あなたへ贈る
何でも大丈夫な方だけ読んでください
サンタさんですか?
幼い声が問いかけてきた。その問いに咄嗟に言葉を返すことができなかった。何を言われたのか分からず固まるのに声はまたサンタさんですか? と同じ問いを繰り返す。そして。小さな口がその口には似合わない言葉を紡ぐ。
「サンタはいるよ。当たり前じゃないか」
じっと見つめてくる三対の目に太宰は何を当然なことをとやれやれと首を振りながら答えた。
「でも僕のところ来たことありませんよ」
「僕もです」
「私は……昔は来てくれたけどでももう来ない」
三人が信じられないと疑惑の目を向ける。敦や鏡花にならばそれなりに向けられることのある目だが賢治から向けられることはあまりないその目に新鮮だなーと呑気に太宰は考える。彼には嘘をついたつもりは欠片もなかった。
「うーーん。いいこじゃなかったからじゃないかな? その証拠に私にはちゃんと毎年サンタさん来てくれるからね。今年は何を頼もうか。最近はそればかり考えているのだよ」
「えっ!?」
太宰を疑いの眼差しで見つめていた敦から驚きやそれ以外の何かが込められた声が上がった。信じられないと太宰を見つめる目は先程のものと少し変わっている。他二人は信じてしまったのかしょぼーんと落ち込んでいるがその姿は敦には写らなかった。
「え? サンタさん来てくれるってプレゼント貰っているんですか」
「そうだよ」
「で、でもサンタがプレゼントくれるのって子供だけなんじゃ」
「何を言っているのだい。敦くん。私はまだまだ子供じゃないか」
「えぇ」
そんな馬鹿な。二十二歳ですよね、太宰さん。そういうはずの言葉はにっこりと笑みを浮かべ見つめてくる太宰の前に消えた
「本当にサンタさんからプレゼント貰ってるんですか」
「そうだよ」
「何をもらったんですか?」
敦の言葉に落ち込んでいた二人も反応して興味津々とばかりに目を大きくさせて太宰を見る。サンタが何をくれるのかにも興味があるが、太宰が欲しがるようなものが何かにも興味があった。
「うーーん。何って……、色色貰ったからな。本だとか万年筆だとか…、スタンガンや催涙スプレーも貰ったしお金や仕事探してた年は探偵社の紹介状を貰ったりもしたしな。あ、そうだ! 乱歩兄さんや国木田くんなんかもサンタさんから貰ったんだよ!!」
「へ?」
目が点になった。最初の方は在り来たりなクリスマスでなくともプレゼントされそうなものをあげていたが、途中から可笑しくなり最後は絶対にプレゼントでもらうものではなくなっていた。太宰を見ていた目が思わず国木田や乱歩を見る。その二人、だけでなく周りは全員呆れたような顔をして太宰たちを見ていた。何人かが頭を抱えている。えっと敦は首を傾ける。
その横で賢治と太宰が話を続けていた
「国木田さんや乱歩さんをもらったんですか!」
「そうだよ。お兄さんが欲しいって紙に書いたらクリスマスの日に乱歩さんが来てくれて、友達が欲しいって書いたら同じく国木田君が来てくれたんだ! サンタさんが私にクリスマスプレゼントでくれたのだよ」
「へぇ。サンタさんって凄いんですね! 人もプレゼントできるなんて!」
「そうだよね」
ふわふわとした空気が漂うのにえええと敦はさらに混乱する。そんなのでいいの。絶対嘘だよと思うもののどうにも引っ掛かるのは太宰の姿。何時ものように嘘をついてからかっているようにもみえないのだ。
「サンタからのプレゼントなら二人はサンタの正体を知っているの」
鏡花が問い掛けた。あっと言う声が敦からあがる。確かにと二人を見て太宰を見る。二人は顔を覆っていたが太宰は笑みを浮かべていた。
「そう思って聞いてみたのだけど二人も知らないのだそうだよ。サンタさんは不思議な人だから仕方ないね。でも二人が私のプレゼントであることは変わりないんだ。素敵なプレゼントでしょ」
ふふと太宰が嬉しそうに笑う。そうですねと明るく笑う賢治にキラキラとした目をして頷く鏡花。えぇと敦からは奇妙な声が落ちた。
「もう信じてないね。敦君は。
今に見ているといいよ。今年は今までで一番良いものを頼むつもりだからさ」
それって……。声をあげるのに太宰はニヤリと笑って立ち上がった。
