行ってきまーす。大学生と言うのは案外忙しいもので休みの日の土曜日も学校に出掛けなくては行けなかったりする。時音も土曜日ではあるものの用事があって早朝から大学に向かおうとしていた。玄関を開け、門の外に出て待ち構えていた隣人に呼び止められるまでは
「時音!」
「良守!?」
 門を開けた瞬間呼ばれた名前。取れそうな程に勢いよく振られた首にぎょっと時音は眼を見開いた。驚いて大きな声で相手の名前を読んでしまう。
「あんたなにしてんのよ、こんな朝っぱらから人んちの前で」
「時音! 助けてくれ!」
「はっ?」
 呆れながら説教しようと口を開くのにその言葉は途中で遮られる。手をぎゅっと握られてすがるように大きな目が下から見上げてくる。その目は何処と無く潤んでいて……。最近はとんと見なくなっていた良守の泣き虫な顔にうっと喉を詰まらせた時音は続いて聞こえた言葉に怪訝な声を出す。助けてて何から。今はそんな危険な相手は相手していないはずだが。何があったというのかと思うのに聞く前からすでに良守は早口で捲し立て始めていた。
「実は今日兄さんの職場に行くことになって、でも俺一人じゃ怖いっていうか何話していいか分かんないって言うか」
 聞こえてくる声は早口すぎて何を言っているのか全く分からなかった。ただなんとか最初のみは聞こえていて、そしてその内容を頭で吟味してから時音は驚いた声をあげた。
「兄さんのって、治守さんの!」
「そう! 治守兄さんの!」 
 遮ってしまったものの良守にそれを気にする様子はなくキラキラとした目が時音を見上げる。時音の口元にも自然と笑みが浮かんだ。
「へぇ……。良かったじゃない。職場につれていてくれるなんて上手く行ってるんじゃない」
「そうなんだよ! 兄さん最近家族の話前よりもよく聞いてきてくれて、それに、なんか思い出してる記憶の量も多くなっててさ、じゃなくて! 助けてくれ!」
 きらきらと本当に嬉しそうに語っていた声は何故か途中で悲壮なものに変わった。顔を歪めて懇願してくる。
「た、助けてて」
 戸惑った声が時音から出る。話を聞く限り助ける必要があることなんてあるとは思えないのに良守の顔は必死で。何があったのよと問うのに良守の眉がぎゅっとへの時によった。
「俺勢いで行くって言っちまったけど今日になって急に怖くなってきてて」
「怖くって別にとって食われる訳じゃないでしょ」
 はあと出そうになった声。声こそ抑えたものの時音の顔は奇妙なものを見るものに変わっている。何を言っているのかと溜め息をつくのに良守は地団駄を踏んだ。その顔はどうしていいかわからない子供のもので迷うように目が時音を見ている。
「そうなんだけど! そうなんだけどでもさ、兄さんと今一緒にいる人と会うと思うと緊張すると言うか……。その……」
 ああ、もう! 恐くはないけどでも怖いんだよと支離滅裂な言葉を良守は口にした。まあ、分からないでもないかなと良守を見ていたら思えないこともない。
「爺や父さんには頼めないだろ。頼むよ、時音」
「頼むって言われたって私だってこれから」
 学校があるし。言おうとした言葉を飲み込んだ。不安そうな目が見上げてくる。いつの間にか男になっていたと思っていたのにこういうのを見るとまだまだ子供なんだなと思えて何となく放っておけなくなる。はぁあと時音からは盛大なため息がでた。
「仕方ないわね。行ってあげるわよ」
 なんだかんだ言って私良守には甘いのよね。そんなことを考えるのに良守が満面の笑みを見せた。
「ほんと! サンキュー時音」
 にかっと歯を見せて笑う姿に強烈に心を揺さぶられながらそっぽを向いてしまう。
「で、何時から」
「じゃあ、今すぐ行こう」
「今すぐってちょ」
 行くの。言おうとした言葉。今度は遮られその言葉は途切れた。手を捕まれて走り出される。戸惑った声が出るのに慌てた良守が振り替える。
「早くしねえとおくれちまうよ!」
 だったら待ってないで連絡しなさいよ! 時音の怒鳴り声が両家に響いた。


 きょとんと褪赭の瞳が瞬きを繰り返した。不思議そうに良守の隣にいる時音を見つめる。傾けられる首。
「あれ? 時音ちゃん」
 どうしてと言う声は良守の兄さんと輝いた声でかき消された。会えて嬉しい。兄さんの知り合いに早く会いたいと期待で満ちた目が見つめてくるのにまあ、いいかと思い良守に久しぶりと答えた。そして時音にも久しぶりだね。と笑顔で声をかける。
「……お久しぶりです」
