平和島静雄は、頭の悪い化物だということを俺はよく知っている。故に奴は、思考をしない代わりにやたら勘だけは鋭い。有り体な言い方をすれば第六感というものが化物らしく発達しているらしい。
「てめぇしかいねぇんだよ」ノミ蟲野郎、いかにも頭の弱そうな金髪をした男は吐き捨てるように口を聞いた。
「へぇ、もしそうだとしても何をそんなに怒ってるのかな」
 肩をすくめて見せる。相手の眉間に益々皺が寄った。
「メール送ってきたのはてめぇなんだろうがって聞いてんだよ、俺は」
「だから、仮にその呪いだか、不幸になるんだかのメールを俺がシズちゃんに送ったとしても何の問題があるのかって聞いてるんだけど」
 あえてゆっくり話す、相手の拳はぶるぶると震えた。後、ほんの数秒で横にある下駄箱を担ぎ上げるに違いない。
 俺はズボンのポッケに手を入れ、いつでも応戦出来るようナイフを握りしめた。
「ふざけてんじゃねぇぞ」
 俯いて呟く、表情はみえない。怒りで顔を歪ませているのなら、愉快で仕方ない。
「どうすんだよ、幽霊来たら」
 顔を上げた相手は焦ったような顔をしていた。俺は吹き出しそうになるのをなんとか堪えた。
 
