口許にスプーンを運んだ。ゆるりと太宰の首が揺れた。もういいですとその口が動く。声は聞こえなかった。スプーンを離して、皿の上に載せる。
 一連の動作を終えた福沢の手は自然と太宰に伸びていた。太宰の頭に触れ、ゆっくりと撫でていく
「良く食べたな。偉いぞ」
 ふっと福沢の口許が持ち上がって笑い掛ける。太宰の耳元で囁くけば、太宰の目は福沢を探した。ジィと見つめるような素振りをして、その口が小さく動く。なんでと掠れた声がでていく。何を聞いているのか分からない問い。
 福沢の手は優しく太宰を撫でて、太宰に話しかけていく。
 今日の話は探偵社のみんながどうしているのかと言う内容だった。みたいだ。らしいと言った内容。太宰の目は小さくほそまる。その口許がもごもごと何かを動いているが、ちゃんとした形になることも、音が聞こえてくることもなかった。
 どうしたと時々福沢が問うけれど、その度に太宰の首は横に振られていた。
 福沢がゆっくりと話していく。ちゃんと太宰に聞こえるように、太宰が聞き取れる音量、早さを意識して耳元で話す。太宰はちゃんと聞いていた。またもごもごと動く唇。だけど問われても答えない。
 俯く頭を福沢の手が撫でていく。
 そうしていたら数分後には太宰の頭はこくりこくりと小刻みに揺れだしていた。眠たそうに目蓋が動く。福沢がそっと太宰を布団の上に横たえる。
 お休みと掛ける声。太宰の目がきょろりと福沢を見てそれからゆっくりと落ちていく。どうしてとその口がわずかに動いた。


 あの日から太宰の体は少しずつではあるが回復に向かいだしていた。二口程度だった食事の量が増え、福沢とも会話することがあった。
 体調の方は良くない日々が続いているが、一時よりは確実に安心できる見た目になっている。まだ頬はこけざらざらとした感触ではあるが、それでも前よりもふっくらとしている。そんな頬を福沢の手は撫でていく。太宰と太宰の名前を優しく呼ぶ。閉じていた瞼が薄っすらと震えた。んとその目が開く。見えないと分かっていても福沢は穏やかに笑って見せていた。
 おはようとその口が囁く。太宰はぼんやりと見つめてから嫌そうな顔を作った。そうでない時もあるのだが最近太宰は起きた時そんな顔をするようになった。まるで起きてしまったのが嫌だとでも言うような顔。時には目覚めたくなかったのにとも口にする。
 だけど福沢が太宰と名前を呼んで、その頬を撫でていくとその顔はなくなっていく。ぎゅっと閉ざされる口元にそっぽを向く目。ため息を吐く太宰の髪を撫でて福沢は世話を始める。
 ご飯を食べさせ、体をふき排せつの手伝いをする。太宰はいつもされるがままだ。それが終われば探偵社の話し等の世間話を始める。
 聞くともなく聞いている太宰は時々笑うようなそぶりをすることがあった。
 そんな風に福沢は太宰と暮らしていた
 眠りにつく時間は前よりも長くなって、起きている時間は短くなっていたが、前よりも充実した日々が過ごせていた。
 そんなある日だった。
 太宰がどうしてですかと問いかけてきたのは。それまでの何に対しての問いなのか分からないものではなくその問いはしっかりとしていた。
「どうして私の面倒等を見るのですか。面倒でしょう。仕事も何もできなくなったただの人形のようなものです。そんなもの捨て置けばいいし、そうしたところで誰も文句を言わなければ責められませんよ」
 問いかけてくる太宰は少しだけ調子が良かった。数日前に一度大きく体調を崩して殆ど起きていられない日があったが、それから少しずつ良くなって今日はずいぶんとしっかりとしていた。
 自身の異能が消失しているのを感じながら福沢は太宰に触れていく。
 どうしてと太宰が問いかけてきた。体調が崩れて暫くの間、太宰はよく口を動かしていた。ぱくぱくと動かしてはまともに言葉が出なくて、止めるを何度も繰り返していたことを思い出しながら福沢は大切だからだと答える。
 首を傾けた太宰は何故とその答えにも疑問をこぼしてきた。
「なぜって」
「私なんかを大切に思う必要はないでしょう。ただの部下、今では部下にすらなれない。それなのに何故」
 問う太宰は静かな顔をしている。ゆっくりと息を吸っては吐き出していた。じっと太宰を見て、その手を動かしながら福沢は暫くの間なにも言わなかった。答えを待つ太宰も何も言わずに遠くを見ている。
「問われても……」
 福沢の口が開いたが、そこからはすぐには答えは出ていかなかった。太宰の耳元に顔を寄せながら福沢はじっと考える
「大切に思うのに理由など考えないからわからぬ。むしろそれは必要なのか」
「……理由もなく私を大切には思わないでしょう」
 結局答えはでずに、福沢の口からは問いのような言葉が出ていく。太宰の目が大きく見開いていた。声がする方向を向いて震える。暫くしてからどうしてとまたその口が聞く。福沢からはそうでもないと声が出ていた。
「少なくとも私にはお前が欲しがるような理由はない。もしかしたらあるのかもしれないがそれは分からぬ。ただ私はお前が大切だ。だから優しくしたい。していきたい。
 お前の傍でお前を守っていきたい」
 言葉をゆっくりと重ねていく。太宰の体が少し震えていた。その口から小さな音が出ていく。
「貴方は変な人です」
「そうだろうか。私はそうは思わぬのだがな」
 頬を撫でながら福沢は微笑む。 


