探偵社は単発の任務を受け入れることが多いが、長期的な任務もいくつか持っていた。万年人手不足のような探偵社ではずっと警護を続けることはできないが、何かしらが起こった時の対処をスムーズに行い被害を食い止めるようすべて探偵社に依頼しているところなどがちらほらとある。
 そう言う場所には定期的に訪問して契約の確認や、何か変わったことがないか等話を聞いて、実際見ておく必要がある。
 その訪問には調査員が向かうが、営業の意味合いも多いので国木田か、太宰、場合によっては社長の福沢、その三人が出向くことが殆どであった。
 とくに太宰はその美貌や口がやたらとうまい事もあって依頼主に気に入られて話し合いには是非と呼ばれていることの方が多かった。中には話し合いは彼でなくてはいかんと言うような者までいて通常の仕事に加えてそう言う仕事も多く請け負っている。
 太宰が大変仕事に不真面目でも国木田以外があまり強く言えないのはこういう事情でもあった。そしてその仕事は基本的には依頼主の都合などから二三週間前に予定がきまることがおおい。でも中にはきちりとその日と毎月のルーティンのように最初から決められているものもある。
 そう言うのは予定のすり合わせで何回も連絡を取り合う必要もなく有難いのだが、ただ一つだけ嫌なことが起こるものである。
 その問題を前に太宰は一つため息をついていた。 
 問題と思わなければ問題でもないような些細なことなのだが、今の自分はそれを問題と感じ取りつつある。それが最大の問題である。
 そう考えながら太宰は後ろの気配に集中する。がたんごとんと揺れに合わせ揺れる体。周囲には人が多くいて、誰かの肩とぶつかる。そんなことはどうでもいい。今太宰は満員電車に乗っているのだが問題はその太宰の尻や太ももをやたらと揉んでくる者がいることだった。それは痴漢と言われる行為で犯罪行為に当たることなのだが、誰かの手はそれを気にすることなく大胆にも触ってくる。
 さわさわと撫でていたと思うと揉みしだき、時には足の間にも手を入れてくる。完全に人の意思の元行われる行為を太宰はどう受け止めていいのか悩んでいた。
 止めるべきなのか。だが止めてしまえば面倒事になる。最悪の場合事情聴取に付き合わされて依頼主との約束の時間に遅れる。
 それは困る。
 困るので太宰は大人しくしていることに決めたのだが、男が触ってくる手がどうにも気持ち悪くて腹のあたりがむずむずとしてくる。嫌だと感じ取ってしまっているのだろう。その事に太宰はため息をつきつつ、電車の上にある電光掲示板を見上げた。目的の駅までは後何駅もある。その駅につくまで今日もまたこの痴漢は続くのだろう。
 そう思い心の中でため息をついた。
 毎月決まった日、決まった時間に行われる会合。その為に起きてしまった問題ごと。誰かが太宰の移動時間を把握して、その時を待ち構え痴漢を行うようになったのだった。
 もう三年も前からこの悪習は続いていた。
 その間太宰が何の対策も行わなかったのかというと、行わなかったのである。普通の人ならびっくりするぐらいなにもしてこなかった。これにはいくつかの理由があった。
 太宰が毎月会いに行く依頼人は少し遠くに住んでいて、話し合いの場も遠い、その癖、約束の時間は割と早めの八時からの予定になっている。電車で行くには早めのものに乗る必要があり、電車の時刻を変えることは難しかった。朝のうちにやっておきたい事が多かったのも問題だろう。そして何より太宰はついこの間までこの行為をまあ、よくあることの一つとして流してしまっていたのだ。
 触られても揉みしだかれても何なら前まで触られても太宰は変な人もいるな。満員電車。人のことを見ている人は少ないとはいえよくやるよな。見つかる心配とかしないのかな。馬鹿なんだろうな。とそんな事を考えることはあったものの大抵は今回はあの件についてはなさないと。あ、多分あのことについて聞かれるなと話し合いの内容を考えていたり、いい加減目障りだからあの組織捕まえたいな。今度あの組織捕まるだろうな。その前にあの情報だけは盗まないと。あの件そろそろ依頼されるな。準備だけでもしておこうか。あのことは……と探偵社の仕事のことなど考えており、何も痴漢については思っていなかった。
 何も思ってないのだから対策などたてようと思うはずもないのだ。
 だけど太宰は今それを猛烈に後悔し始めていた。何か一つでも対策をしておけばよかった。せめて最初のうちに嫌がるそぶりをしておけば二年も痴漢行為をし続けられるようなことはなかったかもしれない。今抵抗したところでプレイの一環だと思われそうであった。
 とりあえず来月は一つ前の電車に乗ってみようとそう決めていた。