 【閲覧注意】と書かれた件名や、読んだ後に何かあっても責任は負えません的な注意書きをみると、どうしても読んでみたくなるのが人間の心理ではある。まあ、シズちゃんのことだから漢字が読めなかったか、長文メールは適当に読み飛ばした可能性は高い。化物だし。それに、このメールを三人の人間に送らないと、の部分の三人が思いつかなかったのかもしれない、友達少ないし。そもそも他人のメアドを携帯に保存するということが出来ないと思う、毎回データごとぶっ壊すし。今回あの読んでしまったら幽霊が来るらしいメールを受信出来たのは珍しいことだ。
 いいかい、シズちゃん、よく聞きなよ。この世の中に、もし幽霊なんてものが存在したとしても、君のことは避けて通ると思うよ。
「だから、これは全く意味のないことに変わりはない」
 罫線入りのルーズリーフに油性マジックは滲んだ。鳥居のマークは赤じゃないといけなかったような気がした。
「こっくりさん、じゃねぇか」
「シズちゃん知ってるの? すぅごいね」
 俺の言葉に眉をぎゅうっと寄せ何か言いたげに口をすぼめたが、相手はふいと横を向いた。少し長めの前髪が、夕日を受けてオレンジ色に輝く。
「意味がねぇことやって何になんだよ」
「世の中の大半は気休めで出来てるのさ。それに幽霊のことは幽霊に聞くのが一番だろ」
「こっくりさんは狐だろ」
「違うらしいよ」
「じゃ何だよ」
「それを今から確かめるんじゃないか」
「俺、別に怖がってるわけじゃねぇからな」
「知ってるよ。幽霊が来て、弟くんの試験勉強を邪魔したらいけないもの」
 シズちゃんはもっともらしく仏頂面でうん、とひとつ頷くとブレザーのポケットから糸クズとそれからいくつかの硬貨を取り出した。
「ギザ10じゃないといけねぇとかなかったか」
「そんな決まりはないよ」
 百円玉二枚と五円玉、くしゃくしゃのレシートから十円玉を取り出す。
「制服でよくタバコ買いにいけるね」
「売る方がわりぃんだよ。それよりさっさっと始めろ」
 未成年の喫煙者が、明らかな不良が、あの平和島静雄はこっくりさんを信じているそうですよ。
「なんだよ、じろじろ見んな気持ちがわりぃ」
 何でもないよ、俺は笑って机の上にルーズリーフを敷いた。
「おい、動かねぇぞ」
 真っ赤だった窓の景色はいつの間にか藍色に変わっていたが、俺たちは馬鹿みたいに十円玉に人差し指をのせていた。
 正直「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください」と瞬きもせずに唱え上げたシズちゃんをみた時、俺の高ぶりは絶頂を迎えた。ので、もういいかなと思ってる。もうこれ以上のお楽しみは期待出来そうにない。そもそもチェーンメールなんて送ってみたのも、携帯が生きているかの確認含め、少し機嫌が悪くなったらラッキーくらいに考えてただけだし。
 まさかその後に、幽霊がこなくなる方法を教えろと襟首掴まれるとは思わなかった。「これでわかっただろ、幽霊なんていないんだよ」そう言って切り上げても良かったんだけどさ。
「こっくりさん、お化けはどうしたらこなくなるんだ」
 なんて言った? 今さっきこいつは何て口走ったんだ?
 ――お化けって言ったか? 高校も三年目になる、体格もいい、しかも喧嘩が強いというか、出鱈目な力を持った、化物が、お化けって、お化けって、お化けって、お化けって言った!
 すっかり気分がよくなった俺は、動かない十円玉をまんじりもせず見つめるシズちゃんに免じてこの茶番を続けることにした。
「質問を変えてみようか、例えば幽霊が現れることによって何が起きるのか」
「そんなん質問してどうすんだよ」
「問題は出た時に何をされるのか? それに対して策を練ることだ」
「そりゃ確かにそうだけどな……」でも、そんなことより姿を見る方が何倍も恐ろしい、と顔に書いてある。目には見えない存在が、例えば黒魔術とか、神通力とかが存在したのなら真っ先に試してやるのに。
 しかし、俺はロマンチストでありながらリアリストでもある。こっくりさんは集団ヒストリー、コインが動くのは無意識の筋肉運動という説を推すね。
 それから、それに付随する自己暗示を期待してみる。
「こっくりさん、こっくりさん、平和島静雄は幽霊のせいで死にますか? たとえば幽霊があまりに恐ろしい姿をしていて心筋梗塞をおこしたり、倒そうとジャーマンスープレックスをかけようとし頸椎を痛め一生植物状態になったり、とにかくまあ、平和島静雄は幽霊で死にませんか?」
 10円玉はぴくりとも動かない、当たり前だ。あの平和島静雄が人差し指をのせているんだ、動くわけがない。俺はさらに質問を続ける。
「こっくりさん、こっくりさん。じゃあ平和島静雄は俺のせいで、死にますか?」
 動けっ!
 そう念じたけど、やっぱり10円玉は微動だにしなかった。もう飽きちゃったな。
「じゃあ、俺は平和島静雄のせいで死にますか?」
 十円玉は、
「おい」
 黙って聞いていた相手が俺の顔のすぐ近く、息が触れ合う距離で口を開いた。
「わかりきった質問してんじゃねぇよ」
 相手の前髪が、額にかする。
「てめぇは、俺が殺すんだ。他に答えはないだろうが」
 平和島静雄の睫毛が意外に長いことを俺は知る。瞳はやや薄い茶で、白目部分は青みがかって見えた。
 シズちゃんは、澄みきった瞳で俺をじっと見つめている。
 やばい。これはもしかしたら、もしかして、マジで俺のこと殺す気だ。
「なぁ」
 そう思った時には遅く、十円玉を触っている手とは逆の手で、俺の手首を掴んだ。
 背中に一筋、汗が伝う。
「お前、俺がてめぇなんかを殺せないと、そうどこかで思ってるから、んな質問出来んだろ」
 声音が激していないところからみても、本気だとわかる。淡々と静かに問いかけてくる。
 間違いない、平和島静雄は怒ることすら忘れている。本気で俺を殺す気なんだ。
 手首を掴んでいた指が外される。沈みかけた太陽に照らされた長い影は、ゆっくり俺を飲み込もうとした。
「指、離したらいけないんだ」
 喉元につきつけられた爪の先は男の癖になんだか小綺麗に整っていた。普段、標識やら自販機だかを平気でぶん投げるようにはとてもみえなかった。
「俺の首を絞めたら幽霊がくるよ」
 思いついた言い訳が効いているのかはわからない。
「こっくりさんは、途中でやめたら祟りがおこるよ」
 シズちゃんは左手を空中で止めたまま、十円玉から右手を離すことはしなかった。
 やりこめたと感じたとたん、自分の心臓が案外早く鳴っているのに気がつく。
 やだなぁ、俺がみてるのは幽霊じゃないってのにさ。これだからシズちゃんは。
「じゃあ、てめぇも俺もこのままずっと動けねぇな」
 ごく近くで囁く薄い唇は弧を描いていた。
 ああ、これだからシズちゃんは嫌いなんだよ。
 俺は祟られるのを覚悟して、顔を少し前に傾けた。
 
 だからその十円玉は俺のところに戻ってくるんだって。シズちゃんったら、指離しちゃうんだもん。あれほど幽霊を怖がってた癖にさ。ああしなけりゃ、俺は今頃幽霊になってシズちゃんを脅かせてたのになあ。もったいないことしたな。でもさ、あの時のシズちゃんの表情ったらなかったなぁ。こう目を極限まで見開いて、夜目でもわかるくらいみるみる顔を赤くしてさぁ、もちろん怒りでなんだけどね。赤を通り越して青くなったところで、俺はようやく逃げることを思い出した。だって可笑しくてさ、あいつ息するの忘れてるんだから。
 だからさ、その十円玉捨てても無駄だから、いつもポッケに入れてるの。コートをクリーニングに出すのはいいけどさ。 ねえ波江さん、聞いてるぅー? いないの? なんだよ、人がせっかく甘酸っぱいキスの思い出話、してやってるのにさぁ。



それをするに至った長い長い言い訳




今日はキスの日らしいですね、20120523


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