「さて、それは見てからのお楽しみ。
私はこれから仕事をしてくるからお話はここまでだ」
「だ、太宰さんが仕事!!」
「私だってちゃんと仕事するのだよ。敦君は知らないのかい? いい子にしてないとサンタさんは来てくれないのだよ。今年も来てもらうためにいい子にしないとね」
……それは今からいい子にしても遅いのでは? むしろ子ではすでにないだろうと思うのにそう言えばここ最近は国木田の怒声を聞いていなかったことを思い出した。なるほどと思いながら出掛けていく太宰を見送る。
上機嫌なその様子を完全に見送った敦はくるりと後ろに向き直りそれでどう言うことなんですかとぐったりとしている国木田たちに問い掛けた。
「あれって太宰さんの嘘とかじゃないですよね」
「まあね……。太宰の嘘ではないのかな。むしろ太宰は嘘つかれてる方って言うか……。いや、嘘って訳でもないんだけどさ」
「? どう言うことですか?」
首が傾く。あーーと云いづらそうな声が乱歩からでるのに賢治や鏡花も乱歩を見ていた。
「サンタさんはいないんですか?」
「プレゼントだって……」
「まあ、プレゼントはプレゼントだよ。僕と国木田がクリスマスのプレゼントに太宰に与えられたのは本当。ただそれを与えたのはサンタクロースとかってやつではないよ。まあ、サンタと言えばサンタなんだろうけどさ」
大量のはてなが三人の間に舞う。どう言うことだと要領をえない話に思うのにはぁと国木田が盛大なため息をついた。眉間に大きな皺を作る。
「あいつの言うサンタさんは社長のことだ」
「へ?」
くそっと何かを恨むように悪態をつく国木田。はぁあと乱歩がため息をついていた。別に良いんだけどさ、別に。可愛い弟だと思ってるし良いんだけどねとぶつぶつと何かを言っている。
だがそんな二人の様子を気にすることはできなかった。それよりも言われた言葉に驚き目を見開いている。
「社長!? ……そう言えば僕あったことないんですがサンタだったんですか……」
「私もあったことない」
「僕は一度会いましたが……あの人が」
信じられないと敦がうろんげな目をするのに対して賢治等は感心した声をあげていた。太宰のねと乱歩が強めの口調で口にする。
「社長は太宰のこともあって今は人目に出ないようにしているからな」
「へ? 太宰さんのこと」
「でたら太宰にサンタの正体がばれるからね。社長はあいつに夢を見させておきたいんだよ」
「夢?」
首が傾く。どういうことだと見つめてくる目にまた乱歩がため息をつく。
「ああ、下らない夢だよ。昔のあいつには必要だったかもしれない。だけど今のあいつには必要がない。本当に下らない夢だ」
サンタさん、いつこなくなるかな
弱々しい声が脳裏に浮かんだのに同時に国木田と乱歩は顔をしかめた。もうあんな顔をすることはないだろうにいつまでもその顔が件の人には思い浮かんでいるんだろう。
***
「サンタさんですか?」
ぽたぽたとぬめついた液体が落ちていく。鼻につく鉄臭い匂い。肌にまとわりつく着物。
視界の全てが真っ赤に染まっているような感覚。
何処を歩いても死体だらけ。そんな場所で聞こえた声は言葉だけはとても無邪気なものだった。その場所に似つかわしくないほど無邪気な言葉。
だけどそうは思えなくなるほど言葉にした声は暗く重たい色をしていた。
そこはとある犯罪組織のアジトだった。横濱処か日本すらも破壊しようと企んでいた組織。彼らによって先日大量殺戮事件が起きた。あの夏目ですらその事件は予知できなかった。多くの犠牲者が出たのにすぐにでも消さねばならぬと福沢と森に彼らを壊滅させる命がくだった。
骨が折れるかと思った仕事は意外な程にあっさりと終わって拍子抜けどころではなかった。何か裏があるのではとアジトにいた全員がこと切れた後福沢と森は二手に別れてアジトの中をもう一度調べ直すことにした。何かあるのではと。
周りを見渡しながら歩いていた福沢は聞こえてきた声に足を止めた。辺りを見渡すがそこには誰もいない。刀にてをかけながら近くにある部屋の扉を一つずつ開けていく。すべて見終えたが何処にも人はいなかった。
「ここだよ」