 二か月後太宰は大きなため息をつく。
 どうにかならないのかと思いながら張られた掲示物を眺める。周りには大勢の人。そしてひっそりと後ろに張り付き尻を揉んでくる誰か。
 初めて電車を変えてみた一か月前は男は現れなかった。だから今回も少し面倒だが今までよりも早めの電車に乗ったのだが、そこにも痴漢が現れたのだ。恐らくは今までの者だろう。
 尻の触り方が同じだ
 無の顔をしてとりあえず仕事のことを考える。やりたい事をやる時間をわざわざ繰り上げて電車に乗ったのにこれでは無駄であったと太宰は今度からはまた元の時間に乗ろうとそう決めていた。

 

 今日の電車での出来事を思い出し、出そうになった太宰は噛みしめた。相変わらず一か月に一度の痴漢は続いている。
 元の時間に戻してもついてきて面倒なのでそのままに放置した。それから三回ほど痴漢されてきたが回を増すごとに嫌悪は強くなっていく。どうでもよくなって諦める気になれないかと思ったが、やはりそう言うものではないらしかった。
 男の手が厭らしくはい回る度、背をぞわぞわとした悪寒が走るのだ。
 ため息をつく。一か月に一回とはいえ、毎度この日があるのかと思うとしんどい。数日前からなんだか憂鬱になっていく。解決すべき問題だと思うのだが、どう解決すればいいのか、方法があるとしたら
 太宰は目の前にいる福沢を睨んだ。睨まれている福沢は不思議そうに首を傾けどうしたと太宰に問いかけてくる。うまくないかと聞いてこられて、太宰はゆっくりと首を振っていた。
 それならほら、たんと食べろ。福沢が持ってくる箸。口を開いて食べる。福沢の口元が穏やかに笑う。できることがあるとしたらこの場にあるこの手を振りほどいてしまう事だろう。
 太宰は心に決めて福沢さんと福沢を呼んでいた。
 福沢はどうしたと口に含んだものを飲み込んで太宰に聞いてくる。敵を見つめる時、どこまでも鋭く険しくなる目がそんなことを感じさせないほど優しい色をしている。その目が見つめるのは太宰だけだった。太宰だけを一身に見詰める。言おうとしていた筈のお別れの言葉が喉の奥で詰まってそして出ていかなかった。
 代りに美味しいですね。何てそんな言葉が出ていた。そうかと福沢が嬉しそうに笑う。
 太宰の口も度がへの字に曲がるが差し出されたものはの口にしてしまう。



