数十分後、四人は肩で息をしながら正守を見下ろしていた。正守の上には大きな木が乗っている。何とか動きを封じ込めたものの四人は満身創痍である。
 今にも倒れそうなところに遠くの方から駆け寄ってくる足音。はっと緊迫した雰囲気で後ろを振り返ったが、見えるのは敵ではなく見知った人物たちでそっとその胸をなでおろしていた。
「大丈夫か!」
「国木田さん」
「ああ」
声を掛けられるのに安心して答える敦と鏡花。ほっとしたように谷崎と国木田が胸をなでおろしていた。お前らも無事でよかったと中原と芥川を見る。当然だと答える芥川。それよりと中原は捕まえった正守を見た。全員の視線がそちらに向くのに正守は六人を睨みつけている。
「烏森は渡さねえ」
 木の下に拘束されながら正守はそう低い声をだした。ぎろりと睨みつける目には殺気がこもっている。来たばかりの国木田と谷崎が首を横に傾けた。
「烏森一体なんの話だ」
「知らねえよ。さっきからずっといってやがる」
 問いかけるのに答えたのは中原。ちっと舌打ちを打って正守を見る。全員をにらみつけている正守は何度も烏森は渡さない。手を出してみろ。殺すと口にしていた。何のことだと目を寄せながらも、国木田はあたりを見渡していた。
 集まった六人と正守以外、人の姿は見えない。
「社長はまだきてないのか」
「太宰さんも、大丈夫でしょうか」
 国木田が聞くのに同じくあたりを見ていた敦も心配そうに眉を寄せて問いかけている。具合悪そうでしたよね。どこかで倒れていたりしたらと言うのに貴様ごときが太宰さんを心配するなどおこがましいと芥川が怒鳴っている。はあと中原がため息をついた。
「あの青鯖野郎なら大丈夫だろうよ。殺してもくたばらねえぞ。それより一人捕まえたんだ。こいつを持って帰ってあの男の居場所を聞き出すことにしようぜ。さすがにこれ以上はここにいるのは危険だ」
 くいと正守を指さす。全員の目が再び正守を見て、ああそうですねとうなづいていた。拘束は慎重にしろよ。一回意識を落とした方がいいんじゃないでしょうかと話し合うのにはっと正守はその口を開けていた。
 呆然と話し合う六人を見つめる。
「俺を持って帰って……、あの男……。待ってなんの話をしている。お前らは烏森を狙って襲ってきたんじゃないのか」
 下敷きになりながら正守は声を荒げた。どういうことだと見開いた眼で六人を見るのに、六人の目もまた見開かれていた。
「はぁ? なんだそりゃ」
「僕たちはここにいる男を追って来たにすぎぬ」
 首を傾けながら答えたのに正守の口は間抜けに開く。そんなと出ていく声。じゃあなんでと見つめながら、どうして烏森の結界が破れかけたりしたんだと口にしていた。結界と敦と谷崎が首を傾ける。それは一体と聞こうとしたときだ。突然正守が瞳孔を開いて逃げろと叫んでいた。
 えっとほとんどが正守をみるなか、鏡花だけが上を見ていた。ひゅうと震えるような吐息が彼女から出て肩が小刻みに痙攣する。足がもつれながら後ろに下がり、額からは大量の汗が流れ落ちていた。
 異様な様子。
 気づいた敦が鏡花ちゃんと声をかけるが、そんな声も聞こえていないようだった。震えながら逃げなきゃと声にする。何にと疑問に思い全員が強化の視線の先を見る。だがそこには何もなかった。夜のように暗い空が広がるだけ。
 逃げろと正守が言った。
 怒鳴られるのにあ、何言ってんだと中原が苛立ち気に答える。お前も何を怯えているんだと鏡花にむかい怒鳴るのに、鏡花はやっとその声を聴いてみんなの方を見ていた。その唇が青ざめ震えている。かすかに動く唇は化け物と口にしていた。
はあと中原の口が開く。何を言っているんだと見つめるのにだから逃げろっと言っているだろうと正守が強く叫んだ。死にたいのかといわれるのにはあと全員が正守を見た。何のことか説明しろという、その前に鏡花が危ないと敦の前に飛び出していた。その鏡花の腕に大きな傷ができる。
