幸せ過ぎて怖いって言うだろ。
幸せが怖いなんて、そんなことあるわけない、そう思ってたよ。
「ただいま」
 ネクタイを緩めて、革靴を脱ぐ。部屋からはテレビの音だけが聞こえる。
「帰ったよ、ただいま」
 リビングの扉を開ける。42インチを前にソファが置かれている。リモコンを探そうとテレビの前に回る。
 ああ、その時俺は初めて幸せが怖いって思い知ったよ。
 ソファに寄りかかってシズちゃんはうたた寝してた、腕には日々也を抱えてる。その両膝にはつい最近、ひとりで寝ると言い出したサイケとデリックが頭を傾けてる。
 この4人を奪われたら、俺はきっと神様とやらを殺すだろう。
 俺は無言でシズちゃんを抱きしめて、涎を垂らしてる唇にキスを落とした。

「デリック、ソーセージは3本までって言ったよな」
「サイケがちんたら食ってるからいらないかと思ったんだ」
「お前食い過ぎなんだよ、デブ! デブリック!」
「なんだとっ! ガリガリサイケ! 兄貴のくせにチビ! クソチビ!」
「生意気なんだよ、おもらしデリちゃん!」
「よし殺す! めらっと殺す!」
「おい、やめなさい。シズちゃんソーセージもうないの?」
 朝は戦争だ、少なくとも我が家では毎日三度の飯時には必ず。
「ねぇし、やらねぇよ」
 おんぶ紐つけた妻は三人分の弁当箱におかずを詰めてる、バーテン服にエプロンはなんていうか、その、滑稽でセクシーだ。
「サイケはテレビみながらだらだら食ってんのが悪い」
 デリックはそれを聞いて勝ち誇ったようににんまりと笑った。
「でも、確かにデリックは食い過ぎだ」
 シズちゃんは菜箸を操りながら片手で拳を落とした。サイケが舌を出すのをデリックは涙目で睨み付けた。
「ほらよ弁当、サイケには唐揚げ追加してやったんだ。弟の我が侭には一度は付き合うのが兄貴の仕事だぜ」
 驚いた、自分が出来なかったことを子供に強いるとは。
「なんだ臨也、文句あるなら目で云うな口で言え」
「俺の奥さんは今日も素敵だな〜って」
 鼻でふん、と返事をすると「野菜残すなよ」弁当箱を俺に突きつけてきた。
 
 俺とシズちゃんは夫婦です、結婚しました。何年か前に、あれ、何年目だ? サイケとデリックが小学校に上がったから6年とか7年目だったか。後で確認しよう、結婚記念日を命日にしたくない。子供は双子と三男の3人で全員男の子、賑やかを通り越してやかましい。喧嘩とかあいつら本気なんだから、この前止めに入ったら危うく携帯ゲーム機で頭をかち割られるところだった。
 俺は情報屋は辞めて、一介のサラリーマンになった。新羅が俺のスーツ姿を見る度に噴き出すのはいささか気分が悪い。「また笑ってんのかよ」
「いや、あはは、ねえ?」
 誰に同意を求めてんだ? と言い返したかったが背広姿でスーパーのカゴをぶら下げた俺を以前の折原臨也がみたら腹を抱えて笑うに違いないと思い、黙って半額の食パンに手を伸ばした。
「君んちはゴハン派じゃないのかい?」
「たまにパン、シズちゃんが忙しい時は俺が作るからチビ共に」
 新羅は微妙な顔で頷きながら、また少し笑った。
「何だよ」
「いや、あはは、仕事帰りに買い物してる君をみるとなんだか楽しくてね」
「可笑しくて、って言いたいんだろ」
「いや羨ましいよ、実に」
 新羅は指輪をつけた左手で俺を宥めた。
「いつになったら3人の息子を僕んちの養子にくれるんだい」
「ダメだね、俺が許しても家内が離さないもの」
「残念、セルティは心待ちにしてるのに。今度君んちの、人のいい奥さんに直に頼ませよう」
 新羅は本当に残念そうに首を振ると「育児費用が賄えなくなったらいつでも相談してね」と失礼なことをのたまい、今夜はすき焼きなんだと肉のコーナーに消えていった。