 太宰にとって痴漢はどうでもよいものだった。自分の体をどんな目で見られ、どんな風に触られようと気にすることはなかった。自分と言うものにチリほどの興味もなかったし、それで何かが変わるわけでもなかったからだ。だから太宰は今まで痴漢のすきにさせてきたのだが、ここに来て変化、不快を感じるようになってきたのは間違いなく福沢のせいだった。
 福沢に絆されすぎてしまったのだ。
 数年前、恋人になってから、否、そうなる前から大切にされ、大切な存在なのだと教え込まれ、自分を大切にするよう教え込まれて太宰が形成してきたものの多くを塗り替えられてしまった。もちろん今更変われないところも多いけどそのすべてひっくるめて大切で大事にしたい。笑っていて欲しいと望まれて……。
 どうでもよいことにして切り捨ててきたすべてを切り捨てられなくなったのだ。
 今でも自分が触れられることはどうでもいいが、あの人の大切にしてくれたものを、あの人の大切なものに何故お前みたいなやつが触れるのだ。私に触れていいのはあの人だけなのだ。
 せめて触れるなら何かしら利益を置いていけ。あの人のためになることをしてから触れろとそんなことを感じてしまう。
 とてつもなく馬鹿げているけど消せなかった。
 消せない思いを抱えて太宰はほうとため息をついた。
 約束の日がまた今月も来てしまった。依頼人に話したい事もある。行かなくてはいけないのだがどうにもやる気が出なくて太宰は明日の件だがと国木田に言われたのに行きたくないのだけどつい言ってしまっていた。
 部屋の中、空気が凍り付く。はっと見つめてこられる。しまったと思いつつ言ってしまった言葉は取り消せない。
 太宰は行きたくないのだけどともう一度言ってしまっていた。国木田がとんでもない顔をして太宰を見てくる。お前は何を言っているのだと言われてヘラりと笑った。
 えっとどうしたんですかと敦が問いかけてくる。珍しじゃないかと与謝野も心配している様子だった。太宰は仕事に不真面目だ。遅刻は良くするし、勤務中にふらりといなくなる。書類も貯める。が、必ず会合においては普段では信じられないぐらい真面目に仕事をするのは社員の誰もが知ることだった。率先して行い、そして誰より相手に気に入られては探偵社の有利な条件を引きずり出してくる。
 交渉に置いて太宰よりもうまいものはいなかった。
 そんな太宰が行きたくないと言ったのだ。しかもその相手はかなりの大口の依頼者。
 その癖依頼内容は単純。その人にもその会社にも何も臭い所もなく、気に入られるなら気に入られるほどいいと太宰が話していた相手である。何かあるのではと思わない方がおかしい。国木田もどうしたのか。熱でもあるのかなんて聞いてきていた。
 別に熱はないけどと太宰は苦笑する。単純に行きたくないだけとそう口にしていた。
「今回話さなくてはいけないことがあるとか言ってなかったか。」
 国木田が聞いてくるのに太宰はにっこりと微笑む。それはそうなんだけどとそんな声が出ていた。
「まあ単純にめんどくさいだけだから気にしなくていいよ。あの人のところに行くの朝早いのだよ」
「ああ、そう言えばそうだったか。朝八時からだったか」
「正確には八時半から。あの人予定が早く終わるの好きだから少し早めの時間に行くようにしているのだよ。まあ、それも事前連絡とりながら様子を見てどれぐらいに行くのか決めるんだけどね。後あの人の話し合いはあの人が出社してすぐぐらいの予定だから本社近くの喫茶店に隠れて様子を見ているのだよ。すぐに行った方がよさそうなら行くし、待った方がよさそうなら待つって感じでね」
「へえ、そんなことまで考えているんですね」
「相手に気に入られるには相手の望みが何なのか確実に判断する必要あるのだよね。
 別の人だと前の話し合いが長引いて遅れることがよくあるから、逆にこっちも何回かに一度は遅れた方がいい人とかいるよ。気が弱い人だと待たせてしまったとそれだけで罪悪感を抱いたりするからね。
 まあいずれは敦君にも私が持っている取引相手との交渉してもらうこともあるかもしれないから、その時は詳しく教えてあげるよ。」
 いうと敦は顔を歪めてとんでもなく嫌そうな顔になっていた。
 絶対無理ですと弱気になっている。みんなそっちに意識が向いて太宰のことはちょっとしたあれだろうと流す流れになっていた。
 にんまりと微笑みながらでも本当に行きたくはないんだよなと太宰は小声でつぶやいていた。


 数日後、太宰は満員電車の中で尻を揉んでくる手を感じ不快感に耐えていた。触るだけであればいい。でも揉んで、前にも手を伸ばす。肉棒にも触れてくるが今まで一度も太宰のものが反応することはなかった。それでも触り続ける男は尻の割れ目、その奥の穴にまで触れてくる。
 触れてくる手は太宰が知る者とは違っていた。
 天井を見つめる。
 ちらりと見下ろしたら少しだけ前に回っている手が見えた。気持ち悪い手をしていた。この手をつね上げようかと考え込む。それをしても今更どうにもならないし、騒いだら予定の時刻に送れる。ただ静かに時が過ぎるのを待った。