見開く五対の目。何でと敦が声を上げる。なにがと周りを見渡すが見えるものなど何もなかった。ぐっと谷崎が声を上げた。その谷崎の肩からは血が流れている。さらに見開いていく目。
恐怖が顔に浮かぶのに、掛かれと号令が飛んでいた。えっと振り向く先に大勢の姿。ハッとするものの遅く、全員拘束されてしまっていた。さらに全員を拘束した相手は見えない何かとも戦っている。
 見えない何かと戦っているのに何が起きているんだと戸惑った声が国木田から出ていく。一体奴らは何と戦っている、鏡花お前は見えているのかと鏡花にきく。見えているなら何が起きているのか伝えろと怒鳴るのに鏡花が答えることはなかった。ああと震えているのに、その代わり妖だよと低い声が答える。それは正守のものであった。助け出されながら正守は六人を見ていた。
 ハア? ト開く口。何をバカげたことを言っているんだと見つめられるのに知らないのかと正守は真面目な顔で聞いていた。知らないも何もそんなものいるはずがないだろう。国木田が答えるのにふむと正守は顎に手を当て考える。
「その様子だと本当になにも知らないようだな。どうやら俺たちは一杯食わされたらしい」
 より低くなった声が正守カラでていく。いつの間にか戦いは終わり、人が周りに集まり始めていた。こいつらどうしますかと声を掛けられるのに正守は拘束を解いてやってくれと答えている。驚いたのは正守の味方だけでなく敦たちもだった。
「この人たちは俺たちの敵じゃない。もちろん俺たちもお前たちの敵じゃない」
 正守から出ていく声。それは味方と敦たちにもいわれていた。双方驚くのにまずは正守は見方から説明している。
「みんなも見ただろう。この人たちが妖怪に襲われるのを。本当の敵はあいつらだったんだ。この人たちはどうやら俺たちと戦うように何者かによって仕掛けられていただけの罠だ
今は状況を共有してそのなにものかに対する体制を整えるべきだ。急がないと不味いことになる。いや、もうなってる」
 正守から漂う気配はどんよりとして重かった。今にも飲み込まれそうなのに一人がどうしたんですかと問いかけている。すさんだ目があたりを見ている。
「烏森の封印がとけてるんだ」
 重苦しい声が出ていく。周りの空気が変わった。驚きそして恐怖するようなものになり、そんなどうしてと声が落ちていく。今から説明する、彼らにも話したいから拘束を解くように。正守が命令するのにすぐさま敦たちの高速は解かれた。
 その場にいる人たちを見ながらどうするべきか目で六人は合図を出し合う。ひとまず話を聞くことでまとまるのにすまなかったなと正守が口にしていた。けがはないかといわれるのにいや、こっち方が悪かったなと中原が言っていた、
「なんでここに来たか聞いてもいいか」
正守が早速だがと前置きをつけて聞いた。はいと敦が頷く。
「俺たちはある異能者をおってここに」
「異能者? なんだそれは」
 説明したのに周りは全員首を傾けていた。初めて聞いた単語のように不思議そうにしているのに敦たちも目を瞬く。そんなはずはないと思って谷崎が声をかけた。
「でもみなさんも異能者ですよね」
「俺たちは術者だが。君たちもそうじゃないのか」
 それに対して正守は変なことを聞くというように答えている。ハット口を開ける六人。術者ってト見知らぬ単語を繰り返す。
 相手が知っていると思っていた言葉を知らず、硬直する空気。どういうことだと少ししてざわめき始めるのに正守は考え込む。顎に手が触れていた。
「いや、そうか。あやかしを知らないんだから術者ではないのか。あやかし混じりのことを知らずにそう呼んでいるのか。だが、それにしては……」
 考え込む正守。その答えが出る前で新たな人物がこの場に来ていた。
