その日は暑かった。
 9月も半ばを過ぎたというのに真天の太陽が容赦なく照りつける。たまに吹く風が秋の訪れを感じさせたが、手に持った棒アイスは買ったばかりだというのに溶けかかっていた。こんな日にここを訪れる奴はいないだろう、そう浅はかに考えた自分を静雄は舌打ちした。
「今時ホームランバーなんか食べる奴いるんだ」
 静雄は錆びついた音を出す扉を睨んだ。隙間から赤目が笑っている。
「何しに来た」
「学校の屋上はいつからシズちゃんだけのものになったの?」
 この陽気に黒い学ランを着ている。それなのに涼しげな顔をした臨也はフェンスに寄りかかっている静雄の隣に並んだ。「こっち来るな、くせぇんだよ」
「あのさぁ、さっきまで暴れ回っていた君が言うなよ。汗臭いのはそっちなんじゃない」
「なら、わざわざ近くに寄るんじゃねえ」
「この位置からだと下界がよく見渡せてね、気に入ってるんだ。シズちゃんがどっか行けば」
 臨也はフェンスに両腕をかけ下を覗きこむ。制服を着た男女二人が小走りをして門に向かうその姿を、口の端を上げて楽しそうに眺める。
「なぜあえて正門から抜け出すのか? 若い恋人たちは仲の良さを他人に見せつけたがる。青春だねぇ」
 話しかけてくる相手を無視して静雄は今にも零れ落ちそうなバニラアイスを慎重になめる。子供が好きそうなただ甘いだけのそれをアイスの中で一番美味いと静雄は信じている。しかも運が良ければまた食べられる、彼はどちらかというと質より量というタイプだった。
「あっちの方角だとカラオケかなあ、それとも最近出来たゲームセンターか……そういやラブホテルなんてのもあったよね? やあ、これは昼からお盛んだ」
 ひとりはしゃぐ臨也はフェンスを掴んで跳ねる。静雄の体にも揺れが走り口に運ぼうとしていたアイスが横に滑った。彼はまた舌打ちをした。
「てめぇもそう変わらないだろうが」
「ああ……やっぱり、覗き見ていたのはシズちゃんだったんだね」
 今気がついたとばかりに言う臨也の顔には嘲りの笑みが張り付いている。
 ――何がやっぱり、だ。
 静雄は昨日の事を思い出し歯噛みをする。
 昨日の放課後、いつもの様に絡んできた不良共をなぎ倒した静雄は、教室に置いてあるカバンを取りに戻った。引き戸に手をかけたその時、
「聞こえちゃうよ」
 吐息の様な男の声と女の小さな悲鳴。それと机の脚が床を擦るがたがたという音。ドアについた磨りガラス越しに静雄は臨也が女子生徒とセックスをしている場面を目撃した。
 テレビの中以外に始めて男女のもつれる姿を間近でみた静雄はしばらく呆然としてしまい、夕焼けに染まった真っ赤な教室の中で蠢く黒い影がこちらを振り向くのを許してしまった。
 目が合ったのだ、あの時確かに。静雄を見た臨也はにいいと口の端を釣り上げた。
「俺の机、汚してんじゃねえ」
「あれシズちゃんの席だったのか、それは失礼なことをしてしまった」
 口調とは裏腹にくつくつと楽しげに笑う臨也の胸倉を静雄は掴んだ。
「舐めてんじゃねえぞ」
「謝ってるじゃないか……何を怒ってるのさ?」
 しらじらしい台詞を吐く臨也の首元には赤い小さな痣がついている。静雄はそれにつと視線を落とした。臨也はそんな静雄を見逃さない。
「キスマーク知らないの?」
 静雄は臨也を突き飛ばすように手を離した。「あぶないなあ」臨也は咳き込みながらにやにやと笑う。静雄は持っていたアイスが半分程なくなってしまったことにようやく気がついた。
「君はキスマークなんて残らないだろうね。いやいや、残す相手もいないのだろう」
 臨也は襟首を正しながらゆっくりと静雄に近付く。
「シズちゃんは誰ともセックス出来ないだろうね。それどころか、手を繋ぐことさえ難しいんじゃないの?」
 太陽に照らされたまっ黒な影が意地悪く笑いながら静雄ににじり寄る。
「君は、人の温もりをこれから一生感じることは出来ないだろうね。小さな女の手の平を、薄い肩を、柔らかな乳房の感触を一生知ることは出来ない。人は何故生きているのか? 様々な理由が個々にあるのだろうけど、生物としての人に限っては子孫繁栄の為というのがふさわしい。子供を作る為に人間は生きているのさ。人は伴侶を求め、やがて結婚し、家庭を築く。そんなこと君は出来やしないだろうね。女を抱くことは壊しそうで出来ない。ましてや子を成すなんて、自分と同じ力を持った子供が生まれてきたらと考えて夜中に震え上がったりしたこと、あるんじゃないのかい?」
 俯いた静雄の表情は臨也からはわからない。ただ無言でアイスの棒を口に運んでいる。それが答えだと臨也は思い、相手を傷つけられた暗い愉悦にほくそ笑んだ。
「だから君は誰も愛せない。俺の言っていることは全て当っているだろう?」
「当りだ」
 顔を上げた静雄は食べ終わった棒アイスを大事そうに握ると、臨也の脇を通り抜け屋上からいなくなった。
「せめて殴りかかってくれば、まだ可愛げもあるのにさ……あの化物本当にムカつくなー」
 フェンスに背を預けた臨也のひとり言は、ひぐらしの鳴き声に呑み込まれた。
 