 二人の様子、主に太宰の様子を見守っていた時音からは引き攣った声がでた。ぺこりとお辞儀と共に挨拶するもののその手はすぐに良守の襟元に伸びて自分のもとに引き寄せる。ぐえっと蛙がひかれたような声が出て、太宰がえっと驚いた。その姿は時音には見えていない。
「ちょ、ちょっと、良守!」
「何だよ」
 慌てながらも小声で話しかけられるのに良守の声もつい小声になった。
「あんた治守さんになんにも言ってないの!」
「え、何にもって」
 ひそめられてはいるものの責められていることがわかる声を時音は出す。最初の太宰のようにキョトンした顔を良守がしてあ、似てると思ったもののそれは後でと良守を責めるのを優先した。
「だから私が来るってこと」
「ああ、いってねえけど……」
「何で言ってないのよ!言いなさいよこのバカ!」
 何でそんなことを責められるのに良守はどうしてという顔をする。ああもうと片手で自分の顔を覆う時音からは深いため息が出ていく。このバカはと声がでるのに良守の口がとがって
「だって今日急に恐くなったから……」
「だからってね、せめてちょくぜんにでも」
 くすくす。ひそひそと話していた二人の耳に笑い声が聞こえた。二人の顔がぱっと上を向く。そこには良守と時音、二人を見ながら笑う太宰の姿があって……。
 目があって固まるのに太宰の笑い声がやんだ。
「あ、ごめん。二人とも仲良しだなって思って」
 ふふと、太宰が二人を見て笑う。二人のほほがかあと赤くなった。
「仲良くねえ!」
「仲良くないです!」
「あっ」
 声が重なる。それに二人の目があってさらに赤くなるのを太宰は見つめた。そっぽを向き合う二人だがお互いチラチラ気にしているようで。笑みがまたこぼれた。
「ふふ。二人は昔からこうだったよね。何だか懐かしいな」
 柔らかく太宰の姿に言い返そうとした二人だが言葉は消えていく。眼を見合わせて二人共に笑みが浮かんだ。
 仕方ないかというような笑み。太宰が笑っていることが嬉しかった。
「ごめんなさい。今日は急に来ることになって、迷惑でしたよね」
「そんなことないよ。時音ちゃんにもあえて嬉しいよ。荷物重そうだね、ほら、貸して」
「いえ、そんな……」
 頭を下げるのに太宰は柔らかな笑みを向ける。大学に行く予定だった姿で出てきてしまったのでノートやらが詰まった大きな鞄に手を差し出されるのに声が少し慌てた。
「言ったでしょ。男にはエスコートさせるものだって。ねえ」
「はい」
 大丈夫ですよと言うものの駄目だよと笑われてしまって指から鞄が離れてしまう。やっぱり重いね。疲れたでしょ。事務所ついたら甘いお菓子に美味しいお茶があるからねと歩くの少しだから頑張ってねと声をかけられた。
「じゃあ、案内するよ」
 はいとぼんやりとした声がでてくる。
「時音……」
 何となく二人の様子を見守っていた良守。時音の様子が何だか奇妙でじっと見つめた。どっどっと心臓が嫌な音をたてた。嫌な予感がした。ほぅと時音からため息が出る。
「やっぱ。治守さんって素敵よね……。あんたの兄さんだとは思えない」
 えっ? ええ? えええ? ええーー!
 声にこそでなかったものの心のなかでは絶叫が轟いた。
 赤くなった頬。ぽんやりとした顔で呟かれたのに良守の動きが止まった。ガーンガーンガーーンと不吉の鐘のような音が良守の中でなりひびいている。ぶつぶつと誰にも聞こえない小さな声が口から勝手に出ていく。
「兄さんが恋敵。まさか、兄さんが。そんな。でもいくら兄さんでも時音は、時音は、渡さないかんな。で、でも兄さんが」
「何してるの、早く行くわよ」
「良守? どうしたんだい」
 良守の事に気付かず先に行っていた兄と時音が同時に振り返る。それぞれ同じタイミングで問いかけてくる二人が似合いに見えて良守の中さらに鐘がなった。
「いや、なんにもない……」
 答えた声は鳴き声になっていた。


 時音が兄さんがと暫くは落ち込んでいた良守だが、探偵社に着く頃にはすっかり元気になっていた。行く道すがら太宰が彼処のお店はケーキがおいしいだとか、彼処のお店には可愛い猫がいるんだよと教えてくれるのが兄の生活の一部を知るようで楽しかったのだ。
 そしてついた赤レンガの建物。見上げた良守の顔は輝く。ここで普段兄が過ごしているのだと。
「ほら、一階に喫茶店があるだろう。大体毎日あそこでお昼を食べたり休憩したりしているのだよ。彼処のマスターがいれる珈琲は絶品なんだよ」
「へぇ、後で後でいきてえ」
「ああ、行こうか」