こんこんと人の声と共に壁を叩く音がした。音がした壁の近くに立つ。扉から少し離れた辺り。先程見た部屋の大きさを思い出し廊下の長さと比べる。
「隠し扉か」
だとしたらどこかに開けるための仕掛けか何かが……。
壁を探っていた手が切れ目のようなものに引っ掛かる。強く押してみるとがっこと壁が外れた。できた隙間。それ以上は進まなくなるのに横にずらしてみると開いていく。
最初誰もいないように見えた。視界の中には何も収まらなかったから。だが横を見渡してから下に目を向けると人の姿が入り込む。福沢が予想していたのよりもずっと小さな人の姿が。
褪赭の瞳と目があった。その瞳が福沢を見上げる。福沢の目は驚きで見開いていた。
目の前にいる相手の背は小さい。福沢の腰までもなくいっても10かそこらにしかみえない。まだほんの子供……。だが驚いたのはそのことだけではなかった。それよりも子供の周りの異様な状況にこそ驚いた。
子供の体は傷だらけだった。おびただしい程の数の傷。死んでいないのが不思議なほど、傷がない場所がないのではないかという程傷だらけな子供。その首には大きな鎖がかけられていて鎖は天井に繋がっている。両手両足には稼がさ嵌められそれは鎖で壁に繋がれていた。部屋のなかは紙がいくつも散らばっていて紙には何かがびっしりとかかれている。それを持ち上げた福沢は中身を見て固まる。歪な字で書かれたそれは横濱を燃やす計画書だった。他のものもどれもにたようなものばかり。紙に目が行くのにねえと子供が声をあげた。サンタさんなのと福沢にとう。
はっと声が出た
「今日ねそんな話をしているの聞いたの。サンタさんは赤い格好をしていて子供の望みを叶えてくれる存在だって」
子供の目が福沢の姿を上から下まで見下ろす。赤いねと子供が口にする通り今の福沢は返り血にまみれてそのほとんどが赤に染まっている。サンタさんだと子供は言う。その口許がゆっくりと上がった。
福沢が見下ろす前で子供はその幼さに見会わぬ言葉を口にする
「ねえ、サンタさん。僕の望み叶えてくれますか。
僕ね、死にたいんです」
ずっと刀の塚に置かれたままだった手が震えて音をたてた。
子供の目は福沢と目があったときから変わらない色をしている。変わることなく光を通さないくらい目を。
「とても死にたいんです」
色のない声が言葉を口にする。口元や目は笑みの形をしているが笑っているとはとても思えない顔。
「そしたらきっとこのなにもない虚無から解放されるから。ねえ、サンタさん。僕を殺してください」
「私は……そのような願いは叶えぬ」
見上げてくる子供。子供の手が刀に伸びるのに福沢は思わず体を半身に退いてその手から逃げ出していた。子供を見つめる。真っ暗な目。その顔からは生気を感じとることができない。
ごくりと唾が飲み込まれる。
「そもそもサンタクロースは望みを叶える存在ではない。いい子にしているものにプレゼントを持ってくるだけだ」
「プレゼント?」
「贈り物だ。いい子にしていた子供に毎年贈り物を贈るそれだけの存在だ」
初めて聞いた言葉なのか子供は首を傾けた。言い方をかえても子供は分からないのかしばらく考え込んでいたがやがてひとつの事実は飲み込めたのかほぅと息を吐き出す。
「何だ……。そうなんだ……。何でも望みを叶えてくれるなら僕を殺してくれるかなって思ったのに……。そっか僕まだ死ねないんだ」
ぼそぼそと呟く声。子供の目が遠くを見る。ぼんやりとしていた子供は随分な時間がたってからまた福沢を見た。
「サンタさん」
「何だ」
呼ばれるのに答える。どうするべきか悩んでいた。
「なら死神はどうかな?」
「何を……」
子供が問いかけてくるのに福沢からは戸惑った声が上がる。子供が夢見るような顔をする。
「前に話を聞いたんだ。悪いことばかりしてたら死神がやって来て魂を食べちゃうんだって。死神なら僕を殺してくれるかな。凄い恐ろしい目に遭うんだって聞いたけど死ねるんならそれほど嬉しいこともないよね。
ねえ、死神の話は本当かな。またサンタさんみたいに嘘かな?」
語る声が僅かに弾んでいた。誰かに殺してほしいとただそれだけを望んで。
