拾壱

 繁守はあまり外を出歩くことをしない。出掛けることもあるが事前に予定は決めていることが殆どで修史がそれを知らないことはなかった。
 だから繁守が外用の着物を着て門の外に出るのをみて修史は疑問を抱いた。
「お父さん、何処かに出掛けるんですか?」
 今日は予定はなかった筈だがと考えるのにああと繁守は頷いた。その顔は暗い。
「少し用事ができてな。……帰りは明日になるやもしれん」
 昨夜、正守から連絡があってからずっと繁守は塞ぎ込みそして考え込んでいるようで、何かがあったのだろうと思っていたのだが。もしや治守のことだろうかと修史のなかに不安が募る。またなにかあるのだろうか。
「そうなんですね。分かりました」
「では、」
「出掛ける必要はない」
 何もなければ良いのだがと思いながら見送ろうとした時、低い声が繁守の声を遮った。聞いたことのある声に繁守の目が見開かれ声の聞こえた方向を見る。そこには今日会いに行こうとしていた男の姿がある。
「福沢さん、どうして」
「……福沢。そうか……お前から来たか……。行こうとしていたんだがな。修史さん。悪いが少し家を開けてくれるか。大事な話があるんじゃ」
「え、あ、はい」
 家にたまにきた繁守の知り合い。その彼が何故今。そう言えばこないだは良守が塞ぎ込んでいた時に呼んでいた。まさか彼が治守と関係があるのだろうか。だとしたらその話を自分も聞きたいと思いながら修史は身を引く。妖と言ったものに興味を持ち術者の真似事をしたこともあった。だからこそ自分は力なき一般人でしかなく術者である子供や父のために出来ることが少ないことを知っていた。彼らが一般人である修史に言わないことは無理に聞くべきではなく、引かれる一線を越えてはいけない。寂しいと悔しいと思うこともあるがそれが彼らの為に出来ることだと知っている。分かっている。自分は大変な世界にいる彼らの普段の生活を支え、普通の日常を与える役目を持っているのだと。
 お茶とお茶菓子を用意して家から出ていた。

「良かったのか」
 少し震えていた背を見送った後になって福沢はその事を聞いた。彼もまた関係のあるもの。この話を聞きたいのではないのかと。
「いいんじゃ。此方の世界の話は修史さんには強すぎる。心配をさせないことはできないが、あまりかけさせ続けたくもない」
 そういうものなのかと福沢は相手を見る。言わない方が心配も強くなるのではないだろうかと思いながらそれで形ができているのならそれがいいのだろうとそれ以上は言わなかった。
 奇妙な間が二人の間に広がった。お互い口を閉ざしながら相手を見る。その脳裏に浮かぶのはただ一人で重い口を開いたのは福沢が先だった。
「墨村、前に私に相談したいことがあると言っていたな」
「ああ」
 互いに声が少し低くなっていた。低く暗く。どちらも相手の目を真っ直ぐに見つめる。顔色が悪いとどちらも同じような感想を抱いた。
「それはお前の孫の事でいいんだな」
「その通りだ。わしの孫、治守の事でお前に話があった」
 治守……。福沢がその名前を呟く。繁守の娘であるすみこが呼んでいたのを聞いた。それが太宰の本当の名前だったのだろう。まだ幼い頃そう呼ばれてそして愛されて育ったのだろう。目の前の男がなんだかんだ言いながらも孫馬鹿であることを知っていた。
「話してくれるな」
「そうだな」
 福沢が問いかけるのに繁守は頷く。ああ、聞いてくれ。
「長い話になる。時間は大丈夫か」
「あのこのためだ。何時間でも何日でも話を聞く覚悟だ」
「そうか」
 ふっと繁守の口元に小さな笑みが浮かぶ。愛されているのだなと呟く。ぴくりと眉が跳ねた。
「まずは何処から話せばいいのか。そうだな。妖そして私たちの家の成り立ちの話からになるか」

 妖とは通常の人の目には見えることのできない昼を嫌い夜を好み生きる異形のものたちのこと。人の世に溶け込み人と共に生きるものがいるが、その殆どが人を嫌い中には人を襲うものもいる。人に害なす妖を退治する存在もいて、術者と言われた。
