中学の時、先輩に「お前の声いいな」と言われた。
 声優なんて夢を追いかけたのは、単純な理由だ。忌々しい力を持った静雄が始めて人に誉められた、それがきっかけ。 高校を出たら養成所に入った。卒業してそのまま事務所に所属した。
 ここまでは良かった。

「今回は残念だけど……」
 オーディションは今回も落選、頭を下げる制作スタッフのつむじは見飽きてしまった。
「でも、平和島君にぜひとも頼みたい別の役があってね」
 その言葉にぱあと顔を明るくした。
 
 静雄はマイクに向かって思い切り叫ぶ。
「なっ、なんだお前は! ぐわあぁああ!」
 やっともらった兵士B。これで何人目だ?
「俺の名は八面六臂! ここから先には悪いけど通せないなあ」
 黒いコートを着た主人公。
 本当はこの役をやりたかったんだよな……。
 静雄は一言で終わってしまった出番を終えてさっさっと帰り仕度をする。
「やあ、迫真の演技だったね。シズちゃん」
 主人公を演じていた男は分厚い台本を片手に話しかけてくる。
「臨也、てめぇまだ収録終わってねぇんだろ」
「いやぁ、ちょっと隣のスタジオでも別の番組持っててさ」
「ふぅん」
「シズちゃんはこれからバイト?」
「ああ」
「そう、がんばってね。バーテン服は君によく似合うと思うよ」
 
 どうせバーテン服の方が、と言いたかったんだろ?
 静雄はグラスを拭きながら今日の出来事を苦々しく思い出した。
 折原臨也は同じ時期に養成所を出た。それなのに既に主役級のキャラクターを何人ももらっている、売れっ子だ。 誰かが数年に一度の逸材と言っていたのを静雄は聞いたことがある。
 静雄は臨也が嫌いだった。毎回同じ役をオーディションで取り合っては必ず臨也が奪っていく。それはいい、自分にその役をやる力がなかっただけなのだから。問題はその後に優越感たっぷりの嫌味を吐いてくるところ、とにかく性格が悪い。いちいち静雄に突っかかってくる。
『マイクよりシェイカーのが似合ってるよ』
 頭の中の臨也がにやにや笑いながら話しかけてくる。手元のグラスがびしりっと嫌な音をたてた。
 正直向いてねぇな、と思う。バーテンダーも、それから――声優も向いてないのかもしれない。
 くさくさした気持ちで家路を歩いていたら胸元の携帯が震えた。
 事務所からの電話は、最近では解雇通告かと勘ぐってしまう。緩慢な動作で電話に出る。
「はい、平和島です…………え、言ってる意味がよくわかんねぇんすけど……この前の『怪傑! 八面六臂』をみて……はあ、原作者が名指しで、俺を……俺を主役にだって!」
 静雄の手の中で、携帯は粉々に砕けた。

 翌日、静雄は足早にスタジオに向かった。
「やあ、シズちゃん」
「よお、臨也くん! 今日これから収録だからさ、てめぇに構ってるヒマなんかねぇんだよ、じゃあなっ」
 早口でまくしたてる静雄に臨也は道を譲らない。
「あれ、シズちゃん聞いてない?」
「何をだよ」
 廊下を塞いだ臨也は丸めた台本を突きつけてくる。
「俺も一緒なんだけど」
「げっ……またかよ」
「なんだよ、その嬉しそうな顔は」
「別に」
 どうってことないぜ、何せ今回は、俺が主役なんだからなああっ!
 嫌味野郎に俺の真の力を見せつけるいい機会じゃねぇかっ!
 静雄は意気込んでスタジオの扉を開けた。

「そろそろ始めようか」
 ディレクターの掛け声がかかる。
「本当に、やるんすか……?」
 さっきまでの勢いはどこへやら、静雄はすっかり青ざめている。
「頼むよ、平和島くん! 君の活躍にかかってるんだから」
 背中をばしりと叩かれ静雄の表情は益々暗くなった。
「シズちゃんが緊張なんて珍しいじゃない」
 隣でヘッドフォンをつけた臨也が笑う。
「……いや……きんちょう、つか……」
「はい、じゃあシーン27から」
 口ごもる静雄を無視するように収録は始まった。

