拾伍


 かたんと箸が置かれた。御馳走様でした。聞こえてくる声に福沢は太宰の皿に目を向ける。中にいれていたものが全部なくなっているのを見てうむと頷く。最近は不安が強いのか食べる量が普段より少なくなっていたのだが、今日は全て食べてくれたようで安心した。よしよしと福沢の手が太宰の頭を撫でる。良い子だと声を出すのに太宰の頬が本の少しだけ膨れた。
「もう。わたし子供じゃないんですからね」
「分かっている。子供扱いをしているつもりはない」
「本当ですか……」
「乱歩にでも聞いてみろ。あれが食べ物を残そうものならそりゃあ酷いものだったぞ」
「…………逆ギレされそうだからやめときます」
 ふふと福沢から軽い笑みが漏れた。懸命だなと呟くのは前に同じようなことを乱歩に聞いて逆ギレしていたのを知っているからだ。むぅと太宰の頬がもう少し大きく膨らんだ。でもすぐにそれは萎んでしまう。福沢さんのご飯美味しくて大好きなんですよとそんな福沢にとっては当然のことを口にしてくる。
「大好きなんですよ」
「知っている」
「福沢さんは料理上手ですよね。……私の、」
 滑らかに楽しそうに話していた太宰の言葉が詰まった。何かを話したそうに口を開いては閉じ、それからまた開いた。不安そうな目が福沢を見つめる。
「私の父さんもね料理が凄く上手だったんですよ」
 福沢からほうと息が落ちかけた。太宰が家族の話をするのは母の話をしてから数週間ぶりのことだった。何かを言いたそうにしながらも何かに迷うように口を閉ざしてばかりだった太宰がやっと話してくれて嬉しいと思いが溢れた。何もなくなっている皿の上を太宰の目が見る。
「凄く美味しかったんですよ。料理の他、家事全部が上手だったんです。変わりに母さんは家事全般全部駄目で……」
「お前と同じだな」
 所々止まっていた声が小さくなって聞こえなくなっていくのに福沢は途中で声をかけた。最後まで話を聞こうと思っていたが話す太宰の瞳孔が開いていくのに黙って聞いていることができなくなった。懐かしい思い出。話したい話。それでも口にするのが怖くて。震えていたのに福沢の声が聞こえて太宰ははっと我に帰った。優しい目が見つめている。
「そうですね。あ、でもお料理最近はできるようになってきてるでしょ。福沢さんには及ばないですが」
 ほうと吐かれた息。ふふと口元が嬉しげな笑みを作る。その口がほんの少し話題をずらした。まだもう少しもう少しだけ……
「そうだな。お前が作ってくれるものはとても美味しいよ」
「そんなことを言ってくださるのは貴方ぐらいですよ」
「そんなことはない。本当にうまいぞ」
 太宰が作るものと言えばラーメンだとか雑炊だとか誰でも簡単にできるような煮て味をつけるだけのものだった。味も基本的には既に用意されたものがあってそれをいれるだけ。手放しで褒められるような出来では決してないのだが福沢はうまい。また食べたいとそんなことを言う。そこに嘘や気遣いと言ったものがないことは太宰には簡単にわかって気恥ずかしいような、でもそれ以上にうれしい思いを感じた。
「うふふ。貴方にそういってもらえるだけで充分なんですからあんまりむきにならなくてもいいんですよ。でもまた今度作りますね」
「楽しみにしている」
 早く食べたいと心底嬉しそうな声が届く。そうしながらお前が疲れてないときで良いのからなとも福沢は言ってきて。ああ。愛されているなと柔らかなものが胸に灯っていく。今ならともう一度家族の話を口にした。
「ふふ。私、父さんのご飯が好きだったんですよ」
「そうなのか。さぞ上手かったのだろうな」
「ええ、とても美味しくて…。何時も沢山作ってくれるので兄弟で沢山食べたんですよ」
 太宰の目が懐かしむように細められる。机の上に山ほど盛られた料理の数々。ピンクのエプロンをつけた父がみんな沢山食べてねと声をかけ、沢山食べる兄弟の姿を嬉しそうに笑っている。その中には太宰の姿もあって。
「私……昔は多分ですが今よりもっと食べられた筈なんですよね。なのに何で食べられないんでしょうね」
 家族と食べる太宰は朧気な記憶のなかでも今よりもずっと沢山食べているように思う。美味しいと口にするかれらに父が嬉しそうに笑うから太宰も美味しいと口にして、そしたらやっぱり父は嬉しそうに笑って沢山食べてねと空になった茶碗に新しくご飯を注いでいく。おかずも足りなかったら作るからねと父が言うのにこくりと頷いた。俺もおかわりと弟が茶碗を差し出す。泣き出したくなるほど柔らかな光景。
「長年食べるのを嫌っていただろう。そのせいで胃が受け付けられなくなっているのだ。食べるのを楽しいと思えだしたらきっと昔のように沢山食べられるようになるだろう」
「そうだと良いんですけど……」
「食べたいのか」
「まあ……」
 食卓に並ぶご飯。完食すれば父は何時だって嬉しそうで、逆に残った時は口に合わなかったかもしかして何処か具合が悪いのかととても心配してきた。大丈夫? 他に何か食べようかとそんなことを聞いてきて……。祖父も大丈夫か。と同じように見てきたのを思い出す。今の食事量だと彼らを心配させてしまいそうだった。
 夕食を食べる家族の姿が写る。
