弐拾弐


「兄さん!」
 明るい声が聞こえたのに太宰はぴくりと肩を跳ねさせる。慣れてきたと思った呼び方だが、今日に限って何処か遠くに感じる。つんつんと跳ねた髪。何時ものようにキラキラとした目が見上げてくる。
「良守久しぶり……」
 何時ものように笑いかけたと思ったが出来てなかったか良守が心配するように見つめてくる。大きな目。眉にぎゅっと皺が寄っていて。
「どうかしたのか?」
 何かあるのか、大丈夫かと見つめてくる目。大丈夫だよと笑う。そのほほはやっぱりひきつっていた。
「……君に紹介したい人がいてね」
 告げる声も少し揺れる。胸がなる。まさかこんな日が来るとは思わなかった。大切な人を家族に紹介するそんな日が来るなんて家族がいないと思っていた太宰が想像できることはなかった。何時か弟だけでなく家族全員に……。
「紹介したい人って……」
「私の大切な人なんだけど」
「え」
 良守の目が大きく見開く。兄の大切な人。そういう人がいることは聞いていたけどまさか会わせてもらえる日が来るとは良守も思っていなかった。何時かあってみたいな。会ってお兄ちゃんをお願いしますって言いたいと思いながらもそれを叶えられる日が来るとは思っていなかった。
「会ってくれるかい」
 太宰か聞くのに良守は大きくそれも何度も首を振る。是非!と大きい声が出そうになったけどはっと我に帰る。見上げてくる目は不安そうな眼を向ける。
「会わせてくれるなら会いたいけど。いいの……」
 普通の日常まで侵食してしまったら兄の逃げ場がなくなるように思って、会いたいけれど会っていいのか悩んだ。伺うのに太宰はふんわりと笑う。
「ああ。是非君に会ってもらいたいんだ。呼んでくるから待っていてくれ」
「おお!」
 良守の目が輝く。嬉しいと笑みを見せるのに良かったと太宰も胸を撫で下ろす。もしいやがられたらと心配していたのだ。


 太宰が大切な人を呼びに何処かに行くのを見送った後、良守は急激に鼓動が激しく音をたてるのを感じた。身体中の血が沸き立つ。があああと
叫び出したいような衝動に刈られた。
 兄の大切な人に会う。
 驚きが強くて実感が沸きづらかったのが兄が消えてから急に沸いてきた。あの兄の大切な人。昔と変わってしまっているが良守には昔の記憶が強くどうしても何処かぼんやりとした姿が浮かんでしまう。ぼんやりとして優しいけれど母さんと同じようなところのあった兄。何かに対する興味が薄いような兄が大切と言う人はどんな人なんだろう。
 考え込み早く会いたいと思うが、でもあったら本当に叫んでしまいそうなほど今興奮していた。
 ああと思うのに兄の声が聞こえた。
「良守」
「はい!」
 名前を呼ばれるのに大袈裟なほど肩が跳ねひっくり返った声が出る。え、早くねえ、もう少し心の準備をそう思うが言えず兄の声が聞こえた方向を向く。誰だと兄の周囲を眼を皿のように大きく見開いてみた良守は数秒後ん? と首を傾けた。誰もそれらしい人はいない。いや、兄の隣に人はいるのだが。
 濃い緑の着物を着た男の人が……
「この人だよ」
「え?」
 まさかと思っていたのに太宰がその男を指し示してへっと奇妙な顔になった。本当にこの人と……。今度は点になった目が男を見てはくるくると回りを見て男に止まる。そんな良守を太宰が不思議そうにみた。どうかしたかいと聞かれるのにえ、いやなんでもないと少し慌てた上擦った声が聞こえた。
 大切な人と言われるものだからてっきり恋人とかそういう関係の人だと思っていた良守はとは言えず相手を見つめる。
 銀色の髪に少しけわしめの顔にあれ? と今度はさっきまでと違う意味で首を傾ける。前に何処かで見たような何処でだっただろうかと考える良守に福沢から声をかけた。
「久しぶりだな」
 その言葉にえっと一瞬困惑したのち何処であったのかを良守は思い出した。数ヵ月前に自分の家で会ったのだった。頭を撫でてきた奇妙な人。
「あ、お久しぶりです」
 この人が。あれ、じゃあ、じいちゃんはこの人と兄さんのこと知ってた。色々頭に文字がばぁあと浮かぶが良守では処理しきれずにとにかく頭を下げた。それに今度疑問を浮かべるのは太宰の番だった。
「あれ? 知っているのかい? 良守?」
「え、ああ。前にじいちゃんに会いに」
 どうしてと不思議そうに見てくる兄に良守も何処か不思議そうにしながら言葉を返す。それにはっと太宰の顔が動いた。思案するように空を見上げる。
「繁爺に……。そっか」
 落ちた小さな声。紹介しなくとももしかして知っていたりするのだろうかとそんなことを思った。心配してくれていた繁守の姿を思い出しながら太宰は良守に向き合った。福沢の腕を軽く捕まえ促して自分の前にたたせる。
「改めて紹介するね。この人は私の働く会社の社長で福沢諭吉さん。……色々とお世話になっている私の大切な人なのだよ」
 さすがに恋人とは言えないよねと思いながら紹介した太宰。よろしくと頷きながら今後もこんな風に紹介されるのだろうかと考えた福沢は繁守の顔が苦虫を噛み潰したように歪むのを思い浮かべてひそかに一人笑みを浮かべた。
「そうなんだ……。よろしくお願いします!」
 一体どんな関係なんだろう。純粋な良守はそんなことを気になりながら大きく頭を下げた。兄のことをよろしくお願いしますとか大切にしてやってくださいとか言いたい言葉は沢山あったのにいざ合うとすべて忘れてしまっていて
「ああ。此方こそよろしく」
 ぽんぽんと福沢の手が良守の頭を撫でる。
 あっと口が開いた。始めて会ったとき撫でられた。その時感じた違和感がどうしてであったのかを今理解できた。昔、兄に頭を撫でられた事があった。だけど再開した兄の手はその頃の手と違っていて、今頭を撫でている手と同じ手だった。
 兄さんはこんな風に頭を撫でてもらった事があるんだ。そう思うともっとその手に撫でてもらいたくなった。横目でみた太宰はとても幸せそうな顔をして二人を眺めていて。
 ぎゅううと胸が何かに握りしめられたかのように切ない気持ちになる。ああ、兄さんは大丈夫なんだなってそんな言葉が浮かぶ。きっとこの人がいる限り兄さんは大丈夫なんだと。
 撫でていた手が離れた。さてと立ち話もなんだ。何処か喫茶店にでも行くかと福沢が言うのにそれでは私がと兄が何時ものように何処かに案内しようとした。それを見てあっと良守は声をあげる。兄さんこれと手に持っていたものを差し出した。太宰はあっと言う顔をして頬を緩めたが、福沢はなんだと小さく眼を丸くした。
「これ作ったから良かったら……」
「ありがとう」
 父の料理を食べてくれるからケーキだってと久しぶりに作ってきたもの。嫌がられたりと弱気になったの少しの間太宰は凄く嬉しいと受け取ってくれた。そこに嘘をついているような様子はない。
「なんだそれは」
「ケーキですよ」
 けーき……とぼそりと呟いた福沢はああとその眼に驚きと納得を宿した。何時だったか太宰が貰ったからと言って持ってきたケーキを思い出した。きっとそれもこの子が持ってきたものだったのだろうと。そしてそう考えた後作ったと言う言葉に今度は驚いた。何時だったか食べたものは店で売っていたものと思うほどに美味しかったから
「……随分ケーキを作るのが上手いのだな」
「へ?」
 思わずぽろりと溢れた言葉に良守は首を傾けた。え、まだ中身も見てないのに何でと不思議そうな顔をする。
「いや、前に太宰と一緒に食べたから。とても美味しかった」
 良守の目が開いていく。何を言われたのだろうと福沢に言われた言葉を考えそうして笑みを浮かべた。
「そっか。良かった」
 ちゃんと食べてくれていたことが嬉しかった。そしてなによりそれを大切な人と食べてくれていたことが幸せだった。
「また今日のも食べてください。今度もまた作ってきますから」


