これを渡しおいて欲しいのだよと織田に渡した声は渡されることなく太宰の元にあった。最初から織田に受け取ってもらえることができなかったのだ。こういうのは自分で渡した方がいいと言われそれきり織田は太宰を避けている。それだけなら別にいいのだが、織田は福沢に太宰が用事のあるそうだと告げてしまっていた。
 それでどうしたと社長室に呼び出され、聞かれた太宰は言葉に詰まり、福沢から目をそらした。何でもないと言う声は震えてしまっていた。じっと銀の目が太宰を見つめてくる。
 睨むような鋭さはそこにはなかった。ただ真っ直ぐに見つめてきては太宰の事をその瞳の中に映している。瞳の中に映る太宰を太宰は見れなかった。
 もういいですかと不機嫌にも聞こえるような声が聞く。ああとは返ってこなかった。
 沈黙が落ちる。
 ちらりと太宰が福沢を見れば、福沢はじっと太宰を見ながら何かをためらうかのようにその口元が動いていた。どうしてよいか分からず口を閉ざしそっぽを向いて待つ。やがて福沢の口が開いた。
「言いたい事があるのであればためらわず言ってくれ。何でも聞こう」
 深い銀の色をした目が太宰を射抜いている。どくりと太宰の心が嫌な音をたてた。俯きそうになりながらですから、何もないのですよ。そう言うが福沢の目はそらされることはない。もう足掻いても逃げられることはできなさそうであった。太宰はぐっと唇を噛みしめている。
 手が外套のポケットに伸びる。
 そこには織田に受け取ってもらえなかった退職届が入っている。それをぐしゃぐしゃになるまでしっかり握りしめ、それで……太宰は福沢に出していた。
 福沢の目がじっと太宰を見てくる。その目の間に差し出していた。
 太宰からぐしゃぐしゃになったそれを受け取る。
 何故とわずかな声が聞こえてくる。太宰は答えなかった。ただよそを向いてわかったと言われるのを待っている。
「退職したいのか」
 低い声はかすれていた。小さなもので太宰は一つ遅れてええと頷いていた。福沢の目が閉ざされて長い沈黙が落ちる。
 俯いた太宰が待つ。太宰は自分からは何も言わなかった。ただ口を閉じている。沈黙が長く続いた。何時まで続くのかと思うほど長いものだ。やがて福沢が口を開ける。
「そうか」
 短い声。
 福沢の目が太宰からそらされる。これで終わったと太宰は短い息を吐いた。安堵にも似たようなだけど確実に違うものだった。それではと太宰は言おうとした。でもその前に受け取る前に一ついいかと福沢が聞いていた。
 えっと太宰の口が開いた。福沢を見ると福沢の目は俯きそうになりながらも太宰を見ていた。何でと声が出ていく。
「うっとおしいと思われるのは分かっているのだが、どうしても一つ確認しておきたいのだ」
 福沢の声は低いものであった。じっと見つめてきては良いかと頼んでくる。その目からそらしながら太宰はやはり口を閉ざす。何も言わずにいたがそれをどう受け取ったのか福沢が口を開ける。
「何が駄目だっただろうか。貴殿が退職を決めたのは何が原因なのだろうか。
 貴殿を苦しませたのはなんだったのだろうか」
 教えて欲しいと福沢が問いかけてくる。太宰の目は丸くなっていた。何でとその口が動く。
「悪いとは思うのだがでもどうしても気になってしまうのだ」
 教えてくれぬかと福沢が問う。口を閉ざした太宰はまた何も言わなかった。福沢の目がじっと見てくる。答えを求めている。太宰はそれでも何も言わなかった。
 口を閉ざしてそのままである。
「教えてもらうことはできぬか」
「……」
「仕方ないとは思うが……それでも残念だ」
 はっと太宰の口からまた吐息が落ちた。これでやっと……そう思う。それではと太宰は自分から言っていた。足が一歩動く。福沢の視線が太宰から外れる。簡単に俯いてしまいながらああと聞こえた。扉に手をかける。太宰と福沢が呼んだ。
 何ですと立ち止まる福沢の方を見ることはしなかった。福沢はそれについては何も言わない。
「すまなかったな」
 ポツリと聞こえたのは小さな声だった。その声にドアノブを回そうとした手が動いた。えっと体が動いて福沢を見る。銀の目を見ることはできなかった。俯いて見えなかった。すまなかった。もう一度聞こえてくる声は先ほどのものよりもずっと小さかった。太宰の目がわずかに丸くなった。震える唇が動く。
「なんで……なんであなたが謝るんですか」
