無事仕事が終わりました。依頼人も大喜びでしたよと太宰が笑って語ったのはその一週間後だった。
 福沢が思わずじろじろと太宰の体を見てしまうと怪我なんてしていませんよと太宰は笑っていた。はい。これ報告書です。渡される紙には丁寧に事の次第が描かれている。中には渡した情報についても混じっていた。今後も依頼をしたいそうですよと太宰が言ってくるのにもう二度としてくるなと思いながら福沢はそうかとだけ言っていた。
 それよりと太宰をじろじろと見る。怪我はしていないかとその口が聞いていた。
「していませんと言いましたが」
「確かに言っていたが本当かどうか不安だ。与謝野に見てもらえ」
「していないのにいりませんよ」
 太宰の声はどんどん不機嫌になっていた。嫌そうに眉を寄せてじっと福沢を睨んでいる。いい加減にしてくれませんかと太宰は言った。
「大丈夫といっている以上、心配されるのは不愉快です。私がいらぬへまをするとでも思っているのですか」
 はあと出ていくため息。睨まれ福沢は少しだけ動揺した。言葉に悩み、目を泳がせる。何度か口を開いたがうまく言葉は出ていかなかった。その間も太宰はにらみ続けていて、その目をまともに見た福沢は一度大きく息を吐きだしていた。
 泳いでいた目を閉じて太宰を見つめ直す。深呼吸をしてから太宰を見る。
「そうではない。だが何かあったらと思うと心配になってしまう。特に今回の件は今までと違うものだから。探偵社でこのような仕事を受けたのは初めてのことだ。今までも似たような仕事の依頼は来たがそれ等はすべて断ってきている。
 初めてこのことだったから何をどこまで心配していいのか分からないのだ」
「別に今までのものと同じですよ。大怪我、……いらないですね。与謝野さんがいますし。死なないかだけ心配してくれたらいいんです」
 福沢から出ていた言葉は動揺していたわりにはしっかりとしたものだった。そうしてそう話している間ずっと太宰を見ていた。太宰を見てその思いを伝えようとしていたが、太宰は舌打ちをしている。ため息をしていかにも面倒そうに言葉を吐きだす。
 吐き出された言葉に福沢の眉間にしわができた。
「怪我はいるだろう。いくら与謝野がいるとはいえ、怪我をするのは心配するし、お前は異能が効かぬだろうが。それだけでなく普段のものと違い過ぎる」
「同じですよ。依頼が来て、それをこなすだけです」
「……私はあのような仕事はできれば受けたくないのだ。これからは全て切るつもりだ」
 太宰はバッサリと切り捨てたが、福沢はそれでは納得しなかった。ますます目元に皺を作ってしまう。太宰の片眼が動いた。ぴくりと上がって福沢を見る。
「何故です。確かに今まではできる者もいなくてきることしかできなかったと思いますが、今は違うでしょう。私がいます。私は得意なのでいくらでもできますよ」
 とんとんと太宰の手のひらが自分の胸元を叩く。ここにいるとアピールするけどそれを見る福沢の眉間には変わらず皺ができていた。
 ぐっと唇を噛みしめて見つめるのを太宰も見つめてきた
「お前は良いのか。思いあっていないものとやるなど」
「変な事を聞くのですね。世の中そんなに甘くないこと知っているのではないですか。それに人と人の思いが通じ合うなんて甘い幻想ですよ。通じ合っているように見えて、その実通じ合うことなどない。中にはいるかもしれませんがそれは少数でしょう。みんな、打算の元で相手を決めている。私はその打算の元、特定の相手を作らず誰でもいいと思っている。利益をくれるものならね。
 依頼人は利益をくれます。だから依頼人の望まれることをする。私にとって性行為などとその辺の意味のないものと同じです。好きでもないが不快でもない。何でもいいもの。求められこちらに利益があると判断すればやるだけ。
