拾壱


「太宰。今夜うちに来てもらってもよいか」
 福沢がそう問いかけた時、太宰は静かに息を飲んでその瞳を揺らしていた。褪せた瞳の中に福沢の姿を映してゆっくりと頷く。


「そうかしこまるな。前までと同じで寛いでくれたら嬉しい。難しいとは思うが、できれば頼む」
 福沢がそう声をかけると太宰の肩はぴくりと跳ねていた。福沢を見ることはなく盾に揺れる首。どう見ても緊張している様子なのに福沢はそっと息を吐いた。
 あれから暫く太宰と福沢は顔を合わせることがなかった。仕事で首を見かけることはあったのだが、声をかけるようなことはなく、太宰の方も何処となく福沢を避けているようだった。仕方ない事だろうと思い福沢はずっと一人で考えるのを続けていた。
 答えはいつまでたっても一つだった。
 それでどうしたんですかと太宰が問いかけてくる。福沢は居住まいをただし、太宰をじっと見つめるが目が合うことはなかった。蓬髪のつむじが見えた。
「これからについてちゃんと考えた方がいいのだろうと思って、私なりに考えてみた。その結果をお前に聞いてほしい」
 低い声に思いを載せて告げる。揺れ動く方。こくりと唾を飲み込んで太宰は大きく頷いていた。
 福沢を見つめようとして挙げた目は答えを待っている。
「結論から言うと」
 口を開くのに太宰の目は福沢の顔を見ては離れていく。手が握りしめられていた。
「私はお前が好きだ」
 はと太宰を息を飲んで福沢を見た。目と目が合う。
「お前が呪いとまで言っていた意味もよく分かって、あの男の思いと自分の思いについてよく考えてみた」
 そして出た結論だと福沢は告げる。
「あの男がいたから好きになってしまったのだとしても今更その思いを捨てることはできないし、今ある記憶だけを思い出しても愛おしいと思ってしまう。好きだとそう思う。
 お前といる時間を好きになったのだ。もう呪いだなんだそんなことでなくせるものではなくなってしまった。
 お前は私が嫌いか」
目をそらすことがなかったのに太宰が震えていた。そんな姿を見ながらも福沢は太宰に問いかけていた。喉の奥まで震えながら小さな声をこぼす。
「嫌いではないですが」
 それは本当に小さなものだった。それでも福沢を喜ばせるもので福沢の口元は綻んでいた。優しく笑いながら太宰にもう一つ問いかけている。口にする一瞬だけその目が寄っていた。
「そうかお前はあの男が好きか」
 息を飲みこむ気配。褪せた目は福沢を見てそれから唾を飲んだ。思う通りに口にしてくれと言われて太宰の口が震えながら開いていく。
「私は……。私は分からないのです。あの人が好きです。愛おしい。でも貴方も好きなんです。
 貴方にあった時、好きになるべきじゃないと思ったけど、好きになってしまいました。
 どっちを好きなのか分からなくなって、貴方とあの人の違う所を探しもしまいました。
 それぞれそんなところも好きだと思って……。でも貴方もあの人の違う所が見つかる度、苦しくなりました。
 私はどっちらを好きなのだろうとあの人が出てくる以前も時折考えていました。
 分からない。どちらも好き。どちらも好きだけどどっちを好きでいていいのか分からない。貴方が好きだけどでもそれは」
 私はどちらを好きでいたらいいのですか。教えて下さいと太宰の目が福沢を見つめていた。少しだけ息を飲んだ福沢はだけど分かっていたように太宰の頭にそっと手を伸ばしていた。触れてゆっくりとその頭を撫でていく。
 太宰の目が福沢を見上げる。その目に映る福沢は穏やかな顔をしていた。
「太宰。そんなに難しく考えなくてもよい。難しいかもしれない。でもどちらが好きかなとはもう些細な問題だ。
 ただ私と彼奴を好きでいてくれたらいい」
 太宰私が好きかと福沢が聞く。頷きながら太宰はでもと口にしていた。福沢は太宰を真っ直ぐに見つめ続ける。
「私が好いてほしいとは思う。だけどどちらかなど選べぬし、どちらかを比べるだろう。それでも私はお前が好きだ。彼奴もお前が好きなら受け入れるしかないだろう。
 同じ一人の人を好きになるのに問題はない。
 私を愛して、彼奴も好きでいる。それでよいから」
 なと声をかけて福沢は太宰に触れていた手を離していた。伸ばして痕が消えてしまった左手を掴む。ゆっくりとその小指に触れていくのに太宰の瞳は揺れ動く
「私はお前が私の傍からいなくなるのが嫌なのだ」
 好きでいてくれと願うのに太宰は氷のように動かなかった。だけど傍に居てくれと福沢が口にしたのにはいとちいさな返事のようなものを口にしていた。