 断られるかと思った願いにあっさりと頷かれ良守の心は弾んだ。早く行こうぜと建物の中に入り階段をかけ上がっていく。ちょっと待ちなさいと時音が声をあげる。ふふと太宰からは笑みが浮かんだ。何階か分かってないだろうと聞こえないとわかっていても声が出た。
 待たせてもかわいそうだし急いでいってあげようか。はい。
 ふふと二人急いで階段を上がった。
「にいさーーん、ときねーー」
 階段を上がった二人は後少しという所で何処か分からずに待ちぼうけている良守を見つけた。その姿に思わず二人して笑ってしまう。どうして笑うんだよと良守が頬を膨らませ拗ねるのにさらに笑い声が落ちる。あーーもう!と声が上がるのにこれ以上すねさせたら可愛そうだ。行こうかと階段を上がった。良守が停まってた場所から一番近い扉のドアノブを回した。
「ほら、おいでここが探偵社だよ」
 にこっと笑った太宰にどきりと良守の胸がなる。期待と僅かな恐怖。目は輝いていた。ごくりと唾を飲み込む音につられるように時音も息を飲んでしまっていた。
 二人の様子を見ていた太宰からえみがうかぶ。そして今か今かと待ちわびていた探偵社の面々に紹介した。
「みんな、つれてきたよ。弟の良守と時音ちゃん」
 みんなの顔に笑顔が浮かぶのを見た。だけどその笑みはすぐに固まってしまう。
「ようこそ。いらっしゃいま……え」
 戸惑いの声が上がる。にっこりと太宰はそれに笑顔を向けた。良守や時音から隠したその笑みがえへへと何かを誤魔化すようなものになる。
 見えない良守と時音はお行儀よく頭を下げる。
「あ、始めまして! 治守兄ちゃんの弟の良守っていいます。あ、こっちは幼馴染みの時音で、えっと」
「初めまして。時音と言います。今日は良守が一人だと緊張すると言うので付き添いで来てしまいました。急に申し訳ありません」
「え、いや、大丈夫だ。寛いでいってくれ」
「あ、此方へどうぞ」
「……はい」
 仲良く二人揃った頭を見下ろして戸惑っていた面々が動き出した。ぎこちない笑顔になりながらも二人を部屋の中に案内する。
緊張した良守はなにも思うことなくただ右手右足一緒に動かしながら案内される場所についていくが、時音はことりと首を傾けた。何か変だなと思うのにおさもりさんはと目を向けると何故か背の高い金髪の人に首根っこを捕まえられているところだった。
ぎょっと時音の目が開く。えっ何がと思うのに太宰の姿が何処かに引きずられていく 
「おい太宰」
「ちょ、何するのだよ」
「いいから来い」
 ひそひそと話す声が聞こえてくる。ひそめられてはいるもののその声からは怒りが伝わってきて……。ど、どうしようと思うのにあ、大丈夫ですから、気にしないでくださいと白髪の少年が慌てて間に割り込んできた。
ほら、彼方にどうぞとソファに案内される。先に案内されていた良守がその様子に太宰と男の事に気づいた。ええと良守のめも見開く。何が起きたんだと驚く前で男、国木田の声が聞こえてきた。
「どう言うことだ。もう一人増えるなど聞いてないぞ!」
 抑えているけど抑えられていない声で怒鳴るのに太宰はてへぺろと舌を出す。その手がふざけるように自信の頭をこつんと叩いた。
「いきなりのことだったし」
「いきなりのことでも連絡ぐらい出来るだろ!」
「別にいいじゃないか一人増えたところで困ることはないだろう」
「困るわ! カップや皿などはいくらでもあるが茶菓子などはもしかしたら量が足りなくなるかもしれないだろ!」
「そのときは国木田君がどうにかしてくれたらいいよ」
「お、ま、え、は」
 にっこりと笑いかける太宰に国木田の頬が引き攣った。その手が太宰の頬をつねりあげる。
「いた、いたいよ」
 太宰が悲鳴をあげる。腕で顔をおおった後、涙目になるのにみえみえな嘘泣きなんぞするんじゃないとさらに怒鳴り声が聞こえた。はぁあと探偵社の面々からは深いため息が落ちる。
折角家族が来ているのに何をしているのだこの二人はと思うのに、ただ国木田の怒りも分かるので止められなかった。とりあえず太宰が悪いと思うのに、時音と良守は呆然と見ていた。
 何だかちょっと前に似たようなことがあったような。
「……なんか凄くデジャ・ビュ」
 時音が呟いたのにこくこくと何度も良守が頷いた。見た記憶があるどころではない少し前に自分達が繰り広げた光景だ。呆然と見つめる時音はほうと感心したような声を出した。
「あの、治守さんも良守みたいなことするんだ。やっぱり兄弟なのね」
「そりゃあ、まあ、兄弟だけど……なんか兄さんじゃねえみてえ。あんな姿初めてみた」