 墨村家は術者の一族であった。
 開祖間時守が考案した間流結界術を使いあやかしを退治する四百年も続いてきた一族。烏森と言うあやかしに力を与える不思議な土地を守る役目を背負っていた。

「……」
 長く続いたあやかし、そして烏森や墨村家の話。絶句し滅多に見せない顔をさらしていた福沢に話終えた繁守がとう。信じられぬかと。
「にわかには信じがたいが。だが貴殿やあの子の力を実際に体感したからな。それに妖とやらも……信じるしかないだろう。
 それにこんなときに嘘などつくはずがない」
「そうか」
 暫く固まったいやと首を振った。最初は異能かとも思った二人の力だが何処かが違うのを感じていた。異能とはまた違うなにか。だから受け入れることは出来た。受け入れなければ太宰のことを知ることも出来ないだろうと分かるから受け入れる。それでも、信じられないことがひとつ。
 あまりにも次元が違いすぎてついていけなかったこと。
 無尽蔵な力、体が消滅しようと死なずすぐに再生するという……
「だが、魂蔵持ちだったか。それは信じがたいな。本当にそんな存在がいるのか」
「ああ、いる。そしてわしの孫もまた魂蔵持ちだ」
 そうだろうと、あやかしなどは受け入れられてもそれを受け入れることは難しいだろう。繁守すら最初その存在を知った時は驚き受け入れるのに時間がかかった。だが受け入れるしかなかった。福沢にも受け入れてもらうしかなかった。
 福沢の目がまあるく見開く。細い目が限界ギリギリこんなに大きくなるのかと思うぐらいに見開いて、そしてその唇は音を溢そうとしてそれすらもできなかった。
 な、にを、そんな
 音を出さない口はそう動いただろうか。読唇術など使えぬ繁守には分からなかったが、受け入れるのを否定する言葉であることだけは分かった。
 その孫とは
 やっと音をこぼした震える唇はそんなことをとう。もし本当にいるのだとしたらそれが誰なのか分かっている筈なのに。
「治守の事だ」
 ひゅっと掠れた音が聞こえた。畳の上に細い手が落ちる。指先がぴくりぴくりと痙攣するがそれ以上の動きはない。嘘だろうと細い声が願うように聞いてくるのにいやと首を振る。嘘だったらどれだけ良かったか。だが嘘ではなく真実だった。そしてそれゆえにおさもりは浚われた。
 無尽蔵に力を蓄えこむその力はあやかしや邪な人間に狙われる原因となる。共鳴者という相性のいいものにしか力を与えることはないと言うがあやかしに力を与える烏森の守人から産まれた魂蔵持ちならば烏森と同じように力を与えてくれるのではないかと烏森の変わりになるのではないかと考えたものたちは太宰を狙ってきた。そんなものたちから繁守たちは太宰を守ってきたが、ある日油断していた昼間に襲われて太宰は浚われてしまった。
 そのあとどうなったかは繁守たちは本当の所はしらない。
 だがろくでもない目でありそして何十という数殺されてきたのであろうことは予想に固くない
「あの子は十数年前に妖怪に浚われてな。当時必死に捜索したが見つからなかった。浚われた理由は分かっている。ただでさえ魂蔵持ちの子供はその膨大な力ほしさに狙われる。しかもそれが烏杜の守人とである一族から生まれた。力を与える烏森の変わりに出来ぬかと考えられたのじゃろう」
「……だとしたら」
 福沢の声が震えた。言われた内容を理解したくなかった。
「ああ、酷い扱いを受けただろうな」
「……何度も死んだと言っていた」
 思い出したのは太宰の言葉だ。怖いと自分の感情をさらけ出すことの少ない太宰が心からその言葉を言っていた。恐い。何度も死んで、それを思い出すのが怖いと。比喩かなにかかとも思った。だがそれにしては何かが妙で一体何がと考えていた。それがまさか……
「そうだろう。あの子の莫大だった力がもう殆ど感じられなかった。何度も、何度もそれこそ何百と殺されたのだろうな」
「……」
