弐拾壱

「ねえ、福沢さん……」
「どうした」
 問いかけてくる声に福沢は柔らかな声をかけた。夕方から何かを考え込んでいた太宰は何時もの定位置である福沢の膝の上ではなく隣にちんまりと座っていた。時折隣におかれた手を繋いでみたり頭を撫でてみたりしていたのだがそれにも反応はなかった。随分と思い悩んでいるようで心配していたのが声をかけてくれて良かったと口元がふんわりと緩む。
 声をかけると共に見上げた太宰はすぐに目があった事に驚き、それから福沢がずっと自分を見ていてくれた事に気付いてぽうと頬を赤く染めた。あのと躊躇いがちにかけられた声に力がこもる。
「あってほしい人がいると言ったら迷惑ですか?」
「迷惑ではないが……一体」
 何かあったのだろうかと心配していた福沢は予想していたのとは違う言葉に少しの間固まってしまう。何とか言葉を告げながら太宰を見つめる。太宰はへっへと何処か気恥ずかしそうに笑みを浮かべて……
「お、とうと……、なんですけど」
「弟……」
「驚きますよね……。やっぱりその……」
 驚いた。何てものではすまないほどには驚いたがそれ以上に喜びが勝り咄嗟の言葉を奪った。まさか太宰から家族にあってほしいと切り出されるとは思っていなかった。何時かもう少し太宰の様子を見てから福沢から話を切り出してみようかと考えていたところだった。それが……。
 言ってみたものの不安そうに俯く太宰の頭に触れる。
「いつ行けばよい」
「え」
 届いた声に太宰が呆けた声をあげた。えっと迷うような声が出る。
「いつも弟と会っているのは土曜日なんですけど……でも忙しいですよね」
 何時も良守と合う土曜日。その日にと思うがでも長である福沢がなにかと忙しい身であることは知っている。土曜日も確か幾つか予定が入っていたような。会ってもらえるなら早くあってもらいたいがもう少し後でもと太宰が思っているのに、福沢は土曜の予定を必要なものと必要でないものに切り分けていく。そして必要だと思ったものは後日か前の日に帰ることは出来ないかと考えて……
「分かった。その日は一日開けよう。お前の弟に会えるのが楽しみだ」
「ありがとうございます」
 きょとんと太宰の首が傾いた。何を言われたのかと福沢を見てゆっくりと笑顔を浮かべていく。嬉しいとその顔がいい福沢の肩に寄り掛かってきた。
「私も早く会ってもらいたいです。弟はね、凄く優しい子なんですよ」
「いつも言っているな」
「本当に優しい子だから。いつの間にか凄く強くなってて」
 ……太宰のめが遠くを見つめる。


「どうすんの」
 仕事の打ち合わせをしている最中言われた言葉に福沢は眼を瞬かせた。仕事の話かと書類を少し見つめるがいや、これではないなと言ってきた相手、乱歩を見て思う。事件でもない、ただの護衛任務の打ち合わせ。乱歩が気にするはずもない。では、と考えても分からずに諦めて問い掛ける。主語をいえ、主語を。誰もがお前の考えが分かるわけではないのだと言いたくなるが言っても無駄だろうと無駄な徒労は避ける。
「何がだ」
 んーーと乱歩が口を尖らせる。不思議そうに二人の様子を周りの事務員や調査員たちが見つめている。
「今度太宰の家族に会うんでしょ」
「ええ! そうなんですか!?」
「ああ。会うのは弟だが」
 乱歩の言葉に驚きの声が上がる。驚いたのは福沢もだった。乱歩に隠し事が出来ないのは長い付き合いでよく分かっているがまさかこんなことまで分かられてしまうとは……。乱歩のことだから僕も会いたいとうるさくなりそうで言わないつもりだったのに……。だが乱歩はそこはわきまえていたのか僕もいきたいと言ってくることはなかった。変わりに少し気にしていたことを口にしてくる
「太宰にまだ説明してないんでしょ」
「……そうだな」
 それでいいの。会ったら知ってること知られちゃうよと乱歩の言葉に言いわけはないと思う。それで嫌われることはないと思うがあって知られらと嫌な気持ちを抱くかも知れない。その前に……
「どうするの」
「……今日辺りにでも話そう」
 重い声が出た。太宰に本当の事を言うのが嫌なわけではないが、どういう反応をするのか読めないことが不安だった。


 夕飯を食べた後太宰を呼び掛ける声は少し震えた。来た! と太宰の体に他の人なら気付かれないほど微かに緊張が走った。
 今日の夕飯は太宰の好物ばかりだった。何時も太宰が好きなおかずが必ず一つ二つは入っているが好物ばかりのことはそんなにない。あるとしたら何かの祝いごと、落ち込んでいるとき、もしくは……太宰の機嫌が悪くご機嫌を取りたいとき。
 祝い事でもないし、落ち込んでもいない。機嫌は悪くないが何かこれから悪くするような話をするからご機嫌を取りたいのかなと伺うように太宰を見つめる福沢の目にちょっと前から予想をたてていたのだ。
「どうしたんですか?」