 二人のなかに浮かぶ太宰の姿。
時音ちゃん。良守とそれぞれの名前を呼ぶ声は落ち着いていてその顔はうっすらと笑みのようなものを浮かべているが仮面のようだった。落ち着いた目が何処かを見ている。
近の太宰も笑顔は昔よりも多いものもずっと落ち着いた大人の姿をしていて、今見るような姿は初めてだった。二人が戸惑うのにそれよりずっと戸惑った声が聞こえた。
「ええ? あんなのじゃないとしたら太宰さん何時もどんな感じなんですか?」
「え?」
 声に驚きそちらを見るとぎょっとした顔をする白髪の少年、敦の姿。
敦からしたら太宰はずっとあんなのであれ以外の姿を予想できなかった。なので二人の話につい声が出てしまったのだが、何だと見てくる二人の目にまだ名乗ってすらいないことを思い出して少し慌ててしまった
「あ、ごめんなさい。急に話しかけちゃって。気になったからまだ自己紹介もすんでないのに」
「あ、いや、そんな気にしなくとも」
 謝られるのに来たばかりだし、大丈夫ですからと咄嗟に謝り返した。じぃと興味のこもった目が向けられる。それは敦からだけではなくその場にいるほぼ全員からだった。太宰を怒鳴っていた国木田までもが見ている。
「えっと……何か俺からしたら兄さんは大人しいっていうか、いつもなんかきちりしてるイメージで」
 戸惑いながら口にした良守の言葉に探偵社の面々は胡散臭いものを見るようなめで太宰を見る。ええと言いたげな顔にさすがの私も傷つくのだけどなと思いながら取り敢えず笑みを浮かべた。えへへと、ごまかすような笑み。国木田がごみを見るようなめで見ている。
「お前、家族の前だと猫被ってるのか」
「いや、猫は被ってないけど……。さすがに弟に悪戯したりはしないだろ?」
「同僚にも普通はしないんだ!」
 ねえと同意を求めるように口にしたら返ってくるのは怒鳴り声。何を当たり前のことをと言いたげな声にまあ、そうなんだけどねと、口にする。そうなんだけど、国木田君はからかうと面白いから。ふざけるなよ太宰! また一方的な怒鳴り声が聞こえ出す。どこ吹く風で口笛を吹きながら太宰は耳を閉ざした。
 二人のいつものやり取り。
 それをみて良守と時音の二人はポカーンと口を開ける。あの兄さんが、おさもりさんがこんな風な態度とるなんてと心は完全に一致していた。
 あははと探偵社の何人かから苦笑が落ちた。
「なんかすみません」
「……どうぞ座ってください。すぐ落ち着くと思うので」
 座るように促されるのに二人はソファに座ってまだ騒いでいる二人の様子を眺める。怒鳴られてはいるものの嫌われているようではなく、二人を見守る他の人の目も暖かいもので大切に思われていることが伝わるようだった。
 良守の顔に笑みが広がっていく。
「何か安心した。兄さんあんまり感情表に出すような人じゃなかったから馴染めてないんじゃないかとか色々思ってたけどそんなことないんだな」
 うっすらと笑う顔。だけどそれ以外表情の変わらない兄。何処かぼんやりとして他と違っていた兄はよくお化けだ何だと言われて学校や周囲の子供たちから除け者にされ時には苛められていた。気にしてないよといつもの温度で言っていた兄だが良守はそれが悔しくて……。会社の人達とはよくやっていると福沢から聞いていたがそれが本当のことなのかどこかで心配していた。その心配が杞憂であったことを知って良守は良かったと息をついた。
 にこにこと二人の様子を見つめていたがあることを思い出して声をあげた。
「あ、そうだ! 俺、兄さんがお世話になってる人にと思ってケーキ作ってきたんです。みんなで食べてください」
 背負っていたリュックをおろして良守は入れていた箱を取り出した。あんた、そんなもの持ってきてたのと時音が呆れた声をだす。良守だから持ってきててもおかしくはないがそれであんなに走り回ったのかと。だが思い出せば昔からリュックの中にケーキを入れてアクティブに走り回っていた。ケーキが凄いのかそれとも良守がケーキを崩れないで走る技を編み出しているのか。そんなことを考えかけた時音だが大きく響いた歓喜の声にすぐにその思考はやんだ。
「やったー!! ケーキだ! 待ってたんだよ!」
 みんなの様子を一歩離れた所から見ていた乱歩が立ちあがり両手をあげている。ピョンピョンと跳び跳ねそうな姿に良守はへっと目を瞬いた。
「へ? 待ってた?」
