拾玖

 長い黒髪が視界の中に写り町を歩いていた太宰はふっとその足を止めた。またやってしまったと止めた後に後悔が襲う。記憶を思いだしかけてからと言うもの長い黒髪を見るとつい目で追いかけてしまう。もうその人はいないのだと知っているのに。
 一緒にいる国木田や敦に不自然に思われないようどう言い繕うかと考えようとした太宰はでもその視線をまた見つけた黒髪に戻した。別人だと知っている。今度視界を向けたのはついではなかった。一瞬だけだったが何か懐かしい感覚を覚えたのだった。
「あれ……」
 視界のなかで黒髪が踊る。記憶の中にある母とはゆう髪の位置が違う。だが何処かで見たことがあるような。
「どうかしましたか」
「いや……」
 記憶の中を辿ろうとしてしまうのに敦の声が聞こえて太宰は我に帰る。何でもないよと何となくいつもの笑みを浮かべる。
どくどくと胸が嫌な音をたてていた。
敦の方を見なくとはと思うのに太宰の視線は黒髪に囚われてしまう。ゆらゆらと尻尾のように揺れていた黒髪が横を向いて相手の顔が覗いた。美しい顔をした女性。今時珍しいほど純日本人っぽい雰囲気を持つ姿にどくりと胸が跳ねる。朧気な影が脳裏に浮かんだ。
「凄い綺麗な人ですね」
 目を細めてしまうのに太宰の視線の先をおった敦が感嘆するように声をあげた。隣にいる太宰もかなりの美形。他の周りも美形ばかりで知らず知らずのうちに感覚が麻痺してしまっている敦でさえもほうとしてしまうぐらいには美しかった。
同じような国木田もそうだなと一瞬目を惹き付けられた。惹き付けられはっとその顔をまさかと歪ませる。
「まさかまたお前自殺に誘おうなど考えていないだろうな。お前と言うやつは毎日毎日、社長と言うものがありながら」
 言いながらどんどん怒りが募っていくのか声が荒くなっていく。大きなものになるのに記憶の中に潜り込みかけていた太宰は現実に引き戻された。慌てて弁解の言葉を口にする。
「そんなんじゃないよ。それにわたしだって最近は滅多に心中のお誘いはしないよ」
「しないのがいいんですよ……」
 信用してくれよーー、と情けない声をわざとらしくだす太宰に敦は呆れた声を向け正論を口にした。それに対し太宰はだってしたくなっちゃうんだもん。社長のためにも三回に二回は我慢してるから私偉いよと。悪びれもせずに口にした。
こんの唐変木が!! と怒鳴り声が響く。回りに迷惑だなーー何て考えながら敦は太宰を見た。国木田と話ながらもその視線はちらちらと黒髪の女性を見ている。何かを気にするような視線にきょとんと首を傾けた。
あの女性になにかあるのだろうかと敦の視線も女の姿を追いかける。
 黒髪の女性。長い黒髪は手入れが行き届いているのかはっとするほど美しくて……。その髪が女性がきょろきょろと頭を振る度に揺れる。何かを探している……、いや、迷っているのだろうか。
声をかけるべきか悩んでこう言うのは太宰に任せるのが早いと太宰にまた視線を戻す。えっと驚きの声が敦から漏れた。
 いつの間にか国木田との話は止んでいて太宰の目は女性の姿をじっと見ていた。その額からめったに見ないような冷や汗がつぅと落ちて、細められた目。眉間に沢山の皺が刻まれていた。
その目は女性を見ているようで焦点があっていない。
「太宰さん……」
「いや、何にも……」
 呼び掛けられて太宰の肩が跳ねる。焦点のあっていなかった目に光が戻り周りを確認するように目だけがぎょろぎょろと動く。敦を見国木田を見、それから女性を見てほうと細い息が漏れる。ゆるりと振られる首。
 心配げなめが見上げてくるのにでも太宰が見えているのはそんなものではなかった。
 黒髪。それは見えているものよりはまだ短かった。背もずっと小さくて……。影のような記憶。ぼやぼやと浮かんでは消えていくその隣にはもっと小さい固まり。それは多分良守の姿で……その隣にいた彼女は……
 治守さん!
