第二話
至福の時間は脆く








 どのくらいの時間そうしていたかわからない。リトルクイーンが接触を図ってきて以来、私は誰とも話していない。玄関前の石段に座り込み、ただぼんやりとアスベルたちの帰りを待っている。まだかなあ。遅いなあ。たしか東の街道って、わりと距離があったはずだから、往復だけで結構時間が掛かるんだろうな。ただ座って待っているだけの私が、それに文句を言う資格はないや。そんなことを考えながら、ぐるぐると頭を駆け巡る不安と焦燥を押し殺す。リトルクイーンの言葉の真意はとても気になるけれど、それはおそらく、私ひとりではどうにもできないこと。私はきっと、なにがなんでも彼らの旅について行かなければならないんだろうな。戦うこともできないのに、どうやって……。思わず洩れるため息をそのままに、聞こえてくる足音に耳をすませる。ふたりが帰ってきたんだ。私は立ち上がり、少しだけ疲れた顔をしたアスベルと、なにかを考え込むようにうつむいたソフィを見遣った。

「……おかえり、なさい」
「ああ、ただいま」

 アスベルはにこりと微笑んでくれた。だけどソフィは、相変わらずうつむいたまま、なにも言わない。なにを考えているのか、この先なにを言うのか、私は知っているから、無理に声を掛けたりはしない。けれどいつかは話さなきゃ、いけないよね。

「アスベル」

 突然、抑揚の無いソフィの声が響いた。アスベルは振り返り、未だうつむいたままの少女を認めどうしたと声を掛けるが、ソフィはなにも言わない。思わず耳を塞ぎたくなるような、どこか重苦しく息苦しい沈黙。ソフィは口を開かない。アスベルも、私も。時間にすれば数十秒、沈黙を守っていたソフィがようやく顔を上げて、徐に口を開いた。

「アスベルも死んじゃうの?」

 その言葉にアスベルは驚き声を上げてソフィを見るけれど、ソフィ自身はただ、悲しい面持ちで地面を見つめているだけ。アスベルのお父さんのように、アスベルもいなくなるの? それは死を悟った少女の、悲しい問い掛け。私はなにも、言えない。そんなことない、大丈夫だよ。そんな嘘っぱち、なんにもならない。

「わたし、アスベル事、守る。そしたら、アスベル死なない?」

 ようやくこちらを見たソフィの眼差しはただ必死で、どれだけ不安なんだろう、悲しいんだろう、私には図り知れない。思わずうつむく私とは対照的に、アスベルは少しだけ笑って、ソフィの気持ちは嬉しいがどうしようもない事もあると、そう言う。不慮の事故に遭ったり、重い病気にかかったり、運よくそうならなくても、寿命がくれば、いつかは……。その言葉が悲しくて、だけど私にはどうすることもできなくて、それは何十年も先の話だと諭すアスベルに、そうじゃないのにと言うことすらできない。なんて無力、なんだろう。十年も二十年も三十年も、すぐに経ってしまうと、悲しげに言うソフィの顔が、真っ直ぐに見れない。

「ちょっと前までは、わたしよりアスベルの方が背が低かった。アスベルは、走るのが今よりずっと遅かった。だけど、わたしはずっとこのまま。何年経っても変わらない。わたしは、みんなと違うから?」

 人じゃないから、みんなに置いていかれてしまうの? 抱える悲しみの丈をぶつけられて、ようやくその真情を察したアスベルが重い声でソフィの名を呼ぶけれど、ソフィはまるでなにも言わせないかのように謝ると、先に帰ると言って彼の真横を、私の真横を、悲しげな面持ちで駆けていった。カチャンと音を立てて閉まる屋敷の扉に背を向けながら、残された私とアスベルは互いになにも言えずただその場に立ち尽くしていた。声を掛けたくてもなんて言えば良いのかもわからない。そんな私を気遣うように、アスベルは小さな声で俺たちも入ろうと言ってくれた。ひとつ頷いて、屋敷の扉をゆっくりと開く。中に入ればすぐに、フレデリックさんが不思議そうな面持ちで佇んでいて、ソフィとなにかあったのかと聞いてくる。彼女は、屋敷に戻るなり部屋にこもってしまったらしい。心配そうに客室の扉を見つめるアスベルに、フレデリックさんは一通の手紙を渡す。それは、リチャードからの……。

「フレデリック。バリーを呼んでくれ」

 それはとても真剣な、"領主"としての顔。かしこまりましたと一礼するフレデリックさんを見遣りながら、私はこれから起こる出来事に自分がどう関わっていくべきなのか、そればかりを考えていた。

「なまえは、これからどうするつもりなんだ?」

 あれから執務室でいろいろと話を聞いた。最近魔物の被害が、各地で拡大しているということ。それはウィンドルだけでなく、ストラタ、フェンデルでも同様の事態が起こっているということ。リチャードが魔物の住処のひとつを突き止めたということ。書状が、その協力要請だったということ。彼は、明日には王都に出発するらしい。話し合いも終わり、今日はもう部屋で休むとアスベルは言って、私たちは執務室を後にした。その途中の階段で彼が問い掛けてきた言葉。これからどうするつもりなのか。それは私が、現在進行形で必死に考えていることだった。

「私は……」
「もしも、行くところが無いならここに住むといい。俺はしばらく留守にするけど、帰ってきたらなまえの記憶を探す手伝いをしようと思う。構わないか?」

 言い淀む私に、アスベルは人好きのする笑みを浮かべてそう言ってくれた。私はいつの間にか完全に記憶喪失者扱いになっていて、正直なんて返せばいいのか、返答に困る。彼の心中にはきっと、私も一緒につれて行く、なんて考えは微塵も無いんだろうな。まあ、それが当然だと思うけれど。

「……あの」
「ん?」

 このままではだめだ。ちゃんと言わなければ、きっと私は、記憶を失った哀れな少女としてこの屋敷に住むことになってしまうだろう。ただでさえ流されやすい。自分のことなのに、人に言われるがままになってちゃだめ! 勇気を出すんだ。頑張れ私、きっと言える。

「あの、私、違うんです」
「違うって、なにがだ?」
「えっと、その、記憶……喪失じゃ、ないんです」

 アスベルは、なにも言わない。私はうつむいた顔を上げることができなくて、彼のお気に入りなのであろうホルダーをじっと見つめる。私から言い出したことじゃないけれど、なんだか騙したみたいで心苦しい。アスベルが小さな声で、そうか、とつぶやいたのを聞いて、罪悪感はさらに募っていく。喉が詰まるような圧迫感に苦しんでいると、アスベルがふっと笑ったのが、なぜだかわかった。

「そんな顔するなよ。俺が勝手に勘違いしたんだ。それに、記憶喪失じゃないならそれが良いに越したことはないじゃないか」

 ぽんぽんと頭を撫でてくれるアスベルの手がひどく優しくて、私はじわりと滲む涙をそのままに、顔を上げた。きっと私は今、酷い顔をしているんだろう。アスベルが少しだけ苦笑して、部屋へ行こうと私の背中を軽く押してくれる。優しい手つきに心がじんわり暖まる。ごめんなさい、ありがとう。口には出せない謝罪と感謝を心中でつぶやいて、私はゆっくり歩きだした。

「あの、アスベル……さん」
「アスベルでいい。……どうした?」

 ぐっと掌を握って、決意を宿した眼差しをそのままに私は思いきって言葉を吐き出した。

「私も、一緒に行かせてください」

 アスベルの瞳が動揺に染まる瞬間が、やけにスローモーションで見えた、気がした。




至福の時間は脆く


(眼前に広がる現実はあまりに残酷で、苦しい)




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