手
何をしているんですか?
太宰がそう聞いたのは風呂から上がってすぐだった。きょとんと瞬いた目は机の上に広げられたものを見つめる。それからいつのまにかきていた与謝野にも向いた。どうしたんですかと問う太宰。その太宰に福沢がちょいちょいと手招きをした。手招きされるままに福沢のもとに行く。ちょこんと福沢の足元に座ればまだ少し雫の垂れる髪を福沢が拭いていく。
机に近くになりより良く見えるようになったものをみる。何かの雑誌だと思っていたものはどうも旅雑誌のようだった。宿の紹介などが書かれているのを乱歩と与謝野が見ている。
「んーー、旅行。ほら。毎年僕ら三人休み揃えて行ってるの。お前も知っているだろう」
「ああ、そうでしたね。確か四日ぐらいでしたか」
「そうそう。まあ、最後の一日は家でのんびりしてるんだけどね」
「そうなんですね」
二人の話に納得し太宰はにこにこと笑った。ここしばらく福沢の家にいるのもあって前より情報収集が出来ていなかったが、三日もいないのなら好きに出来そうだと頭のなかで何から調べだすか計算を立てている。
「楽しんできてくださいね」
太宰の形の良い口がそう言って音を紡いだ。それにハッと三人の声がそれぞれ聞こえてえっと太宰は固まる。なにか変なことを言ってしまったか。笑顔のした考えるのに聞こえてくる声。
「何言ってるの。太宰。お前も行くんだよ」
「あんたも行くのに何を言ってるんだい」
「お前も行くのだぞ」
「はい?」
太宰の首が大きく傾いた。どう言うことと瞬きを繰り返すのにはぁと三人がため息をついて……。
「え、と家族旅行とか言うものではないのですか」
そんな三人の姿にさらに理解できなくなって太宰は問い掛ける。冷たいとはまた違う、何処か呆れたような目が太宰をみてきた。
「そうだよ。だからお前もいくんだろ。お前は家族みたいなもんだって何度言えば分かるのさ」
いい加減言い疲れたよ。ぷくぅと頬を膨らませた乱歩がそういうのにキョトンと太宰は瞬きをする。へっと出ていく声。え? と首を傾け三人をみた。乱歩と福沢をみて、それから与謝野をみた。
「でも……、与謝野先生はいいんですか?」
私なんかが家族になって。そんな疑問が込められた問いにあーー、と与謝野は声をだしてから天井を見上げた。すぐに太宰を見る。
「まあ、いいじゃないかい。二人が認めてるんだし。弟が増えただけだしね」
肩を竦めながら与謝野は机の上に広げられた雑誌たちをぱらぱらと捲る。ほらあんたもみなと言われるのに太宰は固まる。どうしたらと悩むように唇が小さくとがっていた。
「それともお前はいきたいくないか」
「そんなことはないですけど」
そんな太宰に福沢が聞く。じぃと見つめてこられるのに太宰からはまごまごとした声をだした。あっちこっちを彷徨う目。いや、ではないけど本当によいのか。それに調べたいこともあったのに……。考えるも答えた後でどう考えようともう遅かった。
「じゃあ、お前もいくこと決定ね」
はぁと太宰がため息をつく。よしと福沢が声をあげた。髪を拭いていたタオルが離れていき、最後にさっと手櫛で髪を整えられる。それを待っていた乱歩が太宰に声をかける
「ほらここ座って。どこ行くか決めるんだから」
「はい」
ぽんぽんと乱歩の手が与謝野と乱歩、二人の間を叩いた。よりによって何でそこを。思うが拒否権は太宰になかった。頷いて二人の間に座る。そうすれば二人の腕が太宰に絡み付いてきた。どこ行こうかと明るい声が聞いてくる。
「太宰。お前はどんなところが良いとか何かあるか」
太宰が見やすいように雑誌を福沢が動かした。ぺらりぺらりと捲られるページを眺めながら太宰は言葉に迷った。
「……いえ、特には何もありませんけど。どこでも良いです」
「……そうか」
嫌がられそうだ。そう思いながら口にした言葉。太宰が思った通り福沢は微妙な顔をした。口を閉ざしじっと太宰を見てくる。その横にいる乱歩と与謝野がわあわあと声をかけてきた。
「何かあるでしょ。ちなみに僕はお菓子の美味しい所だけど」
「妾はお酒の美味しいところだね。福沢さんもそうだろ」
「温泉にしようってことにはなってるんだよね。のんびりできるし」
太宰からはぁと出ていく声。二人に話しかけられてどう答えたらよいのだろうと困る。そうなんですねと他人事のような声まででていた。はぁと二人が呆れた顔をする。
「で、何か要望」
「いえ、」
何もと言おうとした太宰だが、二人の視線にその口は閉じてしまった。この目は駄目な目だ。何か言うまで許されない目だと気付いて言葉を探す。どうしよう。どうしたら。考え込んで思い付いた言葉を言うかどうか悩んだ。これは止めたほうが。とは言え……。ジト目で見てくる乱歩の目に負け、太宰は思い浮かんだ事を口にした。