 その日は寒かった。
 遠い空がどんよりと曇っている。どこかで雪が降っているのかもしれない。1月がこんなに寒いのだから、来月はもっと寒くなるのかと静雄は身震いをした。こんな日にここを訪れる奴はいないだろう、そう浅はかに考えた自分を静雄は舌打ちした。
「今の時期にアイスなんか食べる奴いるんだ」
 静雄は錆びついた音を出す扉を睨んだ。隙間から赤目が笑っている。
「何しに来た」
「学校の屋上はいつからシズちゃんだけのものになったの? って何か前もこんな会話しなかったっけ、君の語弊が少ないせいかな」
「てめぇと会話なんかしたかねぇんだよ」
 静雄はアイスがまだ固いので軽く噛んでみた。が、思いのほか冷たかったので口から離し舌先でつつく。彼は寒い日に冷たいものを食べることを好んでいた。
「まあまあ、俺だって君と話しなんかしたくはないのだけどね」
「なら、わざわざ近くに寄るんじゃねえ」
「まあまあ、そう言うなって。君、今日誕生日なんだろ?」
 贈り物があるんだ、臨也は静雄の傍に近付いて学ランの胸ポケットから、青い封筒を取り出す。眉を寄せて不機嫌そうな顔をする静雄に臨也は笑いかけた。
「ある女の子から君宛のラブレターだ、俺が君に手紙なんて書くわけがないだろ」
 平和島静雄君、はじめまして。こんな形でしか気持ちを伝えられなくてごめんなさい、私はあなたの事が好きです。さっきはじめましてと書きましたが実は平和島君と会ったことがあります。恐い人たちに囲まれていたところを助けて「君は昔の漫画なの?」
 手紙を朗読していた臨也は笑い声を上げて読むのをやめた。
「最後に付き合って欲しいって書いてあるよ、どうする?」
「……てめぇには関係のないことだ」
「どうせ断るのだろ」
 静雄は黙ってアイスを舐めている。それを肯定と認めた臨也は溜息をついた。
「そうだろうと思った」
「なんでお前が俺宛の手紙なんか持ってるんだ」
「なんで女の子って下駄箱なんかに思いを詰めるのかな? 理解出来ないよね」
「勝手に盗ったのか!」
「別にいいじゃないか。君は彼女の気持ちに応える気はないのだから、この手紙はあってもなくても同じだ」
 ひらひらと手を広げる臨也から静雄は封筒をひったくる。裏面には丸みを帯びた文字で名前と日付が書かれていた。
「9月……?」
「そう、その手紙は9月に君に贈られたものだ。彼女は返事をくれない君をどう思っているかな? でもね、大丈夫だから。俺がきちんと君の代わりに対応しておいたから」
「何だって」
「その中身、手紙だけじゃないんだ」
 静雄は封筒の中に1枚の写真を見つけた。裏返して映っているものを確認すれば、吐き気がした。
 写真の中では男と女が絡み合っていて、男は間違いなく目の前の折原臨也だった。赤い目がカメラに向けられていることがこの写真を臨也が故意に撮ったものだと証している。それに臨也は笑顔を浮かべ女を組み敷いていた。
「下種が」
 静雄が苦々しく呟くと臨也はにいいと口を歪めた。
「レイプじゃないよ、ちゃんと同意の上で事に及んだのだから。相手も結構乗り気だったしね、君の机の上だってのにさ。大体さー君の宿敵みたいな俺に告白されちゃって簡単に体を許しちゃうっていうのは一体どういうことなのかな? 彼女が恋してるのはきっとこの手紙を書いてる自分自身なんだろうね、シズちゃんではなく」
