『白い部屋』
ふと考える。ここはどこだろうか?
目に映るのはただ広がる白。何でここに私はいるのか。分からない。いつからいたのか分からない。
こんなことをしている暇などないのだ。現代人の日常は目まぐるしい。毎日働き、学び、愛想を振りまく。それはもう平凡ながらに困難なのだ。
だから私も早く戻らねばならない。世の中には換えのきく歯車とそうでないものがある。私の代わりなどいくらでもいる。早くしないと他の誰かに奪われてしまう。
……はて、私はどこに戻るのか?
私の家は?
私の職場は?
私の友人は?
私の家族は?
私のナマエは?
ワタシのカオは?
ワタ……………。
そこまで考えて気づく。ワタシには白しか見えていない。ワタシの黒だか茶だか金だか知らない睫毛も髪も、肌色も、何も見えない。ただ白だけ。
………本当にワタシは人間なのか?
何故今までその考えに行き着かなかったのか。その方が不思議に思える。
そうか、ワタシは空間なのだ。この白以外何もないこの場所の意識。それがワタシの正体だ。きっとそうに違いない。
結論にたどり着いて安心する。一番怖いことは自分が分からないことだ。
だけどこれで大丈夫。ワタシはワタシだ。
安心したら眠たくなった。空間に睡眠が必要なのかは分からないが、意識が遠のく感覚。これは人間がいう睡魔だろう。
ワタシはその微睡みに意識を任せた。
「……彼女の具合はどうですか?」
「今眠ったところです。起きているときは独り言を言ったり……相変わらずです」
「そうですか」
小窓からそっと病室を覗き込むと穏やかな彼女の寝顔が見えた。厳重に鍵のかかった扉の向こうに広がる白い部屋。今はそこが彼女の世界だ。
「では、よろしくお願いします」
「はい」
一度病室を振り返ってから歩き出す。立ち止まることなんて出来なかった。彼女を思い出すと胸が軋む音がするから。
「……早く、帰っておいで」
この願いは、叶うだろうか?
ただ頬を伝う滴を拭った。