「……しいて言うならその、人と入浴と言うのはあまり好きではないので人、出来れば人が少ないところがよいです」
温泉に行くと言っているのにこんなことを言うのは矢張間違いだったのではないか。もっと別の無難なことを言うべきだったのでは。太宰がそんなことを考えている間にも三人は既に話し合いを進めていた。
「なら部屋に温泉のついてる場所にするか」
「お、良いね。久しぶりに一緒にはいるかい」
「しないよ。それならお前も良いよね」
「はぁ……。ええ」
本当に良いのだろうか。首を傾ける太宰。福沢が嬉しそうに口元をあげた
「個室の湯なら入浴しながら酒が飲めるな。楽しみだ」
「お、いいね」
うわぁと乱歩から声が上がる。マジかこいつらという目で二人をみてため息をつく。
「となるとどの辺がいいかね」
そんな目に負けずうきうきと与謝野と福沢はページを捲った。
[newpage]
「んーー、美味しい」
畳の上に横になった乱歩が包装されたお菓子を食べて嬉しそうに足をバタつかせる。何時もなら行儀が悪いと言う福沢は今日ばかりは何も言わないようで買ったばかりの酒を開けていた。
「一個もらうよ」
「んーー」
乱歩と福沢の中間に座った与謝野が乱歩の前にある箱からお菓子を一つ取った。そして福沢の前にコップを一つ置く。
みんな、好き勝手しているな。
そんな様子を見て太宰はそんな感想を抱いた。旅行にきているのだからもっとこう、家族らしい事、それが何か分からないけど、とにかくそんなことをするのだろう。そう思っていた太宰は首を傾けた。それともこう言うのが家族らしいと言うのだろうか。思いながら三人の様子を眺める。
そんな太宰の目線と福沢の視線があった。
「太宰。そんなところにおらずこっちにこい」
「はい」
こいこいと手招きされるのに、入り口近くに座り込んでいた太宰は二三歩分だけ部屋の内側に入った。ここからどうすればいいのか。どの位置にいるのが正解なのか分からなくなり固まるのに与謝野が笑う。
「くっく。なんだい借りてきた猫みたいじゃないか。二人との生活だいぶ経つだろう。なれたらどうだい」
笑いながらそう言われたのに太宰の眉がへんにゃりと歪んだ。困ったような笑みを作る。
「なれたと思いますけど、でも、今日は……」
「いつもとかわんないよ。いつもとかわらず家族でのんびりしているだけさ」
何時もと違うから。言おうとした台詞は途中で乱歩に奪われる。でもと言いたかったのに横になっていた乱歩が起き上がった。
「しっかたないな。もう少しのんびりしてるつもりだったけど、太宰が落ち着かないようだし、ちょっと早いけどゲームしようか!」
「はい?」
太宰から奇妙な声がでた。話の流れが全く読めなかった。何がどうしてそうなったのか。ゲームとはと目を白黒させる太宰を置いて、乱歩は自分のにもつのなかを漁っていた
「じゃーん! トランプ!」
バン! と効果音が聞こえてきそうなほどの勢いで太宰の鼻先に突きつけられた何か。いや、これじゃあ見えないと体を引くと見えたのは何故か見覚えのあるトランプだ。えっと太宰から濁った声がでた。どこでこれをと聞きたいのに聞く暇はなかった。
「お、良いね」
「……」
いつの間にかそれぞれ片手に酒をもった福沢と与謝野が近くにいる。
「何やる。なんかやりたいのある」
「はぁ、神経衰弱とか?」
乱歩の目は真っ直ぐ太宰を見ていた。他の二人の目も私をじっと見ていて、なにかをいってくることはない。これは私が答えなくてはいけない奴だと思って記憶から手繰り寄せた遊びを答えた。
「却下。敗けが決まってるゲームはやらない主義なんだよ」
だがそれはすぐに却下されてしまう。まあ、そうだよなと太宰も頷いた。だけどそれで言うなら他のゲームも全部そうじゃないのだろうかと考える。与謝野が良いと言うゲームを思い浮かべることができなかった。
「まあ、最初はババ抜きとかにしようか」
考え込む太宰のかわりに乱歩が提案していた。それも変わらなくないかと思いながら太宰は頷いた。
「あーー! 美味しかった」
結局一日トランプをして終わった初日の夕方。夕飯を食べ終えた乱歩がごろりと畳の上に転がった。ごろごろごと転がる姿を追い掛けた後、太宰は福沢と与謝野を見た。福沢は片手に瓶を抱えて酒を飲んでいる。与謝野も机に突っ伏しながら酒を飲んでいて……。
「乱歩。食べてすぐ横になったら太るぞ」
酒を飲む合間に福沢からとがめる声が出た。すぐにまた酒を口に含んでいる。
「今日ぐらいいいんだよ」
咎められた乱歩は悪びれた様子もなくごろごろと転がっていた。
「乱歩さんはしゃあないね。お、それよりこの酒美味しいよ。あんたも飲んでみな」
「え、……ちょ」
「泥酔してる人間には言われたくないよ」