「僕たくさん悪いことしてるんだ。こないだなんかねどっかの倉庫からお金と人を殺す道具たくさん盗んだの。それで何十人も殺してね。明日はねそれ以上の数殺すんだよ。
だからきっとすぐ来てくれるよね」
子供が話す言葉を福沢は聞く。持っていた紙がぐしゃりと握り締められる。歪な字で書かれた紙。中には血が滲んでいるものもある。部屋の中を埋める紙。そのなかに立つ子供のすぐ傍には幾つものペンが転がっていて……。
福沢の仕事は組織の人間すべて殺すことだった。
生き残ったものが同じようなことを繰り返さぬように。残忍性や用意周到な手口を考えて夏目から命じられた。扉を見る。福沢は一人で開けたが普通であれば二人ぐらいは必要な程の重さがあった。子供一人の力では開けられないだろう。それに子供は鎖によって拘束されている。閉じ込められた子供。
それならば殺す必要はないのではないか。
思うがそれだけでないことを福沢は分かっている。夏目にすら気取らせなかった作戦を考えたのはこの子供だ。何のために閉じ込めているのかは分からないが組織の頭脳は子供でこの子供が消えなければ組織を潰した意味が半分にまで減る。この子供一人いれば同じことを繰り返すことがきっと可能だ。
殺すべきだ。
塚にかけられていた手が強く握り込む。だけど刀を鞘から出すことはできない。じっと子供を見つめる。
己に似合うのはサンタ等ではなく死神なのだろうなと思う。サンタは子供に夢を与えるんだよ。今日ここに来る前に聞いた言葉を思い出す。だから僕にも夢与えてよ。お菓子チョーダイと喚いた声。今日が丁度クリスマスの日。
子供に夢を与えるよりも、人を切る方が福沢は得意でそれであれば一瞬で終わらせる。だけど……
「来ぬよ」
福沢から音がこぼれる。長いこと考え絞り出した
「え?」
「お主のもとに死に神は来ぬ」
子供が福沢を見上げる。真っ黒な目に告げる。
「何でそういえるの? 来るよ。直ぐに来るよ」
子供はその日を心待にその日が来ることを信じて言葉を口にする。たくさん悪いことするんだ。沢山沢山死神がすぐに来てくれるよう沢山。子供が言う。この子供であれば福沢がさっても誰かがまたすぐにやってきて、そして今度こそ子供の望みを叶えるのだろう。
「こぬ。言っただろう。良い子のもとにプレゼントを届けるのがサンタだと」
それでも否定の言葉を口にする。
「?」
福沢が何を言いたいのか分からずに子供はまた首を傾ける。それがと聞いてくる声。褪赭の瞳を見つめる。サンタさんと呼んだ声を思い出した。サンタなど柄ではない。それでも
「私がここにいるのだ。お主のもとに死神は来ぬ」
「……どうして」
子供の声が震える
「どうしてサンタさんはここに来たの」
暗い目がゆらゆらと揺れた。
「お主にプレゼントを渡しに」
柄ではなくとも福沢はサンタになろうと決めた。この子供のサンタに。
「プレゼント?」
理解できなかった言葉をもう一度言われて子供は首を傾ける。大きな目が福沢を見る。
「そうだ。お前をここからだしてやろう」
「それがプレゼント?」
「ああ、ここからでて目を開けたらお前は別の場所にいる。そこにいる人がお主をこれから育ててくれるだろう」
ゆるりと子供が首を振る。いいよと口が音にならぬが動いていた。
「きっとお前が死を望まなくても良くなるような日々を与えてくれる」
「僕は」
「私はこれから毎年お前にプレゼントを贈りにこよう。お前が望むもの死以外であれば何でも一つ与えてやる。
お前がこれから何を望んでいくのか楽しみだ」
福沢が話す間子供はずっと首を振っていた。だから来ない。ずっと死神は来ない。言外に込めていた思いを子供は敏感に感じ取っていたのだろう。その顔が初めて泣き出しそうになった
「僕はそんなもの欲しくないよ。ただ僕は」
死にたいの小さな声が落ちる。
肩を震わせる子供を自分の選択は間違っているのかもしれないと思いながらも死なせたくないと福沢は思った。死なせないと決めた
暴れようとする子供を手刀で眠らせて福沢は森との集合場所に向かう。その場で福沢は子供を森に渡した。下手なものに渡すより子供の頭脳を考えたらそれが最適だろうと思ったから。