「みな、無事か」
怪訝そうに眉を寄せながら奥から歩いてきたのは福沢であった。そのそばには太宰がいて、時折心配そうに見ている。太宰の目はあたりを見渡し、そして敦たちを見て、えっと見開いていた。そのすぐそばにいた正守の目もまた見開いていた。
「社長!」
「太宰さん!」
 探偵社のみんなが声を上げて二人の登場に喜ぶ。無事なんですねよかったと安心してかけて居ていた。
「ああ、それより今はなにを」
 頷き、仲間の無事を確認しながら福沢が聞く。鏡花と谷崎の傷を見て、その眉間に深いしわができる。
「それが……」
「結」
 疑問に国木田が答えようとした。だがその前に耳に入る低い声。あぶねえと中原が声を上げて全員を突き飛ばしている。その中原の手を咄嗟に掴んで福沢が遠くに投げる。みんながいた場所を見えない結界が囲んでいた。滅と響く声。衝撃とともに地面がえぐれていく。
 すぐに戦闘態勢になりながら正守を睨みつけた。
 正守は今まで何ほど険しい顔をして探偵社とマフィアの彼らをにらんでいる。その周りで彼の部下たちがどうしたんですか。話を聞くんじゃなかったんですかと驚き声をかけていた。
マサモリと褪せた目が見開きながらその音を口にする。震えているのに正守の目が一瞬そちらを見てすぐに敦たちを見直していた。
 あのわざと福沢の目はえぐれた地面を見ていた。まさかと声がこぼれていくのにそれより大きな声で正守は敦たちに問いかけていた。
「お前らか」
 腹の底から湧きあがる怒りの声。その辺のものなら倒れてもおかしくなさそうなのに正守はにらみ続けている。
「お前らが俺の弟をさらったのか!」
「は? 何を?」
 怒鳴り声が山の中に広がっていく。驚愕するその場にいた全員。何の話だとそれぞれと惑うのに正守の攻撃が始まっていた。結と叫ぶのに咄嗟に動けることができなかった。
やばいと全員の顔が引きつる前に飛び出してきたのは太宰だった。滅と低い声が響く。
「結」
 涼しい声が全員の耳に届いた。えっと見開く瞳の中に黒に近い色をした髪が後姿が目に入っている。
「なっ」
誰かから漏れ出ていく声。敦たちを見えない結界がもう一つ包んでいた。
「太宰…。今のはなにを……」
「え、太宰さん」
 驚いたように口々に太宰に声をかけていく敦たち。だけど太宰はそノ誰にも視線を向けることはなかった。じっと攻撃を仕掛けてきた正守を見ている。正守の目が大きく見開いて、浅い息を繰り返している。
「治守……。なんで……、そいつは」
 荒い呼吸。かすれた声をだす。何だと目を細める周りに対して太宰はじっと正守を見ていた。震えたその口が言葉を紡ぐ。
「……違う。みんなは私を浚った奴とは関係ない」
 小さな声。息が荒くなっていくのに福沢が急いで太宰の傍まで来ていた。大丈夫かとその腕を回すのに正守の眉間にしわが増える。攫った。どういうことだ。福沢が問うのにその声は届いてないようだった。
 前を見据えて太宰は次の言葉を口にする。
「……正守兄さん」
 またも小さな声。その声は大きな衝撃を探偵社やマフィアの者たちに与える。信じられないと目を見開いて何の話をと太宰に問いかけてくる。太宰はその声も聞いておらず、ただぶつぶつト何かをつぶやいている。烏森。これは……。でも、学校に……。何で、母さん。そんな声が福沢の耳に届く。
 頭を抱え込む太宰。冷や汗を流しながらその体が震えている。あ、あと声をこぼしながら母さんともう一度口にした。
 太宰と福沢が呼びかける。落ち着けと太宰に声をかけるが、太宰は強く首を振っていた。叫び声をあげて太宰は顔を上げた。その目は正盛でも福沢でもなくあたりを見渡して行く。そういうことかとその口から出ていた。
「させない。そんなことは」