あれ、しばらくしたら寝るんじゃないかな。そう思い太宰が心配するのに与謝野は太宰に酒を進めてきて。無理矢理グラスのなかに注がれるそれを見て太宰はため息をついた。でろでろの与謝野に、与謝野さんも大丈夫かなと太宰が思う。乱歩からは冷たい声。
「妾はまだまだ飲めるよ」
ごくごくと与謝野が瓶から直接酒を飲んでいく。机にぐったりと横たわりながらそんな状況でまた酒を飲む。
「ああ、絶対明日朝起きないよ。太宰はほどほどにしなよ」
「はい……」
注がれた酒を飲む太宰に乱歩の忠告が聞こえた。頷くが、そのすぐ後に福沢の声。
「どうせそいつも朝起きないから気になしなくとも良い。これもうまいぞ」
使わなかった乱歩のグラスに注がれる酒。そっと差し出されたのに太宰は苦笑した。
ごろり。布団の上を転がる。横に座り込む気配に目をうっすらと開けた。見える着物地はいつもと違う。旅館のものは何処と無く安っぽくて何だか似合わないなと見上げていく。見える銀灰に目を閉じた。その向こうには転がる屍じゃなく、眠っている与謝野と乱歩。太宰の予想通り畳の上で寝た乱歩に、酒の飲みすぎで机に突っ伏したまま寝た与謝野。その二人は仲良く一つの布団の上に折り重なっている。与謝野は取っているもう一つの部屋にいけと散々いっていたが結局はここで寝させるようだった。
まあ、どうせ何もないだろうしね。思いながらまた目を開けて座ったままの福沢を見上げる。寝ないのだろうかと太宰が考えるのに、似たようで違う言葉が掛けられた。
「眠れぬのか」
問い掛けられるのに太宰は小さく口を開いた。肯定の音を紡ごうとして口を閉ざす。こんなところにきてまでそんなこと言うべきではないかと目を閉ざした。乱歩と与謝野が眠っている音がした。隣では福沢が動く音。もぞりと体は動いてしまう。
「与謝野の部屋にいくか。どうせあいつは朝まで起きん」
「だからって女性用にとった部屋にはいきませんよ。荷物はそちらにおいているでしょう。鍵も与謝野先生の服の中だし……」
福沢が提案するのにゆるりと首を振った。その返答に与謝野を見て福沢は顔をしかめる。眠る与謝野の服は福沢と同じ旅館の浴衣。その懐に鍵をいれている筈で……。無理矢理取ることはできるので、その意味ではどうでも良いのだが、あの様子だと起きた後は鍵がないと騒がれることになりそうでそれが面倒だった。まあよいか。明日のことは明日の自分に任せようと福沢は太宰を見直す。
眠ろうとするように目を閉じている太宰の頬を撫でた。そしてその横にゆっくりと横たわっていく。突端太宰が目を見開いた。かっぴらいた目で福沢を見つめる。
「駄目か」
太宰の姿に福沢が問う。太宰の髪がふわりと揺れた。細いからだを抱き締めて目を閉じる。
「大丈夫だ。安心しろ、私がいる」
「はい」
うっすらと瞼を持ち上げると眩しい光が入ってきて太宰はすぐに目を閉ざした。目を閉ざしてからまた起きる。時計はまだ見ていないが十時は超えているだろうことは分かっていて、太宰はため息をつく。寝すぎたと布団の上を転がる。
「おはよう」
「社長……」
声が聞こえた方向に目を向ければグラスと酒瓶を手にしている福沢の姿。
「二人ならまだ寝ているぞ。お前も眠いならまだ寝ていていい」
言われるのに太宰は一つ布団を挟んだ向こう側のふたりをみた。狭い布団のなかで場所を奪いながら寝ている。ふわぁと欠伸をして太宰は立ち上がった。三つ並べた布団の奥、机の前に座っている福沢の横に座る。何時から飲んでいたのやら、昨日見たときよりもさらに二本ほど空の瓶が増えてい
「もう飲んでいるんですか」
「せっかくの休みだからな。ほら」
「ありがとうございます」
思わず聞いてしまえばその変にあったグラスに注ぎ込まれる透明な液体。ごくりと飲み込む太宰。
「どうせ今日は昼まで奴らは起きん。のんびりしていろ」
飲みながら言われる言葉に太宰小さな動きで首を縦に振った。
「湯に浸かってきてもよいぞ。昨日はあまりよくはいれなかったろ。今なら落ち着いて浸かれる」
「そうですね。では、いってきますね」
ふわふわと髪を撫でていく手。もう一度眠たくなってしまうのに太宰はまた頷く。立ち上がるのに福沢の手が離れた。
「ああ。私はここにいる」
いってらっしゃいと振られる手。それを見つめて太宰は今度は頷きとも言えないぐらいに小さな動作で首を振るのだった。
「さあーーて、じゃあ今日は何して遊ぼうか」
「え?」
朝食、と言うには遅すぎる朝食を食べた後すぐ乱歩が口にした言葉に、太宰は首を傾けた
「何嫌なの」
「いや、そんなことはないんですけど、外にはでないんだなと思いまして……。旅行は観光するものと思っていましたから」