その翌年、その年を生きた子供から森を通して福沢に頼まれたのはサンタの着ていた羽織だった。赤く血濡れた羽織は捨てていたが似たようなものを子供に送った。送られたそれを見て子供は夢じゃなかったんだと呟いた。サンタはいるのだと。なら死神は、死神は己のもとに来てくれないと。その翌年子供は自殺することを覚えた。
それでも生きたそのつぎのクリスマス。前日に森を通して欲しいものが書かれた紙が送られてきた。書いていたのは兄弟という言葉。悩みに悩みながらも福沢は乱歩を子供のもとに送った。子供は本当に何でもくれるんだとやって来た乱歩の前で立ちすくんだ。そのつぎの年は友達。人はその二つで終わりだったがそれ以降も数年は無茶ぶりが続いた。
届く度に子供は肩を震わせ絶望した顔を浮かべていた。
福沢はその事を人伝に聞きながら子供の前には決してでないようにして子供を守っていた。
子供を狙う組織を潰し、浚おうとするものは子供の目につく前に撤退させ、子供が繰り返す自殺も何度か阻止した。
子供をいかしてきた。
それが子供にとっては地獄だったとしても
「前失礼しますね」
がたりと椅子を引く音とともに掛けられた声。かつてのことを思い出していた福沢はその音で我に返った。誰だと相手を視界に納める。その銀灰の目が見開いた。
「だ、」
太宰。出掛けた言葉。
福沢の目の前にいるのは彼が見守り続けた子供。太宰治その人だった。
「……誰だ。他に空いている席があるだろう」
咄嗟に出掛けた言葉を飲み込み突き放す言葉を告げる声は僅かに振るえていた。低くなるように努めたがそれは中途半端なもので。こんなものではばれてしまうと水の入った冷たいコップに手を伸ばした。
「相席は嫌いですか」
「……」
ふわりと太宰が笑う。森の元で幼い頃を育った彼は福沢が望んでいたのとは少し違う方向に成長してしまいその笑みの下、何を考えているのか読み解くことができない。店のなかを軽く見渡す。昼を少し過ぎた大衆食堂はピークも落ち着きちらほらと空いている席がある。わざわざ相席をする必要はない。
それなのにしてきたということは……福沢の正体を分かって。
微かに震えそうになる手。太宰の目が見えない。口元がゆったりと笑っているのだけが伺えた
「もうじきクリスマスですね。サンタに頼む欲しいものは決まりましたか?」
「そのようなものは信じていない」
紡がれた言葉に体が一瞬膠着する。すぐに声を出す。今度は低くなった。どうにか会話を早く終わらさなければ。だがもう遅いのか。こんな話をわざわざするということはやはりすべてわかってしまっているのか。
ぐるぐると言葉が回る。どうすればと思うのに太宰の細い指先がゆったりと組まれるのが見えた。
「おや、そうですか。私はねもう決めてますよ」
太宰の声が口にする。
ぴくりと眉が動いてしまった。太宰が決めたものというのが気になってしまう。今年は何を願うのか。思わず太宰を見る。正面から見る太宰の顔は美しかった。聞こえてきた声だって美しかった。太宰の声は高いようで低く耳に心地よい声をしている。何処もかしこもが美しい青年に育った。思い出してみれば初めて出会ったあの頃の太宰も美しい子供だった。ただその事に気付かないほどその目の暗さは異常で。太宰の目を福沢は見た。柔らかく細められた目。あんな暗い目はここ何年も見ていない。自殺は繰り返すものの福沢が助けねばならぬほどの事態も起きていない。
少しは苦しみは取り払われたのかそれとも……
「ずっとこれを頼もうと思っていたのです。もう何年も前からずっと」
見つめるのに太宰の口許の笑みが広がり、言葉を紡ぐ声も華やかなものになった。口にしながらその目が夢見るように細められる。死神なら来てくれるよねと口にしたあの日と同じような……。だけどその時の目より幾分か柔らかくそして悲しんでいるような。
ふと組まれた指が目に入った。それは僅かに震えていて。
「でもこれを頼んでしまったらサンタさんにまで見捨てられる気がして頼むことができなかったのです。それでもやっと決意が固まりました。見捨てられてもいいから頼もうと
本当は凄く嫌なんですけどそうしないと私の望みは叶わないから」