「サイケはかわいいな」
「つ、津軽……やっ、やめて……」
「何でだ? サイケのここ、こんなになってる……」
「言わないでっ……もっもう、や、やだぁ!あっ!」
「ほら、よく見てみろよ……すごいことになってる……」
「だめぇ、そ、そこは汚いからぁ……はあっ!」
「かわいい色してるな……ヒクついてるじゃねぇか……本当は欲しいんだろ? 俺の……俺の、お、おれのおぉ〜〜…………こっ、こんなセリフ言えるかあぁああああ!」
 台本はびりびりと音をたてて破り捨てられる。
「あ〜ぁ……」
 臨也はぐにゃりと曲がったマイクを見て、やっぱりかと呟いた。

 聞いてなかった……。
 静雄は昨日、携帯を握りつぶしたことを悔やんだ。
 まさか自分が所謂BL作品を演じることになるなんて思ってもいなかった。
 人形師とその操り人形って言ったら少年漫画だと思うじゃねぇか……。
「困るよ平和島君……」
「すんません……」
 ディレクターは紙の山となったテーブルを指差す。
「仕事には責任もってもらわないと」
「すんません……」
「さっきから謝ってもらってるけどさ、無駄になった台本、何冊目かな」
「すっ……5冊目すかね……」
「違うよ、7冊目」
「ホントすんません……」
 俯く静雄にディレクターはため息をついた。
「正直これ以上収録が進まないならちょっと考えないといけないかな」
「あの俺……」
 この役を下りたい、と静雄はすぐには言えなかった。
 始めて主役をもらえた、得意分野でなくとも演じきりたいと負けず嫌いの自分がいう。
 その一方でこの役は自分には向いてねぇ。やっぱ声優なんて仕事、端から向いてなかったんだ。これを期にやめちまおうか……弱気な心が静雄の中で優勢になった時、
「やめちゃいなよ、シズちゃん。君には向いてないんじゃない?」
 休憩スペースで話し合っていた二人の前に臨也がひょこと顔を出す。
「なっ、ふざけんなっ! てめぇにそんなこと言われる筋合いねぇんだよっ」
 条件反射で噛みつく静雄に臨也は肩を竦めた。
「だってさ、どうします?」
「気合いだけでどうにかなるならいいんだけど……しかし代役用意するのも大変でね、狩沢さんの推薦で起用してるってのもあるしなあ」
 渋い顔をするディレクターに臨也は微笑みかける。
「シズちゃんは役を下りたくない、代役を用意するのは難しい……1日だけ時間くれないディレクター? なんとかするからさ。俺が」