 他の人は特別なもののように思っているようですが、私はこんなもの何とも思っていないんです。それより利益が欲しいです。その利益がリスクよりも大きなものなら何でもします。今日の利益はリスクのわりに大きくてとても嬉しかったです。
 これからもそうしたいです」
 はあとため息をついた太宰から吐き出されていく言葉。それが真実だと語るのを見つめる。その瞳のどこにも嘘はなかった。嘘をつくことが得意な男だと分かっているけどそれでもそこに嘘は見つからなかった。全て太宰の本心。太宰がそう望んでいること。
 分かってしまったから福沢はその口を固く閉ざす。太宰から目をそらし下を見つめる。太宰が持ってきた報告書が見える。几帳面な国木田の文字とはまた違うが綺麗な字は心なしかいつもより弾んでいるように見える。
 そらす前に見た太宰は笑みを捨てて無表情に近い顔をしていた。
 福沢の口が開く。鉛を動かしているように重かった。
「もしこれから先、お前が好きになる人ができたとして、その人が今のお前のような行いを嫌っていたらどうする。この行いを特別に思う者は多いと思うが」
「特別に思うものが多いというか、相手のそれを特別に思うのが多いですよね。でも安心してください。私にそう言う心はありませんから。
 私は誰かを好きになったりしません。これからも。だからお願いしますね」
 やけに自信たっぷりに太宰が答える。どうしたらそんな自信が芽生えるのか不思議になりながら福沢はそれ以上何も言えなかった。



「社長の考え方はとても高潔なものだと思うんですよね。きっと多くの人は貴方を素晴らしい人とほめたたえるでしょう。でもそれだけではやっていけない世界もあると思う訳でして、受けるべき仕事もあるんですよ。
 この仕事を受けないことで起こる損失がどれだけのものか分かりますか」
ことり。わざとらしい仕草で小首を傾けた太宰が問いかけてくるのを福沢は見つめていた。口元を上げて微笑む姿は穏やかなはずなのに冷たいものを感じる。
 弧を描いているが、その目はまるで馬鹿にするかのようななものだ。
 それらを見ながら福沢は高潔とは何だったかと考えていた。少なくとも福沢とは縁のないような言葉だ。そうなれたらいいと夢想することもあるが、現実、福沢は程遠いところにいる。今だってただ大切なものを傷つけたくはない。それだけの事しか考えていなかった。それがどうしてと思う。太宰はその口を開く
「一から全部説明してもいいんですが、でもわかっていそうなので今回はもういいでしょう。それでどうするのです。分かっていて受けないつもりなのですか、私は受けていいのですよ」
 そらされることなく見続けてくる褪せた瞳。それはたった一つの言葉しか求めていない。それがでるまで粘り続けるつもりだろう。きっと勝てない。そう思うけれどだからと言って福沢はここで折れるわけにも行かなかった。
 言い続ける。きっとそれが大切なことなのだ。
「……高潔なのは良い事です。貴方がそうやって生きていきたいのは分かります。でも間違わないでください。それだけで生きていけるほどこの世は甘くないのですよ」
 だが今は太宰が言いたいことを言い終わるのを待つ。
「社長はこの行為を社員を気付つける行為だと思っている」
太宰の目は力強く福沢を見ていた。それは侮辱だと苛烈に告げた。声は静かなものだった。平坦で先程からのものと変わらない。それでもその瞳の中に強い意志が宿っている。
「そんなことで傷つくほど私はやわではないのですよ」
 ふっともう一度太宰は笑っていた。不敵な笑みだ。自分の強さを分かっているものの顔。それを見つめても福沢に湧くのはだけどという感情だ。分かりましたかと太宰の目が言ってくる。もう終わったのかと思い口を開く。出す言葉を少し考えた。
「……いつか傷つく日が来るかもしれない」
「そんな日きませんよ。馬鹿らしい」
