あの人は強いだけではなかった。
 強くて格好良くて、それでいて可愛らしい一面もあった。見た目のわりに猫舌なのか熱いものを食べて驚いたように目を丸くしたりするような時があるのだ。だけと一度口をつけたものから口を離すのは気になるのか、必死に一口食べて残りをさます。
 稀な姿だけど見られるとその日一日とても楽しい気持ちになれた。一番初めに見たのは確かあの人がお弟子さんと一緒に歩いている時だった。一人で行っていた仕事の終わり、途中で出会ったお弟子さんと一緒になって歩いていた。
 私と同い年らしい子供だった。
 家があの人の近くでひったくりを取り押さえる現場を目撃してあの人にで弟子りしたらしい。最初は戸惑っていたらしいあの人も熱意に圧されて弟子入りを認めたとか。
 同い年で親しくしてもらえる彼が少し羨ましくもあった。
 が、見ていたら分かるが彼はかなり生真面目な性格。学問にはげみながらあの人とのけいこも真面目に取り組んでいる。弱音も言わないその姿勢をあの人は深く買っているようなので、私には無理なことだとそうそうそんな気持ちはなくなった。
 人助けしたい。正しい事をしたいと本気で思っているような男だ。だからこそ師事できるのだ。
 そんな師弟は珍しく二人で歩いていた。
 あの人は弟子の腹がなるのに足を止めていた。あの人にはばれるが、彼なら大丈夫だろうとドキドキしながら仕掛けた盗聴器は感度良好。その腹の音まで聞かせてくれた。あの人の声が少し遠いのが残念だった。もっと背が高ければいいのに、あのちび。
 でもそれでもあの人の声も聞こえてきてとても嬉しかった。
 足を止めたあの人はお弟子さんにお腹が空いたのかと聞いていた。お弟子さんは多分首を縦に振ったのだと思う。あの人以外の人の顔を見てないから知らない。ただあの人がそうかといってきょろきょろとあたりを見たのだ。
 口を引き結んだいつもの少し怖い顔。
 その顔であたりを見渡して、そして、ふとその口元を薄く引き伸ばしていた。
「焼き芋を食べるか。私もお腹が空いているのだ。付き合ってくれ」
 低い声は一見すると不機嫌に思えてしまいそうなほどだ。だけど私はその声が不機嫌などではないことを知っていた。お弟子さんは知らないのだろう。すみませんと小さくなった声が聞こえる。怯えているような声。あの人は少し困ったように眉を寄せる。口元がわずかに尖ったような気がした。あの人を困らせるような子供に殺意が湧くが、あの人の困った顔は滅多に見られないから好きだ。あの人の養い子がいる時もかなり困っている様子があるが、その時は怒っている顔をしている。怒りが全面に出ているわけではないのだが、口元を真一文字に引き結んで、どこか遠くを見ながら歩いている。ちょっと怖い顔だった。
 今の顔はそれよりは怖くない。
 その顔を見るのは好きだった。
 気にしなくてもよいかっらと言ってあの人は道から外れていく。待ってくださいとお弟子さんが後をついていく。ただ真っ直ぐに歩いていくだけだけど、あの人のそんな姿は人の目に焼き付く。ぱっとみ怒っているようにも見える。いつものことなのだけど、ただお弟子さんは悪いことをしたと落ち込んだばかりなのか、怒っていると思ったようで、どうしたらと不安そうに呟いていた。
 そんな不安どうでもいいから早くあの人の元に行って欲しいのだけど。あの人の声が聞こえない。あの人は手押し屋台の前に立っていた。 
そして店主と話している。
 声を聴きたいのに、距離が離れていて聞き取れない。悔し。
 お弟子さんにつけるのはやはり間違いだったかもしれない。声が少しでも聴けるのは嬉しけど、聞けないのも多くて嫌になる。
 そう思っていたらあの人は店主から焼き芋をもらって、代金を渡していた。
 後であそこの金庫盗もう。代わりに札束を置いていけば問題ないだろう。そんなことを考え実行した
 ほらと盗聴器にあの人の声が聞こえた。嬉しくなって跳ねる。
「うまいぞ」
「すみません」
 あの人は芋を半分にして差し出していた。あの人が差し出すのにお弟子さんは受け取っていた。折角あの人からもらえたのにちっとも嬉しそうじゃない。そんなのなら私に変わって欲しいぐらいだった。
 口を尖らせてしまう。あの人も困ったようにしていた。どうするかと考えながら一口食べる。びっくりと跳ねた肩。何時になく大きく口が開いていた。あっつと聞こえてきた声。えっと見つめたのに、大丈夫ですかとお弟子さんも驚いたように聞いていた。あの人はすぐに答えずしばし待てと手で静止して、噛みついた芋を一つ齧っていた。
 口元を抑えながら咀嚼して飲み込む。飲み込んだ所で口を離して大丈夫だ。
少々熱かっただけだと告げる。お前は気をつけろよと言ってふうふうと芋に息を吹きかけていた。
 え、なにあれ、よく分からないけど可愛いと胸にぎゅんと来た。
 好きってそう思った。
 あの人は一口食べてお弟子さんを見ていた。お弟子さんがどんな顔をしていたのかは知らないけど、あの人は少し恥ずかしそうに頬を掻いて乱歩には内緒だと人差し指をたてる。
 その場にいたのが私じゃないことに酷く恨んでお弟子さんと変わりたいと思った。
 殺してやろうかとも思ったけど、あの人が悲しむと思ったのでやめておいた。
 とにかくあの人にはそんな可愛い所があった
 さらにあの人には可愛い所があって猫が好きだった。だけど猫にはあまり好かれていないらしい。というか動物全般に好かれない。獣じみたオーラを纏っているからだろう。あの犬でさえあの人を前にすると大人しくなって、遠ざかっていく。
 猫と言えば前にこんなことがあった。
 その日、あの人は街で見かけた猫に煮干しを与えようとしていた。だが猫はつんとそっぽを向いてあの人の元から去っていく。しょぼんとあの人の肩が落ちていた。
 それだけでもかなり可愛い。キュンキュンする。愛しいと思ってしまう。そこににゃあと茶色の三毛猫が来ていた。にゃああと尾を揺らして泣く猫はあの人の元までとことこ歩いていく。猫に振られたばかりのあの人は歩いてくる三毛猫をじっと見つめる。
 何かを求めているように見つめていたと思うと煮干しを猫の元に出していた。
 猫がそんなあの人をじっと見つめたかと思うとその口を開けていた。あの人の手から煮干しを受け取る。嬉しそうに口元がほんの少しだけ緩んでいた。煮干しを食べる猫をじっと見つめて、そしてその猫の体に手を伸ばしていく。
 ふわふわとした猫の毛に触れた。それから撫でていく。猫は好きなようにさせている。口元がさらに緩んだが、少し上がったくらいの感じではたから見たら無表情で猫を撫でてるように見える。