 高くて可愛らしい声が太宰の名を呼んだ。良守と手を繋いで歩いていた彼女が駆け寄ってくる。太宰はそれに……
「……時音ちゃん」
 脳裏に浮かんだ朧気な光景。その光景のなかで幼い太宰が口にするのと同時、現在の太宰もまたその名前を口にしていた。
 そうだ。彼女は時音ちゃんだと後少しで視界の中から消えようとしている女性を見つめる。あっと足が動こうとしたのに聞こえた声がそれを止めた。
「え?」
 驚いたかのような声。はっとしてそちらに目を向けると敦が心配するように太宰を見ていた。その目に彼らがここにいたことを思い出す。
途中まではちゃんと認識していたのに途中からわからなくなってしまっていた。
「っ。何でもないよ」
 ふるりと首を振れば水滴が幾つか飛ぶ。それが汗だと気付いて息が荒くなていることにも気付く。
「凄い脂汗出てますけど」
「……ちょっと気分悪くなっちゃった。私、帰るね」
 思い出したのはただ懐かしいだけの記憶だ。痛みも何もないはずの。それでも胸が苦しいほど痛むのに唇の肉を噛み千切りたいほどの悔しさを感じながら太宰は敦たちに向けて声をかける。悲しい。恐ろしい。心はそう思っている。だけど。
「え、太宰さん!」
 少し早足になって去っていく太宰に敦が声をあげる。ダメですよと言う声が聞こえてくるがそれでは止められなかった。人混みに身を隠し二人の視界の中から消えながら見失ってしまった懐かしい姿を探す。
 消えた太宰に敦は顔を真っ青にして国木田を見た。
「ど、どうしましょう」
「放っておけ」
 敦からは情けない声が出るのに国木田はじいと太宰が消えていた方角を見つめながらそう答えた。でもと敦は不安げな声をあげる
「……さっき凄い具合悪そうでしたよ。一緒に帰った方が」
「いや……多分知り合いだったのだろう」
「え?」
 何処かで倒れでもしたら心配し今にも駆け出そうとする敦の首根っこを捕まえ何かを考えるようにした後国木田は重苦しく口を開いた。敦のめが見開かれ手がぼたりと落ちる。大きな目が恐怖するように国木田を見あげ……。
「昔の知り合いか何かだったのだろう」
「それて……。なら、余計……」
 眉間に眉を寄せながら言われた事に敦の唇は震える。あっあと声が出て。もし何かあったら。記憶を思い出すような。側にいなくとも遠くから見ていたほうがと色んな考えが頭のなかに回るがうまく言葉にはならなかった。
ただ太宰のことが心配だった。
国木田も心配して悩むがゆっくりと首を振る。遠くから見守れたらいいのだが敏い太宰のこと気付かれてしまう可能性の方が高いと。
「いや、俺たちが行かない方がいいだろう。……社長に伝えよう」
「はい」
 国木田の考えも分かりそうだろうと敦は渋々頷いた。その目は消えた太宰を探してしまう。


 やっと見つけた黒髪はまだ何かを探すようにくるくると揺れていて、太宰は少しためらいながらも声をかけた。
「時音ちゃん」
「え?」
 呼び掛けた声に不思議そうに振り向く黒髪。黒い大きな目が太宰を見上げる。首を傾け訝しげな眼を向けてくるのに太宰の中に本当にこの子で会っているだろうかと不安がよぎる。
振り向いてくれたからそうなのではないかと思うが、でも幼かった頃の姿はほぼ覚えていない。似ていると思ったが別の人なのではないかと……。
「時音ちゃんだよね」
 問い掛けるのにうまく笑えなかった。これでは不審者ではないかと思うのに、その考えを裏付けるよう相手の目は鋭いものに変わって…。
「そうですけど、貴方は……、っ、もしかして治守さん」
 警戒するように距離を取ろうとした相手はだけど途中でその顔を驚愕に染めた。信じられたいと太宰を見つめ、恐る恐る震えた声をだす。己のかつての名前が呼ばれるのに良かったと口元が揺れる。
「久しぶりだね」
「お久しぶりです」
太宰が声をかけると黒い髪がばさりと音をたてて宙を舞った。
頭が深く下がるのにそういえばこんな子だったかと記憶が刺激される。良守には強気だった気がするが太宰や兄の正守には礼儀正しかった。そんな……。
 記憶を思い出すのに少しの間ぼんやりとしてまった太宰は目の前に時音がいることを思いだしてそちらに意識を向ける。時音は困惑しながらも敦と同じ心配する眼差しを向けていた。