 声を発する気力すらなかった。太宰の姿が浮かぶ。暫く塞ぎ込んでいた太宰はずっとその辛さを一人で抱えていたのか。思い出す痛みと恐怖を一人で耐えてそして思い出せないことを泣いてきたのかと思うと苦しかった。
「だからわしは」
 繁守の声が聞こえるのに暗い目がそこを見上げる。悲痛な目に大丈夫かと、言いたく成る程その顔は青ざめている。一気に年老いたようにさえ思えた。
 孫の事でそんなにも心を動かされてくれるのかと少しだけホッとする思いを繁守は感じた。これならあのこの傍にこれからもいてくれるのだろうと。
「わしらの事を思い出すことはないと思っている」
 声を聞いた福沢は目を細めた。何故繁守がそう言うのか分かる。だけど……。
 抱きついてきた腕。苦しそうに顔に胸に顔を埋める。ああ、そうだ。あの日、繁守と戦い、繁守の着物を着て帰った日、太宰がおかしかったのは。嫌いだなと言ったのは……。
「わしらのことさえ忘れたのはその記憶がそれほど痛ましかったからわずかでも覚えていられなかったからだろう。そのために関連するわしらの記憶すらも記憶の中から消したのだ。わしらの事を思い出したらそんな記憶すら思いだすかもしれん。だから思い出さなくていい。ただ治守が生きてくれているならわしはもうそれでよい」
 静かに口にしながらもその歯カタカタと震え音をたてていた。噛み締めた唇は今にも血が溢れ落ちそうで……、それが繁守なりの太宰への思いやりなのだと分かる。太宰の為に身を切り裂かれてまで選ぶ道。傷付けないための。
「だが、あのこはもう思い出しているんだ」
 それはあまりに酷ではないか。
 その言葉は口にできなかった。分かってそれでもその方が良いだろうと繁守が選んだことぐらい分かる。でも……、だけど。腕のなかで震えていた小さな体。嫌いだと口にしながら、苦しそうな顔をしながらそれでも何度も着物の匂いを嗅いできて。
 深い思考の渦に落ちそうになりながら、目の前にいる相手を思いだしはっと途中で留まる。見上げると白い頭が下に下がっていた。深く下に下がり床につけられている。
「福沢、お前に頼みたいことがある」
 低い声が震えながら言葉を紡ぐ。畳につかれた手に力が隠っていた。
「治守のことをどうか守ってやってくれ。あの子はもう充分なほど辛い思いをしたはずだ。だからこれからはあのこが笑って生きていけるように幸せにしてやってくれ
 どうか。頼む」
 絞り出すような声が福沢に告げる。あの子の事をと聞こえてくるのに福沢はゆるりと首を降る。
「頭をあげてくれ、墨村」
 福沢の声も僅かに震えていた。繁守が家族をどれだけ大切にしてきたのかを福沢は知っている。孫バカな姿を幾度か見てきた。会うたび自慢げに孫の話をしてきて……。
 太宰もいないのに言うのはルール違反だろうか。だが託される前に伝えておかねばならないと思った。
「……私はお前に言わなければならないことが」
「あのことの関係ならすでに知っている」
 えっと福沢の口元が開く。驚いた顔をしたのに難しい顔をした繁守が福沢をみる。
「前に悪いがお前らのあとをつけさせてもらったことがあってな。良守から治守がお前のいる会社にいると聞いてそれで……一度様子を見に言ったのだ、その時」
「そうか……」
 一体いつ。気付かぬ筈はと考えた福沢はそういえば何ヵ月か前に奇妙な視線を感じたことがあったのを思い出した。誰かに見られているような、だが人の気配は近くになく気のせいかと思っていた。もしその日だとしたら。少し口元が歪みかけた。だいぶ不味いものまで見られているかもしれない。孫好きの男が見るには刺激が強すぎるような……。よくなにも手を出してこないなと不思議になるような……。手は出されてるのだが
「すまぬな」
 ついそんな言葉が出た。謝罪するような問題ではないと思うがつい
「本当じゃ。お前自分の歳をわかっておるのか。わしとにたようなもんじゃろうが」
「いや、それよりは流石に若いぞ」
「わしも心は若い」