 あれ、俺ケーキのことなんか兄さんに話したっけ? 電話貰ってからは連絡してないから伝えてないはずなんだけど? 何で? 疑問が巡るのに仕方ないなと乱歩は乱歩はため息をついた。
「前に太宰に
作ってきてただろう。太宰と福沢さんが二人で食べちゃったんだけど美味しいみたいだから僕も食べたかったんだ」
「そう、なんですか」
 ふふんと言われるのにきょとんと首を傾ける。ええ、それで何でと思うが何となく聞けるような雰囲気ではなかった。それが当然とばかりの雰囲気だったのだ。
「僕らも乱歩さんに聞いてから少し期待してたんですよね。本当にいただいていいんですか」
「どうぞ、」
 なんなんだろうと思いながらもリュックに積めてきた沢山の箱を差し出した。どれだけの人数いるのか予想ができずたくさんあればいいだろうとケーキの中に詰められるだけ積めてきたのだった。わぁと歓声が上がる。
「折角だしここでいただこうじゃないか! いいよね!!」
 楽しげな声が告げる。わくわくと期待の籠った目が白い箱たちを見つめていて。喜ばれるのが嬉しくて是非と答えようとした良守だったが、その前にちょっと待ってください、乱歩さんと制止の声が届いた。えっと動きが止まる。
「まだ自己紹介もすんでないんですから、すぐに頂くわけには。まずは自己紹介をしてから」
 制止の声をあげたのは太宰に怒鳴っていた国木田だった。それにたいして乱歩はいやげな顔をした。
「ええーー! 食べながら自己紹介でもいいじゃん!」
「そう言う訳には……」
「そうだよ。乱歩さん。我慢しな」
「えぇ……。僕は早く食べたいのに。もう太宰のせいだからね」
 我慢などという言葉が大嫌いな乱歩。ぶっすりと頬を膨らませ太宰をぎっと睨み付けた。僕楽しみにしてたんだからねとぶつぶつと呟かれるのに太宰はええっと苦笑した。
「私のせいですか。どちらかというと国木田君のせいでは。国木田君がガミガミガミガミ怒るから自己紹介できてないんですし」
「そうさせているのは誰だと思っているんだ!」
「ほら、すぐそうやって怒るから」
 また説教が始まりそうになるのにいい加減にしてよねと乱歩が怒った。早く僕は食べたいのと不機嫌な声がいう。そんな騒がしい姿を呆けたまま見ていた二人から笑い声が出る。
 ぷわっと吹き出したその笑い声に探偵社内は何とも言いがたい空気に包まれた。ごめんなさい。すごく待たせてますよね……。今日は悪いね。それぞれ気恥ずかしそうに謝罪の言葉を口にするのにううんと良守は首を振る。
「兄さんが楽しそうですげぇうれしい。これなら安心できるっていうか……、これからも兄さんの事よろしくお願いします!」
 ばさっと音をたてそうなほど勢いよく良守の頭が下に下がるのにふぇと奇妙な声が太宰から上がった。
「ちょ、良守!」
 何を言い出すんだいと慌てた声が探偵社内に響く。そんなこと言わなくてもいいんだよと太宰が言うのにでもと良守は声をあげた。兄さんを大切にしてくれる人たちだし俺もちゃんと挨拶しないと……不満そうな声がそう言う。じーーんと探偵社の面々は静になり感動にうち震えていた。あの太宰の弟がこんなに礼儀正しいなんてそんな声が聞こえてきそうだ。
「こ、此方こそよろしくお願いします。あ、僕は太宰さんの後輩の中島敦と言います」
 感動のままに勢い良く頭を下げる敦。彼に続いてそれぞれ自分の名を名乗り始める。ようやく自己紹介が始まったのだった。
「僕は谷崎潤一郎って言います。太宰さんにはお世話になっているのでこれからよろしく」
「妹のナオミですわ」
「俺は国木田独歩だ。くれぐれもお前は太宰のようにはならんようにな」「ちょっ、それは酷くないかい」
「喧しい。普段のお前の態度が悪いんだろうが」
「いたっ! いひゃいよ」
「まあ、あれであの二人はなかいいからあんまり気にしなくていいよ。
 それより妾は与謝野晶子。一応医者をやっているから怪我したら私のところに来な。治してやるよ」
「僕は宮沢賢治です。よろしくお願いしますね」
「僕は江戸川乱歩。まあ、困ったことがあったら相談してきな。太宰の弟だからね。気が乗ったら助けてやるよ」
「泉鏡花。よろしく」
 口々にされる挨拶にうわぁ、やべえと良守は慌てる。こんなに一気には覚えられないと。大勢に名乗られたときはその場で覚えず良く関わる人だけ話のなかで後から覚えていくようにしているが、兄の会社の人は今覚えておきたい。そういう思いがあった。ああ、でももうすでに何人か忘れてるとあわあわするのにはいと後ろ手にメモを掴まされた。へっと目が瞬く。