 ドキドキと胸がなるのを隠して笑う。何か良くないことでも言われるのだろうかと不安を抱え見つめるのに呼び掛けた福沢は中々次の言葉を発することをしなかった。口を閉ざしじぃと太宰を睨み付ける。眉間に深く皺が寄っているが怒っている訳でないのは太宰にはわかる。ただ言い淀んでいるだけ。そんなに言いにくい事なのだろうか。別れ話……等ではないだろうが。
「福沢さん? 何か話しにくいことでも……」
「話しにくいわけではないのだが……、だが、少しな。」
「?」
 聞くのが恐いと思いながらも何時までも続く沈黙もまた心地悪く太宰は福沢に向けて問い掛けていた。いやと答える福沢は言いにくそうに言葉を濁らせる。ここまで彼が言いにくそうにすることとはなんなのだろうかと太宰のなかに疑問が湧く。あまりいい話とは思えないが別れ話とかではないだろう。それは断言できる。
 無意識か何なのか福沢の手は沈黙の途中から太宰の頭をなで頬に触れていた。だから……、そういった話ではないだろうが。長期出張。何らかの良くない依頼。色々考えるがこれと言うものはでてこなかった。何だろうと次第に太宰の眉間にも皺ができていく。
 小さくできたそれを福沢の手が触れる。触れ伸ばすように揉み込んでいく。
「すまぬな」
「? 何がですか」
 小さく福沢からでた謝罪。何のことか分からずに首を傾ける。福沢に謝られるようなことは特にないはずだ。ますます疑問が増すのにようやく福沢は重い口を開く。
「実はな、お前の家族のこと知っていたのだ」
「えっ」
 太宰の口が鯉のように小さく開いた。ぱくぱくとただ空気を飲み込んでいく。えっともう一度でた音。首が深く傾けられる。えっ? と彼にしては理解するのが遅く何度も声を落とす。福沢はそんな太宰の姿に小さく苦笑してしまった。
「すみ、お前の祖父とは昔からの知り合いでな」
「知り合い……」
 太宰の声が福沢の言葉をおうむ返しに繰り返す。大きく見開かれた目は子供のように無垢で何も考えられていない。
「ああ。それで……お前の話を聞いた……。お前の事を頼まれてな……」
 福沢が躊躇いながら言葉にした話。太宰はその途中何度か大きく首を振った。なるほどと理解したようでどういうことと理解できないことに首を振るようでもあった。どっちもどっちだろう。言葉としては理解している。だが感覚では理解しきれていない。
「そう、何ですね……」
「すまぬな」
 なんと言っていいのかわからないと言いたげな声が聞こえてくるのに再び福沢は謝罪の言葉を口にする。太宰はそれに首を傾けた。
「何で謝るんですか」
 別に謝ることではないでしょうと口にするのに福沢はそれはそうなのだがと言いづらそうに口にする。その手は太宰の頭や頬を撫で耳を擽る。
「……嫌がるかと思って」
「嫌ではないですよ」
 落ち着こう。気まずい気持ちなのを癒そうと無意識に触れる福沢に太宰は安心させてあげようと微笑んだ。本当に嫌ではなかった。思ってもいなかったことに驚きはしたものの嫌では……。ただ気になることはあった。
「そっか……。じゃあ、私の力のことも聞いたのですか?」
「ああ……」
問いかけるのに福沢が答え太宰から細い息が盛れる。一瞬抱いたのは恐怖だった。気味が悪いと思われた。嫌われたかもしれないと。だが太宰を見る福沢の目が変わったことがないことを思い出し安堵する。ゆっくりと福沢の胸板にもたれ掛かった。
「思い出すの本当に恐いんです。私何度も死んで何度も……」
 太宰の声が震える。ぽんぽんと震える肩を福沢の手が叩いた。優しい手にまぶたが震えた。大きく熱い手を太宰は自分から手に取り瞼にのせる。じんわりと広がっていく。
「痛かった。苦しかった。とてもとても……」
 瞼を閉じると辛い記憶が何時も甦る。痛くて苦しくて。最近は眼を閉じるのさえ怖い。暗い夜に何度も殺され続けたから。今も瞼の裏に辛い記憶が甦るが暖かな手が太宰に僅かな安心を与える。細く息を吐き出す。
「思い出したくない。恐い……。でも、でも思い出したいんです。思い出したら思い出してしまうとしても。バカみたいですよね」
 自嘲するように太宰は笑う。怖い。自分が壊れることを知っている。それでもどうしても……。ぎゅっと福沢の腕が太宰を強く抱き締める。頭をなで大丈夫と囁く。
「そんなことはない。当然のことだろう」
 家族を大事にしたい。大切なものを思い出したい。それらは何もおかしなことではない。普通なことで求めてもいいのだと抱き締めながら囁く。お前が求められるように私がいるからと。
「少しずつ思い出していこう。いきなり思い出してしまうと強いショックで精神に支障を来す可能性もある。辛い時間が長く続くことになるが……そうして思い出していく方が良いと思うのだ」
 頭を撫でられながら優しい声に話されるのに太宰は頷いた。恐怖が長く続くのもまた恐ろしいがでも。
「貴方が傍にいてくれるでしょ」
「当然だ」
 暖かなぬくもりが側に居てくれるからそれでも大丈夫だと。ゆるりと抱き締めてくれる腕に甘えるのに福沢から優しい笑みを浮かべる。甘やかすようにとろけた声を出した。
「それに私だけではない」
「え?」
「お前の家族。それから敦や国木田、社のみんなもお前を支えてくれるだろう」