 繁守の言葉に少し笑ってから福沢は一つ問い掛けた。
「……。良いのか」
「良いも何もあるまい。治守が選んだのだ。それで治守が幸せになれるならわしには何も言えん。
 ただ覚えておけ。あの子をもしお主が傷付けることがあればわしはどんな手を使おうとお前を殺す。絶対に許さん」
 例え相討ちになろうと例えあの子に嫌われ憎まれることになろうとも。それでも。続く言葉。本気の言葉、睨み付けてくる痛いほどの眼差しに福沢も同じような眼差しを返した。
「ああ。肝に命じておこう」
 あの子を傷つけるような事は絶対にしない。ほうと繁守の肩から力が抜けていた。良かったと小さく呟かれた声にきゅっと胸が切なく暖かくなる。
「ありがとう」
「お前に礼を言われることなど何もない」
 ふいに溢れた言葉に繁守は心底嫌そうな顔をした。唇を尖らせてあの子の為だと。お前のためじゃないと。
「それでも……」
 その先の言葉は飲み込む。さらに嫌がられるだけだと分かっているから。飲み込んで最後に姿勢をただした。
「だざ、いや、治守の事は私が絶対に守ると誓う。あの子は私にとっても大切な子なのだ」

 福沢が玄関から出ようとした時、その扉を外側から誰かが開いた。飛び込んできた体。ぼすんと衝撃が走る。
「うわぁ!」
 見えた黒髪。後ろに倒れそうになった体を手を伸ばして支えた。
「わりぃ! えっと、お客さん」
 黒い目が見上げてくる。大きな目。濃い眉。繁守によく似ていると思ってからそうかこの子が繁守の孫の一人かと思い付く。孫が確か四人いたはず。それでそのうち三男である子が太宰を見つけたのだと。年齢的にこの子だろうかと福沢の目は相手を見つめる。
 じいと見る目は本人にその気はないが相当な圧がある。いきなりそのようなものを浴びせられてこの人怖い人なんじゃと良守は少し身構えてしまう。及び腰になりながら睨み付けてくる大きな目。その姿に福沢は自分の顔が自分が思っているより険しいものになっていることに気づく。福沢さんは普通にしているだけでも十分圧がありますから気を付けなくちゃダメですよ。ちょっと考え事しているだけで何か大事でもあったのかと言う顔をしていることがありますから。太宰に言われた言葉。似たようなことは他にも何人にも言われている
「あの……ほんと、ごめ「いや。こちらの方がすまなかったな。貴殿が良守殿か」
 おどおどとした謝罪の言葉が聞こえてきそうなのに福沢は己の方から謝罪をした。無駄に怯えさせてしまっただろうと言うつもりの謝罪は大事なことを口にしていないため混乱を呼ぶ。へっなんでと首を傾けた所に名前を聞かれさらに良守は目を白黒とさせた。
「へ」
 何なんだと相手を見上げる。今だ見つめている目は本人が気付いた後すら圧が強いままだ。気を付けているつもりではあるもののあまり変化はない。
「え、ぁあ。良守だけど」
 名前を答えた良守はうーんと見上げる。恐い。その目の圧に圧倒されてしまうが何か何処かで似たようなものを感じたようなと考える。その頭にぽんと福沢の手がおかれた。それがいつも太宰にするように良守の頭を撫でていく。へっと良守の首がまた傾く。福沢なりにいろいろな考えがあった上の行動だが一つも言葉に出していないので何か睨んでいた怖い人が突然頭を撫でてきたと言うような状況にしか思えなかった。よしよしと撫でた手が離れていく。
「よろしく頼むな」
「はい?」
 ふっと福沢の口元が上がる。太宰の事を頼むと言う意味であるが突然言われても分かる筈がなく良守の頭にははてなだけが浮かぶ。福沢がいなくなった後も暫く玄関で立ち竦んでいた良守はそうか。あの人表情と感情が一致しないタイプの人間なんだと唐突に気付いて納得していた。
 何か相当苦労してるんだろうなと似たような知り合いを思い出しては勝手に同情をするのだった。




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