大丈夫か。太宰。問いかけてきた声に太宰は大丈夫ですよと苦笑する。だがと福沢は心配そうに太宰を覗き込んだ。わんわんと犬の鳴き声が聞こえる。福沢の家の近くには犬を飼っている家がいくつかあり時々帰り道にはちあうことがある。犬の散歩コースではない道を歩いているので滅多にはないのだがたまにはあって……。今日はそのたまにが起きた日だった。
 歩いている途中前方からやって来た犬の姿に太宰は足を止め暫く固まってしまった。一緒に帰っていた福沢が太宰を庇うように前に出てそれから犬が過ぎたあともとても心配そうに見ていたのだった。その目に困ったように口許を歪めて太宰は福沢の胸元にぴったりとくついた。外で太宰がくっついてくることはあまりないことで福沢の目が見開いた。すりりと胸元に頭が寄せられるのに驚きながらもその手は頭を撫でていく。何かあったのかと問おうかと思ったとき太宰が口を開く。
「犬をね、飼ってたんです」
「犬?」
 キョトンと首が傾くのは太宰にはあまりに似合わない言葉だからだ。だが確かに繁守の家には犬小屋があったかと思い出す。犬がいたのは見たことがなく何故か石が奥に納められていたが……。
「はい、犬。飼ってたとはまた違うんですけど……」
「お前は犬は嫌いではなかったか?」
「嫌いですよ」
「それなのに飼ってたのか」
「斑尾は特別です」
 疑問に思ったことを問い掛けると太宰は当然とばかりに答えている。それなのに何故と問いを重ねると太宰は嬉しそうに笑いながら答えた。特別と言う響きに少しだけ福沢の眉が寄る。
「斑尾?」
「犬の名前ですよ。……斑尾の話も色々話したいな。でも、ここではあれですよね。早く帰りましょう」
 家までの距離は後少し。その距離を惜しむように太宰が手を引いて歩いた。


 家に帰りついた太宰は他の用事もそこそこにしてすぐに福沢の膝の上に座り込んできた。手を引いて座らせてくる太宰に好きなようにさせていた福沢は胸元に飛び込んできた頭をす抱き締め髪をすいた。優しい温もりに包まれた太宰はほうと息をはいてすぐに話を始める。
「斑尾はね本当に優しい良い犬なんですよ」
 白い毛並みが太宰の脳裏に浮かぶ。ぽんぽんと頭を撫でてくれた優しい手。
「よしも、弟が産まれた時祖父や母、父が弟に構いきりになったことがあったんですよ。兄は……兄なりに構ってもらいに行っていたんですが私は行かなくて……。寂しくなかったんですよ。構ってもらえなくとも何かあれば相手してもらえることは分かってましたし、大切にされてました。だから
 ……でも斑尾はそんな私のことを心配してくれてたまには泣いたりでもして構ってもらったら良いじゃないかとか言ってきてくれたんです。必要はなかったんですけど。斑尾が傍にいてくれましたから」
 本当に幸せな記憶なのだろう穏やかな顔をした太宰が語る話を聞いていた福沢はんと途中で首を傾けた。犬の話だったよなと思うものの太宰に問いかけることはしなかった。太宰は奇妙な話をしていることに気付かずに話を続けていく。
「よくブラッシングしたな。凄く美しい毛並みをしていたんですよ。
 ふわふわ艶々で触るの楽しかったな」
 記憶を思い出しているのか太宰の手が宙を撫でていく。犬にしては高い位置にあるのにまた首を傾けながらもその事を聞くことはやはりしなかった。それより太宰の言う感触がどんなものなのだろうかと想像する。猫の触り心地を思った後それよりも近いものがあることを思い出す。
「お前の髪のようなものか」
「私の髪なんかよりずっといい触り心地でしたよ。楽しかったしとても癒されるんです」
 ふわふわと太宰の頭を撫でる。否定され一度はそうなのかと考えたもののやはり同じだろうと思った。
「ふむ。やはりお前の髪のようなものだろう」
「違いますって」
「私はとても楽しんでるし癒されているから似たようなものだろう」
「もう……」
 頬を膨らませる太宰はそれでも何処か嬉しそうで、ただ彼のなかでは譲れないのか斑尾の毛並みは本当に素晴らしいんですからねと怒ったようにも口にする。ことりと胸元に凭れかかってその犬のことを思う。
「凄く優しい犬だったんです」
 太宰が優しく口にする。その目が悲しげに揺れた。
 昔のことを思う。何時もそばにいた斑尾を怖いと思ったことは一度もなかった。お隣の家にいたはくびという犬を怖いと思ったことはなく、近所の犬だって……。怖いと思い出したのが何時からかは分からないがでも少なくともあの頃は……。
「私ね、……家族と分かれてから犬が嫌いになったと思うんですが、斑尾なら触れられる気がするんですよ。いつも私の傍にいてくれたから……」
「お前が犬と戯れるのか……。見てみたい気がするな」
 ふわふわしながらと艶々とした毛並み。何時も触れていたそれを今でも触れられるような気を太宰は抱いていた。触れたいな。またブラッシングしたいなとそんなことを思う。考える太宰。福沢もまた考えていた。酷い犬嫌いである太宰が犬と一緒にいる姿を。犬を見たら何時も逃げ出す彼が犬に触れ、ブラッシングまでする姿は想像できないがそれもそれで愛らしいなと思った。何時か見られるのだろうかと思いを馳せていたら腕のなかでふふと太宰が笑った。