 銀灰の目が優しく太宰を見つめる。力強い声にみんなの姿を思い出す。記憶の中の朧気な姿に大事な仲間の……
「……みんなにも言ったのですか」
「……ああ」
 肯定の声が聞こえるのに太宰の眉が少しよった。困ったような恐れるような。福沢が言ったのであれば大丈夫だとは思うが……
「必要なことだろうと思ってな。すまぬ」
「いえ……それはいいのですが。みんな私に家族がいたなんて変に思ってませんでした」
 問いかけるのにきょとんと福沢はずっと前に聞いたときのように不思議そうに首を傾けそれからバカなことは言うなと声をかける。
「そんなわけないだろう」
「本当に?」
「ああ」
 首を傾けて太宰は見上げる。そうなのかと思うけどやぱり信じられない想いがある。
「家族が好きだなんておかしいでしょ」
「おかしくは思わんだろう。みんな当たり前のこととして受け入れてくれるさ」
「うふふ」
 そうだろうかと考えたときすぐにはそんな姿思い浮かばなかったがきっと福沢が言うのであればそうなのだろうと太宰は口許に笑みをうかべた。嬉しいような気恥ずかしいようなそんな気持ちだ。ことりと福沢の肩に寄りかかり目を閉じた太宰。暫くそうしていたが沸き上がってきた疑問により目を開いた。きょとんと首を傾けながら福沢をまじまじと見つめる。
 見つめられる福沢もまた首を傾ける。何かあったかと考えるさきで太宰の口が小さく開いた。
「でも、福沢さんと繁爺が知り合いだったなんて……。どういう繋がりなんです? 接点無さそうなのに」
 んーーと首をさらに傾ける太宰は繁守の事を思い出しているのだろう。全くタイプ違うのになと呟いていた。二人がいる場所も遠い。何処で出会ったんですかとさらに問いかけてくる。
「昔少しな……」
 答えながら福沢は昔の事を思い出す。かつて昔、まだ福沢が銀狼と呼ばれ政府で人切りをしていたころ。繁守と出会ったのはその頃だった。


「何をしている」
 人があまり通ることのない道。夜更け、仕事終わりに家まで帰っていた福沢は武器を振り回した物騒な気配に足を止めた。気配のする方向に足を進めるとそこには複数の輩に囲まれた男が一人。なにやら男は奇妙な杖のようなものを持っていたが武器とは思えなかった。見なかったふりをしようかとも思ったもののそれでは目覚めが悪いかと福沢は男の前に立った。
 囲んでいた輩に問い掛けるが答えられることはなく動揺しながら見られちまったなら殺すしかないだろうと襲ってくる相手を軽く地に押し付けた。出来上がる不埒ものの山。怪我ひとつない福沢は汚れた手をはたいてから襲われていた男を見た。
「怪我はないか」
「ああ……。わしは無事だがあんたは怪我してないのか」
「ああ」
 問い掛けに男は目を丸くして答えた。男は福沢よりも年が幾つか行っているだろうか。四角い家紋のはいた袴姿の男はじろじろと上から下まで福沢を見つめる。この男こそ太宰の祖父、墨村繁守だった。
「ほう。強いんだな……」
 何かを考え込むようにしながら呟く声。なんだと思いながらも福沢は言っておいた方がいいだろうと思ったことを口にした
「ここは治安が悪い。すぐに去った方がいい」
 今よりも低い声は何処と無く機嫌が悪くも聞こえた。言うことは言ったと去ろうとした福沢の肩を男が掴んだ。
「……あんた暇か」
「人の話聞いていたか」
 突然問い掛けられた言葉。何故急にと疑問に思いながらもそれよりもっと疑問に思ったことを口にする。ああと男は深く頷いた。
「聞いておったわ。だがこっちに用事があってな」
「用事。ここにはあんたみたいな奴が来る場所ではないぞ」
「まあ、色々あるんじゃ。それより暇か」
「……」
 男の言葉に福沢は少し考えた。男はどう見ても一般人、裏の世界とは違う表の世界の人間に見える。そんなものがいるには福沢たちが今いる場所は些か物騒すぎた。こっちと指した場所はその今いる場所よりも危ないところで用事と言っていたが一般人がそんなところに用事があるとは思えなかった。とうのに男は曖昧に答える。口を閉ざす姿から何か言えぬことか。一般人ではないのか。と考えるのに男がもう一度問いかけてくる。
 福沢はそれに答えなかった。黙って男を見る。
「聞いておるんだ。答えんか。暇か」
「暇、だが」
 男がまたじぃと見つめて強い口調で問いかけてくるのに嫌々ながらも福沢は答えた。答えた瞬間ニィと笑う男の姿に何か嫌な予感を福沢は覚える。今すぐにでも回れ右をしてここから離れなければいけないようなそんな気がした。
「なら少し付き合え。また襲われたら面倒だからな。わしの護衛をしてくれ。護衛代はだす」
「断る」
 福沢の予感は当たっていた。男がしちめんどくさそうなことを口に福沢はすぐに否定の言葉を口にした。誰がそんなことをするかと男を睨み付けるのに男はその目を全く気にしなかった。
「暇なんじゃろ」
 さらりと口にされる言葉。それならと言われるのに目はもっと鋭くなる。
「暇だがそんなことに付き合う時間はない」
「付き合いの悪いやつじゃの。いいから、来い」