そんな太宰をムッと見てくる乱歩。慌てて首を振りながら太宰は想っていたことを口にした。初日からどこに行くでもなく宿でのんびりしているのに疑問を抱いていた太宰は首を捻る。旅行などしたことがないから詳しくは知らないが、人から聞いた感じこんな感じだろうと思っていた予想が頭のなか巡る。それは一日旅館に籠り続けるようなものではなかった。
「あーー、まあ、してもいいんだけどね」
「?」
太宰の疑問に与謝野が奇妙な声をあげた。乱歩が福沢を見るのに太宰もそれにつられる。福沢はなにやら考えるように顎に手をあて太宰を見ていた。
「お前は、あまり見知らぬ土地を歩くの嫌いだろう」
福沢の言葉に太宰は目を見開いた。えっとでていく声。それはどうしてそれを知られているのだろうと言う意味が籠められていた。誰にも言ったことないのにと首を傾ける。
「日頃の疲れを取りに来てるんだからね、逆に疲れて帰ったら意味ないだろ」
「……」
何処かで恐ろしく感じながら太宰は福沢たちを見ていた。そして福沢の言葉にまた首を傾ける。何を言われたのかとじっと考えては答えがでずに三人に聞いた。
「なら、何で」
太宰の問い掛けにふぅとため息みたいなものをついたのは三人ともだった。乱歩が馬鹿だなとでも言うように太宰の頭を撫でるように叩く。
「家族と来てることに意味があるんだよ」
きょとんと太宰は首を傾けた。意味が分からないと思ってしまうのにそれでもよいと判断したのか、与謝野は乱歩の鞄のなかを漁っている。良いものを見つけたのかおっと声をあげていた。
「双六なんてどうだい」
「いいね」
与謝野が取り出したのは一枚の紙とサイコロ。なにやら書かれているのだろうそれを見て太宰は心のなかだけで首をひねていた。あれはなんだろう。どうやって遊ぶものだ。あのサイコロを振るのか。それでどうする。考え見つめる太宰はまあ、やっているところを見れば分かるかと聞くことはしなかった。
そんな太宰の頭をいつの間にか近くにいた福沢の手が撫でていく。
「サイコロを振ってでた数を駒を進めるのだ。マス、枠の中にはお題が書かれているからそれを挑戦する。一番早く最後のマスにたどり着けたものが勝ちだ」
耳元で囁かれた小さな言葉になるほどと太宰は頷いた。見れば机の上を二人が片付けて髪を広げている。
「ほら、はやくきな。やるよ」
「福沢さんもはやく」
[newpage]
何となく寝付けなくて太宰は与えられた部屋からでていた。居間で寝るわけではないがごろりと横になる。ぼんやりと襖を眺めるのに、その襖が開いた。はだけた足元が近付いてくるのを眺める。
隣で折り畳まれた足。
太宰の頭の上にポンと手がおかれる。ふわりふわり撫でてくる腕に身を任せた。このまま寝てしまおうか。ふとそんなことを思ってしまうのに、だけど福沢が声をかけてきて目が覚めてしまった。
「楽しかったか」
「え」
聞こえてきた声に太宰は畳の上首を傾ける。何でそんなことを問われるんだろう。もしかして笑えてなかったんだろうか。そう考えるのに福沢の声が聞こえて
「いや、どうだったか気になってな。お前には面倒だったか」
見つめてくる福沢の瞳のなかに映る太宰は笑っていないが、その自覚はあった。だけどこの休日の間はどうだったか。今思うとあまり覚えていない。もししたらそう思ってゾッとする太宰の頬を福沢の手が包んだ。
「どうだった」
見下ろしてくる目。じっと探るような目には何と言うか優しさがうかがえた。太宰のことをちゃんと考えている。
「楽しかったですよ」
太宰が答えれば福沢はほっと安堵する。暖かい手が少しはなれていた。それはすぐに戻ってくるけれど、その一瞬が何だか寂しく感じて。
「お前とあんな風に遊んだのはあの船以来だったな。あの時も楽しかったが、やはりああいうのは大勢でやるのが良いな。今度みんなとやってみるのはどうだ」
頬を撫でたり、頭を撫でたりしながら福沢が話す。その言葉に太宰はあの日のことを思い出した。本当のことを言えばずっと思い出してしまいそうで、思い出さないようにしていたこと。
「良いですよ。仕事中に遊んだら国木田君に怒られてしまいますし、それに……私はあの時の方が楽しかったです。
……貴方とずっと二人で」
呟く太宰は横を向いた。ごろりと畳の上で横を転がり、ただ遠くを見つめる。自分が吐き捨てた言葉のことを深くは考えていなかった。すぐにでも忘れてしまいそうなのに福沢はその言葉に驚いていた。何処と無く拗ねたているような、寂しげにも見えてしまう太宰の姿に撫でる手が弱まる。
じっと見つめるのに太宰は気付かないようだった。
「太宰」
柔らかく潜めた声で名前を呼ぶ。その声に太宰が顔を上げた。福沢はそっと口許に人差し指を立てる。子供同士が拙い秘め事をするように内緒だぞと囁く。
何だと太宰はその瞳を丸くした。