 それからまた太宰は体調不良が悪化していた。そうなることは福沢に予想はついていた。こうなった後でも何だかんだと難しく考えるから太宰は未だに休むことができないのだ。
 眠り続ける太宰の頭を福沢は撫でる。
 どうしたら伝わるのだろうなと一人ずっと考えていた。

 もぞもぞと太宰が動く。目覚めたのかと福沢はそちらを見た。ぱちぱちと太宰が何度か瞬きをしていた。ぼんやりとした瞳。しばらく天井を見上げた後、太宰の目はきょろきょろと辺りを見回し始めた。
 起きたかと枕元に手を置いて福沢は太宰に問いかける。
 太宰の目が福沢の方を向いた。
 おはようございますとその口が小さく声を出す。掠れた声におはようと福沢は答えた。太宰の頭を撫でていく。少し伸びた蓬髪はその手にすり寄っていく。すりすりとこすりつけられる頭。ふっふと福沢は笑っていた。
 その笑みに気付いたのか、驚いたかのように太宰の動きが止まる。
 ぱちぱちと目が何度か瞬きをしたがそれだけの動きすらも億劫そうだった。ふうと思い吐息が太宰から出ていく。
「また寝るか」
「……そうですね」
 ゆっくりと声をかける。太宰は頷くもののその目が閉じることはなかった。福沢がいる方向をじっと見ている。福沢の手は太宰を撫でていく。
「眠るのは嫌か」
 問うのにゆっくりと太宰の首が横に振られかけてから止まった。暫く固まってからこくりと太宰が頷く。
「眠るばかりで何もできませんからね」
 答える太宰の口元はいびつに上がっていた。苦しそうに太宰の身体が少しだけ動く。太宰の耳元に口を寄せながら福沢は優しく声を掛けていく。
 手は太宰の頭を撫でる。
「そうだろうが、別にそれでもいいだろう。お前は十分頑張ったのだから。これからはゆっくりしてもよい。のんびり過ごしていこう」
「……」
 な。と見えない太宰に向かい福沢は微笑む。私はそうして欲しいと己の望みを口にする。太宰の目は福沢の方をじっと見ていた。その目蓋は重そうに降りており、ぱくぱくと動く口からは言葉がでてこない。
「眠いのだろう。今は調子も悪いのだから、眠りなさい」
 言いながら福沢の手が太宰の目元に被せられていた。
首は緩く横に振られた。嫌だと言うように太宰の手が動く。持ち上がろうとしたのだろう手はだけど殆どは動かずに布団の上に落ちていた。目元に載せてあるのとは違う手が太宰の手を手にした
「もっとよくなっていけば起きられる時間も長くなるさ。そしたらもっと話もできるし、のんびりと過ごすことができる」
 優しく声をかけていく。だが太宰はそれでは納得できないのか動かないだろう口元を小さく尖らせていた。どうしたら眠ってくれると困ったように福沢は聞く。あまり無茶してしんどい思いをして欲しくないのだとその口が言っていた。
 太宰がまた緩く首を振る。少しだけ髪が動いて布団を叩く。
「何か望みでもあるか。何でも叶えてやるぞ」
 柔らかな声で福沢は太宰に聞いた。動く首。左右に動くと思ったが、髪は今度は布団を叩かなかった。太宰の唇が小さく動く。声は殆どが聞こえないが、次と聞こえたようなそんな気がした。
 たしかな形になる前にその口も止まって、首が動く。今度はしっかりと左右に動いていた。
 太宰の手を握りしめた手が少し強くなる
「次に起きるまでこうしてお前の傍に居よう」
 福沢の声が言う。手の下で太宰のめがおおきくなる。だからと優しい声で囁くのに唇が動き、そしてその目がゆっくりと閉じていた。
「お休み」
 穏やかな寝息が少しして聞こえだす。目元から手を離した福沢は太宰の頬を撫で始めていた。