その様子に彼女がすべてを知っていることに気付く。
「え、あの……」
「良守から聞いてるんだね」
「え、ええ」
 こくりと頷く頭。心配を書けてしまっていることに罪悪感を抱くが昔と変わらず優しい子だなと懐かしさも抱く。
「君の事はさっき思い出したんだ。何だか見覚えのある子がいるなって思ってたら……」
「そうなんですか……」
 太宰の話に時音の眉音が少し寄る。心配をさせたい訳じゃないからどうしたらいいのだろうかと悩んで太宰は大丈夫だよと何かを言われる前に口にしていた。
「君のことを思い出しただけだから、他には何もないよ」
 ふわりと笑って言葉にするのにきゅっと時音の眉が寄る。本当にそうだろうかと困ったような顔。こんな顔をさせたいわけではなかったのだけどとまた考える。どうにもうまくいかなかった。
良い言葉が出てこないのに仕方ないかと話の流れを無理矢理別の方向に持っていく。
「それより何か困ってるんじゃないかい?」
 太宰が声をかけたのはこの為だった。放っておいた方がいい、無理に記憶を刺激しないためにも声はかけない方がいいと思っていたのだが、どうしても困っている様子なのが気になってしまって声をかけた。
本当の妹ではないものの隣の家に住んでよく良守一緒にいた時音は多分妹分のようなものだった。たまに年下の後輩たちに抱くような感覚を当たり前のように抱いてしまった。
 えっと言う顔をした時音は言っていいのか少し悩んでから口を開いた。
「……友達とここまで来たんですけど迷子になっちゃって……」
 今探しているところなんですと何処か気はずそうに彼女は話す。もう高校生ぐらい、もしくは大学生にはなっているはずだからそれではぐれてしまったのが恥ずかしいのだろう。可愛いなと普段は他人に思わないことを思う。
「その友達は今何処にいるか分かるかい」
「はい。にいるっていってるんですが……」
「そう。なら案内してあげるよ」
 そこが何処か分からないのだろう。時音の手には携帯電話が握られ、その画面は広げられている。移るのは地図でそれを見て向かっていたのだろう。太宰は優しい声で提案をする。
「いいんですか」
「ああ」
 時音の顔に明るさがましホッとしたように笑うのに良かったと思う。でもすぐに時音は何かを思案するように太宰を見て。
「でも何か用事とかあるんじゃ……」
「大丈夫だよ。対したことはないから」
「はぁ。ありがとうございます」
 太宰の脳裏に敦と国木田の姿が浮かぶ。
実は三人で依頼人に会いに行くところだった。依頼内容は最近家や仕事場の近くで怪しい人物を見かけるからそれが誰で何のために依頼人の周りをうろうろしているのか調べてほしいと言うもの。
会いに行かなくとももうすでに太宰はおおよその検討はついている。二人だけでも充分対処可能だろうし、もし明日になってと解決してなかったとしても簡単に終わらせることができる。まあ、太宰にとっては用事と言えるようなものではなかった。
 良いのかなとまだ躊躇う時音に腕を差し出す。
「ほら、荷物貸して」
「え。いえ、そんな」
「男にはエスコートさせるものだよ」
「……ありがとうございます」
 彼女がもつ小さな荷物を持とうとするのに遠慮するように時音は首を振る。それに何時もかけるような言葉を口にすると時音は驚いたような眼をした。えっとこの人は誰だろうかと言うような眼を向けられるのに昔はこんなことしなかったからとその目に思う。
変わってしまったのだよと変わってしまったことを少しだけ苦しく思いながら相手の荷物を手に取った。
女の子らしい小さな鞄。記憶の中の少女も女の子らしかったけどそれよりずっとおしとやかになって女の子になっているそんな気がした。
「横浜にはどうしてきたんだい?」
「友達と遊びに」
「ふーんどこに行くだい?」
「えっと、」
「それは楽しそうだ。そうだ、そこに行くのなら 行くと良いよ。後とかもいいね」
「そうなんですね」
 歩きながら話す。もっと他の話、それこそかつての話などをした方が良いのかもしれないと考えながら踏み込もうとはまだ思えなかった。
まだつくまでに幾分かあるのにどんな話をしたらいいかと考える。んーーと女の子が喜びそうな話を浮かべるのにふっと不思議そうな視線に気づいた。