 母は時々いなかったものの家族で食べるご飯は賑やかで楽しいものだった。テレビで見てほんとうにこんなものがあるのかと疑っていたもの。それが太宰のもとにもあったのだ。手を伸ばせば何時か……また。
 そんなことを思うのに黒い靄が少しずつ覆い始めていく。目の前に蠢く大量のあやかし達。大きな爪が太宰の肌にかかって。
 浮かんだ光景に囚われかけた時、ぽんと肩に手がかかった。引き寄せられる感覚。暖かな腕のなかに囲われるのに浮かんでいた光景が靄のように消えていく。
「沢山食べるお前を見てみたいものだな。そしたら作りがいが増す」
 お前を満足させるためにはどれだけ作ればよいのだろうな。少し楽しげに福沢が話すのにほうと太宰は息をはいた。
「お前の父のように沢山作らねばな」
「父さんは本当に沢山作ってましたよ。お料理をするのが好きな人だったんです」
「私もお前のために作るのは好きだ」
 優しい腕が甘やかすように太宰の頭を撫でる。まるで大丈夫だとでも言うような力強さを持ったそれに太宰は安心して父の姿を思い浮かべた。皆が美味しく食べてくれる姿を見るのが好きなんだとまるで内緒事のように教えてくれた父。何時かおさもりも一緒にごはん作ってみるかい?もう少し大きくなってから。
 その日は来なかったけれど、まだ……。
 太宰の口元が本人も気づかぬうちに寂しげに歪んだ。記憶を思い出す目には水分を多く含んでいて。それに福沢は胸が締め付けられるような思いを抱く。頭を撫でるてに力がこもった。
「お前は父親のご飯の中で何が一番好きだったんだ」
 柔らかな声が問いをかける。
「んーー、そうですね……」
 父の食事を思い出す。朧気な記憶のなかでは並べられたものが何だったのか思い出せず、最近食べた父のご飯が思い出されて。兄さんが好きだったものといわれたものたち。その中で一番記憶に残っているのは黄色い……
「だし巻き玉子ですかね。祖父も大好きだったんですよ。ふわっとしてじゅっとだしが染み出してきて……本当に美味しいんです。他にも色々ありますけど一番と言われるとやっぱりあれが一番です」
 絶品じゃと毎日のように誉めちぎりながら祖父が食べていたそんな記憶が思い出される。美味しい美味しいと言う声に幼い太宰も同じようなことを口にした筈だ。
「そうか。食べてみたいものだな」
「……。私も、食べてみてほしいな」
 記憶の中の味を思い出していたら福沢が声をかけてくる。心の底から告げられる言葉に太宰も心から思う。優しい家族の映像。その中に福沢の姿を思い浮かべる。彼らに紹介したら彼らはどんな反応をするのだろうか。どんな風にもてなしてくれるのだろうか。きっと大量の食事が机の上には並ぶのだろう。
 ふふと笑みがこぼれ落ちる。そんなことがあれば良いなと思う。それで父と福沢の料理、両方を一緒に食べられるようなことがあれば幸せだなとそんな夢みたいなことを考える。いつかと呟きかけた言葉を飲み込む。
 父が笑う姿を思い出しながら福沢の腕のなかにすり寄った。
「父さんはね小説家だったんです」
 父の記憶と言えば家事をしている姿が強いがそれいがいの記憶も少しあった。畳の部屋でかたかたとキーボードを打ち込む姿。その後ろに座って父の部屋にある本を太宰は読んでいた。
「小説を書いていたのか」
「あまり売れてなかったと思いますが……。でも面白かったと思うんですよ。私の父の書いた作品を見るのが好きで……、いつも一人で読んでいたんです」
「そうか」
 面白いかい。読んでる太宰を見かける度に父はそんなことを聞いた。太宰はそれにたいして答えることはできなかったけど父はそれに対しても優しい笑みで頭を撫でてくれた。時々、父の小説の次の展開の話などをした。こうしようかと思ってるんだ、それから沢山の話を父がしてくるのを聞きながら早くそれが読める日が来ないか考えていたことを思い出す。ああ、そう言えば父の話でまだ続きを読んでないものがあることを思い出した。いつか、それも読みたいとそんな欲がわく。
 出版されているはずだから探せば見つかるのだろうか。ペンネームは何だっただろう。記憶を深く思い出そうとして恐ろしいものの存在に気づいて途中でやめる。福沢の腕に潜り込んだ。
 ぽんぽんと撫でてくる腕に安心する。今日はもうここまでにしようと目を閉じて温もりの中で微睡もうとした。うとうとと眠りにつこうとするのにふと太宰の脳裏に一人の姿が浮かんだ。
「小説家か……」
 思い出した一人の姿に声が落ちる。懐かしく切ない感覚。
「どうかしたか」
「いえ、合わせたかったなって。小説家になりたかった友人がいたんです」
 彼はどう思うだろうか。自分に家族がいて家族に会いたいと思っているなど知ったら彼は……。良かったなと言ってくれるだろうか。そして会えると良いなと応援して……。出来るなら会わせたかったと思う。小説家とか関係なく彼にも太宰の家族を知ってもらいたかったと……。
 懐かしい背を思う。
 福沢の手がゆっくりと太宰の髪をすく。
「それは確かに合わせてやりたかったな」
「でしょ」
 
「売れてなかったけどものを書いている父さんはとても生き生きとしていた覚えがあるんですよ。時々大変そうだったけど……」



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