでいないような本を読んで過ごすのが好きなようだった。福沢の家に来たら必ずそうしている。
 そんな子供の傍で福沢もまた静かに何かを考えこんでいるようであった。
 その手の中には何かの資料が一つ握りしめられている。じっとそれを読み更けている様子であったが、ううと一つ息をつくとその資料を床に置いていた。
「……おさむか」
 誰かに聞かせるつもりなどはなくただ一つ声が落ちていく。だがその声は聞こえており、本を読んでいた子供が顔を上げていた。じっと見上げる子供。自薦に気付き福沢はそちらを見た。何でもないとそう言いながらも子供と子供が読んでいた本を見る。面白いかと聞けば子供は少しだけ迷い、それから頷いていた。うんと小さく動く頭を福沢の手が撫でていく。
 子供の俯いた眼が福沢が読んでいた資料を見る。じっと子どもの目がそれを見るのを福沢も気づいて見ていた。
「見るか」
 声をかければ子供は驚いた顔をして見上げる。いいのと聞く声は少しばかり掠れていた。良いよとそう福沢が答える。ほらと手渡す資料を子供は恐る恐る受け取り、そして福沢を見上げてくる。いいよと福沢はもう一度そう言っていた。
「どうせもうお前は分かっているのだろう」
 静かに褪せた目は見開いていた。そして静かに首を振るのだった。
「うん」





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