 だがやはり男は気にせず言いたいだけ言うとその場を離れてしまう。たったと駆け出すのに着いていくものかと思った福沢だが呼ばれるのに男とは別の方に行こうとしていた足が止まる。
 声をかけられ福沢は一つため息をつく。仕方ないかと。一度助けてしまったのだ。ここで見捨てて死体で発見されたら折角助けた意味がなくなってしまう。運が悪かったと諦めよう。
 そう言い聞かせるのに男はさらに福沢を呼ぶ。
「ほら。はよこんか」
 呼ばれるのに福沢は急いで後を追いかけた。追いかけだした福沢に男が先を急ぐ。少し近道をするぞと言って男は手頃な塀に飛び乗る。そこから屋根の上に登り駆け出すのを福沢はその目を見開きながら追いかけた。
 やはり一般人ではないか。こいつも裏の人間なのか。
 そう思うほどには男の動きは身軽だった。追いかけながら何者何だと福沢は考え込んだ。

 その疑問は晴れることなく福沢はうろんげな眼差しで男を睨む。男はしゃがみこみ杖で倒れた人の腕をつつきながら感心した声をあげた。
「本当に強いな」
 男の目が福沢ではなくその周りで気絶している大勢の輩を見つめる。男とであってから三回目の襲撃のあとだった。十人、下手したら二十人はいそうな襲撃者を全員撃退した福沢は息一つ乱していない。そんな福沢に感心する男だが、福沢は感心するよりも自身の事を話してもらいたいと思っていた。
「あんたなんなんだ」
「?」
 辛抱できず福沢が問いかけるのに男は首を傾けた。なんじゃ急にと言われるのに急にではないと福沢は思う
「こんなに狙われるなんて異常だ。何かあるんだろ」
「まあ、な……」
 男の目が微かに見開いた。息を飲み込んできまづけに下を向いた男はゆっくりと首を振る。
「あまり聞かん方がいい」
 静かに呟く男。そこには確かな拒絶を感じた。むっと眉間に皺が寄る。
「人にここまでさせておいてか」
「それはすまんな。自分でどうにかできたらいいんだが……人間相手はな」
「何だ」
 険しい声が出たのに男は本当にすまなさそうに謝りながらそれでも何も言わなかった。ポツリと小さく呟かれる声。それが聞こえた福沢は眉を寄せる。どう言うことだと疑問を問い掛けるが男は首を振った。逃げるように男はいくぞと足を動かした。
目的の場所にはすぐついた。
「ここだ」
「ここ……。こんなところになんのようが……」
 男か立ち止まったのは廃倉庫の前だった。数ヵ月前まではどこぞの裏組織が使っていたらしいと言うことだが、ある日急に全員いなくなったとか言う曰くつきの建物。それを知っている福沢は男を疑惑のめで眺める。男はそのめに答えず声だけかけてなかに入ってしまった。
「ちょっとここで待っていてくれ」
「あ、おい」
 置いていかれるのに福沢はため息をつき男を待つ。追いかけてやろうかとも思ったが福沢の勘が中にはいるのは止めておけと告げたのだった


「待たせたな」
 男は半刻もしないうちに戻ってきた。中で随分と激しい音がしていたがそれを聞くことを福沢はしなかった。待っている間に男の事を気にするのはやめようと決めたのだった。
「帰るが。すまぬがまた頼めるか」
「分かった」
 男が聞いてくるのに福沢は一つ頷いた。


 それから数十分掛けて二人は安全な道まででてきた。行きよりは数は少なかったもののやはり襲撃はあり福沢も少し疲れを感じだした所だった。安全な道まででて男は歩くのをやめ福沢を向く。
「今日は助かった」
「いや」
「ほら」
 例とともに差し出されたのは綺麗に折り畳まれた手拭い。突然差し出されたもののに困惑する。
「これは何だ」
「護衛代は払うと言っておいただろう。気持ちばかりになるが」
 問いかけるのに帰ってきた言葉。福沢の眉が僅かに跳ねる。本気だったのかと。言われたものの本当にもらえるとは考えていなかった。少し考えてから福沢は首を振った。
「別に少しの間だったからいい」
「いいから受けとらんか。人の好意を無碍にするもんではないし、それに受け取れるものは受け取っておかんと後で後悔することになるんじゃ。あのとき受け取っておけば今苦労してないかもなのにとな」
「いや」
 断ってもほらと押し付けられる手拭い。護衛を頼んだときと同じ強引さで押し付けてくるのに断りきれずに受け取った。気持ち程度と言っていたがそれはかなりの厚みがある。
「……ありがとう」
「それはこちらの方だ。助かった」
 男がまた別のものを差し出した。お札のようにも見えたそれはお札ではなく何か面妖な模様のかかれた御札とかいうやつだった。手元に押し付けられたそれをまじまじとみる。
「ん、これは」
「ああ、お守りのようなものだ。財布にでも入れて持ち歩いてもいいし、家に貼り付けても効果はある」
「はあ」
 神やら何やらと言ったものは信じて着ない福沢は御札をきみょうなものを(るめでみた。こんなものに何の効果があるのか。要らないと言いたいところだが一度受け取ったものを押し返す行為もできず懐にしまった。
「じゃあ、」
 去ろうとする男。
「……おい」
 園尾とこの後ろ姿をみて福沢は思わず声をかけていた。充分やったと思うし、これで目覚めが悪いことももうないだろう。ただ何故か見捨てる気にもなれなかった。
「何だ」
「大丈夫なのか」
「?」
 振り向く男に問いかけた。何のことか分からないのか男は首を傾ける。
「狙われているんだろ。家まで帰れるのか。送っていくが」
 首を傾けた男に自身が思ったことを口にする。何度も襲われた男が治安のよい道に出たからといい襲われないですむとは思わなかった。人の気配が少なくなった所を狙い襲いに来るだろう。流石に家に帰ってまでとは言えないが家に帰るまではと今度は自分から護衛を申し出た。受け入れるかと思っていた福沢だが男の反応は予想とは違っていた
「……いや、そこまでは迷惑はかけられん」
 少し、目を見開いてから男はその首を横に振った。福沢のめもまた見開く。あれほど人を振り回しておいて今度は遠慮するのかと。
「いい。どうせ今日明日は暇だ」
「そうか……。だが、いい」
「人の好意は受け取るものなのだろう」
 なおも遠慮する男にムッとしながら福沢は男から聞いた言葉を口にする。男の眉がぴっくりと動いた。気まずげに男が口を閉ざす。何かをひとしきり考え込んでから小さく口を開いた。ぼそぼそとした聞き取りづらい声が男から出る。
「……東京から来ていてな……」
「東京?」
 時刻は深夜零時をとっくに越えている。もう帰る電車はないだろう。タクシーで帰るにもこの時間になると探すのも一苦労だ。どうするつもり何だと男を見つめると男ははぁと息をついた。
「人に迷惑をかけるわけにもいかんから泊まる場所をとっていないのだ」
 一瞬言葉が理解できなかった。何を言われたのだと言葉の意味を考えるのに理解できてはぁ? と首を傾けた。何を言われたんだと。理解しても理解できなかった。
「それは……何処で眠るつもりだったんだ」
「まあ、その辺で……」
 福沢の問いに歯切れ悪く男が答える。狙われていることを考えても本当は眠るつもりなど最初からなかったのだろう。一日中何処かに隠れているつもりだったに違いない。
「俺の家に来い」
 どうしたものかと考えたのは僅かの間。福沢はすぐにそう言葉にしていた。繁守の目が見開いて信じられないと福沢をみた。何を言っているのだと男が聞いてくるのに同じ言葉を繰り返す。
「そこなら襲われても周りの迷惑になることはない」
 いや、だがと男は渋ったがいいから来いと今度は福沢が強引に男を己の家まで案内したのだった。
「すまぬな」
 家についた男は福沢にそう声をかける。それに別にこれぐらいどうと言うことはないと言葉を返しながら福沢は家の鍵を開けた。
「邪魔をする」
「ああ、」
 玄関を過ぎて居間の襖にてを掛けてから福沢はそこではたと動きを止めた。そう言えばここしばらく片付けていなかったなと。そうものは多くないが男の独り暮らしなど散らかって当然。少しまってもらった方がいいかと思ったが、所詮相手も男。そこにまで気にすることもないかと襖を開ける
「散らかっているが気にしないでくれ。適当に座ってくれて構わない」
「ああ、」
 答えながら男は部屋のなかを一度見回した。座れる場所を探してのことだろう。パッと見渡して机の前に座る。座布団をと思ったものの久しく人を招いていない福沢の家には埃を被ったようなものしかなく止めておいた。待っていろといって厨に向かう。果たして使える湯飲みがあっただろうかと不安になったが幾つか客にだしても大丈夫なものがあった。なかったのはお茶っ葉の方で、棚と言う棚を探して揚々見つける事ができた。見つけたお茶っ葉を手に探すうちに荒れてしまった厨をどうしようかと見下ろす。彼方此方にしまいこんでいた酒の瓶がごろごろと転がっている。
 また後で片付けようと今はみない振りをして茶を入れようとする。そこでははたと福沢の動きは止まる。茶を淹れるための茶器がないと。
「茶だ」
「ありがとう」
 数十分程たってようやく福沢は客である男の前に茶の入った湯飲みを置くことができた。礼をいい、口に含んだ男が一瞬渋い顔をした。男に続いてのんだ福沢も渋い顔をした。不味いと出しそうになった声を福沢は飲み込む。男も言わなかったのだ淹れた張本人である福沢が言えるはずもない。
 気まずい空気が流れるのにおほんと大きな咳払いを男がした。男の目が泳ぎ、それこら少ししてあるものをみた。
「い、囲碁をするのか」
「……ああ。あんたも」
「ああ」
 部屋のすみに置かれた囲碁。囲碁はとくに興味がないが父親の形見で最近は暇を潰すのに一人碁を弄っている。打つでもなく適当に触っているだけだが。だからいやと答えようとして折角気まずい空気をかえようと話をふってくれたのにこれではすぐに終わってしまうかと答えを変えた。
 だが結果は同じで会話すぐに終わってしまった。二人して口を閉ざす。囲碁から目がそらせなくなるのにもうこれしかないと福沢は腹をくくった
「……やるか」
「……そうじゃな」
 口にするのに男も頷く。福沢は碁を二人の前に運んだ。なんとも言いがたい空気のなか囲碁が始まった。
 その結果はと言うと成功だったと言うべきだろう。じっと思考し次の一手を考える間に部屋に流れていた気まずい空気は消えてしまっていた。最後の一手をぱちりと男がおく。
「わしの勝ちだな」
 どやりと男が笑うのに福沢は少しだけ口許を曲げながら盤を睨み付ける。その頭にはやはり彼処で別の手を打つべきだったか。いや、それよりも彼処でと己が打った手を思い出しては考え込んでいた。そんな福沢をみてふっと男が髭を揺らして笑った。
 盤面を睨み付けていた目が男をみる。
「何だ」
 少々低くなってしまった声が男に向けられるのに男は何と笑う。
「仏頂面しているからどんなつまらん男と思っていたが案外面白い男だ。と思ってな」
「……何でそう思う」
 男の言葉に福沢の眉間に皺ができる。堅いだの何だのとは言われることはよくあるが、そんなことを言われるのはもう数年とないことであった。それに今までの会話にそう思うような所はないだろうとも思い疑問が湧く。じぃと男を睨むようにみてしまう。
「囲碁をすれば分かる。碁の打ち方で相手がどんなやつか分かるものだ」
「そんなものか」
 男の手が碁盤の碁を弄る。福沢もそれに習うが今一言われた意味は分からなかった。福沢には男がどんなやつかなど碁を打っても分からなかったから。
「もっと打てば分かるようになろう」
 そんな福沢に男はこれからも沢山打つんだなと続けた。筋は悪くないから頑張れば強くなれるぞと。云いながらそうじゃと声をあげる。
「名を聞いていなかったな。わしは墨村。墨村繁守じゃ。お主はなんと言う」
 福沢が言うのにそう言えばそうだったと福沢は思い出した。相手の名前を気にするような生活をここ数年送っていなかったから名を聞くことをすっかり忘れてしまっていた。己の名を名乗ることも。
 どうせ今日で終わりの関係だろうが、名ぐらいは知り、名乗っておいても良いだろうと口にする。
「……福沢諭吉だ」
 誰かに己の名を名乗るのを新鮮に感じる日が来るとはと福沢はある意味で感心した。そんな福沢のことは知らず男は問いを重ねる。
「福沢か。年は幾つだ」
「二十四だ」
 答えれば男の目がまんまるく見開く。今度は何だと眉が寄る。男は大袈裟に声をあげた
「まだ若いのにそんな仏頂面しておるのか。うちの守美子といい最近の子はどうなってるんだ。そうだ。折角だ。明日はわしの家にでも来い」
「はい? いや、」
 声をあげよよと崩れ落ちた男は良いことを思い付いたとぱぁああとその顔に喜色を浮かべる。
「わしには孫がいてなこれがまた可愛いんじゃが、お前と同じ仏頂面の娘も孫が産まれたときだけは嬉しそうな顔をしたもんだ。産み落とすときも痛そうな顔一つしなかったのにの」
「それが」
 にこにこと男が語る。高くなっていく声とは反対に福沢の声は低くなる。嫌な予感がまたした。
 だが繁守は福沢の低くなった声も気にせず笑顔を浮かべていた。
 そして
「お前もわしの孫にあってみろ。絶対笑顔になる」
「断る」
 きらきらとした笑みと共に言われた言葉。即答する福沢。しかし相手は強かった。
「今日の礼じゃ。娘の夫の作る飯も最高でな。食べていくといい。そうと決まればはやいうちに連絡せんとなこの時間ならしゅうじくんも起きてるだろうし、電話を借りるぞ」
 福沢の言葉なぞききもせず居間にあった電話に手をつける。素早く電話を掛ける。
「おい、俺はいくとは、夫?」
「うちの娘は家事が得意ではないんだ。変わりに修史くん、夫の方がやってくれたな」
「そうなのか」
 繁守を止めようとした福沢はだがその前に耳慣れない言葉に首を傾けた。別に一つ一つおかしくなかったのだが繋げてみると奇妙に写る。夫であればご飯など作らないのではないだろうかと。この頃はまだ夫が外で働き妻は内で家事をすると言うのが当たり前の時代だったのだ。
 それにたいして繁守は何処か自慢げに答えていた。娘が家事もできないなど恥じるのがその頃であったが、繁守はそういうことは気にしていないようだった。よくやってくれる夫でな、娘の旦那になってくれたのが奇跡のようじゃと夫である男をべた褒めしていた。
 奇妙なものだと繁守を見ていたら鳴っていた電話が繋がってしまった。あっと思うが時すでに遅し。繁守は明日客人が来ることを伝えてすぐに電話を切った。むふふとやりきった笑みで福沢を見る。
「旨いからなきっと気に入るぞ」
「俺は行くとは」
「もう決定じゃ。沢山料理を作ってくれるらしいからそれをむげにすることはできまい」
 はぁあと福沢はため息をつく。面倒な男に出会ってしまったものだと。



「お帰りなさい」
 玄関を開けると共にぴょっこりと飛び出してきた丸い頭。福沢がなんと言えば良いのか迷い固まるのにその小さな塊は少しだけ身構えた。ぎゅっと引き結ばれる唇。それは初対面の人にあったからではなく、物凄く怖い形相の人物にでくわしてしまった故の反応であった。
 恐怖で子供が固まるのに福沢の後ろから繁守が顔を出す。
「おお、正守か! 出迎えに来てくれたんじゃの! よゐこじゃ!