ぞくりと体が冷えた。何を頼む気なのか。殺してと口にした姿を思い出す。でもそれは与えぬと言ったはずで。何度めかのクリスマスに頼まれた時だってその時だけは違うものを与えた。だから違うはずだと己に言い聞かせる。
「なんだと思います」
「さあな」
柔らかな声が聞く。知りたいと思いながらも低い声を出して首を振る。気になどしていないという態度を作る。
ふふと太宰の口元が柔らかく微笑んでから固く結ばれた。褪赭の目がゆらゆらと揺れて福沢を見る。
「サンタさん」
美しい声が呼ばれたくない呼び方を口にする。福沢の目が見開く。やはりと思うのに太宰の目は伏せられて組まれた指は固く握りしめられていた。もう一度結ばれた口が綴じている糸を千切りながら開くように重く痛く開く。
「今年はね、サンタさんを頼もうと思うんです」
震えた声がそんなことを口にした。
口にされた言葉の意味が少しの間福沢には理解できずに太宰を見つめる。見つめる先で笑みの形を作っていた目が崩れる。
「サンタさんが欲しいんです。
ねえ、これが最後の贈り物でいいので貴方をくださいませんか。
福沢諭吉さん。貴方がサンタさんですよね」
***
「で、貴方はめでたく貰われてしまった訳ですね。ばっかじゃないですか!?」
「うるさいぞ森医師」
居酒屋で隣の席から聞こえた大声に福沢は眉を寄せる。もともとがやがやとうるさい場所ではあるとはいえ少しは音量を考えろと口にするのに誰のせいだと思っているのですかと睨み付けられる。そ知らぬ顔をするのに森が捲し立ててくる。
「何簡単に貰われているんですか!? それでその日の夜はあの子の家で過ごしたって完全にあんなことやこんなことされる展開じゃないですか。
貴方にそんな趣味があっただなんて知りませんでしたよ」
「そんなものはない。私は」
「私は何ですか」
じととした目が見てくるのに思わず福沢は言い返していた。聞かれるのに口を閉ざす。
「……」
思い浮かぶのは太宰の姿。幼い頃からずっと見守り続けた子供は美しく愛らしく成長して。その成長を見守っているうちに福沢にわいたのは庇護欲だけでなくもっと別の感情。
「あの子が喜んでくれるならそれで良かったとでも。そんなのでくれてやっても最後に傷つくのはあの子ですよ」
「そんなのじゃない。それに」
森の言葉に口を閉ざしてから言葉を出す。森の言葉は正しい。ただ二つほど間違っている。福沢の感情と……。
「それに何ですか」
「……それに」
紡ぐ言葉が震えた。言いたくない。言いたくないというよりは認めたくなかった。認めるもなにもそれしか事実はないのだけど
「それに……何にもなかった」
「はい?」
すっとんきょうな声が森から上がる。ぎりりと噛み締めた歯が音をたてた。
「だからお前が言うようなことは何もなかったんだ」
「はい? そんな馬鹿な。部屋にまでお持ち帰りされて朝帰りしたんでしょ。今もあの子の家で暮らしているんでしょ。それで何もないなんて」
低い声が出るのにそんな馬鹿なと森が語る。握りしめた手に赤い筋ができた
太宰は言葉を言ってすぐにその場を去ろうとした。返事はクリスマスの夜で良いですのでと言って。貴方が来てくれるかくれないかそれを答えにしますからと。
逃げようとするその手を掴んだ。
クリスマスにはまだ早い。それでも福沢は良いぞと言った。今年のクリスマスに私をやろう。まだ早いが今からだってお前のものになってやると。褪赭の目が揺れて潤み涙を浮かべた。
本当ですかと聞いた震えた声。本当だと答えれば太宰は嬉しげに笑いじゃあ、私の家に来てくださいますかと口にして来て……。その言葉に正直な話、福沢も森が言ったような事を予想した。普通に考えてそれしかないだろうと思っていた。自分の望みとは少し変わってしまうがそれでも太宰が手にはいるならと太宰の家に招かれた福沢。
だが太宰は家にいる福沢を前に子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「うふ。うふふ。どうしましょう。夢みたいです。サンタさんが家にいるなんて。招いてしまったのは良いですが何をしていいか分かりませんね。
サンタさんは何かやりたいのとありますか」
「私はお前が望むことであればなんでも」