「うちもすき焼き、食べたい」
 ビールついでたら、サイケが「俺やる! 泡つくりたい!」と立候補してきたので任せたら溢された。だから缶チューハイを追加だ。いい感じになった俺はいい感じにマイワイフに提案してみた。
「高い肉ですき焼き、食べたい」
「バカじゃねぇの、しょうが焼きがうちにはちょうどいいんだよ」
「なあ、デリックすき焼き食べたいよなあ」
 無心に白米に食らいついてる我が子に話しかける。ああもう、頬っぺたに米粒! たくっ、誰に似たんだ。俺はそっとつまんで口に含んだ。
「すき焼きってなんだよ? 父ちゃん」
「……悲劇だ。かわいそうだと思わないの? ねえシズちゃん」
「すき焼きって幽伯父さんちで食べたやつじゃん、ねえそうだろパパ」
 早々に夕飯を食べ終わり歌番組に夢中になっていたと思われたサイケも、食べ物には貪欲らしい。服の裾を引っ張って目を輝かせてる。つうかお前も米粒! 俺は右頬からそっとそれを引き剥がし口に入れた。
「それ去年の暮れの話でしょ、ねえかわいそうだと思いませんか? シズちゃん」
 むっつり顔で日々也に離乳食を与えてる。この表情には覚えがある、あまり突っつくと夜の生活に影響が出るのを知っている。俺は無言でグラスをなめ相手の出方を待った。サイケとデリックも誰が一番の権力者か教えてもないのに、よく知っている。二人して黙ってテレビの前に戻った。日々也だけが、あーうー言いながら楽しそうに歌う。
「俺は、自分の子供たちをかわいそうだなんて思ったことは一度もねぇ」
 一度もな。きっぱりとそう言い切り俺を睨んだ。昔の俺だったらこの顔をされたら、さらに追い詰めるような言葉を投げ掛けるか、何かしら相手が怒り狂うであろう行動を的確に素早く計算し実行した。の、だが……その顔の横にはきょとりとした俺によく似た赤ん坊がいるんだ。すごい、子供って偉大。俺のなけなしの戦意は灰さえ残さず消えていった。
「悪かったよ、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。君はいつも子供たちに全力かけてる」
「うちの夕飯がしょぼいからって悔しがってんじゃねぇよ。なんの為の貯蓄か、てめぇわかってんのか?」
「はい、わかってます。全部子供たちの為です」
「あっそ。ならすき焼きくらい作ってやるよ、なんだそんな金も稼げない甲斐性無しと俺は結婚したのかよ」
「シズちゃん…………」
「もちろん一番高い肉でな」
「シズちゃんっ……!」
 俺は立ち上がって愛しの我妻を抱きしめた。サイケとデリックも「スキヤキー!」と叫びながら俺たちに飛びつく。「んー、シズちゃんチュッチュッ」
「ちょっ、大げさだ。やめろよ、子供の前だぞ」
 満更でもない様子のシズちゃんに顔を近付ける。
「さっきから気になってたんだよね、米粒つけてるの」
 俺はそっと頬に口づけると少し固くなった米粒をなめ取った。
「うーだだっ」
 日々也も嬉しそうで何より。

 折原家の夜は早い。サイケとデリックはまだ6歳なんだし9時前就寝、夜更かし厳禁がシズちゃんの理想であり、俺の理想でもある。
「寝た?」
「寝た寝た、日々也もやっと寝ついた」
 はぁ、しんどい。シズちゃんは水色の格子柄のパジャマを着てダブルベッドの横に沈み込んだ。金髪を撫でようと手を伸ばす。
「あ、なあ授業参観日あるってよ」
「ん、ああ、そういうのは平日なんだろ」俺は出した手を引っ込めた。
「俺一人で行けって? サイケとデリックは、クラスが別なんだよ。それに今は土曜参観とかもするらしいぜ」
「一人でも時間分ければ回れるだろ」
「白状もん。活躍した時に親いなかったら寂しいだろ」
 シズちゃんは幽君と大して歳変わらないから、そういう経験があるのか。
「君はすごいよ、親の鑑みたい」
「なんだよ、そりゃ突然」
「親が子供を育てるんじゃなくて、子供が親を育てるってのは間違いじゃないよね、うんうん」
「で?」
「授業参観には俺も出るよ勿論」
「で? 何だよこの手は?」
「俺たちの成長を止めない為にも、もう一人作らない?」
「ばか…………」
 俺は顔を赤くしたシズちゃんに深く口付けし、パジャマのボタンを外しにかかった。
「待った……泣いてる」
「ぶっ! 誰が? 聞こえないよ?」
 唐突に出鼻を物理的に挫かれる。片手で顔面を抑えられた俺は鼻を痛くした。
「叫んでる、大声で」
「えっ、誰が?」
「聞こえないか?」
「子供の声は聞こえないけど……」
「叫んでるのは、お前だよ、臨也」

「大丈夫かい? 臨也」
 目覚めたら心配そうな顔をして俺の肩を揺さぶってる新羅がいた。
「いきなり叫び出すから驚いちゃったよ、ぎゃあああああって、漫画みたいにさ」
「……な……よな?」
「は?」
「男は子供産めないよなっ!」
「はあ!?」
「いいからっ、質問に答えて!」
「一体どんな夢をみたのさ臨也」
「いいから答えろっ!」
 逆にがくがくと俺に肩を揺すぶられた新羅は目を白黒させながら答える。
「そんなことはっ、今のところっ、ないよ、あり得ないっ」
 俺は脱力した。
「あ〜そっかぁ〜、よかったあ、うわぁそっか〜よかった〜」
「何か残念そうじゃない?」
「冗談じゃない!」
 実験台みたいな新羅んちのベッドから起き上がって頭についてる脳波計みたいなものをひっぺがす。
「あ、どうだったそれ? 人の隠れた欲望を汲み取って、幸せな夢をみせてくれる装置だなんて。うちの親父もそうとうイカれてる。その様子だと大失敗みたいだけど」
「はん、実験は成功だよ。ある意味では、ね」
「ある意味では?」
「幸せが過ぎて、背筋がゾッとしたよ」
 俺は世紀の大発明に向かってナイフを振り上げた。


痴れ者には過ぎた夢



スーパーの半額セール狙う臨也に、私は、私は……!


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -