弐拾


「福沢さん。夜ご飯もう作っちゃいましたか?」
 ひょっこりと台所に姿を表した太宰に福沢はん? と小さく首を傾けた。ただいまもなく食事の事を聞いてくるのは初めての事でしかも聞いてくる声には何処か気まずそうな響きもあった。
何かあっただろうか。もしや何処かで食べてきたかと考えながら太宰が話しやすいように小さな嘘をつく。
「いや、今から作るところだがどうした」
 ほっと太宰の顔に安堵が浮かんで扉の隙間から覗き込んでいた体が中に入ってくる。その手には大きな風呂敷を持っていて。福沢は眼を瞬かせた。太宰がそんなものを持ってくるのは珍しい。
それに何処かで見たような気がするもので。
「……お弁当もらったんですよね。食べませんか」
「お弁当……」
 太宰のめが床の上をさ迷う。うまく福沢の顔を見ることが出来ない姿に何故だろうかと考えていた福沢はふっとそれを何処で見たか思い出した。
何時だったか繁守の家に行ったときに土産だと渡された重箱を包んでいたものと同じ、そして、丁度その重箱の大きさは太宰が持つものと同じぐらいだった。
 成る程と口角が上がりそうになるのを何とか抑え込んだ。
「頂こうか」
 ほっと太宰が息をつく。嬉しそうに笑う太宰にいい方向に進んでいるのだと安堵すると共に不安も溢れた。


 紫の風呂敷を少し震える太宰の手がほどいた。中から出てくるのは記憶にある重箱。その蓋が開くのを待った。覚悟が決まらぬのか開けるのに数分ほどかかる手。強張っていたその顔は蓋を開けた瞬間に笑顔に変わった。
それを見つめた後、重箱の中身に眼を向けた福沢はその眼を少しだけ見開く。
「……随分な量だな」
 三段の重箱。その一つ一つにこれでもかと言うほど押し込まれた料理の数々。普段の太宰であれば嫌がりそうなものなのに今は嬉しそうに重箱の中身を見つめていた。どれを食べようかとその目は様々なおかずたちを見つめ、福沢の言葉にふふと笑う。
「そうですね。とう、あ、いえ何でもないです……」
 弾んだ声で父の話をしようとした太宰は途中で止めてしまう。なんと言うつもりだったのだろう。太宰の家族の話を聞きたかったと思うが何時か聞かせてくれるだろうと話を詮索することはしなかった。
 頂くとかと箸を手にすれば太宰も慌てて手に取る。どれを食べようかと悩みながら太宰はすぐに箸を伸ばすことをしなかった。じいと福沢を伺うように見てくる。食べぬのか。問いかければ太宰は恥ずかしそうに顔を俯かせる。
 食べますけどまずは福沢さんから食べてください。
囁かれた言葉。それが何の為なのか分かり福沢の頬も赤くなりそうだった。何とか気力で抑え込んで重箱の中を見る。どれを食べるべきかと考えて目についたのは黄色い玉子焼きだった。
四つ入ったそれを太宰のために置いておくべきか、それとも食べるべきか。少しだけ悩んで箸を伸ばした。
「では、まずはこれをいただこうか」
「あっ」
 箸の先が黄色の玉子焼きに伸びるのに太宰からは小さな声が漏れた。それは嫌がるものではなく期待のこもったもので……。
一口口に含めば太宰は福沢の反応を待つ。キラキラと輝いているようにも思える目に視線を奪われそうになりながら口に含んだものに集中する。噛めばじんわりと広がる玉子と出汁の味。これは太宰が好きと言うのも分かると噛み締める。
「旨いな」
「でしょ」
 飲み込んで一言を落とすと太宰はぱぁと顔を輝かせ自慢げに笑う。そしてすぐに箸を伸ばした。悩んでいたのが嘘みたいに狙うのは一つだ。
「私も」
 福沢も食べた黄色い玉子焼き。当然と言うように福沢が半分に切った欠片を取っていく。ぱくりと口に開いてすぐにその頬を落とした。
「美味しい」
 幸せそうな顔を太宰が見せる。ゆっくり噛み締めながら箸は次のものを探していた。太宰が口一杯にものを頬張るのを優しい気持ちで見つめた。


「お腹一杯です」
 お腹を抑え少し苦しそうに声を吐き出す太宰に福沢は小さく苦笑をした。
それもそうだろうとお重を見つめる。食べきれることこそなかったものの重箱は、二段ぶんは減っておりそのうち一段分は確実に太宰が食べていた。何時も食べる量からするとそれはかなりの量だった。
「随分食べていたからな。私が作るものより食べていたんじゃないか」
「……そんなことないですよ」
 美味しそうに食べていた太宰に少しだけ沸いた子供じみた感情。それをそっと言葉にすると太宰は気まずそうにしながら俯いた。
福沢さんのご飯大好きだもんと罰が悪そうに口にされるのに悪かったとその頭を撫でる。やんわりと、口許を緩めた太宰が福沢を見上げた。
「美味しかったですか」
「ああうまかった」
 問い掛けてくる声。それに思うままに返せば太宰は本当に嬉しそうに笑った。



 真っ黒な場所に気付けば太宰はいた。
 心が震え体はその心により無理矢理震える。怖いと沸き上がる言葉。ここは怖い。嫌だ。誰か助けてとそんな言葉が次から次へと浮かんで太宰を蝕んで行く。逃げたい。逃げたいと思うのに逃げられる場所など何処にもなかった。
 真っ暗な場所。そこにはなにかが沢山蠢いていて太宰を値踏みするように見ていく。時折何か奇妙なものが腕や体に触れ、そして肌に軽く爪や牙を立てていく。柔らかい。甘い。うまそうだうまそうだ。
 無数の声が太宰を囲んでそんなことを言うのに太宰の心はさらに恐怖した。
 嫌だ。嫌だ。
 もう嫌だ。
 もう死にたくない。痛いのは嫌だ! 強く思うのに太宰の体は恐怖し動くこと一つ出来ない。そのうち太宰の回りに集まったなにかが近い距離をさらに積めてきて。いくつもの牙や爪が太宰に刺さる。
 強烈な痛みが駆け巡る。これ以上の痛みはないと思えるようなだけどそれ以上の痛みも知っていて。
 喉が焼けるように熱い。叫んでいると気づいた。自分では止められなかった。
 骨がパッキリと折れる。小枝でも折れたかのようにあっさりと折れた骨はされど強烈な痛みを太宰に伝え……。自分の声も聞こえなくなるほどの声が上がる。ぱっきりぱっきりと折れていく無数の骨。痛みで穴と言う穴から汗やそれ以外の液体が吹き出し、脳が焼けて溶けてしまいそうなのに飛びそうになる度意識は元に戻る。
 痛みの渦から逃れられない。
 ぶつりと肉を引き裂かれる感覚がして太宰の体は細切れになって食べられていく。
 全部全部飲み込まれて……それでも太宰は……


「太宰!」
 ハッと眼を開けた太宰は何か暖かなものに包まれていた。ほっと安堵したような福沢の顔がすぐ近くにあるのにそれが福沢の腕であることに気づいた。大量の汗で張り付く髪を福沢の指が一つ一つとってゆく。
「ふ、くざわさん」
 叫んだのか喉がひりつき声にした名前は掠れていた。目元がほそまるのに福沢の手は優しく皺のできた眉間をなぞる。
「大丈夫だ」
 問いかけるでもなくされる断定。力強い大きな手が太宰の頭を撫でていくのにほぅと吐息が落ちていく。安心したような吐息。怖い夢を見て力の籠っていた体から力が抜けていく。
「太宰」
 柔らかな太宰が好きな声が己のなを呼ぶのに太宰は抱き締められた温もりに体を預ける。
「福沢さん……」
 名を呼ばずとも優しい目は太宰にだけ向けられていて……。
「私、」


