「俺は告白するからな、静雄に」
 唐突に門田は言い放った。池袋でばったりと出会いさっきまで他愛のない会話をしていたと臨也は思う。
「まだエイプリルフールには早くない?」肩を上げておどける。
「茶化すな……いいんだな? 臨也」
 二人の男はしばらく黙って見つめ合う。沈黙を破ったの大きな笑い声。
「いいんじゃない? そもそも俺にそんな質問してくる意味がわからない」
 ――わからない、全然わからないね!
 臨也は門田と別れた後、路地裏に置かれているゴミ箱を蹴り飛ばした。アルミの蓋が派手な音をたててどこかに転がっていく。
 臨也は自分が何故こんなにも苛立っているのか、わからなかった。わかりたくなかった。でも、わかってしまった。いいや、よくわかってた。理解すればする程に、わからないふりをし続けてきた。
 門田と静雄が、たまに食事をする仲だということを知っていた。最近は週末になると映画を観に行くようになっているのも知っていた。それでも尚、臨也は知りつつも平然としていた。――シズちゃんが俺以外の男に執着するなんてあり得ない。変な自信があった。
 
「うまいか?」
 門田は静雄が豪快に牛丼を頬張る姿を眺めていた。もぐもぐと口を動かして静雄は答える。
「おうっ」
 頬っぺたに米粒をつけて笑う静雄に門田は微笑む。この細い体躯に大盛りご飯がどうやって吸い込まれていくのか少し不思議だ。いつまでも昔のまま、少年のような少女然としている静雄に門田は好感を持っていた。
「ついてるぞ」
 口元のお弁当をつまむ。
「あ……すまねぇ……」
 赤い顔をしてふいと横を向く静雄をみ、門田は自分がやらかした行為に突然気恥ずかしくなった。
 二人ともうつむいて目の前のどんぶりを黙ってかき込む。
 おおよそ、年相応の色っぽい男女の仲とは程遠い調子で門田と静雄は夕飯を共にしていた。門田は静雄の仕事が終わるのを見計らって声をかけているのだが、それに気がつく相手ではない。今日もまた、隣でぶかぶかとタバコをふかしてはいつもの感じで話し始める。
「あいつがさ、また池袋にきてさ」
 静雄との会話で出てこないことがない、あいつ――臨也の話を苦虫を噛み潰すような顔をして口にする静雄。そんなに嫌いなら話さなけりゃいいだろうに、と門田は思うがそれを伝える気は今のところはなかった。自分は焼きもちを妬いていると気がついたのは最近ではなかったが、静雄の心の中にすっかり臨也が棲みついている現状を門田はよく理解していたし、静雄が自分をそういう目でみていない事もわかりきっていた。
「そりゃ、難儀だったな」
 だから門田はしたり顔で静雄の、臨也が八割を占める会話に相槌を打つ。この立ち位置に落ち着かざるを得なかったし、自分にはそれが似合ってるとさえ思っていた。口をとがらせて臨也の事を話す静雄はなかなかに愛らしいものだと思わないわけでもなかった。この時は少なくとも、数日後、臨也にあんな事を言う勇気は門田にはなかった。
「なあ、今日はあれ観にいかねぇ? レイトショーなら半額だってよ」
 大通りに面してでかでかと広告されている新作の映画は、カーアクションが見ものなんだと静雄は語る。こうやって気軽に誘ってくるのも男としてみてない証拠だと毎回少しだけ落ち込んでいたが、それを断ることはもちろんしなかった。
「申し訳ございません、こちらは満席でして……」
 チケット売り場の案内嬢がガラス越しに眉を下げている。
「残念だな」
「ま、しかたねぇか。空いてねぇならしょうがねぇ」
 さっぱりとした静雄に、門田は気持ちがいいくらいに男前だなと考え、自分は今少し一緒にいられるものがそうでなくなったと女々しく思っているのに、と内心で自身に呆れた。
「あの、代わりと言ってはなんですが……実は本日カップルでこられた方にキャンペーンをしてまして」
 案内嬢がそう話し始めると、「かっ、かっぷる!?」と静雄は素っ頓狂な声を出したが門田は黙っていた。
「へえ、無料で映画観れるなんてすげーなあ」
 席についた静雄はさっそくコーラが入った紙コップのストローに口をつけている。
「話題作りなんじゃねぇか、映画館も人集めるの大変なんだろ、このご時世」
「そうな……にしても恋愛ものか、途中寝ちまうかもわかんねえなあ」
「まあ、映画館の席で居眠りするって贅沢がタダで出来ると思えばいいじゃねえか」
「確かに」
 静雄は笑ってポップコーンの入った袋に手を突っ込んだ。
 