 太宰の目はどこか空中をにらんだ。ここはとその口からでていく。何がわかったんだよと中原が怒鳴る。その声が太宰に届く前に再びあたりがざわつき始めていた。集まっていた人達がまた妖怪がどうなっているんだと怒鳴っているのに、太宰が空を見上げて、そしてそのこぶしを握り締めていた。
危ない! ト鏡花が叫んだ。結と太宰の声が響く。二本の指を立てて太宰は空中を睨んでいる。滅とつぶやく声。結界術と誰かが驚きつぶやいていた。
「結結結結結結結」
 太宰の声が聞こえてくる。太宰の目はあたりを動き回りながらその指がどこかに向けられていた。奇妙な動きに何が起きていると状況についていけない敦たちは目を回していた。この山の中にいた者たちも太宰を見てはその目を丸くしている。
「鏡花何が起きているんだ」
 貯まらず国木田がこわばっている鏡花に聞いていた。聞かれた鏡花は肩をはねさせそしてあたりを見る。
「わからない。……だけど変な化け物たちが全部青い箱みたいな物に閉じ込められていてる」
 鏡花から出ていく謎の言葉。それはさらに敦たちを混乱させた。どういうことだと太宰を見ているのに、そばにいる福沢はまさかこれはと目を見開いて小さな声を恥部焼いている。
「この青鯖野郎!! お前は何をしていんだよ」
 中原が怒鳴るがその声は太宰に届かず太宰は声を出し続ける。太宰の額からはまだ大量の汗が流れ落ちていた。固く握りしめている手は震えている。これ以上はやばい。そう思った福沢が太宰落ち着け、もうやめろと声を出していた。はっとしたのは正守で太宰に駆け寄っていた。治守と太宰を呼ぶ。はあと見る暇もなかった。
「やめるんだ! これ以上はお前の体が持たない!! 治守!!」
「させない。させないここは」
 声をかけるのにそれでも太宰は止まらなかった。うわごとのように何かをつぶやいてはその腕を動かし、みんなには見えない何かヲ見えない何かで取り囲んではつぶしていく。今にも崩れそうになりながらそれでも止まらない太宰から何かぞわりとしたものが漂ってきた。
 ハッとする福沢は。それよりも先に正守は気付き、その目を丸く見開く。これはとつぶやくよりも先に太宰の目が遠くを見つめて、そして指先に力を込めた。結という大きな声。
汚い悲鳴が聞こえた。何かが何かにはじかれるようにして遠くからみんながいる場所にまで来た。ゴロゴロと転がるのは探偵社が探していた男だ。あっとみんなの女神開いていくのに、男の目も見開き、恐怖するように太宰を見ていた。その震える指が太宰を指さす。
「な、何で! 何でお前が結界術を使えてるんだ! あれは結界師じゃないと使えないんじゃないのか!」
 男が叫ぶのに太斉の手は男に向いていた。やばいと感じ取ったのは福沢でとっさにその手をつかもうとした。男がこんなところでつかまってたまる。と叫んだ。
「くそ、もっとだもっと」
 あたりを急な圧迫感が襲う。鏡花が膝から崩れ落ちていた。滝のように汗を流しながら青ざめた顔で男の周りを見ている。そんな。なんだあの量はと正守の部下たちも焦るような声を出していた。
 探偵社やマフィアの者たちも息苦しさや重苦しさを感じて、膝をつく。今にも倒れそうなのに太宰は立っていた。そして
「結結結結結結結結」
 そして指を動かし続けていく。男の顔がみるみるうちに青ざめていく。その体が痙攣さえ起こし始めるのに太宰の目は冷たく男を見据えた。
「誰にも彼処を暴かせたりしない」
 低い声が出ていく。太宰は男しか見ていなかった。その肩をつかんでいる福沢にもずっと気づいていない。
「彼処はあの人がみんなのために作った場所だ。気安く触れていい場所じゃない」
 太宰から出ていく声。じっと見つめる先、太宰の記憶の中に一人の女がいた。
「糞もっともっと! もっと強くなって俺が、この世界を手にいれるんだ!」
 男が怒鳴る。それに合わせて圧迫感が大きくなる。見えない者たちが大勢表れているのに、まだ出るのかと後ろでは驚いていた。それぞれ武器を構える前で太宰はそのてを動かし、術を行使していく。