「あんた。こんな一気には覚えられないでしょ。特徴と一緒に書いてあげたから後からみなさい」
「時音!」
 良守の目が救われたと輝いた。配慮されてだろう。小声でぼそぼそとされた会話。だが探偵社社員にはしっかりと聞こえていて悪いことをしたなと思う一方微笑ましい気持ちで太宰の弟をみていた。
「さて! 自己紹介もすんだし今度こそケーキ食べてもいいよね。僕は早くケーキが食べたい!」
「乱歩さん、そんな言っていたら社長に「あ、はい。じゃあ、いま準備しますね」
「……まあ、いいか」
 やっと終わったとうきうきと声をあげる乱歩に怒られるよというはずだった与謝野の声は途中で止まった。嬉々として良守が開け始めるのにまあ、じゃあいいかと。それをみてあ、準備は私たちがやりますわとナオミがお皿等を用意し出す。あっという間に探偵社の事務室はお茶会の部屋に変わっていた。
「うわぁ! 凄い」
「本当にこれ手作りなんですか」
「プロの作品みたい」
 キラキラとした声が上がる。机の上に並ぶ無数のケーキたちはどれもこれも可愛く飾りたてられとても美味しそうなできだった。食べるのが勿体ないですねなんて女子たちが話す隙、一口と早速乱歩が口にいれていた。乱歩さんと声がするが今の彼はケーキに夢中だ。
「美味しい!」
 幸せそうな声が上がるのにはぁと与謝野から落ちるため息。まあ、良いじゃないですか。それより折角なんですから食べましょうよ。そうだね。早く食べないと乱歩さんに全部食べられそうだしね。それは大変です。
 手を伸ばす探偵社社員たち。良守はそれを期待のこもった眼差しで見つめていた。
 美味しいと次々に言葉にされるのに喜び、褒められるのに頬を赤く染める。えっへへと鼻をかく。ふふとその隣では時音が誇らしげに笑っていた。
「良守はこういうの本当に得意で昔からパティシエになるのが夢なんですよ」
 自慢げに口にしてしまう時音。本人はその事に気付いてないのにふっと太宰の口許に笑みが作られた。二人をにこにこと眺める姿を見るものは今はいなかった。みんな、時音と良守に視線が向かっている。
「そうなんだ」
「この腕ならすぐにでもなれるんじゃないか」
「お店できたら買いに行きますわね」
「これだと毎日行っちゃいそうだね」
「ですね」
 凄い凄いと口にするみんな。えへへと、笑いながらもあ、でもと良守は声をあげた。その視線が一度時音をみる
「あ、でも最近は建築家もいいかなって考えてて」
「建築家?」
 また随分と路線変更したなと男性陣の首が傾く。女子はええーー、勿体無いとがっかりする。こんなに美味しいのが作れるのにと言われるのに嬉しそうな顔をしながらも、もうひとつ別の意味で目をキラキラさせる。
「俺、お城作ってみたいんです!」
 力強く声にされた言葉。どやっ! とキラキラした顔のまま胸を張る良守。えっと首が傾く。何故に城。城は普通には作れないぞと。
「城???」
「小さくてもいいんですけど……その……」
 その疑問が口に出るのにえっへへと良守の口元には小さな笑みが浮かび目は時音をみる。赤くなるほほ。俯きながらごにょごにょと声が出ていく。女性陣の眉があがった。口元が自然と笑みの形を作る。
「おやおや」
 にやにやと笑う女性陣。女性陣とは別に男性陣は分からないようで特に国木田は奇妙なものをみるような目で良守をみていた。
「小さかったら城とは言わんだろう」
「そうじゃないですよ。国木田さん」
「?」
「国木田だけじゃなく男どもは全員鈍感だねえ」
 くすくすと笑う女性陣。なんだなんだと国木田だけでなく男性陣が首を傾けるのに時音もまた首を傾けていた。何なんですかと問い掛けるのにびゃっと良守の肩があがる。な、何でもねえよと慌てる良守。んん?? 首が幾つも傾く。
 そんな姿をみて太宰は笑みを浮かべる。
「ふふ」
 おやと与謝野が太宰のもとへいつの間にかよっていた。随分嬉しそうな顔をしているじゃないか。と声をかける。
「お兄さんは二人のこと応援しているのかい」
「そりゃあまあ、可愛いらしいでしょ二人とも」
「そうだね」
「昔から良守は……」
 時音ちゃんのことが大好きだったんでしょ。時音時音って後ろを歩いていたんです。そう言おうとした筈の声が止まったのはかつての記憶を思い出したからだった。
 あれは何処でだったか……。修行中、それとも遊んでいる時だったか。忘れたが何かあって泣いていた良守の傍に丁度時音が通りかかったのだ。時音。鼻をずっと噛んで名前を呼ぶ良守。そのまま良守は時音を追いかけて。時音はあまり良い顔はしなかった。