 
「どうかしたんですか」
 太宰から掛けられた声に頭を撫でていた福沢は首を傾けていた。何がだとその口が聞く。だってとかすれた声は言う。太宰の口は小さくしか開いていなかった。
「何かを気にしているようだから」
 何かあるんですか
 静かに問い掛ける声。福沢の目が太宰を見て小さく見開いていた。その口許が困ったように少しだけ歪む。ふわふわと太宰の頭を撫でていく。
「ああ、少々出かけなくてはいけないことがあってな。何、すぐに帰ってくる」
 ぴっくりと動く太宰の目蓋。優しい声をだす。太宰の唇がゆっくりと動いた。
「それならもう行ってもいいですよ。大丈夫ですから」
 少しずつ告げられていく言葉。口許が少しあがるのを見て、福沢は首を振ろうとして止めた。変わりに太宰の頭を撫でる手を強くした
「そういうな。私もお前の傍に居たいのだ
 お前が眠るまではそばにいさせてくれ」
 福沢の声は柔らかで、太宰は驚いたように息を飲んでいた。その目が福沢を探す。小さく口許が動くが声がでてくることはなかった。
 太宰の手を握りしめて福沢はその手を自身の顔のもとまで持ち上げていた。追いかけて太宰の目が福沢を見る。褪せた瞳と久しぶりに目があった。
 柔らかに銀灰はほそまる。



 少し遅くなってしまったと思いながら福沢は緊急外来用のうけつけで己の名前を告げていた。探偵社が良く使う病院で話はつけてあるのでそれでなかに入れる筈だった。
 だが、聞こえてきたのは申し訳ありませんと言う声だった。はぁと福沢からでていく声。なぜと福沢が聞くのに病院側も戸惑っているようだった
「それが本日、患者の家族だと言うかたが病院に来まして、息子には誰もあわせないでくれと言われたんです。戸籍表なども持ってきていて確認がとれたのと、患者本人からも今後はその方の言う通りにして欲しいと言われてしまいまして……
 なので福沢さんをいれることができなくて」
 福沢の目がゆっくりと見開いていた。家族と知らない言葉のように声が落ちていく

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