 そういう所も可愛かった。
 もっと見たいなと見つめてしまう。でも私は知っていた。
 あの三毛猫はあの人の師匠夏目先生だった。
 夏目先生はそう言う異能を持っているのだ。何で弟子に撫でさせてあげているのかは謎だが、真実だ。知ったらあの人はきっと落ち込むのだろう。面白い反応を見せてくれるかもしれない。見たいなと思ってしまうけど、我慢した。
 いつか見られる日があると良いのだけど。
 いつかと言えばいつか返さなくてはいけないものを持っている。
 それはあの人の羽織だった。あの人はいつも羽織を羽織っているのだが、ある時それを手に入れてしまったのだ。
 ほんの出来心。
 つい魔が差してしまってのことだった。
 不思議そうにしていたものの代わりの羽織を持っており、気にしている様子がないのにいつまでもそれを己のものにしてしまっていた。
 いつかは返さなくてはいけないとちゃんと思っている。でも返すのは名残惜しくて嫌だった、
 むしろもっともっとあの人の羽織が欲しいと思ってしまうのだ。あの人が持っている分全部欲しかった。

 何となくだけどそれほど特別な感じがしたのだ。
 あの人がいつもはおっているのも理由だろうが、それよりたまに見る光景がそう感じさせるように思う。
 ごくまれにでもないが、まれにあの人はその羽織を誰かに掛けてあげることがあった。その姿が何となく好きだった。
 会社の中、事務員の一人が寒そうにしているのを見て何かしらの言葉をかけるあの人。ぼそぼそと話す表情はいつもと変わらずぎゅっと引き結ばれたものだった。でもこれでもかけておけとでも言うようにそっと事務員の体に羽織を掛ける姿はとても優しく見えた。
 また何事かを言ってその場を離れる姿がとても眩しかった。
 他人にもかけて居るところを見たことがある。
 任務終わり、徒歩で探偵社まで帰っていたあの人はその途中でふと足を止めていた。何処かを見つめた。じっと見つめている瞳は少しばかり険しい色になっている。何があったのかと思った矢先、あの人は歩きだしていた。そして少し身をかがめて誰かに話しかける。望遠鏡の中に僅かにその誰かの姿が映った。
 小さな子どもであった
 どうやら泣いているような子供にあの人は何かを言っていた。
 子供は怯えているようでさらになく。あの人は困ったように肩を下げていた。口元がほんの少し歪んでいた。何かを必死に告げている様子であった。そのすぐ後あの人は何かを思い付いたように懐に手を入れていた。何をするのだろうと見て居ればそこから取り出したのは駄菓子の詰め合わせだ。どうぞと子供に差し出している。
 子供はあの人は怖いが、お菓子は嬉しいようで目を丸くして手の中のものを見ている。あの人の口角が少しだけ上がって何かを言っている。
 分かりづらいけど笑みを浮かべている。子供は恐ろしいけど危ない人ではないのを感じたのだろう。その手を伸ばして受け取っていた。
 一言二言。何かを話している。
 そうしたかと思うとあの人の手が伸びて子供の手を繋いでいた。周りを見ながら何事かを呼びかけている。何をしているのかさっぱり分からないが、何かしらの世話を焼いているのだろう。あの人はそう言う人だった。
 優しい人だ。
 じっと見ているとそのうち子供が立ち止まってしまっていた。俯いていくのにあの人は声をかけて居る。寒くなってきていたのに子供は薄着であった。寒かったのか何なのか。あの人の手が羽織を手にして、子供にかけて居た。そして子供を抱え上げている。
 子供は何処か気まずそうにしながら、何かを問いかけているあの人に首を横へ振っていた。羽織を抱きしめている。
 とても暖かそうだった。
 そんなすがたを見るのが好きだった。
 ある日、公園であの人と彼が養っている子供が休んでいた。仕事の帰りだ。恐らく子供が我が儘を言ったのだろう。あの人は深いため息をついて嫌そうにしていた。
 暫く公園のベンチで休んでいたのが、そろそろと立ち上がる。そのすぐ後であの人の顔はますます険しいものになった。
