普通の人は考えもしないのだろうな。たった一度頭を撫でる。それだけの行為で化け物に取り憑かれることになるなんて……。


 あれは私がまだ森さんに出会う前の事だった。あの頃の私は本当に酷い生活をしていた。泥を啜るような、なんてものよりももっと酷くて自分自身が泥になってしまうようなそんな生活だ。
 私の周りには誰もいなくて一人だった。一人どうしようもないことをして生きていた。誰かに言われるがまま盗み、殺し、抱かれ、そうやって生きるための食べ物を手に入れていた。この世界のことなんてまたにどうでも良かったけれど、あの頃の私はまだ死にたいだなんてそんな気持ちすら持ち合わせることができなかった。
 ある日私は頼まれ人を殺しにいった。殺すのは簡単だった。裕福で護衛もたくさんいた男だったが、近付いてお慈悲をくださいなんて肌を見せながら懇願すれば男はすぐに抱いてくれた。そして隙ができたところで私は刃を突き立てる。呆気なく死んだ男を見下ろしていたら、男が上げた声に気付いて護衛が駆け込んでくる。男が部屋のなかに仕込んでいた銃で護衛を撃ち殺す。
 周りに気配がなくなるのに私はその部屋でしばらく佇んでいた。動こうと思えば何時でも動けたけれど、そんな気が沸かなかった。何時もの事だった。いつも死体の前で暫く立ち止まってしまった。見下ろしてこんな風になったら私はどうなるのだろうかとそんなことを考えていた。
 そんなところに訪れた気配。
 殺さなければと銃を握りしめたのに、見えたのは呆然と立ち尽くす男だった。銀の髪が外の光を写して光っているように見えて目を閉ざした。明るいのは嫌いだった。明るいと周りから指をさされる。石を投げられる。汚いと追い払われる。だから思わず目を閉ざしてからまた開いた。殺さないとと指先に力を込めるのに、握りしめられていた刀が目にはいる。
 その刀がからりと落ちてあれ?と思った。まだ撃ってないのにと男を見る。男は苦しそうな顔をして私を見ていた。
「お前がやったのか」
 男が聞いてくるのに私は頷いた。そうかと呟いた男が近付いてくるのに私は銃口をあげる。殺さなきゃとおもって、でも何のためにと考える。男は私が殺すよう言われた相手ではない。その護衛でもない。殺す理由がなかった。銃が手から落ちていた。男の目がそれを追いかけるのを私は黙ってみていた。どうなるんだろうってそんなことを思った。殺されるのかなと思うのに特になにも沸き上がってくるものはなくて、何でみんな殺される寸前、あんな顔をするのだろうかと考えていた。
 男が私の前に来た時、私は何もかもがどうでも良かった。
 そんな私の頭の上に男は手を置いた。私を見下ろしながらお前はと、何かを言いかけて口を閉ざす。男自身どうしてよいのか分かってなさそうな顔をして、ぽんぽんと私の頭に触れていく。
 どうでも良かった私は何をされているのだろうと男を見上げた。殴られているわけでも髪を引っ張られているわけでもない。始めての感触。ただ頭を撫でられるのを呆然と感じていた。何だか暖かい気がするのにずっと男を見つめ続けてしまう。無言で撫でる男は何かを言うように口を開いては閉ざしていた。言葉を探しているのだろう男を見ていると、私はこの光景を何処かで見たことがある気がした。
 何処でだろう。考えて浮かび上がったのは日の光の中での光景だった。
 私と同じように小さな誰かが大きな誰かにそうされていた。そうされる小さな誰かは何時も……私とは違っていて。
 光は嫌いだっただから私はその場を逃げ出した。大嫌いなものから遠ざかりたくて。
 だけど本当は羨ましかっただけなのだと気付いたのは森さんに拾われた後だった。
 その日の一瞬を思い出しては何時も死にたくなった。
 私は私をそんな気持ちにさせる男をずっと恨んでいた。だけど、数年ぶりにその男に出会った時に沸き上がったのは怒りではななかっはた。怒りではなくて、何だか言葉に形容できないような、私の今の知識では知らないようなそんな思いで。喉から手がでてしまいそうな不思議な感覚。叫びたくなるのに声はでていかなくて。あの日感じた暖かさを一瞬のうちに思い出した。男が消えていたドアをじっと見つめてしまう。
 立ち尽くしてその場から離れられなくなるのに、何してるのと可愛らしい声が聞こえた。見るとすぐ傍に森さんの異能エリスちゃんがたっている。何時のまにと思う。気付けないほど、さっき見た男に夢中になっていた。今時珍しい和装姿。電球の光を受けキラキラ輝く銀の髪。間違いなくあの男で何でと思ってしまうのに、またエリスちゃんがどうしたのと聞いてくる。
「リンタローのお客さんが気になるの」
 聞かれるのに私は素直に頷いた。じっと、扉を見つめてはまたでてこないだろうかと考える。
「あの人は」
「リンタローの護衛。夏目長官が寄越したんだって。確か名前は福沢諭吉だったかしら?とても強いのよ」
「ふくざわ、ゆきち」
 エリスちゃんに教えてもらった名前を呟く。それだけで奇妙な感覚が強くなった。今すぐに扉をあけてあの男のもとに行きたいと思ってしまうのにエリスちゃんの声が聞こえる。
「どうしたの? 治? まるで恋しているみたいだわ」
 エリスちゃんの言葉が聞こえて私は吃驚した。吃驚してそれから、そうかと思った。ああ、そうか。恋してるんだって。好きになったんだって。
 エリスちゃんに手を伸ばす。えっとエリスちゃんが驚愕した顔をするのをみながら私は彼女に触れた。ふわりと彼女が消える。森さんが扉の向こうで驚くのが分かって私は踵を返した。何時ものように診療所を逃げ出す。ドキドキと胸が跳ねていた。
 どうしようかと考える。
 福沢諭吉さん。名前は分かった。他には何処にすんでいるのか。何している人なのかそんなことを知りたい。出会ったときのことを思い出す。あの人は刀を持っていた。その刀で私が殺した人を殺そうとしていて……。あの男に恨みを持っていた相手を調べればもしかしたら分かるだろうか。
 ああ、そうだ。今日はあの人の後をつけてみよう。そしたらあの人が暮らしている場所が分かる。





