恋人と喧嘩した。
 きっかけは何だか忘れたけど、叩かれてすごく頭にきたのを覚えてる。しかもスリッパで、だ。「スリッパはないだろ」と俺が言ったら「てめぇのスリッパなんだからいいだろ」とか訳のわからない言葉が返ってきて、俺は相手が傷つきそうなことを何度か口にし罵って、後はそう、ああ、あんまり思い出せないや。
 気がつくと、クッションからはみ出した羽毛が空中をふわふわと舞っていて、砕けた食器が散乱する部屋に一人でいた。俺は床に落ちたひび割れた写真立てを拾おうとして、それをやめた。
 まあ、とにかくすこぶる苛々した状態で上着と財布だけひっつかみ自宅を飛び出したところ、変わった露天商に話しかけられた。
「お兄さん、恋人と喧嘩しただろ」
「何それ、そういう謳い文句で売れる商品でもあるの? 恋人とよりを戻せるとか、諦めきれない恋を手に入れるとか、そんなのがあったら世の女性はほうっておかないだろうね」
「イライラしてるねぇ、中々エッチさせてくれないからって怒ったら負けだよ」
「……あんたは、なかなか商売上手とみた」
「いやいや、付きあって三カ月も経つのにそれは厳しいよねえ、同情はするよ。それに、帰ってきたら美味い飯が食べたいのもわかる」
「もしかして臭いしみついてる? 焼き魚なんて今のキッチンならボタンひとつで出来るんだ、何で焦がしたんだか……」
「で、夕飯を買いに外に出たってところかな」
「ああ、コンビニ弁当は嫌いなんだけどね」
「なら良い物いがあるよ、お兄さん」
 露天商が結構面白かったので、俺は夏目さんを二枚取り出してやった。
 
「うーん、衝動買いは後悔の元ってね」
 俺は今、自分ちの台所で腕を組みシンクに置いた物体に首を傾げた。
「ラベルが貼られてないとか、何か気持ち悪いな」
 いつもならここで「缶詰に話しかけるあなたの方が気持ち悪いわ」とかいう突っ込みが飛んできたり飛んでこなかったりするんだけど、波江は今日休みで、だからこそ俺は缶切りの場所がわからずに立ち尽くしてる。
 缶詰は2つ、ピンクのパッケージと、薄いブルーのもの。手に持って裏返してみる。底に四角いシールがついていて何か書かれている。かろうじて日本製らしい。
「なになに、『この缶詰はあなたの欲しいものが入っています』か……」
 ははあ、缶詰に似たおもちゃをくれたわけだ。「くだらないな」たぶん中は空だ。欲しい物を聞いてから中身を詰める。子供向けのパーティー用品、おそらくはクリスマス商品の余り物。
「コンビニ弁当のがはるかにマシだったな」
 俺は笑って、リビングに戻ると一等切れるナイフを探し始めた。
 