 木の葉の隙間から月の光が淡く落ちていく。
 影を生みながら太宰を照らす光。見下ろすのに太宰は美しく笑う。
 それが夢であると言う事は目覚める前から気付いていた。
 それも最低で最悪な夢であると言う事を。
 諭吉様。
 太宰が夢の中で読んだ。見下ろせば笑い空っぽになった杯を差し出してくる。新しく注いでいくとかけた月が浮かぶ。銀に揺らめく月を見つめて太宰の瞳は上を見上げた。
 褪せた瞳の中に月のかけらが映っている。細められる瞳。
 ゆっくりとその手が持ち上がるのを見つめる
「あれが好きか」
「え」
 きれいな光景の中に余計なものが混ざった。聞き飽きた声が聞こえるのに太宰は目を見開いて見つめてきた。瞳の中から銀が消えるのに太宰はゆったりと笑って目を細めた。
「そうですね。好きだと思いますよ」
「そうか」
 聞いたのは己だというのにそれだけ言って酒を飲む。酒の味は分からな片。杯を下ろしても月は写らない。太宰は少し飲んでは月を映して楽しんでいた。
 月が揺れ、指が濡れる。
「お前はあれが欲しいのか」
 邪魔な声が聞いた。えっとまた見開く瞳。暫く動かないのに瞳の中に銀の嫌な姿が映る。ぽかりと開いた口。
「物欲しそうな顔だった」
 低い声が問う。太宰はその目をさらに大きくしてからああと笑っていた。何処となく悲しそうな笑みだった。
「そうですね」
 褪せた目が上を見上げる。銀の欠片はその中に大きく映っていた。
「欲しいのかもしれませんね。愚かしい話であると思っているけど。もしかしたらほしいとそう思ってしまっているのかも」
 水面の月が揺れる。ちゃぷんちゃぷんと銀の色だけが形を残すのに太宰は美しく笑っている。
 そんな太宰を見ながら口は動く。
「……あれを狩る方法はしらぬ」
「ええと、何の話をしているんですか」
 見開いた眼。不思議そうに聞く声に福沢も同じことを思っていた。ばかがと口にすることはできないが、思うのに太宰の目は映る。
 ぎゅっと細められた目は何かを求めているようだった。
「ねえ、赤い糸というのものが私の世界にはあるのですよ。知っていますか」
「赤い糸であればこの時代にもあるが」
「そうではなく伝説の話ですよ」
「伝説?」
「赤い糸という小指に結ばれた糸があるのです」
 太宰が己の手を持ち上げているのに、その指を見ていた。細い指だった。
「何でもこの手で結ばれた者同士は絶対に結ばれる運命にあるというそうなのですが、……まあつまり鎖でしょう。絶対に結ばれるだなんて鎖でつないで自分のものにしているみたい。
 そんな意図が本当になるのなら・……。
 つながっていたらいいのに」
太宰の指が天にかざされ、そしてゆっくりと動いていた。かざした指越しに褪せた目が見つめてくる。 太宰と名前を呼びたいと思った。だが声は出なかった。
 手が動いていて、そして、細い腕をつかんだ。
 己の元に引き寄せて小指を口に含む。その根元に噛みついていくのに褪せた目が揺れて、そして小さく微笑んでいた。何をするのですか。赤い跡がついた手を見つめるのに
 声は何も聞こえなかった。


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