「今度乱歩が出張になったら二人で休みを取ろう。それから朝から晩まで二人で遊ぼう。
お前は何がしたい」
優しい瞳が見つめてくるのに太宰は畳の上で首を傾けた。髪が畳に擦れてばさりと音を立てる。見上げる瞳は本物の子供のようだ。
「良いんですか。ばれちゃいますよ。ぱれたら」
「よい。出張にさえ行かせることができたらこちらのものだ。それより何をしたいか決めておけ。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうからな」
面倒くさいことになりますよ。乱歩を思い浮かべ言おうとした言葉は遮られる。福沢がいたずらをする子供のように笑うのに太宰はこくりと頷いた。
何となく撫でていない福沢の腕を掴んでしまう。ふわふわと福沢の手は太宰の頭をなで続けていて。
乱歩の出張は二人が思っていたよりも早く訪れた。
乱歩には悪いと思いながら、その日を心待にしていた太宰は、乱歩宛の依頼が南の方から来たと聞いたときには探偵社から逃げ出していた。乱歩に二人の企みを見破られないためだった。今日福沢は外にでている。きっと会議の後に主張の話を電話を聞いたら何かしらの用事をつくって戻らないのだろう。予想しては太宰は一人楽しくなった。
町のなかを歩きながらクスクスと笑ってしまう。
それから数時間後。乱歩が出張に出掛けたことを確認して太宰は探偵社に戻った。今日急遽取ることになった明日の休みにむけ珍しく書類仕事をするためだった。不思議がったのは敦や国木田ではなく、与謝野だった。
何をたくらんでいるんだ。乱歩さんが悪い予感がするって主張いくのそりゃあもう盛大に渋っていたけど。明日には帰ってきてやるって叫んでたけどさ。
まあいくら乱歩さんでもそりゃあ無理だろうけどね。さっき社長がついでにって付き添いの谷崎に色々頼んでいたからね」
で、と与謝野が言う。
そこまでして二人で何をするつもりなのかと見てくるのに、太宰は人差し指を唇に当てた。あの日の福沢のように笑う
「内緒ですよ」
与謝野が肩を竦めた。
「乱歩さんに今日泊まるよう頼まれたんだけど、忘れたふりをすることにするよ」
与謝野の言葉に太宰は笑う。ありがとうと謝罪を口にしようとしてそれを言う前に太宰は固まった。
「馬には蹴られたくないからね」
理解できない言葉を言われてしまったから。馬と首を傾ける。どう言うことだと思うのに聞き耳をたてていた事務員の何人かがまあと声をあげていた。騒がしくなるのに聞くことはできなかった。
「楽しい時間はあっと言うまと言うのは本当なんですね」
ふわふわと福沢に髪を拭いてもらいながら太宰はそんなことを口にしていた。
「始めて知りました。」
何時もより感情が読めない声と顔をしている太宰。だけどそこに嘘をついている様子はなくて、ふくざわはそうだろうと嬉しくて少し弾んだ声をあげていた。
「もう終わりなのが寂しいな」
福沢の前で太宰の肩が少し揺れる。
「そうですね」
聞こえてくる声は何時も通りのものになっていた。ぎゅっと後ろから太宰を抱き締める。
「乱歩は出張が多い。また何時か二人で遊べるだろう。その時を楽しみにしていよう」
抱き締めた腕から太宰が息を飲むのが伝わってきた。息を飲んで振り返る。福沢をみ、いいんですか。そう問おうとしたのだろう。少し開いた口。だけどそれはなにも言わずとじってしまった。
[newpage]
「いい加減乱歩さん追い出さないのかい」
福沢の家、福沢に乱歩、太宰そして与謝野で夕食を食べた後、四人はのんびりと過ごしていた。そんな時に与謝野が突然そういえばと太宰と福沢に問いかけたのに三人は首を傾けた。
「へ?」
口から転がり落ちていく音。瞬きをして考え込む
「ちょっとなんで僕が追い出されなきゃ行けないの」
「そうです。私もまだいるのに」
「まあ、そろそろ一人立ちしてもいいんじゃないかとはおもうが、追い出すことは今のところないな。周りに迷惑を掛けられても困る」
三者三様の反応。今度は与謝野が瞬きをする番だった。ちょっと待ってと何故か声をあらげている。
「え? 二人とも乱歩さんが邪魔じゃないのかい」
「ちょ!え? 待って何!? 酷いよ!」
何故か信じられないと言う顔をして与謝野は二人に聞いてきた。聞かれた太宰と福沢はどちらも不思議そうに与謝野を見、それから互いを見た。どう言うことでしょうか。与謝野さんが何を言いたいか分かりますか? さあ? お前こそなにか分からぬか。分かりません。目で問われるのに目で答え、問いかける。
そんな二人を与謝野はゲンナリとした顔で見ていて。
「邪魔だろう」
呟くのだ
二人の首が同時に傾けられる。先ほどから喚いていた乱歩の動きだけが何故かその一言で止まっている。
