「太宰、あれ嘘だろう」
 はいと太宰が首を傾けたのは殆ど人のいなくなった事務所の中でだった。いるのは数人の事務員と太宰、与謝野だけだ。もう帰っていい筈なのにいつまでも帰らないでいた与謝野を太宰は嫌そうな目で見つめる。
 胡散臭い笑みを浮かべて何のことですかと問えば、分かっているくせに分かんないふりするんじゃないよと与謝野は呆れた目で見ていた。嘘だろうともう一度聞く。じっとした目で見られ、太宰はため息をつく。
「与謝野さんこそ、分かっているのに聞いてくるのやめてくれませんか」
「本人にちゃんと確かめる必要はあるだろう。で、嘘なんだろう」
「まあ、そうですね……。とても残念なことに嘘なんですよね。腹立たしいことに何があったかちゃんと記憶してありますし、そのおかげで過去のことも思い出してしまったんですが」
 はああと太宰から深い吐息が出ていた。目元をらしくなくゆがめ、唇を尖らせている。不快を顔全体で表現して机の下、長い足をぶらぶらと動かしていた。国木田の席に座っている与謝野はそんな太宰を見てどうしてだいと聞いた。
「別に覚えていてもいいだろう。社長に甘やかされるのが嫌いとかまさかお前そんなこと言うつもりかい」
 乱歩さんに殺されちまうよ。と低い声で与謝野は太宰を睨んできていた。不服そうな顔。乱歩が一番ではあるが、与謝野も与謝野で福沢のことが大好きだった。福沢のことを悪く言おうものなら自分が言っていたことでも切れたりすることがある。
 そんな与謝野は今にも切れそうだった。太宰はそう言う訳ではありませんがと口ごもる。じゃあどう言うわけだいと聞かれ、太宰は唇を尖らせた。
「……社長に甘やかされるのは嫌いではないんです。むしろ、心地よいとそう感じていました。だけど……、今回の件でわかってしまいましたが、つまり社長が私を甘やかしていたのは、婚約者だったから……。
 言ってしまえば、優しくしないといけないという義務からでしょう。義務だから優しくされていただけ。婚約者ではなくなっている今、そんな義務はないんですけど、社長は義理堅いからその義務を放棄できないだけじゃないですか。
 そんな状態で優しくされたとしても、それを暢気に受け入れたりはできませんよ」
 尖った口はそのままにして言葉を紡いでいく太宰。ざわざわとざわついていた探偵社内はいつの間にか静まり返っていた。
 太宰が組んだ腕を机の上に置いて、その間に顔を載せていた。頬が柔らかく変形している。不満そうなその顔にはいと口を開けたのは与謝野だった。何言ってるんだいとつい言ってしまう。だからと太宰は言う。あ、いや、いいんだけどと与謝野はその太宰の声を遮っていた。
 太宰の目が机を睨む。与謝野は天井を見上げた。遠い目で見つめてはあと息を吐きだす。じっと見てくるいくつもの目。混乱しているのが分かる、あんた社長に甘やかされていたのかいと与謝野は聞いていた。
「まあ、そこそこ。たまにご飯を食べに招待してもらえますし、何回かお泊りもさせてもらいましたしね」
「あーー、なるほどかなり甘やかされていたんだね。うまくやるもんだね。あのむっつりスケベ」
 問いにうんうんと頷いていた周りは、太宰の答えにくらりと倒れそうになった。だれもそんな話知らなかった。仲が悪いだなんて思ってはいないが、その辺の事務員と同レベルの会話しかしていないイメージがあったのだ。そんな社長と太宰さんがと不思議そうにしていながら、でもそれでもと事務員たちは太宰を見ていた。
 見られている太宰は、頬を膨らませたままことりと首を傾けていた。誰の話ですと与謝野に聞く。与謝野はそれには答えなかった。それよりと太宰に聞いている。
「甘やかされるの心地よかったのかい」
「……まあ、あの人さすが乱歩さんを育てているだけありますよね。甘やかすの旨いです」
「ふーーん」
 唇を尖らせた太宰が答える。答える与謝野は鼻を鳴らし、退屈そうな目で太宰を見ている。あーーとその口からでていく声。なるほどねと頷く。太宰はちらりと与謝野を見る。どうかしましたと問いかける声。いやと答える与謝野は何処となく疲れているようでもあった。
 太宰の首は傾く。
 周りははらはらとして二人を見ていた。何か言いたげな視線が混ざっている。当然太宰も気づいているがそちらに目を向けることはない。目を向けたら負けだと思っているのか、自身の前にある机とパソコンを見て、時折与謝野を見ていた。
 与謝野は天井を見上げながらどうしたもんかね。面倒だな。あんまりいいこともないんだよな。でも悪いことも別にないし。と言うか、無自覚なままのものを見せつけられるよりは。
 なんて何かを一人で言っていた。
 どうしたらのか本気で心配しそうになりながら、太宰は先ほどまでの会話を思い出していた。そんなに変なことはなかったと思う。会話の内容自体があれではあるもののおかしいとは思わない。なのにどうしてこんな雰囲気になってしまったのか。