 汗が流れなくなって、体はほとんど福沢が支えているような状態だった。止めろと正守が叫んだ。誰にもと太宰は何度も口にしている。そしてその体から何かが湧き上がっていた。ジリリと感じた焼けるような傷み。瞳孔までも見開いた正守が離れろと叫んだ。叫びながら正守は太宰に背を向け逃げていく。
「逃げろおおお」
 力一杯の叫びは状況がわからない中でもまずいと思わせる。福沢意外全員、その場所から逃げ出そうとしていた。福沢は太宰を見ながらその体を強く抱きしめていた。
 何かが太宰の体の中から湧きあがってくる。太宰を包み込んでいくのに、そばにいた福沢はの体がズタボロに切り裂かれていく。
悲鳴があたりに響く。社長と国木田が駆け寄ろうとするのにお前たちは来るなと福沢が怒鳴っている。ぎゅっと太宰を抱きしめて今にも吹き飛ばされそうになるのを耐えていた。でもと国木田がためらうのに青白い鏡花の手がその服をつかんでいた。鏡花の体は大きく震えている。言っちゃダメとか細い声が口にしていた。あそこに入ったら消されてしまうとその口が動いている。
どうすればいいのか。みんながその動きを止めるのに男はくそくそと怒鳴り続けていた。なんなんだよと叫んでいるのに答えることはできない。ただ男を見つめながらその場所に立っている。
 あたりが騒然としている。だれも止められないのに駄目よとそんな静かな声が引いていた。
「駄目よ、治守」
 黒い服を着た黒い髪の白い肌の女が一人、どこからともなく太宰と福沢の前に立っていた。ゆらりと太宰にむかい歩いていく。
 え、誰。お前は。探偵社やマフィアが驚く中で正守の目がまた大きく見開いていく。女は二人のもとに歩いていく。待ってくださいと敦が止めたがそんなもの聞こえないかのように静かな顔をして太宰の周りを囲む何かの中に足を踏み入れていた。
 駄目よともう一度声をかけている。
「駄目よ、治守」
女の白い手が太宰の頬に触れていた。触れて、ゆっくりとそのほほを撫でていく。
「力任せにするだけじゃ敵は倒せないわ。落ち着いて敵の位置を全て把握するの。貴方なら出来るでしょ。治守」
 静かな声で太宰を呼ぶ。痛みに耐えて太宰を抱きしめていた福沢は女を見た。そのめもまた見開いている。女は静かに太宰だけを見ていた。
太宰の口が小さく開いて、そのめは女を見る。
 女が久しぶりねと太宰に向けてほほ笑んでいた。太宰の目が泣き出しそうに歪んで、その唇が震えていた。
「母さん」
 横から声が聞こえた。それは正守のものだ。女の目がそちらに向かう。そして荒と声を出した。
「あら、正守も久しぶりね。駄目じゃない。お兄ちゃんなんだから弟の面倒見てあげないと」
「それは」
 ぐっとみしめられる唇。女は静かにみて、そしてその目を太宰に移す。もうやめなさいともう一度ささやいていた。太宰の目は女を見たままだ。震えていた唇から音がこぼれていく
「か、あさん……」
 その口から出ていた言葉にほとんどが驚いていた。はあと息をのみ、信じられないと見つめる中で女は太宰のほほを撫でてはその頭をなでていた。十数年ぶりかしらと女が言っている。
「会えて嬉しいわ……」
「どうして……母さんは」
 女を見つめる太宰は泣きそうながら、どこか夢を見ているようだった。
「ふふ。結界に綻びが出来てしまったからね。でも大丈夫よ。少し綻びができてしまっただけ。すぐに直せば元通りになるわ。でもまさかこんな風に無理矢理揺さぶられるとは思わなかったわ。少し考えないといけないかもしれないわね」
 女は何かを言いながら首を傾けていた。そっとと息を吐きだすのに太宰の目が揺れる。そして謝罪の言葉のようなものを口にしていた。ごめんなさいとそういうのに女は太宰を撫でる。
「貴方のせいじゃないわ」