 太宰が見下ろすと大きな目が見上げている。
「どうかした?」
「いえ、」
 問い掛けると緩く振られる首。でも見上げてくる目は何か言いたげで……。
「突然話しかけて迷惑だったかな」
「そんなことは、そんなことはないんです。むしろありがたいです。
ただ……治守さんなんか変わったなって」
「え?」
 どきりと胸がなった。自身でよくわかっていることだがでも不安になってしまって。
「私があったことがあるのが幼い時だから仕方ないんですが、あの頃に比べると随分……」
 明るく……なったような……。良いことである筈なのがそれを言う時音は何処か躊躇いがちだった。そうなった過程を予想してしまったからか。昔の太宰は感情が薄かった。恐怖と言うものも殆ど感じなくて……。初めて恐怖を感じたのは多分……。
 ずきりと米神が傷んだ。
 思い出してはいけない事を思い出しそうになってしまって頭の片隅に追いやる。隣の存在に心配をかけないように笑う。
「そうだね。こんな私は嫌いかい?」
 からかうようないつも国木田たちに向けるような笑みを向ける。それに時音はちょっと困ったような笑みを浮かべる。その目は太宰のことを心配するようで。
「そんなことはないですけど、でも、何か……苦しそうに見えて」
「っ。そんなことはないけど」
 時音の言葉に太宰の目が少し見開く。自分の事を見透かされたようで少し怖くなりながら時音を見る。大丈夫だよと笑うけど時音の目から心配は消えてくれなかった。
「それならいいんですけど。無茶はしないでくださいね。良守もそうだけど治守さんも無茶するから、心配です」
「無茶なんてしないよ」
「……」
 ふふと太宰が笑う。でも時音はじっと太宰を見る。その視線に太宰はつい頭に手をおいてしまった。敦や鏡花の目に似ていて心配しないようにといつもの癖で。えっと驚く姿に失敗したかなと思いながら笑みを作る。
「時音ちゃんはいいこだね」
「そんなこと……」
 柔らかな声で声をかける。恥ずかしそうに眼を伏せるのにふっと記憶をまた一つ思い出す。
良守と手を繋いで歩く姿。手を繋がれた良守は泣いていて。泣いている良守にどうしたのと声をかけるとごめんなさいと時音が言った。遊んでいる途中に足を滑らせて川に落ちてしまったのだ。と。よく見れば二人はずぶ濡れに濡れていて。
 うっすらと目に涙が貯まっている時音の頭をぽんぽんと撫でてあげた。良守を連れてきてくれてありがとう。大丈夫だったと声をかけると貯まっていた涙がじんわりと広がっていた。
 泣き出した二人にどうしていいのか分からなくなりながら太宰は二人を父のもとまで連れていたのだったのだったか……。
「良守とも昔遊んでくれてたけ。今も良守と仲良くしてくれてるのかい」
「別に仲良くなんかは……」
 良守と幼い時音が弟を呼ぶ声を思い出した。泣き虫な弟といつも一緒にいてくれて、それでよく泣く弟の手を引いて連れて帰ってきてくれていた。その姿を思い出して口にしたら時音の頬が僅かに赤く染まった。
 おやっと眉が寄る。この態度に何処か既視感があるような似たような態度を何処かで……。
 別に仲良くねぇもん……。
 声が思い出された。幼いそれは良守のもので。その頬も赤くなっていたそんな気が。
 ふふと思い出した過去に太宰の口から笑みが漏れた。
「何ですか」
「何でもないよ」
 むうと時音の唇が尖る。それは記憶の中に僅かにある良守の姿とそっくりで何だかいい感じになっているんだなと二人の関係に嬉しくなった。いつか二人が並んだところを見てみたいなとそんなことを思う。
 もう少しお話ししたいなと思ったが残念な事にもう場所までついてしまって太宰は足を止める。横を歩いていた時音も遅れて足を止めた。
「もうついたよ」
「えっ。あ、ありがとうございました」
 え、もうと言う顔をした時音はきょろきょろと辺りを見渡してそこで友達の姿を見つけたのだろう。慌てて頭を下げてくる。
「どういたしまして。ほら」
「荷物ももってもらって」
「あまり気にしないで。じゃあね」
「はい」
 その可愛らしい姿に柔らかな笑みが浮かぶ。
「良守によろしく伝えてね」
「分かりました」


「兄さん、時音にあったんだって」