「お帰りなさい、臨也」
 玄関を開けたら青い着物の男が三つ指ついて、金髪の頭を下げている。
「ただいま、津軽」
「上着を」
「ああ、ありがとう」
 裾を払いしゃなりと立ち上がった津軽は俺のコートを恭しく受け取る。
「いい匂いがするね」
「今日はカレイの煮付けを」
「それは楽しみだ、君の料理は何でも美味しい。食べなくても匂いでわかる」
 俺がそう言うと津軽は袂で口元を抑え「誉め過ぎだ」と顔を赤くした。
「なにイチャついてんだよ、二人して」
 恨みがましい声に振り向くと金髪に寝癖をつけた白いスーツ姿の男が俺に抱きついてくる。
「もお、帰るなら俺に一番に連絡しなきゃ駄目だろ〜」
「デリックお前さっきまで寝てたでしょ」
「臨也が起こしてくれたら津軽より先に出迎えたんだ」
 頬を膨らませて顔を近づけてくる。
「はしたないぞ」津軽がデリックの首ねっこを掴む。
「おかえりのチュー位いいだろ」
「よくない、臨也困ってる」
「お堅い津軽さんにはわかりませんかあ?」挑発するような口調でデリックは津軽に指をつきつける。
「臨也は俺にキスをせがまれて喜んでる」
「いや喜んでない、臨也はこれから俺の作った夕飯を食べる」
「それより先に俺を食べるよな。なあ臨也?」
「破廉恥だ! 臨也、デリックに違うって言って」
「まあまあ、二人が喧嘩する方が俺は心配だよ」
 二人ににじり寄られた俺は、きちんと困惑が表情に出ているだろうか。口元がにやけて頬が痛い。
 缶詰を開けたら、人間が出てきたなんて話。どこぞのデュラハンなんかに現を抜かしまくってる闇医者に言っても信じてもらえなかった。まあ無理はない、俺も最初は夢だと思って二人に頬をつねってもらったんだけどこれがまた偉く痛かった。だってこの二人、あの平和島静雄そっくりなんだもの!
 俺はあの時の露天商を見つけ出してもっと缶詰を売ってもらおうとしたんだけど、どこで会ったのか、そもそも露天商がどんな顔してたのかも全く思い出せなかった。
「津軽より俺のが好きだろ、臨也」
 デリックが誘惑者の顔をして俺に詰めよってくる。
「違う! デリックより俺のが好きだろ、臨也」
 津軽が服の裾を引っ張って上目遣いで聞いてくる。
「いやあ、あはは、こりゃ……まいったなあ」
 俺は平和島静雄そっくりな二人に迫られて頬をかいた。
「俺だよな」デリックも俺の袖を掴む。「いいや、俺だ」津軽がさらに強く服を引く。「まあまあ、二人とも落ちつ」「俺だ!」「違う! 俺だ!」「俺だって言ってんだろ!」デリックが叫ぶと同時に俺の長袖が半袖に変わった。つまり服が破けた。
「ちょ、ちょっと!」二人を止めよう間に入れば「違う! 臨也は俺の方が好きなんだ!」津軽が俺に抱きつく。嬉しい、じゃなくて苦しい、ぎゅうぎゅうと抱きしめられ息が出来ない。
「違う! 俺!」デリックにより引き剥がされ、息を大きく吸い込む。が、今度は羽交い締めにされ首、それに肩が痛い。骨が軋む。
「おれる、おれる!」「俺? やっぱ俺だろ臨也!」「折れる! 折れるって!」「俺だって! 臨也、俺のことだよな」二人にもみくちゃにされ玄関マットに足を滑らせる。
 俺たち三人は、一緒くたに転んだ。
「痛いよ……それに重い……」
「あ、わりぃ」
「すまない」
 俺の上に覆い被さった二人は同時に退こうとして目が合うと、また火花を散らし始めた。
「デリックが寝てばかりだから重いんだろ!」
「津軽は飯作るときに味見ばっかしてっからデブなんだよ!」
「俺はデブじゃない!」
「じゃ見せてみろ!」言いながらデリックは津軽の着物をがばりと脱がしにかかった。白い肩がまぶしい。
「何するんだ!」津軽も負けじとデリックのシャツに手をかける。ボタンが三つ飛んで、後少しで見えそうだ。
 俺が首だけ動かして中をみようとした、電話が鳴った、俺は自分の上で繰り広げられるシズちゃん同士が服を脱がしあうという光景に目が離せない。電話は勝手に留守電に切り替わる。
『……なあ、臨也いるんだろ』
 その声に耳を澄ませたが出てはやらない、スリッパで頭をぶってくる恋人はもはや必要ない。
『スリッパは悪かった……俺が悪かった、ごめん。お前が2週間も連絡くれないなんてよっぽどだよな』渇いた笑いが聞こえてきて『正直、参ってる』なんて小さく呟いた、俺は、受話器にしゃぶりつきたい衝動に駆られたのだけど、デリックが津軽の帯を外し始めたのでそちらに気を奪われた。
『俺、お前が言ったように料理下手だからさ、練習したんだ……後な、今日は特別、お前があの日言ってたようにエプロンつけて作るから、あれだ、その…………裸に、だ』消え入りそうな声に、振り向いたその瞬間。
「だああああああ! 俺にこんな恥ずかしいこと言わせてねぇでさっさっと開けろよ!」
 玄関が勢いよく開いて、バーテン服を着た平和島静雄に似た男が現れた。いや……本物のシズちゃんが現れた。
 シズちゃんは、俺の姿、つまり半裸に近いデリックと津軽に圧し掛かられた俺を一瞥するとサングラスをかけ直した。それから「邪魔したな」と低い声で言い、踵を返す。俺の口からは勝手に「誤解なんだ!」と悲鳴が飛び出した。
「ここは7階だ!」その返事と共に、扉が派手な音をたてて締まり、ドアノブが外れた。
「誰だ、あれ」
「なんだか誰かに似てたな」
「待ってえ! シズちゃん!」
 俺は未だどかない二人の下から這い出し、破けた服のまま外に飛び出した。

「いいか、これからこの通りに、背の高い金髪の男と、その後ろから黒い服を着た男が追いかけてくる。この男は泣きべそかいてるからすぐにわかるはずだ。そいつらが今回のターゲットだ。わかったな月島、外すなよ」
「うん、わかったよ六臂くん」
 月島は手提げ鞄を大事そうに抱えると、躊躇いがちに口を開いた。
「あの、いつも不思議に思っていたんだけど、何で君は俺の手伝いを?」
「……お前、鈍いのな」
「うん、よく言われる」
 八面六臂はため息をつくと頭をがりがりとかいた。
「あー……、それはあれだ、お前と組むと仕事が楽になるからな。恋に悩む人間がすぐわかるようになる、俺はパンドラの缶詰を売りやすくなる。缶詰を使った人間にトラブルが起きる。お前は困った人間を救える。な、単純明快、明朗会計!」
「そうか……うん、そうだね!」
「今の時代、現世を見習ってうちも業務提携していかないとその内食えなくなるって〜」
 言葉の意味がわからないのか首を傾げる月島、その肩を八面六臂は勢いよく叩いた。「ぼさっとしてないでさ、お客さんだ」
「本当だ!」
 電線に腰かけている二人が、下に目をやると金髪の男が足早に通り過ぎていく。その後ろを「待って! 待ってよ! 違うんだ、あの二人とは何もしてないよ! そりゃ、ちょっと変な気は起こしたかもしれないよ! でも、それは二人がシズちゃんに似てるからであって、あくまで俺はシズちゃんというフィルターに欲情していたのだから何も問題はないんだ! 誤解だ、冤罪だぁ、シズちゃん〜、うっうっ……神様、天使様、悪魔様、なんでもいい! 俺にご慈悲を〜、裸エプロンみれるなら命捧げるからさぁ」情けない声を出してよろよろとついていく黒い服の男。
「ほらな、仲違いしたカップルをくっつけたらポイント高いだろ、天使様」
 弓を構える月島に、悪魔はうふふと笑いかけた。



ラブ缶




デリックがちょっとHなキャラになるのは色のせい?


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