「うわあ〜ゴールポスト振り回してるよ……すごいっ、人がゴミのようだっ」
 双眼鏡を構えた学ランの少年が大きな笑い声を上げて校庭を眺めている。
「お昼食べる時間なくなっちゃうよ、臨也。今日はセルティが作った甘じょっぱい卵焼きが絶品でね! 無論わけるつもりはないけど」
 新羅が顔を輝かせ弁当箱を掲げている横で門田が首をふる。
「ほっとけ、聞いちゃいねぇよ」
「本当に飽きないよね〜毎日毎日……飽きないといえばこの板チョコが挟まれたご飯がまた最高でねっ!」
 昼休み、来神高校の屋上にのぼった臨也はシズちゃんウオッチング(と呼ぶのは臨也一人だけだったが)を日課にしていた。静雄に仕掛けた喧嘩の様子をコロッセオ眺める王様よろしく高見の見物としゃれこむ。
「お、今日は水色ストライプっと〜……」
 携帯に何事かを打ち込んでいる臨也に門田は菓子パンを喉につまらせる。
「げほっ! ……臨也、お前そういうの悪趣味だぞっ」
「悪趣味なのはシズちゃんでしょ、この前のクマちゃんプリントは久しぶりのヒットだったな〜」あはははっ、と腹を抱え笑う。
「女のパ……下着の柄を晒すなんていつか罰が当たるからな!」
「だあってえ、世の中にはああいう特殊な怪物が好みだっていう特異な層があってね、結構いい小金になるんだこれが。ホント頭どうかしてるとは思うけど〜」
「静雄は結構モテるんだよ。小学生の時に隠れファンの男の子が私をよくからかってきたよ」
 弁当を綺麗に平らげた新羅がそう言えば、臨也は顔をしかめた。
「理解できない、あれ雌ゴリラだよ。胸ないから女なのかすら遠目じゃよくわからないし……わぁ〜鼻血をブレザーの袖で拭うなよ」
 臨也は再び双眼鏡を持って屋上から落ちそうなくらい上体を傾ける。
「俺、平和島いいと思うけどな」
 門田がぼそりと呟いいた途端、臨也は勢いをつけて柵から飛び下りた。
「獣姦でもするつもりなの? ドタチン」
「お前は下劣だよな、本当に。そういう意味じゃなくて、だな……」
「じゃあどういう意味?」
 にこにこと笑いながら間合いを詰めてくる相手に門田は少したじろいだ。
「……小さい子供とか面倒見いいんだぜ、あいつ。この前、泣いてた女の子に人形取ってやったりしてよ、悪ガキに投げられて木に引っかかっちまったらしいのを標識で」
「何それコント? てかさ何でドタチンとシズちゃんは一緒にいたの?」
「それは、なんつうか偶然、たまたま通りかかって」
「偶然、ねえ」
「何だよ、やけに突っかかるじゃねえか。俺と平和島が一緒にいちゃあ悪いのかよ」
 むっとする門田に臨也は薄ら笑いを浮かべた。
「それはほら、この学校の不良頭みたいなドタチンと、あの化物が手を組んだら面倒だからさ、それを危惧しただけだよ」
 臨也が手を広げやれやれとお決まりのポーズを取ったところで「ここにいるよーーっ!」と新羅が声を張り上げた。
「後で覚えておけよ……」
「静雄に殴られのと臨也に殴られるのとじゃ比較にならないからね、僕はセルティの次に自分が可愛い」
「早く逃げないとヤバいんじゃないのか?」
 にやにやと笑いを浮かべる二人に臨也は舌打ちをついて屋上の扉を派手に閉めた。
「自覚ないのか」臨也が去った後に、門田が口を開く。新羅は不思議そうな顔をして「何がだい?」と聞き返した。
 