その笑みにも言葉にもなんの下心も感じることができず戸惑いながら福沢は口にする。きょとんと太宰の首が傾く。本当になにも考えていなかったのか唇を尖らせてうんうんと唸る。
「私が望むことですか? でも私、サンタさんがここにいてくださるだけでもう満足なんですよね。他にやりたいことなんて……あ、そうだ」
ぱあと輝いた顔。何を言うのかと息をのみ込む。
「では添い寝してください」
きらきらとした笑顔で太宰は言った。
「添い寝か」
「はい! 前に鏡花ちゃんが敦君にしてもらったって言っていて凄く羨ましかったんです! 私もサンタさんにしてもらいたいな」
やはり予想していた展開になるのかとホッとし、僅かに期待した福沢だがそれはまたしても裏切られた。太宰の言葉にうん? と首が傾く。
「敦と鏡花?」
「はい」
直接あったことはないものの二人のことはよく知っている。まだまだそういう関係になるには早い二人。二人ともそういったことはまだ知らないだろう。
「……添い寝とは具体的にどういう」
動揺が僅かに声にでる。太宰の首が福沢と同じように傾いた。
「? 具体的とは……一緒に眠ることではないのですか?」
「眠るそれだけか」
「それだけですけど……?」
「なんにもない」
純粋無垢な眼差しが福沢を見る。そんな馬鹿なと思うものの太宰が言ったのは福沢が予想していたものとは大きく違っていて、酷く自分が汚らわしい存在に思えた。
「嫌でしたか」
「嫌ではない」
不安そうに問いかけてくるのに答えてやればホッとしたように息を吐きではと敷かれたままの布団を指差した
「なら、こちらに布団はありますから。あ、少し汚れているんですが気にしないでくれますか」
福沢の眉間にしわができる。太宰の布団は埃やら何やらで汚れている。部屋もゴミなどが置きっぱなしにされていて綺麗と言えないどころか福沢でさえ汚いと口にしてしまいそうだった。困ったような笑みを太宰が浮かべる
「外じゃいい子にしてますけど、誰もいない部屋だと気を抜いてしまうんですよね」
「そうか。明日片付けでもしようか」
「? サンタさんがやってくださるんですか」
「ああ。だから捨てられたくないものがあれば明日の朝のうちにまとめておけ。それは捨てぬようにする」
きょとんと首を傾けられるのに何を問われているのだろうと思いながら福沢は口にする。当然とばかりに答えたのに太宰の目は瞬く。
「……はーーい」
「どうかしたか?」
返事をした声が微かに震えていて福沢は太宰を見た。俯いて蓬髪しか見えなくなってしまっている。なにかおかしな事を言ってしまっただろうかと思うがそのようなことは思いあたらない。首を傾けるのに顔をあげた太宰は何とも言いがたい顔をうかべた。口許をへの字に曲げながら笑っているような不思議な顔。
「いえ、明日もいてくれるんだなって」
「当然だろう。お前のプレゼントなのだから」
ぱちくりと瞬きが数回。嬉しそうに言われた言葉は当然と過ぎて理解するのが遅れた。ただ口はすんなりと動いていて太宰の額が福沢に押し当てられる。えっへねと笑みをうかべぐりぐりと押し付けられる。
「明日もいてくださるなら一つおねがいしてもいいですか」
「何だ」
上目使いで問いかけてくる太宰。わざわざお願いなどという形を取らずともいいのにと思うのに太宰はお願いとも思えないようなことを口にする。
「明日、ご飯つくってほしいです」
「ご飯?」
何故そんなことと福沢から声がでる。頼まれなくとも福沢にはそうするつもりがあって。
「はい。誰かに自分の事を考えてつくってもらったご飯はとで美味しいと聞きますので、だから私の為だけに貴方に作って貰いたいんです」
何でと考えていたら聞こえてきた太宰の言葉。また目が見開いた。子供のような目を向けられる。
「駄目ですか?」
声は震えていた。我が儘が過ぎただろうかと後悔するような顔をしているのに口元が仄かに緩む。
「ダメなわけないだろう。何が食べたい」
「何でもいいです。貴方が私のために作ってくださるなら。それだけで」
安堵した顔で太宰は笑った。
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