 震える声だった。太宰が問いかけた。じっと福沢を見てしまう。銀は見れない。ぎゅっと噛みしめた唇だけが見えていた。
「……」
 強く噛みしめられ赤い血が流れる。声は聞こえてこない。太宰はじっと福沢を見る。何でそう問いかける。すまぬとまた福沢が言った。それからゆっくりとくちをひらいていく。
「私の身勝手な思いになるが、貴殿が安心できるような場所を作ってやれなかったから、安心してこの場に居られるようになって欲しい。そう願っていたのだがな。
だからすまぬ」
 最後の一言を福沢が言うのを太宰は呆然として聞いていた。閉じる口元をずっと見つめて何ですそれと震える声を出していた。どうしてそんなことをと聞こえる声に福沢は目を伏せながら僅かに口元を歪ませていた。
 ほんの少し、口の端がわずかに上がったかぐらいの動き。
 気のせいにも思えるそれは自嘲の笑みであった
「貴殿のことを大切にしたいとそう思っていたから。
 こんなことを言ってすまぬな。貴殿の重荷にはなりたくなかったのだが、どうにもうまくいかぬな。どうやっても重荷になってしまうようだ
 私の事など気にしないでくれ」
 今度こそ口の端を上げて福沢が笑みのような形を作っていた。伏せられた目はその奥がどんな色をしているのか分からない。太宰の目は震えて福沢を見つめ続けている。どうしてとまたその口は一つ動いていた。
「どうしてそんなことを言うのですか。大切にしたいだなんてそんなの」
 声は小さく震えている。大きな褪せた色の中に福沢を映して、その口が空気を求めるようぱくぱくと動く。伏せられていた福沢の目が少しだけ太宰を見た。一瞬だけ見てそらされる瞳。
 俯いた福沢は強く唇を噛みしめた後に薄く開いていた。僅かに唇を震わせてそうして言葉を紡いでいく。
 それは到底信じられないような声だった。
「こんなことを言うのはどうかと思うが貴殿が好きだから。
 特別な意味で好いていたから」
 太宰の目が大きく見開いては福沢を見つめる。何と言われたのか欠片も理解できなかった。頭の中が真っ白になってどう反応していいかすら分からない。固まってしまう。福沢が小さく眉を寄せてはすまないとそう謝っている。どうしてと太宰からそんな言葉が出ていく。どうしてと呆然と福沢を見ながら言う。
「そんなことを言うんですか。そんなわけないのに」
 大きくわなないた唇。それていた福沢の目が太宰を見た。じっと眉を寄せる。何だとその口が動く。どうしてと太宰がもう一度呟く。
「だってそんなわけないじゃないえすか。自分を好きになる何て、だって私、あの時、とても……、とてもひどい事を言ったのに。あんなひどくて自分勝手でどうしようもないこと言って、そんな私を」
 好きでいてくれるわけがない。
 太宰の声はどんどん強いものに変わっていた。褪せた目がどこかへ逃げたそうに揺れながらそれでも福沢を真っ直ぐに見つめていた。
 これこそ太宰にとってのすべてだった。真実だ。
 あの日、それは福沢との四回目の邂逅。
 福沢の腕にぎゅっと抱きしめられながら自分の中に宿ってしまった何かが消えていくのを見た日。
 太宰は何を言ったのかなど覚えてないとそう思っていた。だが実際にはしっかりと何を言ったのかすべて覚えていた。それは、それはとてもひどい事を口にしていた。思い出すのもおぞましいほどに人として失格なことを言っていた。
 だからもう駄目だと思ったのだ。
 何故か優しくしてくれたけど、それでももう駄目だとこの人には失望され嫌われた。好きになどはもう二度となってもらえないと。太宰はそう理解していたのだ。
 なのに何で。
 太宰から震える声が出ていく。俯いていた筈の福沢の目が太宰をしっかりと見てきていた。何かを驚いたようにしながらその目はそらされない。
「いつのことか分からぬが、貴殿の言葉で貴殿を嫌いになったことなどない。たしかにひどいことを言っていることもあった。だけど、それでも……私はそんな貴殿が変わっていけばよい。変わらなくてもいいからただ安らかに生きてほしいとそう思ったよ。
 貴殿に再会した時、ここで働くのが決まった時、私ができる限りのことをしようとそう心に誓った。二年前のあの時、貴殿がマフィアであることも分かっていたのに注意を払うのも忘れて、貴殿を傷つけるような結果を招いてしまったから。今度こそちゃんと守ると貴殿が傷つくことなく生きてくれたらとそう願っていたのだ。
