どうしたらよいのだろうか。
 目の前にいる福沢を見ながら太宰はそんなことを考えていた。
 今日の夕方、共に夕飯を食べに行こうと福沢によって誘われた。断ろうとした太宰だが、まっすぐに見てきた銀灰の目はそれを許してはくれなかった。否、きっと太宰が嫌だと言えば福沢はそれだけで許してくれたと思う。そうか。と肩を落としてではまた明日と一人帰っていただろう。
 それなのに太宰が来てしまったのは、真っ直ぐ見つめてくる目に負けてしまったから。そして何より悲しいことに太宰がその目に見られることを望んでしまったからでもあった。往生際が悪いことにまだ望んでしまっていた。
 店に入ってから福沢が太宰に何かを言ってくることはなかった。ただ注文してきた料理を食べる。それだけの時間。何度か来たことがありそれなりに美味しいと思っていた店だが、今日は味を感じることはできなかった。美味しいともまずいとも思えない。ひたすらに味がないのは緊張しているからだろう。
 福沢が何を言ってくるのか。それに対してなんと言えばいいのか。そんなことをぐるぐると考えてしまう。
 食べる福沢を見ながら太宰は昔のことを思い出した。


 その昔、太宰は福沢と婚約した。まだ両の指で数えられるぐらいの年のころだ。婚約したその理由は分かりやすくて太宰の家族が政府に反逆しようとしていたからだ。両親は政府の情報を求めて、政府は反逆の証拠を求めて。
 互いに互いの目論見を理解しあったうえでの化かしあいのような婚約。
 都合よく利用されながら太宰はそれをどうでもよいと思っていた。みんな好きにしたらいい。死ぬ事になってもそれでよかった。
 そんな太宰に伸ばされた思ってもいなかった手。その手を伸ばしたのは婚約相手だった福沢だった。今思ってもどうして助ける気になってくれたのか不思議なのだが、殺されるつもりで向かったのに福沢は太宰を婚約者として迎え入れてくれた。そして両親が死んだあとは福沢の家で暫くの間暮らしていた。
 それは優しい時間だった。
 何だかんだあった挙句、太宰は記憶を忘れて少し前までは思い出すこともなかったが、それでも記憶の中にほんのわずかに残っていた幸せの日の思い出があった。記憶を失うまでの太宰はその日々のことを愛していたのだと記憶を思い出してから気付いた。
 福沢は本当なら太宰に優しくする理由さえないはずなのに太宰に優しくしてくれていた。幼く性別まで偽っていた太宰の事をそれでも婚約者として扱ってくれ、一度した約束と両親が死んだ後も太宰との結婚の約束を果たそうとしてくれていた。
 式はどんなものを上げたい。招くことができるものは少なくなるが招きたい人はいるか。どんな服を着たい。そんな話を夢物語のようにされたが、それは当然ながら福沢のためではなく太宰のためであった。
 両親が殺されたばかりのころの太宰は福沢のことも信じられずいつか殺されるとそれだけを疑っていた。だからできる限り福沢から距離を開けていつ裏切られても分かったと頷けるようにしていた。その距離を福沢が詰めてきたのだ。大丈夫ここにいるよと伝えてきて、ずっと婚約者だから。ずっとここにいていいからと福沢の傍に居ることを許してきた。
 最初のころ話しかけてくるその理由すらも分からずに福沢のことを恐ろしい。そう思っていたこともあったが、とにかく優しくしてくれる福沢のその姿にいつの間にか太宰は懐いて、そして福沢とずっといたいと思うようになっていた。
 他の大人を知らなかったからこその執着。
 それだけが欲しいと思っていた。それだけがあれば他に何もいらないと……。
 連れ去られて記憶を忘れ、福沢とそうとは知らないまま再開してからも同じようなものだった。
 今思えば初めて会った時から福沢は太宰のことに気付いていたのだろう。だからことさら優しくしてくれた。
 他の社員にはしないようなことを太宰にはやってくれていた。気まぐれとかそんなものだろうと思っていたけどそうではなかったのだ。そして太宰はその優しさに惹かれてしまった。子供のころと同じように執着してしまった。
 欲しいと思って……。
 今でも思っている。
 福沢のやさしさが過去があったからこそのものと知ってもそれでもいいから愛してと思っている。優しくしてほしいと願っている。だけど、それがいつまでも続くものでもないと分かっているのだ。
 過去を思い出して分かった。福沢のやさしさは罪悪感や使命感からくるものだ。その為に優しくしてくれていた。だとしたらそれは長くは続かない。途中で必ず疲れてしまうから。
 義務感だけでずっと何かを成し遂げ続けることなんてできやしない。それができるのであれば今の太宰はもっと楽に生きれている。エゴに満ちている太宰でもそうなのだ。
 きっと福沢もいつか疲れて太宰から離れて居てしまう。それが分かったからそうなる前に太宰は福沢から離れることにした。
 みっともなく縋りついてそのぬくもりからはなれられなくなる前に逃げ出したのだった。
 逃げ回ったのに最初福沢はそれを許してくれていた。太宰が嘘を吐いたことに気付いていただろうに追及することなく好きにさせてくれた。きっともうどこからで疲れていたのだろう。だからこれでいいと思ったのだろうと少し悲しいが太宰はそう思っていたのに。
 それなのに何故か福沢は太宰を再び誘ったのだった。