「ちょ、与謝野さん。そのはなしは」
与謝野が何を言いたいのか理解したのだろう。咄嗟に止めようとしていた
「そんなことはないですけど? 何でそんなことを思うんですか?」
「今さら邪魔もなにもないだろう。もう何年共に暮らしていると思っているんだ」
不思議がる与謝野に今度は二人が聞いた。聞かれた与謝野は純真な眼差しに固まってしまう。はぁ?と彼女からでていく声。天井を見上げる。乱歩が頭を掻き毟っていた。
「馬に蹴られたくないんだけどさ」
天井を見上げながら何時だったか聞いた言葉を口にしてきた。馬? と太宰と福沢はまたも首を傾ける。
「でもやっぱり気になると言うか、知らなくちゃ行けないきがするから聞くんだけど、」
「聞かなくていい!!」
「うっさいよ乱歩さん」
与謝野が話しているのに何故か慌てた乱歩が飛び掛かっていた。が一瞬のうちに与謝野に押さえ付けられ、畳の上に顔を押し付けられる。手で口を塞がれてもがもがと何かを喚いていた。
何をしているのだろうと二人がそんな与謝野と乱歩を眺める。
「それで、どれぐらい進んでいるんだい」
眺める二人に与謝野が聞いた。
「はい?」
「進んでいるとは?」
二人は意味が分からず与謝野に問い返した。その二人に与謝野は目を引き固まって。
与謝野の肩がふるふると震えた。
「本当になにも進んでいないのかい」
瞳孔まで見開かれ、震える指先に指差されるのに二人はそれぞれ首を捻っていた。捻りながら福沢が口を開いて
「太宰の体重が最近増えて、体にだいぶ肉がついてくるようにはなったが……、後は寝付きがよくなってきたな。睡眠がちゃんと取れるようになったからか顔色も良くなってきている。昼間に眠気に襲われることもなくなってきているようだが」
「誰がそんなどうでもいい太宰情報を聞いているって言うんだい」
何を言われているんだろう。太宰が呆然とするのに与謝野が呆れた目をしていた。与謝野の下で暴れていた乱歩もそんなことを忘れて呆れた目で福沢を見ているそうかと福沢が不思議そうな顔をするのにそうだよと呆れた声。はぁとため息をつかれるのにそれ以外はなにもないぞと福沢は言った。
「はぐらかされている様子でも亡いんだよね……。太宰ちょっとこっちおいで。乱歩さんは福沢さんを頼むよ」
「はい?」
手首を上下させて与謝野が太宰を呼ぶ。何だろうと思いながら太宰は与謝野についていた。待ってだとか、やめてよだとか、僕がこの家にいられなくなるだとか、乱歩が騒いでいたが与謝野はそれを無視していた。
隣の部屋に行き、襖をしっかりと閉める。左右に棒を挟むところまでしっかり見て太宰は何のはなしをされるのだとすこし怖くなった。
「太宰。あんたは社長のことどう思っているんだい」
「へ?」
何のはなしをするのか。身構えていた所に聞こえてきた言葉は予想していないものだった。進んでないだから、家をでていく準備とかのことだろうかと思っていた太宰は虚をつかれ奇妙な声を出す。
何を聞かれたのかすぐには理解できなかった。
ええとでていく声。全く意味の分からない質問を理解した太宰はおうむになるしかなかった。
「どう思っているか……」
「そう。どう思っているんだい」
与謝野が鋭い視線で聞いてくる。これは答えないと解放されないやつだ。思いながらでもでもどう答えていいのかが分からず太宰は首を傾けた。考えてみるもののいい言葉は浮かばない。それに悩んでしまう。
太宰にとって人というのは敵か他人かしかおらず、こんなことを聞かれたら当たり障りないただ告げるだけなのだが、福沢にたいしては何故かできなかったのだ
仲間とか尊敬する社長とか頼りになるとかなのだろうが、どうにもその答えに太宰が納得がいかない。
別の言葉が浮かんできてしまうのに太宰は与謝野とそれから乱歩がいる方向を見た。
実を言うとその言葉は最初から浮かんでいた。でもとても口にだせるようなものではなくて他のことを考えていたのだ。
どうしようと考えながら、あのと太宰は声をあげた。言ってもいいんですかと与謝野に問う。これではなにか分からないのではと思ったが、それが精一杯だった。与謝野がああ、とあっさり答えて戸惑うことになる。
そんなと太宰は顔を青ざめながらも見つめてくる与謝野の目に思い付いていた言葉を口にする。
「あの、親みたいだと」
「ああ?」
聞かれて一番に思い浮かんだ言葉。福沢も太宰を子のように思っていると言っていた。だからと思い口にしたが与謝野からでてきた声に太宰はやはり言ってはダメだったかと後悔した。低く恐ろしいとんでもないような声だった。
「すみません。やはり嫌で」
「あ? いや、そういう訳じゃないよ。そうじゃなくてさ、本気で言っているのかい」