 女の声。太宰の目は震え女を見る。すがるようなその目に女はそっと目元を動かしていた。
「沢山辛い思いしたのね」
 ささやく声は静かだ。
「良いのよ。私たちのこと思い出さなくても。沢山傷付いてきたんだから思い出したくないなら無理に思い出す必要はないわ。生きてくれるだけでいいの」
「ちが、」
 太宰の頭をなでながら女が言うのに、福沢の目が太宰と女をじっと見ていた。太宰はその頭を振っている。
「思い出したくない訳じゃない……。ただ、怖い……怖いのだよ」
 太宰の口からは子どものような声が出ていく。何かにおびえる様子がらに幾人かが引いた眼で見ていた。信じられないと後ろに下がっている。
「死ぬのだよ。何度も何度も何度も。妖に食べられ、火にくべられ、何回も叩きつけられ、串刺しにされ何度も死ぬ。その痛みも恐怖も全部思い出してしまいそうで怖いの」
「思い出さなくていいの。私たちの記憶がそれを思い出す引き金になるなら私たちのことを思い出さなくてもいいの」
 頭を抱えて太宰が口にする。怖いと何度も言うのに女は静かな声で答えていた。言われた太宰はさらに泣きそうになって違うとそう口にしていた。
「思い出したいの」
 太宰がそう答える。
「暖かくて幸せで……。だから思い出したいの……。思い出せないのが、忘れてしまったのが悲しい……」
 抱きしめている体が小刻みに震えていた。今にも崩れてしまいそうな体を抱きしめながら福沢は太宰を見ている。治守ト女が太宰を呼んだ。頭をなでていた手が止まっていた。
 女の目を太宰が見る。そしてねえと女にすがった。
「ねえ、母さん……。あの頃私になんと言ったの」
 太宰から出ていく問い。女は首を傾けた。何のことだと太宰を見るのに教えてと太宰は言う。
「何時も私に言ってくれてたでしょ」
ねえ、何て。太宰の体が女に向かった。すがられるのに女は小さな笑みを浮かべる。あんな言葉を知りたいのとその口はささやいた。
「今の貴方には必要ない言葉よ。だって貴方にはもういるでしょ」
 女の手は再び太宰の頭をなでだしていた。そうしながら告げるのに太宰は不思議そうに女を見上げる。太宰の視線を受け取った女は始めて福沢を見た。
「でもそうね。貴方に出来ることなんてもうこれぐらいしかないからね」
 女が二人を見つめ、そして太宰を見つめる。その口は柔らかく言葉を紡いだ。太宰をなでながら太宰をまっすぐに見る。
「貴方を支えてくれる人を見つけなさい。そしたら大丈夫だから」
 太宰の褪せた目が見開いていた。
「ねえ、貴方には必要ないでしょ」
 女の目が福沢を見る。それに続くようにして太宰の目もまた女を見ていた。そっとその体から力抜けていく。倒れそうになる太宰を支え、福沢は太宰の目を見返す。
「ふ、くざわさん」
「太宰」
 太宰が呼ぶのに,そっと笑って名前を呼んだ。太宰もまたその目を細めてわらう。女の手が太宰から離れていた。太宰の目がそれを追いかける。女は太宰ではなく二人の様子を鬼のような形相で睨んでいる男を見ていた。
「何時までもお喋りしているわけにもいかないわね。妖の居場所を正確に把握するの。管理者をだしなさい」
女が言うのに太宰は頷いて黒い丸の球体を出していた。
「そして一気に」
 女が言う。太宰は頷いたと同時に結と言っていた。見えない何か。そのすべてを結界が覆いつくした。
「滅」
 声とともに全部が破壊されていく。男の目が見開いてそんな馬鹿なと泡を吹いた。太宰に身を寄せ、女は太宰に言う。
「これだけじゃ駄目。また呼ばれてしまうわ。元をたたないとね」
「結」
 太宰はまた頷いて男を見て結と言っていた。見えない結界が男の腰元についていた鈴を囲む。男が慌てたような声を出してその結界を壊そうと触れるが、壊れることはなかった。滅という太宰の声とともに結界が壊れる。囲んでいた鈴も破壊されていた。