 柔らかな笑顔で話す臨也は似たようなことを手紙の主にも告げたのだろうと静雄は思った。事実に驚愕し絶望する女子生徒をきっと臨也は赤い目を細めてまるで愛おしむように観察したのだろう。
「俺は彼女に、間違いを指摘してあげただけだよ」
「屑だな、てめぇは」
「人間だからね、屑にもなれるのさ」
「何が贈り物だ、反吐が出る」
 封筒を握りしめ吐き捨てるように呻く静雄に臨也は首を傾げた。
「違うよ、贈り物はこれじゃない。君に物なんか与えてどうするのさ、何でもかんでもすぐにぶち壊す癖に。この手紙は君のことを愛してくれる人間なんかいないっていうのを教えるために持ってきただけ。シズちゃんは人を愛することも出来ないし、人に愛されることもないってよくわかったかな?」
 静雄は怒りのあまり拳を固く握った。アイスの棒が折れコンクリ敷きの地べたに落ちる。あの暑い日、ホームランバーは当ってなどいなかった。目の前のこの男から逃げたかった。今と同じ様に心を抉るナイフのような言葉を投げつけてくる男を静雄は心底疎ましいと思った。静雄は臨也が言うよう化物ではなく人間だ、しかも17歳の少年だった。寝る前にベットの中で、自分が女の子と手を繋ぐことを、キスをすることを、セックスをすることを夢想することもあった。しかし彼女らの相手が自分ではなく折原臨也の顔になっていることに気がついては打ちのめされた。君には出来やしないのさ、したり顔でその臨也は笑う。自分が他人と触れ合っている姿を想像出来なかった。果てのない孤独に怯え布団に潜り込み目を固く瞑る、静雄はそんな自分が臨也の次に嫌いだった。
「だから、何だって言うんだ」
「シズちゃんは可哀相だなあって。きっと一生、人と交わらずにひとりで生きていかないといけないのだろうなあって思ってさ」
 臨也は静雄からくしゃくしゃになった封筒を奪い返すと、手に持った便せんを丁寧に折り畳み、それから学ランの内ポケットにしまった。
「人の温もりをわからないままでいる君を哀れに思ったのさ」
 誕生日だしね、耳元で囁く臨也を静雄は殴り倒すことはしなかった。
 便せんは一度破られてセロハンテープで修正されていた。それに気がついた静雄はげんなりしてしまいすっかり怒りが萎えた。臨也は手紙をびりびりに破いてから細かく千切れた紙片を拾い集め、ジグゾーパズルよろしくゆっくりと繋ぎ合わせた。何度も何度も文面を読み返しては、人間を誑かした平和島静雄を憎み、平和島静雄なんかに懸想したつもりになっている人間を気のどくに思い、それから女を憎んだ。そんな矛盾を持つ自分を臨也は滑稽だと思い愛した、とても人間らしいと。
「俺は優しいからね、シズちゃんを仕方なしに抱きしめてあげるよ」
 背に回る腕、肩に乗る頭、それから首筋にかかる唇、触れる箇所はちりちりと痛む気がした。こいつには毒が仕込まれているに違いないと静雄は思った。しかし案外に臨也の体温が高かったのでされるがままにしておいた。何より今日は寒いと、ひとり言い訳をしながら。
 

レヴィアタンの祝福




七つの大罪、嫉妬の悪魔っていうね、厨二が考えたタイトル。


 


 
  
 


 
 




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