 映画は、門田に言わせれば退屈だった。
 美しく魅力的な女、けれども奔放で身勝手なヒロインに振り回される主人公の男。激しく惹かれ合い、愛し合う二人だったが……、門田はこの辺りから展開が読めてしまい生欠伸しながらウトウトしていた。ふと、隣をみれば静雄はポップコーンを膝においたまま身じろぎもせずスクリーンをじっと見つめている。
 結局、主人公はヒロインとは結ばれず幼なじみの地味だけれども堅実な娘と結婚をする。どこかで観たありきたりのストーリー、つまんねえなというのが門田の正直な感想だった。
 エンドロールが流れ始めるとぞろぞろと周りが立ち上がる。門田もそれに習おうとしたが、静雄は動かなかった。画面を見つめたまま、ぼそりと呟く。
「これが、ハッピーエンドか?」
 それを聞いた時、ただの確認なのか、それとも好機なのかすぐにはわからなかった。何せあの静雄だ。相手が振り返ってこちらを見上げてこなかったら答えなかったかもしれない。
「少なくとも、俺はそう思うぜ」
 ひじ掛けに置かれた小さな手にそっと手を重ねても、静雄が拒むことはなかった。

「臨也さんって、どんな子が好きなの?」
 薄暗い照明に浮かび上がる赤いソファ。女は派手なネイルにマドラーを挟みグラスをかき混ぜる。
「俺? ん〜、そうだなあ。髪が長くて、おしとやかで、小食で、ヒール履いても俺より背が小さくて……出来ればおっぱいはおっきい方がいいかな」
 やだー、エッチー! とお約束の嬉しそうな悲鳴が上がると臨也はますます笑みを濃くした。
 ――ああ、つまんないなあ。
 内心でそう思いながら目の前の女にぐっと顔を近づけ小声で囁く。
「今日は俺は構わなくてもいいからさ、先方さんをよろしくね」
「え〜! あのハゲ親父より臨也さんのがいいんだもん」
「あのハゲ親父は俺の大事なお客さんなんだよ、ね? 頼むから」
 臨也は胸元からこそと札を取り出し女に握らせる。
「きちんと仕事してくれたらもっといいコトしてあげる」
「私、絶対に臨也さんとケッコンするう!」
「はいはい、よろしくね〜」
 背中が丸見えの服をきた女を見送る。その姿が見えなくなると、臨也は息をついてソファに沈み込んだ。
「俺と結婚ね……」
 乾いた笑いをして席に置かれたグラスを引き寄せる。浮かぶ氷にミラーボールの光がきらきらと反射し、今日みた静雄のダイヤを思い出させた。
 化物の癖に生意気とか負け惜しみを言うつもりはなかったし、素直に似合ってると思った。馬鹿力を出すわりに華奢な手が、左の薬指に指輪をしていた。
 ――シズちゃんは結婚するらしい、じゃなくて、シズちゃんは結婚する、ドタチンと。
 臨也は空になったグラスをウェイターに渡し代わりを頼む。
 シズちゃんが結婚する、家庭に入って子供を産む。ある日小さな子供の手を握って俺の脇を通り過ぎる。そうしたら、俺はシズちゃんに、オバちゃんになっちゃったねえと笑おう。ああ、それとも、もしかしてシズちゃんはふいと行ってしまうのかな。俺のことになんか気がつきもしないで。
 想像の中で、静雄に手を引かれていた子供がにいと笑う。臨也は何杯目かわからなくなってしまったグラスを傾けた。
「あんた……折原さんだよな」
 剣呑な目つきをした若い男がいつの間にか傍にきて肩を掴んでいる。
 ――ああ、その前にどこかで野垂れ死んだ方がマシかもしれないな。
 ふらつく足取りで臨也は店から出た。

『じゃあ行ってくる』
「行ってらっしゃい、セルティ」
 玄関でPDAを掲げる恋人を新羅は見送る。夜中に仕事を頼まれるのはよくあることだったが、毎回心配でどうしょもない。本当は着いていきたいが、それをしたところで怒らせるだけだというのは既に実施済みだ。
 ノブを掴むセルティの後ろ姿を名残惜しそうに眺める、思いが通じたのかくるりと振り返った。
『これ、静雄からもらったんだが……大事なものだから新羅に預けておく』
 セルティから受け取ったものを前に、新羅は腕を組んで頭を捻っていた。
「ん……あれ、これ?」