「あんまり来ないでよ。鼻水散るでしょ」
「でてねえだろ」
 もうと言われるのに頬を膨らませでていた鼻水を拭いて良守は否定する。でていたじゃないといっても出てないと言い張る。頑固な良守に時音からはため息が出た。
「はいはい。もう仕方ないんだから泣き虫は」
「泣き虫じゃねえ!」
「泣き虫じゃない。今日も泣いてたんでしょ」
「泣いてねえもん」
 はああと飽きれと共に口にされた言葉。違うと膨れる頬に何処がよと時音が言う。仲の良い会話とは言いがたいのに良守は時音の後をついて歩いていた。ぎゃんぎゃんと噛みつく姿は構ってもらいたいようで……。
 思い出した記憶に口の端があがる。
 幼い頃は何で酷いこと言われるのにあんなに後ろをついて回るのかと分からずに奇妙だなと思っていたが、今は思い出すその記憶がほほえましかった。きっとあの頃から良守は時音を好いていたのだろうと思って。
 目元がやんわりと細まるのに隣にいる与謝野も似たような顔をしていた。
「良いことでも思い出したのかい」
 問いかけられるのに微笑みで返す。同じく微笑みが返ってきて。
「そりゃあ良かったじゃないか」
 穏やかな声が囁くのに太宰は頷いていた。ええと穏やかな声が出て弟の姿を見守る。仲間たちに囲まれた弟は楽しそうにしていて迷ったけれど連れてきて良かったとそう思えた。
 笑みが深まろうとしてでも途中でん? と首を傾けた。見つめていた視線の先、探偵社のみんなに囲まれた良守の服の裾を鏡花が握りしめていた。何かを言いたいのかじいと良守を見上げる鏡花。
「どうしたんだろうね?」
「さあ?」
 何かあったのだろうかと首を傾ける二人。捕まれた良守も首を傾けて鏡花を見ていた。え、えっとと動く唇に後で時音が泉鏡花ちゃんよと小さな声でささやいている。
「え、えっときょ、じゃなくて泉さん? 何か」
 じいいと見上げる目。困惑が広がる
「鏡花?」
「鏡花ちゃん?」
「……何かあったのか?」
「ちょっと、良守この子に何か変なことしてないでしょうね」
「してねえよ」
 みんなが声をかけるのにも答えずに見つめ続ける瞳。その様子に時音が攻めるような目を良守に向ける。すぐに答えた良守だが、多分と付け加える声は小さい。多分何もしてない筈なんだけど……。無言で見つめてくる目は強くて自信がなくなってしまう。
 マジでなにかしったけと考え出してしまう。でも、いくら考えても心当たりは出てこずに。ええい、ままよと良守は聞くことにした
「えっと、あの、どうした? 俺なんかまずいことしたかな」
 ふるりと鏡花の首が振られた。左右に振られている間も瞳はじっと良守を見ていて怖いと思うのに鏡花の口が開く。
「えて」
 小さな声だった。聞き取れずに首を傾ける。今なんてと聞き返そうとしたところきっと睨み付けてくるように見上げられ今度は聞き取れる声が聞こえた。
「私にケーキの作り方教えてください」
「へ?」
 何を言われるのかと身構えた良守は聞こえてきた言葉に声をもらす。予想していたのとは百八十度違う何ともも平和な言葉だった。ああなんだと周りからも安堵の吐息が落ちる。
「ケーキ、つくりてぇの」
目線を合わせた良守が問い掛けるのに鏡花はことりと頷く。にっぱと良守は笑みを浮かべた。
「じゃあ、今度教えてやるよ。今日は流石に材料とか用意してねえからな」
「ありがと」
「それなら是非私にも教えてくださいな」
「いいぜ」
 肯定が聞こえるとと共にふわっと顔に喜色を浮かべた鏡花。あまり顔にはでないもののふわふわと花を飛ばせる鏡花にそれならとナオミが手をあげた。にこにこと笑い会う三人。可愛らしい風景だった。そのなかでぽんとナオミが手をうつ。思い付いたと笑って周囲から少し離れていた太宰たち二人の方向を見る。
「与謝野先生もどうですか」
 へっと会話を見守っていた与謝野は突然の話に目を丸くする。まさか自分にまで声をかけられるとは思わずに。がしがしと頭をかいた。
「いやー、妾はそう言うのはもっぱら食べる専門だからね」
「良いじゃないですか。たまには」
 作るのはねと言うのにナオミが良い募る。見つめてくる二対の目は輝いていた。是非是非とその視線で強く訴えてくる。
「えっと……、自分で作ったケーキ食べるのも普段と違ってまた凄くうまいですよ」
「まあそうだね。折角だしね、妾も教えてもらっていいかい」
「はい!」