 それがなぜなのかと考えながら目の前にいる福沢を見つめる。
 考える時間が長すぎていつの間にか食事は食べ終わっていた。食べ終わっているが、何も言わず席から立つこともなかった。
 どうしたらと思う中、太宰が何かを言う前に福沢がその口を開いていた。
 何を言うつもりなのかと息をのみこむ。聞こえてきた社長の言葉はとても短く、そして今の太宰には分からないものだった。
「好きだ」
 たった一言にはいと太宰は口を開けた。そのまま暫く固まって動かなかった。じっと福沢が見てきている。真っ直ぐに見つめてくる目は暫くしてからそっとそらされていた。
「すまないな。色々なんて言うべきなのか考えたのだがいい言葉を思い付くことができなかった。だから私の今の気持ちを言うことにした。
 貴殿が好きだ。
 昔と変わらず貴殿がとても大切で好きだ。優しくしてやらねばと言うような義務感も確かにあったけど、でもいつの間にか純粋に貴殿のことを好きになっていた。貴殿は私の事をずっと見てきてくれただろう。求めて手を伸ばしてくれた。ずっと傍にいてと私に願った。
 私はそんな姿を好きになってしまったんだと思う。今でも変わらない。ここでも初めてであった時、すぐにお前だと気付いた。愛しいと思った。大切にしたいと。
 思い出してほしいとも思ったけど、気付つけたくないから思い出さないままでいてほしいとも思った。思い出さなくとも私の事を少しでも好いてくれればと思ってお前を構い倒したりもした。
全部私が好きだったからだ
 それだけなんだ」
 少しずつ考えこみながら一つ一つを福沢は告げていた。その間太宰はずっとその口を開けていた。時折閉じるもののしばらくしたら忘れたように呆けて開く。その視線は下を向いて何かを探すように動いては、福沢を見上げて下がった。
 何度か動く首。
信じてくれないだろうかと福沢が言葉を結んだ。太宰の目は福沢の目を見て逃げる。口を閉ざした固まる。
 時間だけが流れていた。
 何か言ってくれないだろうかと太宰が思うぐらいの時間が過ぎていく。時折褪せた目が福沢を見上げてはよそを向いた。何かを探すように動いた後、舌を向いてそこから動かなくなったかと思えば、また福沢を見る。そんな動きを何度か繰り返していた。
 俯いた太宰の表情は何もない無であった。
「こんなことを聞くのはあれかもしれないが」
 長く無言が続くのに福沢がやっと口を開いた。太宰を見つめたままなのに、太宰の目は下を向いている。
「お前は私の事をどう思っている」
 太宰の体が少しだけ動いた。福沢の目に僅かに映る程度の動きだった。俯いたままの太宰は唇を閉ざして何も言わなかった。福沢を見上げることさえしない。また時間を置いてから福沢は口を開く。
「答えられないか」
 太宰の動きはない。
「それでもいい。
 お前は何も答えないでいいからもう一度だけ私にチャンスをもらえないだろうか。共に暮らす必要はないが、少し前のように夕飯を友に取ったりそう言う時間を作ってもらえないか。
 それで嫌になったら私に伝えてくれ。そうなるまでは私の傍にいてほしいそれは駄目だろうか」
 ゆっくりと話していくのに太宰の手がかすかに動く。俯いた頭が少しだけ上がって福沢を見ていた。褪せた目は福沢の目を見た後に、口元や喉、その手へと視線を移していく。
 探るように全体を見ては正面を見て福沢の目を見る。一度太宰の唇が震えた。ゆっくりと開いて言葉を紡ぐ。
「それは何でですか」
 小さな声だった。かすかに震えたその声で問いかけて福沢を見つめる。褪せた目を見つめ返す福沢の体は少しだけ前のめりになってしまっていた。
「お前が私の傍にいてもいいと思えるようになるか、そうして決めてほしい。今すぐは答えられないのだろう」
 褪せた目は見開いた後、また下を向いた。手が震えている。唇が何度か動いていた。じっと見つめてくるままの視線を感じて太宰は口を閉ざしている。
 暫く何かを考えこんでからゆっくり顔を上げる。顔は上がったもののその目と目が合うことはなかった。太宰の目は机の上を睨んでいる。
「嫌いなわけではないのです。むしろ」
 唇を動かすか動かしていないか程度の動きで言葉が聞こえてくる。聞き取りづらい声をそれでも真剣に聞いて福沢は優しく頷いていた。分かっているとそんなことを言っていた。
「私はお前のそういう所も大切に思っている。だから悩んでほしいんだ。でも悩むなら私の手の届くところで悩んでほしい。
それは駄目だろうか」
 穏やかな声で福沢は問いかけていく。昔聞いていたものと変わらないものだった。子供に言い聞かせるための声。だけど乱歩に対しのものとはまた違う種類の声。
 その声を向けられ太宰は唇を噛みしめ、そして頷いていた。
 ほうと福沢の口から吐息が落ちていく。良かったと聞こえてくる声。いくら時間をかけてもいいからお前が納得できるまで私の傍にいてくれとそう福沢が願う。
 太宰はそれに答えを返さなかった。返せなかった。
 口を閉ざして福沢を見つめるのに、福沢はそれでもいいよと下手くそに笑っていた。


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