 会った瞬間聞かれた言葉に太宰は眼を瞬かせた。話していればその話になるだろう。ならなくともその話をしようと思っていたがまさか会口一番に言われるとはと驚いてしまった。
時音ちゃんのことがそんなに気になるのかと意地の悪い笑みを浮かべそうになるのを何とか押さえた。
「ああ、こないだね。時音ちゃん大きくなっていたね。綺麗だったよ。あれなら引く手数多だ。将来は好い人のお嫁さんに行くだろうね」
「ぅう」
 だけど出てくる言葉はほんの少し意地悪なものになってしまい良守は呻き声のようなものをあげて俯いた。ぼそぼそと時音は俺がと何かを言っている声が聞こえてくる。
「ふふ」
「何だよ」
「何にもないよ」
 睨み付けてくるような目。そう言えば昔もこんな眼を見た。仲が良いねと言った時だったか。それとも別の時だったか。
良守の時音に対する他とは違う態度の意味が分からなくて不思議な目で見ていたものだが今なら分かって意地悪な気持ちがわくのに悪い兄になったものだと思った。
「良守は時音ちゃんの後ばかり追いかけていたけ」
「そんなことねえよ」
 ぶぅと拗ねたように口元が尖っている。赤い頬に可愛らしいなと頬が緩む。昔もかわいかった。時音、時音と彼女の後を追いかけていた。そんなことを思い出す。
「懐かしいね」
「覚えてんの……」
「少しだけ」
 だから思い出したいなと過去の記憶に思いを馳せそうになるのに良守のおかしな様子に気付いた。何かを言いたげな目でじっと太宰を見つめていたのだ。
「……」
 からかいすぎたのかなと何も言わずに見つめてくる目に首を傾ける。だけどそう思うにはその目に怒りは少なくむしろこの目にこもるのは……
「どうかした?」
「大丈夫なのか」
 疑問に思いながら問いかければ聞かれる一つのとい。ああ、やはりと思った。良守の目に写っていたのは心配の色で太宰が記憶を思い出したことを不安に思っているようだった。
「……そうだね。……大丈夫だよ」
 大丈夫では本当はない。少しずつ家族の記憶を思い出していくのに同時に恐ろしい記憶も少しずつ思い出されていて抱えるのが辛い。時々叫びだしてもう一度何もかもを忘れたくなる衝動が沸き上がる。てもそれでも家族の事を思い出したくて……。
「本当に! 本当に大丈夫なのか!」
「大丈夫だよ」
 良守が本当にと嘘はついてないかと太宰の服をつかんだ。一人で悲しんで欲しくないんだとその手が震えている。大丈夫と太宰は嘘をつく。本当の事を言ってあげたい。でも心配をさせたくもなくて。良守の目に薄く涙の膜ができている。
「兄さんに思い出せてもらえるのは嬉しいけどでも……辛い思いだけはしてほしくないって言うか一人で悲しませるのだけはやなんだ。痛かったら俺にも言ってほしい。俺は頼りないかもしんないけどそんでも……。俺じゃなくてもいいから誰か……」
「……大丈夫だよ」
 ぎゅっと良守の手が己の服の裾を握りしめていた。細かく震えている姿にああと息を吐く。我が儘なの分かるけどと絞り出したような声が言う。我が儘なはずないのにとその声に思う。心配させたくないけど心配してくれるのがとても嬉しかった。
ぽんぽんとその頭を撫でる。かつてのように。そして何時もそうしてもらうように。
「良守は優しいね」
「そんなこと……」
 心からそう思って呟いた言葉は良守には不満だったようだ。なあ、大丈夫なのかよと黒い目が問い掛けてくる。
 ここ最近眼を閉じれば浮かぶようになってきた恐ろしい過去。大丈夫とは言い難い。でも眼を閉じて浮かぶのはそれだけではなくて家族の姿に、それに銀色の髪の愛しい人の姿。
「…………今はまだ平気だよ。私にも傍にいてくれる人はいるからね」
「その人、兄さんのこと支えてくれるのか」
「支えてくれるよ」
 問いに強い声で答える。それだけは間違いのないことであるのをもう太宰はしっている。
「私の大切な人だから」
「そっか。なら良かった」
 泣き出しそうだった良守の顔がほんの少し安堵したものになった。
 その姿を見ながら太宰は銀色の髪を思い浮かべる。思い出しそろそろ言わなくてはなと考えた。
もうこれ以上は太宰一人では抱えきれないから、壊れる前に彼に助けを求めなければと。


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