 
「そう言えば……」
 ふと、思い出して太宰は口にした。ん、とみんなの視線が自身に集まるのを感じながら声を出す。
「私の家族の話聞いたんだって」
「えっ」
 ひっくり返った蛙のような声が何人からかでた。何でそれをと言うような目が太宰を見て、気まずそうに眼をそらす。敦等はなにかを恐れるように眼をそらしていて
「福沢さんから聞いたのだけど」
「すみません」
 聞かれたくなかったですよね……。口々に謝るのに太宰は別にと口にした。別に大丈夫だよ。驚いたけど嫌ではなかったから。ただ……
 太宰の目がほそまる。福沢さんはああ言ったし、そもそも彼が話したならば大丈夫だとは思うのだけど……
「変だと思った」
 幾度となく聞いた問いをまた口にした。回りは何のことか分からないと言うように首を傾ける。
「え? 何がですか?」
 純粋な眼差しが太宰にむく。ああ、やっぱり思わなかったんだなと分かってホッとする。
「私に家族がいるなんてさ」
「そんなこと思いませんけど……」
「何でそんなこと思うんですか?」
「家族に再会できて良かったですよね」
「まあ、お前の家族にはお前のような迷惑噴出機に育って可哀想に思うが、……変には思わん。それよりこれを機に少しは自殺する頻度を減らせ。家族が悲しむぞ」
 反応はそれぞれだがどれもこれも向けられるのはどうしてそんなことをという目だった。ふふと口許が歪む。最後の国木田の言葉にはその歪みがさらに酷くなった。
 良守の泣いてる姿が浮かんだ。幼い姿は今の良守の姿に重なる。
「そうだね。きっと泣いちゃうもんね」
 思いを馳せるようにして太宰が呟くのに訝しむような、だがそれとは違う目が向けられる。
「私、弟の泣き顔には弱いのだよ」
「ふん。良いことを聞いた。今後は何かあればその弟を呼ぶことにしよう」
「止めてよ……」
 呟いてしまった言葉。笑われるかとも思った言葉に笑うものはいなかった。優しい目が太宰を見ている。
「太宰さん」
「なんだい」
 子供を見るような目に止めてくれよと思いながら太宰は答える。
「何かあれば言ってくださいね。僕らも太宰さんの事を守りますから」
「ありがとう」
 とても暖かい気持ちが溢れた。



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