 自分で言うのも何だが私は優秀だった。 
 正直自分でも嫌になるぐらいには優秀であの人に出会って三日であの人についての情報、そのほとんどを入手することができていた。元は軍に所属する剣士。あまりに強くて天下五剣の一人として数えられては恐れられていた。軍に所属していたが主な活動は暗殺。戦争を続けようとしていた派閥のものを人知れず処罰してたのだ。
私と出会ったあの日もそうだったのだろう。あの男がどういう男なのかなんて欠片も知りもしないが、目先のことしか考えないような屑だったのだろう。その事に最大の感謝をする。
 おかげで私はあの人に遭えたのだ。
 そしてあまり好いていなかった森さんのことも好きになっていた。あの人は森さんの診療所によく来たから。軍を数年前に辞めたと言う男は森さんの師である夏目に指示したらしく、同じでしてとして森さんとともに横浜にはびこる悪党共を退治するよう命令を受けている時があった。
 その時に森さんの診療所に来る。私は診療所の部屋の中に隠れながらひそかにあの人のことを見ていた。あの人を見ると胸がどきどきした。話してみたいと思ったけど自分から声をかけることはなかった。ただ暇があれば毎日のようにあの人の後をつけていた。あの人は小さな探偵社の長だった。
 私と出会う少し前に子供に出会ったようでそれが何かしらの影響を彼に与えたようだった。そして夏目に指示し、夏目の協力のもとに探偵社をたてたらしかった。
 町の薄暗い所を担当することはあるものの基本的には善の組織であるようだ。その社員もあの人を含めて善の性質を持つ者が多いようだった。
 森さんとは共闘するものの馬は合わないようであった。
 組織的にも敵だ。太宰はまだマフィアに所属していないけど、森さんといる以上いつかはと分かっている。くだらないけれど森さんの元から逃げて何があるわけでもない。そう言うものだろうと思っている。
 きっと私があの人の前に立つ時、あの人は私を倒すべき敵だと認識するだろう。そして鋭い眼で睨んでくるんだろう。
 それはそれでいい気がしたけど、今の所は何かを起こすつもりはなかった。ただあの人の姿を見ているだけで幸せだった。



 あの人はとても強い人だった。
 片腕で人を投げ飛ばせる。
 あれは護衛任務の時だった。どこかのご令嬢の護衛。令嬢の後をついて回るあの人はいつもと違うスーツ姿だった。相手方が着物では嫌だと駄々をこねて洋服を着ることになっていた。どう見ても令嬢の方はあの人に気が合って腹が立ったけど、スーツ姿のあの人はいつもと違う格好良さがあってそれだけで幸せだった。スーツは相手が用意したらしいが、そんな所はよくやる相手だった。殺してやろうかと思ったけど殺すのは止めた。遠目からだけでなく近くからも見たかったけど、見られなかったのが残念である。
 スーツのあの人はいつもと違う服装に少しばかり窮屈そうにしていた。襟元を何度も抑える仕草が子供ぽくってちょっとかわいかった。
 令嬢に振り舞わされているあの人は面白かったが、そこそこ腹だったしかった。でも全体的に見ればよかったと言わざる負えないだろう。呆れたようにため息をつく姿が素敵だった。
 何より途中令嬢を襲ってきた刺客を彼女を守りながら蹴散らす姿が格好良かった。
 十数にいた相手をあっという間に一人で倒していた。狙撃手がいたのに令嬢を咄嗟に片手でひき寄せてかばいながら襲撃犯が下げていた短刀を手にして投げつけていた。見事なクリーンヒット。
 かなり離れた距離だったのにその一撃で狙撃手は伸びていた。
 狙撃手を狙う一瞬の眼差しは護衛ではなく暗殺者の目でどきりとした。
 心臓がぎゅっと握りしめられたような恐怖。遠くから見ているだけでも感じた。退治された男たちの恐怖はどれだけだっただろうか。だがさすが人一人狙うだけあるのが、そのうちの一人があの人たちに飛びついていた。が片腕に荷物を抱えたあの人に簡単にいなされていた。
 大丈夫ですか。恐らくそんなことを問いかけたのだろう。あの人は汗一つかいておらず涼しい顔であった。ますます令嬢があの人に惚れるのが分かったけどあれはしょうがなかった。
 私もあの人のその姿を見てもう一度惚れ直していたから。
 私もあの人にあんな風に守られてみたいってそんなことを思った。




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