「最後はあの男ね」
「結」
 女が言うのに太宰は男を囲んだ。男の顔が青ざめてやめろと叫んだ。太宰と福沢が言うのに結ともう一度言う。結界の中に現れた結界に男が挟まれている。
「さすが私の息子ね」
 女が言うのに太宰はうれしそうに笑う。よかったとそう言ってがっくりとその頭を下げていた。目を閉ざすのに周りが太宰さんとあわただしくなった。大丈夫といったのは福沢だ。太宰の頭を女が再び撫でている。
「力を使いすぎてきをうしなっただけね」
 女が言うのに周りは太宰を見る。何のことだとそれぞれが疑問をこぼすのに女は周りを見た。そして薄く笑って首を傾ける。
「説明しなくちゃ行けないんでしょうけど、あまり時間がないのよね……。どうもみんな話し合う必要もあるみたいだけど、貴方たちは早く帰ってくれないかしら」
 困ったようにしながらいわれたのにその場にいたほとんどがその目を見開き驚いていた。とてもいま直ぐ帰れるような、返していいような状況ではない。勝手に来て、何を勝手なことを思われているが、女はそんなことは気にしないように太宰を見て、帰ってと口にしている。正守がさすがにそれはというが、女は御免なさいと言ってそれでも帰ってもらってと言っていた。
「ごめんなさい。でも母としてこの子を傷付けたくないのわかってくれないかしら。貴方もお兄さんなんだから傷つけたくないでしょう」
「……」
 女が言うのに正守は口を閉ざした。ぐっとかみしめて何も言えなくなるのを周りが見ている。女の目は敦たちを見る。
「ごめんなさい。説明できなくて。でもこの子には聞かないであげてね。きっとこの子目覚めたときには今日のことは何も覚えてないから」
 始めて悲しげな顔をその女がした。えっと開く口。どういうことだと聞く前に女は説明している。
「この子、浚われてしまったの」
 ひゅうっと息をのんだのはだれか。全員の目が福沢の腕の中で意識を失っている太宰を見ている。
「浚われてそこでとても恐ろしい目にあったの。本当にとても恐ろしい……辛い目にあってるの。だからね」
 女の目が敦たちから外れて太宰を見る。
「この子には何も聞かないであげて」
お願いとささやくのに、なでる手を見ていた福沢がわかったと答えている。でもと国木田や中原が見てくるが、首を横に振っていた。
「ごめんなさいね。何も話せてあげなくて……。こう言う時って沢山知りたくなるものなのよね。答えてあげられなくて……。こっち側も聞きたいことあるだろうに話をするための時間を作ってあげられなくてごめんなさい。
 でもこの子が目覚める場所はいつもの布団がいいと思うの。いつもの布団で何もなかったって。体調が悪くて少し倒れただけだって言ってあげてほしいの。今日の事は全部なかったことにしてね」
 女が言うのにそうしようと福沢は答えていた。気にしなくていいとその口が女に言う。
「話は全て貴殿の父親に伺う」
 女の目が初めて見開いた。女は福沢を見てくる。ことりと首を傾ける。
「久し振りだな。守美子殿」
 福沢が女の名前を呼んだ。さらに見開かれた黒い眼は福沢をじっと見る。そしてゆっくりとその口を開いた。
「……もしかして福沢さんかしら」
 ああと福沢は頷いた。女は驚きながら福沢を見る。あまり人を覚えるのがごめんなさいと女が口にするのに福沢は首を横に振る。気にするなと言いながら女と太宰を見る。女の目は太宰を見ていた。
「でも貴方が……。この子のこと頼みますね」
 太宰を見ながら女は静かに福沢に託す。
「こんな私だけど家族のことは大切なの」
女が言うのに福沢は強く頷き、太宰の体を抱きしめる。任せてくれとそういうのに女は少し安心したような様子を見せいていた


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