 これもすべて訳の分からない薬を飲ませてきた奴らのせいだと八つ当たりで五回は脳内で殺した太宰。六回目をしようとしたところで太宰と与謝野に名前を呼ばれた。
 はいと答える。ちらりと与謝野の方を見ると天井を見上げていた顔が太宰を見ていた。面倒そうにしながらよく聞きなと言ってくる。なんですと太宰は言った。
「あんたさ、実は社長好きだろう」
 はああと太宰から声が出ていた。
 何をバカなこと言っているんですかと、太宰は白目をむいて言っている。はあとため息までついていた。私は真剣だよこの馬鹿と与謝野がため息をつく。真剣に言っているんだよ。あんたは好きだろうって。
 与謝野が言う。太宰はまた馬鹿を見る顔をした。そしてそんなわけないじゃないですかと言っていた。
「私、男を好きになるような趣味は持っていませんよ。女が好きですし、そうでなくとも誰か個人を好きになるなんて言うことはありません。与謝野先生もその辺ご存じでしょう」
「まあ、あんたがそう言うどうしようもない屑だっていうことは分かっているんだけどさ、それでも好きだろう。正直に言ってみな」
 吐き捨てるような太宰の声。その言葉に与謝野は同意しながらも言っていた。じっと見つめてこられ太宰は口を閉ざす。訳が分からないという顔をしていたのが真顔になって、それで少しだけ口を尖らせている。何も言わずに口を閉ざして俯いて机を睨んでいる。
 何も言わないのかと思えば、少ししてから口を開いていた。
「そんなことないですよ」
「その間が怪しんだけどね。わたしや国木田、敦とかと全く違う風に社長の事思っているんじゃないのかい」
 ため息をつく与謝野。そして太宰に言うのに太宰は口を閉ざしたまま。もう一度ため息をついて与謝野はじゃあと言った。
「私が社長一人占めしてもいいのかい。毎日のように社長にべったり張り付いてあんたを構う暇なんてなくしてやってもそれでもいいけど」
 話しながら与謝野はそれはそれで楽しそうだと思ったのか途中から笑みを浮かべていた。にいと太宰を見つめる。太宰は与謝野から視線を逸らす。また机を睨みつけていいんじゃないですかとそう言っていた。
「本当に」
「本当にですよ。そもそももう社長に甘えるつもりはありませんしね。今後はできる限り社長には近付かずに生活していきますよ」
 太宰のほほは少しだけ膨れているように見えた。何処となく不機嫌な様子がうかがえる。与謝野は本当の本当にかいとしつこく問いかけている。だから本当ですよと答える太宰。はあとため息をつきながら太宰はだってと言った。
「さっきも言いましたけど、義務感で優しくされるのなんて嫌じゃないですか。逆を言えば義務さえなくなってしまえば社長はもう私を甘やかす必要もなくなるんですよ。その日がいつか来るかもなんて怯えて過ごすのは嫌ですし、義務がなくなる日が来なくても、無理して甘やかしていたらいつかきっとそれを嫌に思うようになるじゃないですか。
 ある日全部が嫌になって放棄される未来が来るかもしれない。私はそんなもの見たくもない。だったらここで私から距離を置くのがいいのです。どうせ社長には私を甘やかさないといけない義務なんて最初からないんですから。
 婚約だってもともと都合よく終わったら破棄して殺される予定だったし、そうでなくとも私の方が女だって嘘ついて社長の元に嫁ぎましたからね。最初から社長は私を捨てても殺してもよかったんです。そうされず生かされた。その事実だけでも十分社長は私を優しくしてくれましたよ。これで十分と。他のものなど望んだらいけないんです」
 舌を向いた太宰が尖らせた口元で小さく言葉を紡いでいく。長い言葉はすねた子どものような言葉でなるほどと与謝野は頷いていた。
「つまりあんた社長は大好きなんだろう」
 はいと太宰が与謝野を見た。なにを言っているんだこの人はと言いたげな目をしていた。口を開けて間抜けな顔をしている。与謝野はそう言う事だろうと聞く。口を閉ざした太宰はすぐには答えなかった。はあと出ていくため息。
「そんなのじゃないですよ。どちらかと言うともう嫌いだという話です」
「どこをどうとればそんな話になったのかさえ分からないんだけど。何処をどう聞いても大好きって話だっただろう」
「なんでそんな風になるんですか」
 与謝野から呆れた声が出て、太宰からも呆れた声が出た。かみ合わない会話。どちらもため息をつく。
「あんたに何を言っても通じなさそうだから、この際好きか嫌いかは置いておくけど、でも社長の気持ちを勝手に決めつけるのは止めな。義務って言っているけど、社長があんたを優しくするのが義務からかどうかなんてあんたには分からないだろう」
 頬杖をついた与謝野が言った。太宰が与謝野のことを不思議そうに見る。義務でなければ何だと言うのですかと鼻で笑いつつ聞く。与謝野は今度こそ真剣な顔をして答えた。


「そりゃあ、まあ、愛とか」






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