 そうじゃ、客人をつれてきたからお父さんを呼んできてくれるか」
 相貌を歪めへらりへらりと笑って子供の頭を撫でる繁守。こいつなんて顔をするんだと引いた目で見る福沢。子供はこくりと頷いて奥へと行ってしまった。
「あれが孫か」
「ああ。可愛いじゃろ」
 相貌を歪めたまま繁守が聞いてくるのに若干後ろに下がってしまった。
「まあ……」
 答えるのにうんうんと深く繁守は頷く。そうやって頷いてから繁守はだがまだここで終わりではないと大きな声を出した。
「もう一人取って置きがいるからな楽しみにしておれ」
「はぁ」
 お前の仏頂面が崩れるのが楽しみだ。そう言われるのにはぁと気のない返事を福沢はする。そんな二人の元にピンクのエプロンをつけた男が一人やって来た。福沢はその姿に失礼ながら驚いてしまった。
「お父さんお帰りなさい。お客さんもようこそ。なんのもてなしもできないけど寛いでいってください」
「しゅうじさん、治守は今、何処に」
 にこにこと笑う男。もしやと思うのに繁守が声をかけてそれは確信になる。この男がとまじまじと見てしまうのに男と繁守の会話は続いていた。
「え、治守でしたら居間で寝てますけど。あ、今、別のところにうつしてきますね」
「いや、丁度いい。彼に治守をみせようと思ってな」
「そうなんですね」
 是非と男がふわふわと笑う。今まで福沢が見たことのなかったタイプの男で世の中色んな人がいるものだと感心していたのに行くぞと促された。屋敷に上がり繁守に案内されるまま中を進んだ。
 一つの襖に辿り着けば繁守はふふんと振り返った。とくと見よと言われてもはぁと言う言葉しか返せずテンションの高いやつだと呆れた目で襖をそろそろ開ける繁守を眺めた。あとちょっと後少し。おお! 愛らしいお手手がと騒ぐ小声になりながらも騒ぐ繁守。その動きが途中で止まった。うん? と首を傾けて扉を一気に開ける。繁守の背に隠れて見えなかった部屋がよく見えるようになった。
 部屋の中央に赤子用の布団が引かれた部屋はそれ以外なにもない。故にパッと目に入るそこでは先程の子供よりも小さな赤子が体をぷっくりと起こしていた。ぷにぷにと膨らんだほっぺ。開いた襖を大きな目か見つめていた。
「なんじゃ〜。起きておるではないか。すまんなーー、治守、じいじがいなくて寂しかったろーー。いないないばあ」
 出迎えに来ていた孫に接するときよりもさらにでろでろになった顔で繁守はその赤子に近づいていた。うつ伏せの形で起き上がっている子供に何やら両手で顔を隠してからだすと奇妙な行動、そのときの福沢にはそう見えた。をするのに赤子はなんの反応もしなかった。なんの反応もなくただその大きな目で繁守をみる。
 何もないのに明らかに落胆しながらも次の瞬間には繁守はその赤子を抱き上げていた。そして襖のところで立ち止まっている福沢に赤子を見せる。
「ほれ、可愛いじゃろ」
 見せつけられる赤子。
 まだ薄くふわふわとした黒に近い茶色の髪に大きな千代古令糖色の瞳。赤くふくふくとまあるい頬っぺた。多分探偵社のものに見せたら全員が全員可愛いと言うだろう。女性陣や未成年組は声を輝かせるに違いないし、乱歩や国木田だって何だかんだ云いながらも可愛いと口にする。
 が、残念なことに福沢は別にそれを可愛いとは思わなかった。小さく愛らしく思うものなのだろうなとは思いながらも自身の感情としては抱かなかった。
 なんと言えば言いか分からずに固まるのに近くにやって来た繁守はその赤子を福沢に押し付けてきた。
「何だ」
「抱っこせんか抱っこ」
 戸惑った声が出るのに当然のように繁守はいう。
「え、いや俺は」
「ほら」
 余計戸惑った声が出たのに気にすることもせずなおも繁守は押し付け福沢の腕に赤子を乗せてきた。
 ふんにゃりと柔らかな感触が腕に伝わる。
「なっ」
 目を開くのに繁守は手を離していて慌てて抱き締め直した。
 暖かな感触が伝わってくる。小さく本当に骨があるのかと思うほどふにゃふにゃとした感触に本当に抱いていい生き物なのかと不安になる。少し力を加えたら折れてしまいそうで。すがる思いで福沢は繁守を見るが、繁守はほら、もっとしっかり持たんか。そんでもって笑え、そんな顔だと治守が不安になるだろうと言ってくるだけだった。抱き締め直しながらほらほらと言ってくる繁守を睨み付ける。あぅと腕の中の赤子が声をあげた。