 ぽんぽんと柔らかに背を叩く感触。大丈夫と子供にするように頭を撫でられ安心を覚えながら太宰はもう言わないとなと考えていた。言っても大丈夫だと思いいつもどうしても不安になってしまいまだ言えてない。だが家族の事を本当に思い出したいのであれば言わねばならないだろう。
 大丈夫と己に言い聞かせる
 母の言葉が甦った。
 己と同じだった母。同じだった太宰を誰よりも心配してくれていた。支えてくれる人を見つけなさい。そしたらきっと大丈夫だから。感情の薄い声はそれでも太宰の事を考えてくれているのが伝わってくる声だった。
 見つけたよとおぼろげな記憶の中に佇む人に声をかける。見付けたよ。支えてくれる人。この人がいてくれたらきっと私は大丈夫。母さんにも会わせたかったな。そして安心させてあげたかったと。
「福沢さん」
「ん?」
 太宰が名を呼べば優しい瞳が見つめてくる。普段はそんなつもりはなくとも険しい顔をして子供を泣かせるような人なのに太宰に向けられるのはとても穏やかで柔らかなものだ。その事に優越感をいつだって太宰は覚える。この人は私のことが好きで私のものなのだと。ずっと私の側に居てくれるのだ。
「私……」
 震えた声が出た。大丈夫と自身に言い聞かせる。大丈夫。この人は私を見捨てたりしない。大丈夫。そんなこと言い聞かせながら出たのは弱いことばだった。
「私が家族に会いたいってやはり変ですよね」
「そんなことはない」
 何でこんな言葉を言ってしまったのか、やはり私は弱いと太宰は息を吐くのに福沢の手は頭をなで優しい声が耳に届く。
「以前も言ったがそんなことを思う筈がないだろう。お前が家族に会いたいと言うなら私は会わせてやりたいぐらいだ」
 穏やかで力強い声がつげる。ぎゅっと抱き締めてくる腕はとても強くて太宰は安心する。
「会いたいです。とても会いたい」
 気付いたら太宰から言葉が出ていた。会いたいと。会いたくて堪らないと。抱き付くと太宰はより強く抱き締められる。そうかと柔らかに声が振ってくる。
「私彼らのこと殆ど何も覚えていないのです。全部朧気で、でも優しかったことを私のことを大切にしていてくれたことは覚えてます。私あの人たちが好きだった」
 好きってこんな私がちゃんと口にできるぐらいに好きなんです。
 太宰が呟くのにふわりふわりと太宰の髪を福沢の手がすく。脳裏に浮かぶ幸せな光景。祖父が頭を撫でてくれ、父が抱き締めてくれる。母は側に居て見つめてくれる。兄はちょっと距離があったが時折近くに来ては話してくれた。弟は兄さん兄さんと後ろを追いかけてきてくれて、斑尾は何時も心配する声をかけてくれた。
 とても大好きなみんなの姿。
 おさもりと彼らが名前を呼んでくれる声が大好きだった。
「思い出したい。忘れている記憶全部思い出したい。家族のことをもっと知りたいんです。でも」
 声にする度に喉が震えた。
 柔らかできらきらと輝く黒に覆われていく。幸せなのに大切なのに思い出そうとすると頭が痛む。胸が苦しくなり呼吸一つ満足にできなくなる。助けてと求められない助けを何時も求めていた。
「怖いのです。思い出すのが……」
 思い出してしまえば最後恐ろしい記憶もよみがえる。決して思い出してはいけない。そう思って忘れた記憶。
「私浚われたんです。浚われて家族と離れ離れになった。その先でとても恐ろしい目にあったんです。とてもとても。家族のことを思い出そうとするとその時の記憶まで思い出しそうになってしまって恐い……。恐いです」
 言葉にする最中太宰の手は福沢の着物を掴んでいた。
恐怖を逃がすようすがるように服を掴み胸元に顔を寄せる。口にしながら脳裏には思い出したくない記憶がめぐる。無数のあやかし。その目は太宰に向けられ、太宰を襲ってくる。恐ろしい光景に眼を閉じ安心することを覚えた胸に飛び込む
「やっと言ってくれたな」
 抱き締めた腕。低い声が何かを囁くのに太宰は顔をあげた。
「え?」
「いや……」
頬を手が撫でていく。柔らかく大丈夫だと諭すように。その手に頬を押し付けながら太宰は不安そうな目で見上げる。褪赭の目が幼い子供が帰り道を探すように見つめてくる。
「私はどうしたら良いですか」
 迷い子の声。帰る場所を見付けた帰れない子供の。
「思い出したいんですよ。彼らのこと本当に思い出したいんです」
「ああ。思い出せばいい」
 太宰が言葉を重ねるのに福沢は強く頷く。そうすればいい。お前がそれを望むならと。
「でも……」
 太宰の声が小さく弱い声を出す。怖いと握り締める手が強くなった。その手に手を重ね青白くなった指を一本一本解きほぐしていく。大丈夫と声をかけた。
「恐いことを思い出すと言うのであれば私がお前を守ろう。お前の心が壊れぬように」
 ずっと側に居て支える。
 銀灰の目が太宰を見て囁く。太宰の心が震える。
 支えてくれる人を見つけなさい。そしたらきっと大丈夫だから。母の声。大丈夫。私は大丈夫。






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