 口を引き結んで怒りをあらわにする。じっとしたを見下ろしていた。何を怒っているのだろうと不思議に思っていると暫くしてため息をついて肩の力を抜いていた。羽織を脱いでいる。脱いだ羽織をどうするのかと見ているとベンチに座ったままの子供にかけていく。よく見ると子供は目を閉じて安らかに眠っているようだった。
 あの人の怒りの理由が分かって少しだけ羨ましくなった。
 あの人は暫く考えてから子供の隣に座る。あの人のなら眠っている子供を運ぶこともできるだろうが、そうしなかったのは面倒になったからだろう。子供が起きるまで待つことを決めたようだった。
 かなりの時間が経ってから子供が起きていた。
 起きた瞬間子供は何か文句を言っており、あの人は眉間に青筋を浮かべながら歩きだしていく。その後を追いかけて子供が走る。その時にひらりとあの人が子供にかけて居た羽織が落ちていた。
 目でそれを追ってしまった私は誰もいない公園を見て魔が差したのだ。
 今ならと思い、そしてあの人の羽織を手にしてしまった。どくどくと鼓動が音を立てていた。 あんな音をたてたことはあの人にあった時ぐらいしかなかった。
 人が来る音を感じてすぐに隠れた。来たのはあの人だった。何でおいてくるんだと怒っているが、子供は福沢さんが悪いんでしょうとこれまた怒っている。見つかったらやばい吐息を潜める。あの人は羽織がないのに気付いて不思議そうにしていた。どうしてと首を傾けている。
 ただないのであれば仕方ないだろうとすぐに引き返していた。
 ほっと安堵する。手にした羽織はとても暖かかった。



 あの人が好きだった。大好きだったのだ。
 だけどそれはある日嫌いに変わってしまった。
 あの人のことが大嫌いになった。


 それはあの人が一人の女の子を助けた日だ。 
 私はその女の子についてよく知っていた。森さんがその子のことを気にしていたのだ。わたしの理想の女の子にして稀有な異能の持ち主。あの子がいればとよく口にしていた。ある日あの子を迎えに行けるとそれは楽しそうに私に話した。仲良くしてあげてねと何度も言われた。
 興味は殆どなかったけど、覚えてしまう。面倒だったけど、森さんが迎えに行ったあの日、私もその場にいたのだ。
 そしてあの人が森さんと敵対してまで、あの女の子を助けようとするその場を見た。あの人は優しい人だ。それはもう優しくて、優しい人であろうとしている人。だから色んな人を助けてきた。これからも助けていくのだろう。
 それは分かっていたのだ。
 分かっていたけど、それでもあの人が助けるのは光の世界の、いうなれば善人の類だけだと思っていた。
 だから女の子を助けに行ったその姿を見て、今まで共闘し、少々違うながらも横濱を守ると言う同じ志を持っていた森さんとまで敵対するその姿を見て何かにたたきつけられたようなそんな気がしたのだ。
 刃を交える二人を見て胸が串刺しにされていたのだ。
 夢見ていたことが全て壊れていくようなそんな感覚があった。
 それで、その時気付いた、
 あの人のような誰かが自分をここから新しい場所に連れていてくれるのを望んでていたのだと。それはこことは違うもっと、明るい場所で。誰より自分に似合わない場所。
 そんなところに行けるはずないと分かっているけど、それを夢想していたのだ。夢見て願って望んでいた。
 森さんが手に入れようとした女の子。こちら側の子供を助けすあの人によってそれはみるみるうちに壊されていた。
どうしてなんで、ずっとずっと僕の方が長いこと待ち続けていたのに。それなのにどうして、
 僕は置いていくくせに。その子は助けるの。その子を助けるなら僕だってここから連れ出してよ。
 子供のように激しく思いは渦巻いた。だけど言葉が出ていくことはなく、私はあの人のことを嫌いになったのだ。


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