『ひとつだけ』
真夜中にふっと意識が浮上した。布団から出ている顔の僅かな皮膚で冷気を感じ、思わず身震いした。
体はそのままに視線だけを隣の布団に向ける。……寝ているみたい。
起こさないようにそっと布団を退かして部屋を出た。
「……眩しい」
廊下を歩いていてその明るさに今宵は満月だったことを思い出す。空を見上げて目を細めた。
刺すような空気に明るい月。頭の中がぐるぐると回って網膜にあの日の記憶が蘇る。
桜のように舞う雪や冷たく輝く刃。低く響く声、鮮やかな赤、そして浅葱。瞼を閉じればすぐそこにあるいつも追いかけていた背中。
だけど、私はあの時見失ってしまった。その生き様に、太刀筋に、志に見惚れ、傍に在りたいと願ったのに。
頬を暖かなものが伝う。焼け焦げた土。切り裂かれた誠の旗。結局間に合わなくて、ただ彼等の面影を見ることしかできなかった。
「千鶴」
「……少し思い出していただけです」
背後にある気配には気付いていた。私にいつ声をかけようかと待っていていることにも。
振り返って笑顔を作ってみたら、彼はそっと抱き寄せてくれた。
「まったく。俺が来なければいつまでここにいるつもりだった?」
風邪でもひいてはお腹の子に障ると言いながら私の髪を梳く。それが心地良くて私は目を閉じた。
「大丈夫ですよ。だって……」
迎えに来てくれると分かっていたから。
貴方は何処にいても来てくれる。そして待っていてくれる。
不器用なのに、とても優しいのだと私は知ってしまった。
人には、大きな後悔が一つあります。
(だけど、それ以上の何かを得た)
言葉にせずとも私の想いは伝わったようで、彼はいつもの自信に溢れた笑みを見せると私を抱えて廊下を歩き出した。降ろしてほしいと言っても無駄だろう。
だけどそれ以上にこの温もりから離れたくない自分がいた。
ここが、この胸の中が私の居場所なのだ。
今度こそ失わないようにと首に腕を伸ばすと、彼は少し照れたような顔をしていた。