 インターホンが鳴り響く。セルティではない、彼女なら事前に帰る旨をメールで必ず一報入れる。深夜一時を過ぎる常識はずれな来客といえば、多く見積もっても二人しか思い至らない。
「いやあ、失敗しちゃった」
 胸元をざっくりと刃物で切られた男はいっそ朗らかに笑う。
「酒は飲んでも飲まれるな。君みたいな人間が深酒するなんて自殺行為だよ、臨也」
「愛し子が熟成させた俺への恨みを残してくれたんだ、嬉しいよ」
「……よくもまあ、そんな減らず口が叩けるもんだ」
 新羅は傷口に脱脂綿をあてがう。「じゃあ相手は静雄じゃないんだね」臨也は消毒液が染みたのか顔をしかめた。
「俺だって、いつもあの化物と争ってるわけじゃないさ」
「君が静雄以外の人間にたやすく切りつけられるなんて珍しいと思ってね」
 臨也は面白くなさそうな顔をして新羅を見遣ったが、軽い笑みを浮かべて包帯を巻いているだけだった。
「ああ、でも一度だけこんなことあったか。高校の時にさ」
 微笑んで語りかけてくる新羅に、臨也は眉間に皺を寄せた。
「思い出させるなよ、あれは一番の失敗だった。気分が悪くなる」

「実にいい気分だ、計画は順調。これも皆さんのおかげですよ」
 学ランを着た臨也は携帯を耳にあて上機嫌に話す。
「あの怪物を追い詰める作戦は最終段階にまで来てる」
 臨也は胸ポケットからもう一台携帯を取り出す。画面ではぼろぼろの制服をきた静雄がこちらを睨んでいた。頭に怪我を負ったのか、シャツだけでなくスカートにも赤い点を散らし、脱臼でもしたのか肩を抑えている。
 疲弊しているはずだが、ぎらぎらと光る目はまだ生きていて、携帯の画面越しに臨也を真っ直ぐに射抜いた。
「今日こそ殺してあげるね、シズちゃん」
 通話を終えて、液晶にキスを落とす。
「ああ、楽しみだな、楽しみだな、楽しみだなあ!」
 高笑いしながら手を広げくるくると回る。廃虚ビルの屋上には臨也の奇行を咎める者は誰もいない。
 この日、臨也は集められるだけの人を集め、静雄に攻撃を仕掛けていた。一斉にではない、波状攻撃をさせるべく、いくつかのグループに分けて少しずつ静雄の体力を削っていく。既に何十人もが再起不能になっていたが、長期戦になると体力が続かないことを臨也はよく知っていた。
 それから、こんなことをしても静雄を殺せないことももちろん知っていた。
 臨也にとっては傷つけることが重要だった。傷つけて、傷つけて、血を流させ、自分という存在を静雄に刻み込む。その傷はすぐに消えても恨みは消えない。
 ――あの憎しみを抱いた目に映るのは、俺だけ。シズちゃんを傷つけていいのも、俺だけ。
 恋に憂いているかのようにうっとりとため息をついた臨也は、池袋の街並みを見下ろす。先ほどからあちこちで標識やら自動販売機やら、人間やらがぶっ飛んでいたが今は何も動きはない。
「あー、こちら司令室」
 臨也はトランシーバーを掴み、テレビや映画に出てくる調子を気取る。
「そろそろポイントBに標的が現れる頃だけど、G班の皆さんどうしたの? まさか全滅? 応答せよっ」
 焦ったような声を上げるが顔は笑っている。
 ――やっぱりね、やっぱりシズちゃんは俺じゃないと相手に出来ないんだ、忌々しいことにね。きっと今頃、全員まとめちまったあの怪物は俺の名前を叫びながら血眼になって見つけ出そうとしてるんだろうな、俺を。
 口笛でも吹き出しそうな表情でいる臨也を呼びかける声。
『折原さんよぉ、話が違うじゃねぇか』ひび割れたその音はトランシーバーから聞こえた。
『車を用意してるなんて聞いてなかったぜ』
「え」
 けしかけた不良から報告を受けた臨也は屋上の柵を飛び越えて、静雄の姿を探す。双眼鏡には、標識を振り回す細い腕も、翻るプリーツスカートも、生意気に跳ねる短い金髪も映らない。
「なんだって?」
『ワゴン車に乗せて、どこで始末するつもりなんだよ。計画を違えても、アンタの指示なんだから金はきちんとくれよ?』
 下卑た笑いをする相手、臨也はトランシーバーを固く握りしめた。
 ――違う、俺じゃない。俺は車でシズちゃんを拐えなんて指示はしてない!
 考えるや否や、臨也はトランシーバーに向けて口を開く。
「その車、どっちに向かった? いいから早く教えろ!」
 通話先のチンピラは怒鳴り声に耳を痛めた。 



素直になれたら3







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