「いぃいいいざやあぁああ! 待ちやがれ!」
 階段を三段飛ばしで上がってくる金髪の少女。プリーツスカートが翻ってもお構い無しといった模様。
「もう見つけちゃったのっ?」
 臨也は静雄が猛突してくる寸前、手すりを掴んでひらりと反対方向へ飛び下りる。勢いをつけ過ぎた静雄はそのまま踊り場に滑り込んだ。
「待てっ! そこを動くんじゃねぇ!」
「その台詞まるで映画に出てくる小悪党みたい……ちなみにそう言われて逃げない主人公はいないよ!」
 静雄が振り返って下りようとした時、臨也の声は既に遠くから聞こえた。「待てっつってんだろうがあぁああ!」握りしめた手すりが派手な音をたてて壊れた。

「何が隠れファンだよ」
 空き教室に逃げた臨也は学ランのポケットから携帯――静雄とすれ違った時に奪ったものを取り出す。
「ふん、男のアドレスなんて一件も入ってないじゃないか……ん?」
 ストラップ代わりのお守りに気がついた時、後ろの引き戸が思い切り開いた。
「てめぇ! 俺の携帯返しやがれ!」
 肩で息をした静雄は机の上で片膝を立て座っている臨也にずんずんと大股で近付く。携帯を掲げてにやりと笑った臨也は、それを奪おうと伸びてきた手を素早く避け、教卓に飛び移る。
「シズちゃんさぁ、縁結びのお守りなんてどうしちゃったの? この季節はゴリラの発情期なのかな?」
「うっるせえぇええ! いいから早く返しやがれっ」
 椅子を掴んで振り回す。臨也はズボンのポッケに手を突っ込んだままジャンプしてそれを避ける。
「君のお母さんに制服汚してますよって教えてあげようかな?」
 携帯の画面を静雄に突きつける。眉間のシワをますます深くした静雄は、頭上に持ち上げていた机を舌打ちをして下ろす。
「シズちゃん意外と家族思いだもんね〜、ご両親がこれ以上学校に呼ばれたら大変だもんね〜」
 にやにやと笑い携帯を左右に揺らす。静雄はまた舌打ちをした。
「……で? シズちゃんはダンプカーにでも恋してるのかな?」
「幽が、修学旅行の土産に買ってきたんだよ……。おいっ、さわんじゃねえ! ご利益がなくなるだろうがっ」
「ごりやくう?」
 言葉の意味がわからないとでも言いたげなイントネーション、臨也は鼻で笑った。
「なになに? シズちゃん、彼氏欲しいとか思ってんの? ていうか、出来ると思ってんの? 君に?」そして手を叩いて笑い出す。
「はっ、はは! これは傑作……笑いすぎて、お腹い、いたい……」
 ぜえはあと息を切らせ腹を抱えている臨也を静雄は睨み付けた。
「るせぇ! そんなんじゃねぇよ、幽からもらったモンだから大事にしたいだけだっ」
「ああ、そういやシズちゃんは重度のブラコンだったね……。そうだよねぇ? シズちゃんがさ、彼氏とか、ましてや結婚なんて出来るわけないんだから、夢みるだけ時間の無駄なの自分が一番よく知ってるもんね〜」
 ね、化物なんだから、シズちゃんは。
 臨也は、握り拳を震わせ俯いている静雄を見るととても満たされた気持ちになった。
 泣いてたりしたら、どうしよう? 臨也は愉悦で背中がぞくぞくと泡立った。
 
 もし泣いてたら……嫌がらせにひとつ、キスでもしてみようか。
 
 臨也は下を向いている静雄の柔らかな頬にそっと手の平をはわせ、顎まで指でなぞった。それから角度を変えて顔を近付ける。

 
 
 
 
 ゴンッ
 
 鈍い音がしたのと同時に、臨也は額を抑えしゃがみ込む。静雄が頭を急に上げ、それをまともに受けた。
「痛ぅ〜……脳味噌出ちゃったらどうすんのっ!」
「し、知らねぇよっ! 急に触ってくんな気持ちがわりぃ! 何をしようとしたっ」
「シズちゃんの石頭のおかげで忘れちゃったよ、いたたたた……痛い、マジで」
「意味わかんねーことするテメェが悪いんだろっ!」
 静雄はうずくまる臨也のポケットから携帯をむずと取り上げる。
「仕方ないからそのお守り返してあげる、もしご利益があったらタバスコ5本一気飲みして、池袋中を全裸で走るよ」臨也は顔を上げずに負け惜しみを口にする。
「言ってろっ、バーカ!」
 ビシャンッと扉を締まり、その衝撃でガチャンッと戸についた覗きガラスが割れた。
「あいつ何なんだよ……死ねよ、マジで」
 悪態をついて走り出す静雄の顔は熟れたトマトによく似ている。