 折原君がそう言うなら、と納得されたことに対し少しとは言わず大分不満だったが静雄はとりあえず役を下ろされなかったことに安堵した。
「お前が俺の稽古つけるとか、気でも狂ったか?」
「……あのさあ、俺は君の声優生命を救ってあげたんだよ、少しは有り難く思わないの?」
「あっそ、ほんじゃサンキュ。金ならねぇからな」
「知ってるし。言っとくけど収録が延びたら俺に影響が出るの。君と違って人気者だからさぁ〜、稼ぐ機会を逃したくないわけ。よりによってシズちゃんのせいとかあり得ないでしょ」
「ああ、そうかよ! そりゃ悪かったなっ」
「本当だよ、末代まで俺に感謝すべきだ」
 先を歩く黒い背中に静雄は内心で『てめぇの代で終わらせてやろうか?』と悪態をつきながら後に続く。
「……で、どこで練習すんだよ?」
「俺の家」
「はあ? てめぇんちぃい?」
「すごいね、その嫌そうな演技。真に迫ってるよ。ちなみにうちには最新のレコーダーとかヘッドセットがあるんだけどさ、シズちゃんは何使ってんの?」
「ラジカセ(しかも壊れかけの)……」
「君の指の力に耐えられるラジカセも興味深いけどさあ、何か文句あるなら聞くけど?」
「…………」
 ポケットからごそごそと鍵を取り出している臨也の後ろで静雄はあかんべと舌を出した。
「まあ入りなよ……って何してんのさ?」
「別に、新しい発声練習みてぇなもんだ」
 招き入れられた室内は広く、シンプルだけど高そうな家具が並ぶ。静雄は自分のボロアパートと比較し、知らず息をつく。
「何、シズちゃんのくせにため息ついてんの」
「てめぇ月に何本レギュラー持ってんだよ」
「ん〜15くらいかな、最近はラジオとかもやらしてもらってるから……実質20くらい?」
「へぇ……」
 そんなに? 同じ時期にデビューしたのにそんなに差があるのか。これが才能ってやつなのか……。俺にはやっぱりそれが足りねぇのかもしれない。
 静雄は磨き上げられたフローリングをみたまま押し黙る。臨也はそれをみてふんと鼻を鳴らした。
「俺は運が良いんだ、当たり役を最初にもらったんだよ。人気のあるラノベの登場人物、シズちゃん知らないかなあ?」
「ああ……あの胡散臭い情報屋」
「胡散臭いは余計だよ。俺は彼のおかげでファンが増えたんだからね」
 臨也はソファを座る静雄に一冊の本を手渡す。
 薄ピンク色の表紙には『恋するマリオネットは極彩色の夢をみる』と題字が書かれていた。
「これ今日の原作本じゃねぇか」
「通常BL本の発行部数は数千冊がいいところだ。だけど狩沢絵里華が書く本は売り上げ部数1万冊を超える。中でも津軽は人気キャラクターでね、シズちゃん知らなかったろ? ……ホント、君にはもったいないなあ」
 瞠目する静雄に臨也は頭をふってみせた。
「稽古つけてくれ、臨也……頼む」
 真剣な表情で見つめてくる相手に臨也は噴き出した。
「シズちゃんにお願いされるなんて、気持ち悪い〜」
「いいからっ、早くしろ!」
「はいはい、まあ君みたいに力むのは性に合わないんでね、ぼちぼちやっていこうか」

「ほ、ほら、素直にきっ、……気持がいいっていえよ、サイケ」
「全然気持ちよくないよ、へたくそっ! イントネーションが全然違う、ブレスも間隔が開きすぎ、あとどもるな! 何回言わせればシズちゃんは覚えるわけ? 本当に単細胞だな」
 臨也は、スパルタだった。
 先ほどから静雄が台詞を言うたびに、バカだのアホだの、やめちゃえよ、この大根! とナイフのような言葉で散々罵ってくる。挙句の果てには「もういい加減、死んでほしい」と盛大にため息をつかれ、とうとう長くない堪忍袋の緒がぶち切れた。
「うるせえええええ! お前の役と違って津軽は台詞が多いんだよ、サイケなんか『あ』とか『ん』しかねえじゃねえか!」
「ふうん、言ってくれるじゃないか……ならさ俺が津軽をやるから、シズちゃんはサイケやってみる? 相手の気持ちを考えるのも役作りにはかかせないよ」
「いいぜええ、俺にお手本みせてくれよ、臨也せんせいよぉ〜」
「後悔しても知らないからね」
 睨みつけてくる静雄に臨也は口の端を釣り上げて台本を捲った。
 