 うまくはできなかったがな」
  太宰の目を見ながらも福沢は俯きそうになっていた。一つ一つ紡いでいく言葉。その静かな言葉を太宰は聞いていた。
 もう何でもどうしても言えなかった。ただ聞いては福沢を見つめる。福沢の口元は引きむすばれながらも己を笑うように口元が動いていた。ほんのかすか。己を嫌うのが滲むその笑み。嘘だと言おうとした太宰の口は止まった。それでもその気持ちは捨てきれずそんなのあり得ないと言っていた。ありえていい筈がないと。
「だってそんなの私に都合がよすぎじゃないですか。貴方が私を好きだなんてそんなの」
 太宰の口が何度も開く。左右にその目が逃げる。だけど俯くことはなく何度となく福沢の姿を見ていた。そんなのと太宰が繰り返す。時折物言いたげに細められる瞳。
 一度唇を閉じるのを福沢は戸惑うようにして見ていた。太宰と福沢の口から声が出る。どうしたと問う声は少しばかり上擦っていた。その声に太宰は福沢を見て、だってと小さい声を出していた。
「だって、私だって貴方が好きなのに」
 小さな声はそれでも福沢には大きく聞こえていた。目を見開いて太宰を見つめる。戸惑いながらも歓喜にあふれた声が聞こえる。銀灰の目に太宰が映る。泣き出しそうな顔をして福沢を見ている。
「私は貴方が好きなのに貴方まで私を好きでいてくれるなんて、そんなの」
 何方も震えている。
 今にも水分の増えた目で太宰は福沢を見つめる。福沢は何かに耐えるようその手を掴んでいた。ぎゅっと握りしめ太宰を見ている。本当なのかと掠れた福沢の声が太宰に聞く。太宰はじっと福沢を見て頷いていた。
「本当です。貴方が私は……。
 だから、だから私は無茶だって何度もしました。貴方の役に一番立ちたかったから。誰より役立って貴方の傍にいる権利が欲しかったんです」
「そんなの……。そんな事をしなくともお前が望むのならいつだって私の傍にいてよかったのに。
 ……太宰、少し近くに行ってもよいか」 
 震える声で福沢は問う。
 問われた太宰の肩が跳ねる。だけど首を横に振ることはなかった。首が縦に動くのをみて、すぐに福沢が太宰の傍まで来ていた。そして抱きしめている。
 強い力で抱きしめられ、太宰はその目を丸くしていた。
 泣きそうになりながらその熱い胸元に身を寄せる。
 いつだったかの太宰がそうしたかった事だった。
 福沢の腕は強くて太宰から逃げることはできない。腕の熱さを感じながら太宰は少しだけ腕の中動いていた。
「本当に私の事なんかが好きなんですか
「ああ、貴殿だから好きなのだ。
 ずっと私の傍にいてはくれないか」
 福沢が太宰を見ている。銀灰の瞳。その中のすべてに太宰を映している。そうしながら問われる問いへの答えなど一つしかなかった。



「付き合うことになったのだよ」
 へえ、そうですか。よかったですねと坂口はいつものバーで返した。もう驚くことなど何もなかった。ちゃんと収まるところに納まってくれてよかったですよ。そう言って酒を飲む。
 その口元は微笑んでいた。織田も太宰の隣緩んだ顔をしながら酒を飲んでいる。太宰の元にグラスを置くバーテンダーの口元もまた弧を描いている







後書き
二年前に一話を書いて以来、頭の中では何度も話しの続きを妄想していたのですが、形にしようとしてみてびっくり。何度もこねくり回したせいで形が定まらず文章が全く出てきませんでした。色々なシチュエーションを作っては告白シーンやばれるシーンを考えていたので書こうとすると全部が邪魔して思いつかない。
色々妄想するのが楽しくて書かずにいた面もあるのですが、話はこうなる前に書かなくてはいけないと言う教訓を得ました。今後はこの教訓を生かし、書きたい話は書きたいときに書いていきます。
 今回はとにかく書き切ることを念頭に置いて書いたのでシーンも飛ばし飛ばしで分かりにくいですが、今後かけるようになったらまた書いていきたいです。
こねくり回していたらいつか形が定まるかもしれない。大まかな流れはできたわけなので。
と言う訳で一応完結にしますが、この話は後々書き足していきます。その日を楽しみにして待ってもらえるとありがたいです。

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