 どうしようかと悩んだとき良守にまで進められてしまった。与謝野の目は太宰を見る。にっこりと隣で笑う太宰は何も言わないけどその顔もまた是非一緒にやってください。そしてその時の様子を私にと語っていた。
 ため息と共に受け入れることにする。
 にこにこと笑う太宰をじろりと睨み付ける。ありがとうございますと口にした太宰はではといって与謝野の元から一歩離れていた。
 何だと太宰が行く方向を見つめた与謝野の口元にはあらまとにんまり笑みが広がる。そこには何処と無く詰まらなそうな顔をした時音がいた。いそいそと近付いていく太宰は時音に向けて何やら意味深な笑みを向ける。向けられた時音の顔は本人は気付かないだろうが少し赤く染まって
「何ですか」
「何でもないよ」
 ますます深まる太宰の笑み。殆どの視線は良守と鏡花たちに向いて気付かれてない二人の姿にやれやれと与謝野のは首を振った。
 悪い兄もいたものだと。でも、己もあんなかわいい妹や弟がいたら同じようなことをするのだろうなと考えてから福沢と太宰が付き合い出した当初を思い出した。するではなくもうしていたなと。



 わいわいと騒いでいた探偵社と良守、時音の二人だったが日が傾いて来たことでそろそろ帰ろうかと言うことになった。名残惜しいもののまたくればいいだけの話だからと太宰から言われて嬉しくなっていきようようと帰ろうとした。そんな良守にああ、そうだ変える前にと与謝野が声をあげた。
「折角横濱二人で来たんだから最後に少しだけでも観光してきたらどうだい。道案内なら太宰がしてくれるよ」
「え? でも……」
 上手い飯屋とかもあるからさ、太宰がよくいく店にでも行けばいいと言われるのに良守の好奇心は大きく刺激されてしまった。行きたい行きたいと瞳が輝いて太宰を見るのにくすりと笑みが落ちる。
「そうだね。折角だし行こうか」
 太宰が立ち上がるのにさらに瞳を輝かせた良守。ついてないはずの尻尾がふりふりと大きく振られている姿が探偵社の全員に浮かんだ。大きな犬の尻尾。種類こそ違うものの太宰だと全員が思った。
 可愛いものだとめでたい気持ちが溢れるなかそうだとまた与謝野が声をあげた。
「いくなら後十分ぐらい待ってくれるかい。うちの社長が帰ってくるはずだから社長をつれていくといいよ」
 ぴくりと太宰の肩が跳ね上がるのをめざとく探偵社の全員は見ていた。えっ社長とぴくぴくこれまたついてないはずの耳が動いている。弟と妹みたいな隣の家の女の子、それに恋人とお出掛けなど絶対に楽しいと思っているのがあの太宰だとは思えないほどはっきりとわかる顔をしていた。
「社長ならきっともうすぐ帰ってきますよ。先程メールで事情を送りましたから。返信はないですけどきっと今頃急いでいるはずですわ」
「よし、妾は五分後にかけよう」
「僕三分後」
 にこにこと探偵社の者が話すのにちょ、ちょっと待ってくださいと時音が声をあげる。社長だなんてそんな偉い人にまでご迷惑をお掛けするわけにはそんな声が聞こえるのにああと何とも言えない空気が流れる。そっか。社長と太宰の関係を知らないからと。
「気にすることはないよ。社長は太宰の……まあ、家族の前で言うのもあれだけど仮の保護者みたいなものだからね」
「そう、何ですか……」
「兄さんの大切な人なんだって」
「そうなんだ。治守さんの」
 だからきっと大丈夫だぜと嬉しそうに話す良守にそれならと時音は頷いた。もう少し待っててくださいね。と誰かが言おうとしたときガチャリとドアが開いた。
よっしゃと乱歩が声を出す。立ち上がり小躍りする横で与謝野は机の上にたおれこんだ。やっぱり乱歩さんとかけするもんじゃないね。駄菓子でいいかい。いいよ。二人がそんな会話をするのにドアを開けた人物、福沢は眉を寄せた。
何の話か分かりたくもないのに分かってしまったのだろう。だが何かを言う前に視線を太宰や良守、時音に向けていた。
 よく来てくれた。楽しんでもらえただろうかと良守に言い、時音にも初めまして。太宰のために来てくれてありがとうと伝えていた。はいと元気に答える良守に、そんなと首を振る時音。ほほえましそうに見つめる太宰。
 あまり遅くならないうちに行こうかと福沢は三人に向けて手を差し出していた。太宰がはいと頷くと行こうと笑いかける。良いのかなと目を合わせ周りを見た二人は優しく見つめられているのにありがとうございました。これからもよろしくお願いしますと伝えて二人のもとに向かっていた。
 



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