「我ながら悪趣味が過ぎたな」
 真っ赤に腫れた額をさすって立ち上がる臨也は、頬も朱に染めていた。

 
 
 
 
 夜の池袋は普段通り多くの人たちで賑わっている。
 いつも通り黒いコートを着た臨也は、常ならば行き交う人々をゆっくりと眺め口の端に笑みを浮かべているというのに、この日は目もくれず足早に歩いていた。
「よお、久しぶりじゃねえか」
 背後から聞こえた声に臨也は立ち止まる。
「やあ今晩は、シズちゃん」
 振り返ると短い金髪を耳にかけた静雄がタバコを片手に腕を組んでいた。バーテン服に黒のタイトスカートといういつもの出で立ち。薄い唇から紫煙を吐き出す。
 いつからだろう、臨也はふと思った。いつから化粧っ気の全くなかった静雄が口紅をするようになったのは? そしてそれを、自分が皮肉らなくなったのはいつからだったのだろう。
 考えても思い出せなかった。もうあの高校時代から10年近くは経とうとしている。
「何しにきた」
 ヒールを鳴らして近付く静雄に臨也は「急いでるんだ、見逃してよ」と形ばかりの降参をした。いつもならばここでポケットからナイフを突き出すのだが、その代わり人差し指を突きつけた。
「その指輪、いいね。似合ってる」
「誉めたって何も出ねぇからな」
 静雄は左手の薬指をもう片方の手でそっと隠した。
「馬鹿だな、俺が誉めたのはあくまで指輪だ。ダイヤなら君もそうそう壊さないのかもしれないね」
「試してやろうか、てめぇで?」
「遠慮しとくよ、ドタチンを敵に回すと後が大変そうだ」
「タバスコ買ってくるぜ」
「覚えてたの? …………ご祝儀はずむから、せめて一本にしてくれないかな。あとこの季節に裸はさ」「バーカ、冗談だ。お前の貧相な裸なんかみたくねぇんだよ」
 軽口を叩くだけになったのはいつからだろうと静雄は思った。
 そうだ、靴を変えたから、門田に新しい靴を買ってもらったからだと、静雄は気がついた。
 エナメルの赤い靴なんてどうせ似合わないと口にしたら、そんなことはないとプレゼントしてくれたのだ。穿き慣らしたローファーからこの靴になって臨也との喧嘩が減ったのは、きっとヒールの高さに慣れてないからだ。
 それは、いいことじゃねえか。そうだ、いいことだ。これで、いいんだ。
 静雄は何度か心の中で唱えたのだが、どうしても口を開いてしまった。
「なあ、臨也……あの時さ」
「あの時?」
「あれだ……俺のお守り盗んだ時さ、てめぇ俺に」
 
 キスしようとしなかったか?
 
 静雄がそう言おうとして一瞬とまどった刹那、着信音が鳴り響く。
「っと不味いな、こんなとこでシズちゃんなんかに構ってる場合じゃなかったんだ」
 臨也はポケットから携帯を取り出し手を広げる。
「俺だって構ってるつもりなんかねぇよ。二度と池袋にくるんじゃねえぞ」
「言われなくてもシズちゃんの顔なんか二度とみたくないね」 
 ほとんど習慣となっている去り際の挨拶をかわし、臨也はすれ違い様「おめでとう」と囁いた。
 その言葉は臨也が今まで投げつけてきたどの言葉より静雄を傷つけたのだが、少し微笑んで「ああ」と答え、それから「ありがとな」と礼まで添えた。
 ただその後、小さくなってゆく黒い背中を静雄はいつまでも見つめた。
 
 臨也は一度も振り返らなかった。

素直になれたら2




ぬらぬらと続編に昇格。


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