 見下ろせばじっと見つめてくる千代古令糖の大きな目。小さくてふっくらとした手が福沢に向かって伸ばされた。これはどうすればと思うのに笑え笑えと声が聞こえる。福沢の口許と目元が奇妙に歪んだ。笑おうとしているのだが笑顔になっていなかった。なんじゃその顔はと呆れた声が聞こえてくるのにお前が言うからと怒鳴ろうとした福沢。だが、それが赤子の動きで止まった。
 赤子の幼い手が福沢の頬にぺちりと触れた。暖かいを越えて熱い赤子の手。ぺちぺちと福沢を叩く手だが痛みを感じるはずもない。えっと見下ろすのに赤子がへにゃりと目元口元を歪ませた。それは福沢と同じ笑おうとしたのに笑顔にならなかった顔だった。
 えっと固まるのになにににいいいいい! と繁守が声をあげる。そんなそんなと畳に崩れ落ちる繁守はわら、笑った……治守が……。一度も笑ったことがなかったのに。何故この男なんかに一番最初の笑顔を見せるんじゃあああ。治守の笑顔の一番はわしじゃと決めていたのにいいいととおいおいと泣き出してしまう。
 福沢は笑顔だったのかあれはと赤子をみた。赤子は最初の頃と同じ顔をして福沢を見ていた。みていてそれからまた同じように顔を歪ませる。ぺにゃりと崩れた笑える顔。見ようによっては恐いかもしれない。
 だが……福沢の口元がゆっくりと上がった。それは間違いなく笑みだった。
 赤子がまた失敗した笑い顔をする。

 ああ、……これは、愛らしいな


「そうか……。あれは」
 記憶を思い出して福沢は思わず声をあげてしまっていた。ああと目を細めるのにじいと福沢を見ていた太宰が首を傾ける。
「? どうしたんです?」
「いや、お前は赤子の時も可愛かったなと思い出してな」
 問い掛けられるのに答えていいのか分からないながらも福沢は答えた。ほぼ反射だった。ふくふくとした頬を思い出すのにふわりと口元が柔らかくなる。そうかそうだったかと思うのに太宰がえっと大きな声をあげまんまるくした目で福沢を見る。
「ええ! 私の赤子の時ってどういう」
 驚愕した声が太宰から聞こえるのに福沢は笑った。
「今まで忘れていたがどうやら昔に会っていたみたいだな」
「そんな……」
 そう言えばすみこ殿にあの子貴方に懐いていたからといわれたのを思い出した。何のことだと思ったもののあのときは色々あってすっかり忘れてしまっていたがこう言うことだったかと幸せな気持ちになる。あの後、暫くの間福沢は繁守の家に通い繁守と囲碁をよくしたのだが、その度に赤子の太宰と触れあっていた。兄である正守の方はあまりなついてくれなかったが太宰は懐いてくれて行けばはいはいして福沢の傍まで来てくれた。大きくなってあんよが出来るようになればよちよちと福沢の周りを歩いていて。可愛かったなと相貌が緩む。あの時間はささくれだっていた福沢の心を癒してくれるものだった。戦争の戦況が変わり悪化したことでいかなくなったが一二年は幼い太宰とあっていただろうか。
 ぽかぽかとあたたかな気持ちが溢れる。同時に冷たい気持ちにもなってしまう。もし福沢が繁守と疎遠にならずあの家に通い続けたのなら太宰を守ることが出来たのではないかと。
 もしなぞ考えても何にもならないとわかりながらもどうしても考えてしまった。
 ふさいだ気持ちになるのにもうと太宰が声をあげた。見るとぷくりと頬を膨らませた顔が写る。その膨らんだ頬は赤く染まっていた。
「なんか私だけ小さい頃の姿見られてるの恥ずかしいです」
「?」
 赤く染まった頬。拗ねたような顔をし小さな声で不満を口にする太宰。顔を俯かせた太宰にそんなこと言われてもと悩むのに太宰はぱぁああと顔を輝かせた。それは何処か自分の家に招いたときの繁守に似ていて嫌な予感がした。
「私も貴方の小さい頃みたい! みたいです」
 きらきらとした顔で太宰がいった言葉。嫌な予感は適中してしまったようだった。
「見たいと言われても……」
「写真とかないんですか」
 無理だろう。言うはずの言葉は太宰がわくわくと問いかけた言葉に消える。うっと喉の奥で言葉がつまってしまった
「写真は…………ないな」
「その間はなんですか。絶対あるでしょ」
 じとめで太宰が見てくる。流石かしこいだけはある。誤魔化されんかと考えるが今の福沢の姿から騙される人間の方が稀だろう。賢治上手くいって敦が騙されるかもと言うところか。福沢を崇拝する国木田だってさすがに騙されてはくれないレベルだった。
「いや……」
「みたいです。福沢さん!」
 お願いと言ってくるのに太宰は目をそらした



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