 鼻で笑う太宰。あーー、面白いと吐き捨てる。福沢の手が太宰に伸びていた。ひっそりとその蓬髪に手を添える。太宰は一瞬驚いたようだった。何のつもりですか? その口が聞く。福沢の目をじっと見つめる。福沢もまた太宰の目をじっと見つめていた。いやといいながらもゆっくりと太宰のほほを撫でていく。
いつかと言いかけて福沢は口を閉ざした
「受けたいか」
「ええ、受けたいですね」
 一度開けて聞く。低い声になってしまった。太宰は不思議そうにしながらもその口を開いて答えていた
「社長はどうでもいいと思っているかもしれませんけど、依頼主が奪い返してほしいと言っている情報は私にも用事があるんですよ」
「……何に使うつもりだ」
「そんなことはしませんが知っておいて損のない情報です。その情報を手に入れていたいんです」
 くすりと太宰が笑う。お願いですと言う。それにため息が福沢から出た。眉間の皺が一つ増えている。
「どいつもこいつもろくな場所で情報を落とさん」
 低い声が福沢から出ていく。今にも周りのものを一つ壊しそうなぐらいにその声は恐ろしい。それでも太宰は笑っている
「性行為の最中は理性が飛びやすいですからね。だからこそ娼婦になるものもいるくらいですよ。弱い人間だって一つの情報で権力者の喉元に噛みつくことができますから」
「別にお前は噛みつきたいわけじゃないだろう」
「でもいつでも必要になったら噛みつけるための武器はこの手に欲しいです。私は体を暴かれるより、いつか敵になるかもしれない相手に対抗する武器を持たない方がよほど恐ろしいです」
 口元にたおやかな笑みを浮かべながらも太宰の瞳はぎらぎらとした輝きを持っている。私を安心させて。私にこの身を守るための武器をと訴えてくる、
 ついに福沢は折れる。
 福沢からしたら反吐が出るがそれで安心できるものがあるというのなら、そちらを満たす方が今は必要なのだろう
「そうか。お前がそう言うのであれば仕方ないな。この任務は受けよう」
「本当ですか」
 ふわりと太宰の顔がほころぶ。ホッとした様子がある。それを見つめながら福沢はただしと付け加えるのは忘れなかった
「ただし、……この任務の間は時間があれば毎日私の家にこい」
 褪せた目が丸く見開いて福沢を見つめる。へっとでていく声。そんなのと太宰の声が震える。福沢の目はじっと太宰を見ている。目を逸らさないよう睨みつけてくる。太宰は途方に暮れたような顔をして福沢を見た。どうしてですか。訳がわからないと太宰がとう。
「何が起きているのか何もわかることができないのだ。心配だ。だからお前が大丈夫かその様子を見せてくれ」
「特に問題ない仕事ですよ」
 強い力で福沢が答えていく。ぎゅっとよる眉。そんな必要ないと太宰が言う。福沢はその首を横に振っていた。その間も目ははずさない。
「お前にとってはそうなのだろうが、でも私は今までこのような仕事をさせたことがなく不安なのだ。これを守ってもらえないならお前が行くのを許可しない」
 声を張っているわけでもないのにやたらと通る声だ。きっと嫌になるほどはっきりと通り、そして福沢の思いを伝えている。太宰は福沢をじっと見た。一度美しく、そりゃあもう天上の景色なんかよりもずっと美しく微笑んでいた。それでも無駄であった。
 福沢の目は変わらず太宰を見つめ、太宰からのたった一つの答えを待っている。それを言わなければ太宰の望みは叶わない。
 太宰からため息が出ていく。
「…分かりました。会いに行きますよ」
 ため息とともに吐き捨てる言葉。やれやれと大げさに首を振っている。福沢はほっと肩を撫で下ろしていた。
「どうせなら私の家に会いにこい。夕食でもごちそうしてやる」
 柔らかな目が太宰を見た。
「そんなのは別にいですよ」
「いいから」
 好きなものを用意して待っている。優しく告げる声。だけどそこには今までと同じ有無を言わさぬものが混じっていた。



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