「ほら、素直に気持ちがいいっていえよ……サイケ」
 可愛らしいサイケの声から一転、男らしい声を出す臨也。その切り替えに静雄は驚いた。
 ――上手いな、ちくしょう。
 ぞくりと背中が泡立つ演技に奥歯を噛む。
「そんなの言えるわけない、でしょ」
 それに引き換え自分のサイケは酷いもんだ。
 たった一言で優劣をつけてしまう臨也に自分の力のなさを思い知らされ愕然とする。
「言いなりにならない操り人形なんておかしいだろ、俺はてめぇのマスターなんだぞ」
「でも……こんなの、おかしいっ、やめて! もう嫌だ、やめたい」
 ――そうだ、やめよう。俺には向いてなかった。これできっぱりわかった。もう諦めよう。
 静雄は台本を閉じようとした。
「ダメだ」
 ふいに耳元で聞こえた冷たい声に静雄の肩がびくりと跳ねる。
「そんなのは許さない」
 いつの間にか至近距離で囁く赤い瞳に静雄は射とめられた。
「一人前の人形になるまでみっちりしごいてやるよ、サイケ」
「なあっ! どこ触ってんだよ、臨也っ」
 突然自分のズボンの上をなぞってきた手に静雄は悲鳴をあげた。
「役になりきれよ、シズちゃん。君は、いつも努力してるじゃないか。俺は知ってるよ、たった一言の台詞の為に一番にスタジオ入りする君を」
 熱っぽい声が耳に注ぎ込まれる、静雄はぶるりと震えた。体が勝手に反応してしまう。
「や……めろっ」
「やめないよ、だってシズちゃんのここ、こんなになってる」
 臨也が意地悪く笑いながら撫でてくるのに、静雄は逆らえない。
 絡みつくような声が静雄の頭を麻痺させる。
「言うなあ、もう本当にやめろっ……」
「シズちゃんは養成所の頃から最期まで残って発声練習してたよね。俺は知ってたよ……」
「ひいっ」
 ズボンの中に冷たい手が入ってきて直接触られる。
「君の姿がみたいから同じオーディション受けてたって言ったら、怒る?」
「いっ……あっ!」
「ねえ、俺が何を言ってるか、わかる?」
 ずっと前から君が好きだよ。
 甘くせつない声音が鼓膜を揺さぶる、じんじんと痺れるような感覚に静雄は酔った。
「君が好きだ、その負けん気の強い性格も、少しクセのある金髪も、意志の強い瞳も、それから声も、全部好き。全部俺のものにしたい……」
 くちゅくちゅと厭らしい音が室内をしめる。臨也は静雄を触りながら、その赤くなった耳に囁く。
「君を愛してる」
「あっ、やめ……そんな声出すな! ばかあ、もっ、頼む、から……おれっ」
 愛嬌を上げて達した静雄を臨也は抱きとめる。
「声優やめるなんて思うなよ、俺はずっと前から君のファンなんだから」
 荒い息をはく静雄の耳たぶに臨也はそっとキスを落とす。静雄はずるずると臨也の胸の中に落ちた。
 
「あれがイザイザ推薦のシズちゃんね〜無名って聞いてたから余り期待してなかったんだけど、結構、ううん! かなりいいじゃない!」
 収録現場に見学にきていた狩沢はマイクに向かっている静雄を目を輝かせて眺める。
「まあね。実力はあるんだけど、なかなか運が悪くてね。枕営業してる奴らに役取られたりとか、コネクション作りのうまい奴らに抜かされちゃう良くも悪くも純粋なとこがあってさ、今まで日の目をみてなかったわけ。半分くらいは俺のせいってのもあるけど、これは津軽役に推したってとことで帳消しにならないかなあ」
「イザイザに気に入られてる時点でかなり運がないけどねえ……で、どこまでいったの?」
「さあ? それを考えるのが先生のお仕事だろ」
 手を広げて笑う臨也に狩沢は頬を膨らませた。
「いいですよーっだ! 勝手に妄想するし。まさかさ〜、今回の収録でNG出したらお仕置きするよ? とかベタなこと言ってたりとか」
「そ、それ面白いねえ、あはははっ……はあ、ノーコメントで……」
「だから真剣というか、鬼気迫る演技してるわけか……うんうん、いい声だよね〜。『恋マリ』番外編に出てくるデリちゃんとかも似合いそう」
「それはダメ」
「なんで? 日々也役はイザイザにお願いするよ?」
「なんでも。とにかくダメったら、ダメ」
「ああっ! まさかデリちゃんが受け子ちゃんだから? シズちゃんのあの時の声は俺だけのものにしたいっ、とかベタなこと考えてない?」
「う、うわあ、それも面白いね〜」
 にたにたと笑みを浮かべる狩沢に、臨也はちっとも笑えなかった。





そんな声だすなバカッ!




もっと色々詰めたかったんだけどな〜、BLドラマCDはセリフにもぞもぞして最後まで聞けた試しがない。


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