謝罪の言葉を太宰はすぐに口にする。だけどその声はすぐに与謝野が遮られていた。与謝野の手が太宰の肩を掴んできた。その手は強く指が肉に食い込んできて、中からはみしみしと嫌なおとが聞こえる。
般若のようになった与謝野の顔に引きながら太宰は頷いた
「思ってますけど」
「親みたいだと」
「はい」
ぱっと与謝野の手が離れた。痛みが消えほっとする傍ら与謝野が声をあげてしゃがみこんでいた。離れた手が頭をかいていて、整えられていた髪がぐしゃぐしゃになっている。
心配するのに与謝野の動きがピタリと止まった。
ぎぎぃと音をたてそうな動きで太宰を見上げる。与謝野に太宰は戸惑った。与謝野はこの世の終わりを見たような顔をしていたのだ。
どうしましたと腰が引きぎみになりながら聞くのに、聞こえてくるのはそんなあり得ない。信じられないと言った独り言
「あんた。本気で言っているのかい」
「え? 本気ですけど」
問われるのに答える。
しばらく太宰を見ていた与謝野からため息が聞こえた。引いた目で見られるのにどうしてなのかと太宰の方が与謝野を良く分からないものを見る目で見てしまった。
「いいかい。太宰。良く聞きな」
与謝野の目がじっと太宰を見て立ち上がる。そらすこともゆるせないと抑えられた頬。分かりましたと答えるのに与謝野の口が開く。
「あんたは社長が好きなんだよ」
「…………
はい?」
かなりの間を開けて太宰から声がでた。どう言うことと高速で瞬きをするのにそう言うことだよと与謝野は言っていて。
「すきって。……まあ確かにすきですけど、親みたいだって思っている相手を好きなのは当然の事でしょう。何でそんなことをわざわざ」
「違う!
あんた分かっていってるだろう」
頬を抑えていた与謝野の手が皮を掴んできた。ぐにぐにと引っ張られるのと、輪郭がぼやけるほどに近づいてきた与謝野に太宰は困ってしまった。言われた通り違うんだろうなと分かった上で口にした言葉。でもそれでないとなると考えられることは一つしかなくて……
でもそんなことはあり得ない。
どうにかごまかさなければと考えるけれど、考える暇を与えてはくれなかった。
「あんたは社長のことを恋人になりたいって意味で好きなんだよ」
今度は声すら出なかった。
ただ固まり続けるのに与謝野の声だけが聞こえてくる。
「こんなの見てたら分かるのにね。何であんたが分からないんだい。おかしいだろう。このまま気付かないまま見せつけられるなんて妾はいやだからね」
聞こえてくる声は確かに脳まで届いているのに、全て滑って意味としては何一つ理解できないまま左に抜けていた。
ふらりと太宰の体が動く。福沢たちがいる居間とは反対側の襖を開け太宰は奥へと消えていた。
言いやがった。やりやがった。最悪だ。
頭を抱えながら乱歩はぶつぶつと呪いの言葉を吐き出していた。その目が目の前で呆然と固まっている福沢を見る。
与謝野は隣の部屋に移動していたものの襖越しに遮られているだけだ。声は普通に聞こえていた。だから太宰が福沢のことを好きなんだと言うのも聞こえていた。
親みたいなと言われたときは嬉しそうにしていた福沢は、与謝野の言葉には飲んでいたビールを吹き出していた。はぁ? と二人がいる方向を見て固まり、その後大きく首を振る姿は見物と言えば見物だったが、乱歩からしたら悪夢以外の何者でもなかった。
頭を抱えるのに続いた二人の話。
一瞬ほっとしたのにまた愕然とした顔で固まってからはそのままである。
福沢が動かないのに襖が開いた。与謝野が戻ってきた。
「聞いてたかい。福沢さん。
福沢さんも太宰が好きなんだからちゃんとしてあげなよ」
与謝野の言葉にぴくりと震える手。手にしていたグラスが今になって落ちていた。ガラスが割れる大きな音が響くけど、福沢には与謝野の声の方がはっきり聞こえていた。
ゆっくりと与謝野を見上げた。
「な、にをばかな、ことを……。俺は太宰の事はお前たちと同じ大切な子供だと思って」
「寝言は寝ていって貰える」
「寝言は寝ていってくれるかい」
真夜中、寝付けないでいた福沢は誰かが己の部屋に入ってくることに気づいた。その誰かが横たわる体の上に乗って首に手を伸ばす。眠ったふりをしながら福沢は首が絞められるのを待った。
首に回った細い手がゆっくりと福沢の首を締め上げていく。力こそそんなにないがしっかりと気道は塞いでいた。一番力をいれずに首を折ることができる場所を正確に握っている。
だけどそれでも込められる力だけでは福沢の首を折ることはできなかった。
握りしめる手が震えて、わずかにだが楽に呼吸ができるようになる。ゆっくりと福沢は目を開けた。
「どうした。太宰」
一度咳き込んでから福沢は、己の上に乗っている人物のなを呼ぶ。その声は殺されかけたとは思えないほど穏やかだった。焦りも怒りもない。下から見つめる目もまたとても優しいものになっていて。