「……そうですか。福沢さん、妬くんじゃ」
 悪戯をするような笑みを太宰が浮かべるのに疑問符が浮かぶ。
「?」
「だって福沢さん犬じゃないですか。昔銀狼だったんでしょ」
「むっ……」
 じいと見つめていたのに太宰はにんまりと笑い言葉を告げた。福沢の顔に皺が出来る。睨むように見つめるのにふふと太宰は楽しそうに笑う。その顔があっと何かを思い出したように目を見開いた。
「あ、そういえば斑尾のせいぜ……前の名前は銀……銀、覚えてないけど銀がついてる名前……何か似ていたような……ぅ」
 太宰が考え込むように口元に手を当てる。何のことだと福沢の眉が寄るのに太宰はそれにも気付かず考え込む。そんな太宰をぎゅっと力強く抱き締めた。
 太宰の頭のなかで朧気な記憶が回っていく。
「斑尾は妖犬なんだよね」
 他に誰もいない部屋。みんなはその日何処かにいっていた。夕方に起き出した斑尾は真っ直ぐに太宰のもとに来てくれて……。一人本を読んでいた太宰は斑尾の気配に読んでいた本をぱったりと置いた。そうして聞いた言葉に斑尾は不思議そうに目を瞬いた。
「そうだけどなんだい今さら」
 ことりと斑尾の首が傾く。首と言うものが何処か分からないが多分首だろう。
「いや、生前はどんな犬だったのかなって思って。生きていたの数百年前とかでしょ」
「そうだねぇ」
「昔の犬って大きいんだよね。斑尾も大きかったの」
 斑尾の目が太宰が読んでいた本を見る。確かその時読んでいたのは繁守の本棚にあったものだっただろうか。随分昔のものだった。その中に犬のことが書かれていてそれで丁度よくやって来た斑尾に聞いたのだ。なんだい。あんたも可愛いとこあるんだね。嬉しそうにそんなことを言った斑尾の言葉の意味がそのときはわからなかったと思うが今ならああ、そういうことかと理解できる。感情の薄い太宰が本から得た知識で聞いてきたのに驚いたのだろう。
 太宰の頭に手を載せながら機嫌をよさそうに尻尾のようなもよを揺らして笑った。
「まあ、そうだねぇ。それなりには大きかったよ……」
「ふーん」
 そうなんだと普段とあまり変わらない声が呟く。斑尾が犬の時の姿はどんなものだっただろうかと考える太宰に斑尾はしょうがないと声をかけてくれて。
「仕方ないねぇ、ちょっと昔話してあげるか。私が昔の話をしてやるなんて滅多にないんだからありがたく思いなよ。しげぼうにも話したことないんだ」
 するりと白色の毛並みが太宰の膝の上に乗る。ふわふわとした毛並み。暖かくはなかった。それでも触り心地はよくて太宰はきっと好きだった。何時もそばにあれば撫でていた。
「しげ爺にも?」
「ああ」
「話したくないことなの?ならいいよ?」
 話す体勢に入っている斑尾にそんなことを言った。話したくないことがあると言う感覚が太宰には分からなかったけど、人にはそう言うのがあるみたいだからあんまりなんでも聞いちゃダメよと母に言われていたからそう言った。母は太宰にそういったことをよく教えてくれていた。多分それは母が人間関係で失敗してきたことなのだと何となく分かったから太宰は母に言われたことは誰相手でもすべて守っていた。
 そんな太宰に斑尾は苦笑のようなものを落とした。
「まあ……色々あったからね。話せるのなんて触りだけだけどそれでも話してやるって言ってるんだから聞くもんだよ」
「うん」
「わたしゃ昔は山で産まれた野犬でね、名前は銀露って言ったんだよ」
 そう言うものなのかと頷けば斑尾は太宰の膝の上で話し出して……。
 もやだらけの記憶。相手の顔や姿は全部曖昧でだけど話したことは覚えている。懐かしい記憶。だけどその合間にもちらちらと思い出したくない記憶の一端が覗いていて……。
 福沢の腕のなか、現実の太宰はぐったりともたれ掛かっていた。汗が流れ落ちていく。
「太宰……」
 届かないと分かりながらも福沢は太宰のなを心配げに呼ぶ。抱き締めた腕が僅かに震えていた。大丈夫だとは思うもののもしこれでと不安が胸のなかに広がる。大丈夫であってくれと願う先で力なく開かれていた口が何かの音を紡いだ。
「銀露」
「え」
 小さな声。聞こえなかった声に疑問の声が落ちれば、太宰は口元に笑みを浮かべた。青白かった顔に血の気が戻り嬉しそうな顔をする。
「そう、銀露でした。美しい名前だろう。今の名前のほうが何百倍も美しいけどって誇らしげにしてました」
 思い出せて嬉しいのだろう。消耗した顔でそれでも笑う太宰に犬のことなのだよなともう一度思いながら頬を撫でる。汗をぬぐう手に心地よさそうに目を細目ながら太宰は呟く。
「会いたいな……」
「会えるとよいな。私もその犬にあってみたい」
 自然とでた太宰の声にいろんな思いをこめて福沢は返す。ふふと笑った太宰は胸元に顔を埋めた。




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