 その一か月後、太宰は行くならせめて車で行きたいと相談していた。はっと国木田の目が丸くなり、何を言っているんだお前はと言ってくる。却下だ却下と言われて太宰はため息をついた。
 そんな二人の様子を見ていた敦が首を傾けてそう言えばと聞く。
「太宰さんて車の運転とかしませんよね。どうしてですか。僕もするのに」
「そうですよね。そう言うものだとは思っていましたけど」
 敦の言葉に谷崎や賢治、鏡花の目が太宰に向き、全員首を傾けていた。じいと見てくる目にため息をついたのは太宰だった。眉間に皴を作ったのは国木田である、。
 与謝野が苦笑している
「それはこいつがとんでもない運転をするからだ。あれでは車がいくらあっても足りん。だからこいつは運転禁止なんだ。
 それを車で行きたいだろ。事故でも起こして死ぬ気か」
「そんな気はないけど、電車には乗りたくないのだよね」
 国木田の眉間には深いしわができている。どう見ても怒っている。太宰は唇を尖らせる。
 あの嫌な時間がもう明日にはやってくる。
「電車に乗るのがいやって今更どうしたんだい」
「嫌ね……」
 口にしながらどうしようかと迷った。痴漢なんて今更のことだ。しかも私事。仕事を優先させた方が探偵社として良い。良いのだけど
「痴漢に遭うのだもの」
 言ってしまっていた。
 はあとその場にいた全員の声が響く。目を丸く見開いている。話をほとんど聞かず懸命に仕事をしていた事務員たちも太宰を見ていた。
 ち、ちかんってと敦が戸惑った声を出した。太宰はえへと笑っている。
「なんか私が月のこの日この時刻に電車に乗るっていうことがばれてるみたいでね。毎度しつこく痴漢されるのだよ。それが面倒でね。できれば車がいいな。
 なんてね」
 太宰はヘラヘラと笑っている。駄目なんて聞いてみると国木田やみんなの口が金魚みたいに何度も開いていた。驚愕しているのが伝わってくる。
 お前と国木田がもつれながら叫んだ。
「どうしてそういう事を早く言わないんだ! この馬鹿!!」
「いや、だって仕事には直接関係ないし、」
「なくとも一大事だろうが!
 ああ、もう!! 分かった車で行けるものに運転してもらえるようにするから何時ぐらいに行けばいいのか教えろ」
「え、別にそこまでは。自分で運転するからいいのだけど。他の人を巻き込むなら普通に電車に乗っていくし」
「いいから。何時に行けばいいんだ」
「え……と、六時ぐらいだと思うけど」
「わかった」
 国木田が深いため息をつく。被害者なのに何故だか肩を揺さぶられた太宰は何か納得いかないと思いつつ電車に乗らなくてよくなったと肩をなでおろしていた。
 これでゆっくり仕事ができるとそう思ったが、周りには気づけば人が集まっていた。
 大丈夫ですか。何処の電車。私がやりにいくなど様々な声がかけられ始めていた。やんややんやと騒がれ太宰は頬を引きつらせる。
 えーーと声がでた。助けだしてくれたのは与謝野だった。
 何だかんだと聞いてくる皆を抑えて、それでと太宰に向けて笑った。あ、助けられてはなかったなと太宰はすぐに判断した。
「どんな奴だったんだい。というかあんたのことだから全部把握しているんだろう」
「否、そう言われても私相手の顔も見てないから知らないのだけど」
「はあ、何を言ってんだい」
「えーー、だってそんなことわざわざ気にする必要はないと思っていたから」
「あんたね」
「それじゃあどうやって相手をやりにいけばいんですか」
 凄い勢いで詰め寄られる太宰はどうってと困った声を出した。やりにいかれてもこまるのだけどと思ったが口には出さなかった。
「え、っとね、まあ、私がおとりに」
「ばかなこといわないでください」
「駄目」
「だよね」
 はあと太宰はため息をつく。じゃあ、どうしろとそいう言いたかった時、太宰の目に社長室の扉が開かれるのが見えた。
 福沢はそこにいる太宰を見つけ、その周りを見て軽く目を見開く。部屋の様子を見渡してから口を開いた。全員福沢が来たことには気づいており、太宰の事で何かを言いたそうにして福沢を見ていた。
「先ほどから騒がしかったが何かあったのか」
「それが太宰の奴が痴漢に遭っているらしくて」
「は……」
 福沢が問いかければ恐る恐る国木田が答えていた。福沢の口が開き、その口もまた見開かれていた。福沢を恐れるように見ていた周りはえっとその変化に首を傾ける。
 いつまでたっても福沢は呆けたままだったのだ。
 二人が恋仲のことを知っていて腹を立てるのではないかと戦々恐々としていた面々は目を丸くしてどうしたんですかと問いかけていた。いなと福沢が口を引きつらせながら太宰を見ていた。それから太宰が言ったのかと聞いていた。そうですけどと答えれば福沢はそうかと驚愕に目を見開いたまま頷いていた。
 数分そのまま動かなかった。
 暫くして太宰に明日の電車かと問いかけている。太宰が頷けばそれでは私が車で送ろう。直接顔を合わせてもいいだろうとそう告げていた。社長の決定だ。覆すようなものは誰もいなかった。


 その日の夜、太宰は自分の席で首を傾けていた。食卓に並ぶのはカニ鍋に蟹のお浸し、太宰が好きなものばかり。ついでにとてもいいお酒もある。 
これはどうしたんだとそう思い福沢を見れば福沢はとても穏やかな顔をしていた。
「……何かお祝い事でもありましたか」
 福沢の機嫌はとても良い。こうして見ているだけで伝わってくる。太宰はほんの少し面白くない気持ちになっていた。
 仮にも恋人が痴漢に遭っていた事が分かったのだ。不機嫌になるとか心配するとかしてくれてもいいと思うが。そう感じてみる。
 福沢は困ったように目じりを下げるがそれでもやはり機嫌は良いように見えた。
「まさかお前が自分から痴漢に遭って困っているなどという話をするとは思っていなくてな。痴漢に対して腹だたしい気持ちはあるものの、もう無理なんだろうと諦めていたことが叶ってそちらの方が嬉しいのだ。
 今後はそう言う事があればすぐに教えてくれ」
 いつになく穏やかに笑った福沢。その言葉に太宰は目を丸くしてそれから小さく頷いていた。少し遅れてその頬が赤くなっていく


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