福沢の首から太宰の手が離れていた。
「……好きって」
垂れ下がる手。俯く頭。下にいるから福沢には太宰の顔が良く見えた。泣けない太宰は泣きそうな顔一つできずに無表情で白い布団を見ている。
「与謝野さんが私は貴方が好きって言うんです。そんなはずないのにだけど、私はそれを否定できなくて…………だから」
ゆっくりと手だけが持ち上がった。その白い手が福沢の首に触れてそれからまた力をなくして布団の上に落ちていく。
「気付いちゃいけないんです。そうなる前に」
布団の上で
く手。じっと太宰を見上げるだけだった福沢が動いた。首筋にある太宰の手を掴む。
「太宰」
名を呼べば下を見ていた太宰が福沢を見てそれから目をそらした。片手を伸ばして太宰の頬へ触れる。太宰が福沢を見るように持ち上げた。
「言っただろう。なくしたくないのであれば掴めと。離したくないと掴んでしがみつけ」
太宰に伝わるよう静かに、だけど強い思いを込めて言葉にしていくのに、太宰の瞳が揺れて、唇が歪んでいた。
「そんなこと」
喉の奥で言葉が詰まりながら太宰がなにかを言おうとする。なにかを言おうと何度も口を開いては唇を震わせて奇妙な音を溢した。福沢の首筋近くにある手が震えていた。揺れながら指先が時折丸くなる。何かを掴むように握りしめようとしては形を作る前に離れていく。
「出来なくともそうしなければ傷付くのはお前だ。
気付く前になくしてしまったとして、きっとお前は失った後に気付く。悲しむしかないならそうならないよう掴んでおくしかない。
私から逃げようとするな太宰。私を掴め」
銀灰の目が褪赭の色を見つめ続けるのに、癖毛が揺れた。激しく左右に揺れ音をたてていくのに福沢が身を起こす。太宰の手を掴んだまま上体を起こし片腕で太宰を抱き締めた。
「私は離さぬぞ。決してこの手を離したりはせぬ。ずっと掴み続けている。お前が離れようとしてもだ」
ずっと手を握りしめ、太宰を自身の腕のなかに納めながら福沢は太宰に告げる。逃がさぬすよう耳元で囁いていくのに太宰の体はずっと震えていた。福沢を見見つめてくる目。それは怒っているようにも見える目だった。
「離さないって分かっていっているんですか。私は社長が好きだって、分からないけどでも好きだって言うんですよそれでも!」
「私もお前が好きだと言われた」
一切の力が入ってなかった太宰の体に急に力が入って、福沢の腕のなかで暴れる。特に腕が激しく動くのに福沢の手は掴んだ手を離さないよう強くなって握りしめた。骨がきしむ音がした。
太宰を声をあらげるのに対して、福沢は静かに言われたことを口にした。
まんまるく太宰の目が見開いて福沢を見た。体から力が抜けていく。ずれ落ちそうになっていた太宰の手を福沢は掴み直す
「正直何を言っているのだろうとは思った。私はお前のことを乱歩や与謝野と同じだと思っていたから。だけどそれを言うと奴ら怒るのだ。ふざけるな。だったら私たちにもお前と同じぐらい優しく接しろと。態度を変えていたつもりはなかったのだが、そう言われて考えてみると確かにお前に対してだけ過保護だったかもしれないと思った。そしてお前と同じ扱いをあいつらにするつもりにはどうにもなれなかった。
だから……、好きと言われてもあまりピンとはこないのだが、どうにもお前が特別であることは間違いないらしい。お前にはうんと優しくしてやりたい。それでお前に幸せになって欲しいし、笑っていて欲しい。
何より私はお前のこの手を離したくない。ずっと掴んで傍においておきたい」
掴み直した手をそっと持ち上げて福沢は太宰の手をもう一度握り直した。ぎゅっと握り締められた手を見ながら、太宰の顔は歪んだままその頬が赤く染まっていく。
わなわなと唇が震えた
「そんなのほぼ告白じゃないですか。好きって言ってるみたいなものじゃないですか?」
震えた唇からでていく声はもちろん震えていて、聞き取りづらいものであった。その言葉を聞いて福沢はゆっくり目を見開いていた。抱き締めていた腕が離れ、二人に距離ができる。布団の上に横たわりなが首を傾けて、福沢は目尻をそっと緩めた
「そうか? なら、やはり私はお前が好きなのだろうな。
この手を掴み続けさせてくれるか」
福沢のもう一つの手も太宰の手を握り締めてくる。
太宰は答えなかった。だけど答えないかわり太宰の掴まれていない手が福沢の首もとからはなれ胸元に触れた。そのまま迷うようにそこにあるのに、福沢が太宰を引き寄せる。
折り重なる二つのからだ。
その合間で白い手が本の少しだけ丸くなった
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