garden of century
*切なめ









「私、雪男くんの黒子になって雪男くんとひとつになりたい」

 なまえさんが突然おかしなことを言い出して、僕にぎゅっとしがみついてきた。なまえさんがおかしいのは別段いつもと変わらないので気にもならないが、しがみついてくるのは大変珍しい。普段は恥ずかしがって極力スキンシップを避ける傾向にあるなまえさんだから、自分からしがみついたりなんて絶対にしない。最早そればかりが気になって発言はこの際どうでもいい。本当にいつものことだ。

「どうしたの?」
「雪男くんとひとつになりたい」
「頭がわいたの?」
「ひとつになりたい」

 駄目だ。会話にならない。思わずため息が漏れる。

「……ごめんね」

 ああ、なまえさんって本当に馬鹿だよね。なにを謝ってるの。なんで涙目になってるの。それを素直に言葉にしたいけれど、言ってしまったら彼女はきっと本格的に泣き出してしまうだろう。僕としては、たとえ頭が涌いていたってなまえさんは大切な恋人だから、泣かせたくはない。さて、どうすれば彼女は事の経緯を白状してくれるのだろう。答えは簡単だ、素直に尋ねればいい。基本的に嘘や隠し事が苦手な彼女が、僕に問いただされて答えられないわけがない。我ながらずるいとは思う。思うだけで気にはしないが。

「ねえ、なまえさん。何かあったの?」
「なんにもないよ」
「僕にも話せないこと?」
「……うん」

 本当に馬鹿ななまえさん。自分で隠し事があるって認めてるよ? だけどそんなところも可愛い、なんて。そう思う僕が一番の馬鹿だ。

「へえ、僕にも話せないことがあるんだ」
「っ、」
「つらいな……。僕はなまえさんの力にはなれないんだね」
「ちが、っ!」

 なかなか強情ななまえさんに、少しだけ意地悪をしてみる。ごめんね。けれども君には何だって話してほしいんだよ。それを素直に言葉にすることができない臆病な僕を、どうか嫌いにならないでね。

「……あきれない?」
「内容によるかな」
「っ、いじわる」

 拗ねたように唇を尖らせるなまえさんに、思わず吹き出すと強く睨まれた。けれどもまったく恐くないので、頭を優しく撫でてやる。するとなまえさんは照れたように目を伏せ、しがみつく腕に少し力を込めたので、僕は再び吹き出す。

「雪男くん」

 最早笑われたことについては気にしないと決めたのか、やけに真剣な表情をしたなまえさんが僕の名を呼んだ。彼女のこんな顔は、正直、見たことがない。僕はなまえさんの表情を、実はよく知らない。知っているのは笑った顔と照れた顔。ときどき拗ねたり怒ったりもするけれど、本当に稀だ。だから今日はやけによく変わるなまえさんの表情に、実は先程からどぎまぎしているのだ。もちろん顔には出さないけれど。

「雪男くんの黒子には、どうしたらなれるの」

 なまえさんはどうしてそんなに僕の黒子になりたいのさ。僕が黒子の数を気にしていること、君は知っているよね。

「どうして黒子になりたいの。嫌がらせ?」
「っ、違うよ!」
「じゃあ、なに?」
「それは……。その、黒子になれば……雪男くんと、ずっと一緒にいられるのになあって思って」

 にっこりと微笑んで威圧すれば、ほら、なまえさんはすぐに白状した。単純だなあ。僕は自分の武器はしっかりと認知し自覚しているので、それを使い分けることなど実に容易い。満面の微笑みを見せるだけで、笑えるくらい皆びくびくと震え出す。まあ、それが通じるのは祓魔塾の塾生の一部と、なまえさんだけなのだが。いや、この際それはどうでもいいか。今はなまえさんが放った馬鹿な発言について言及しよう。

「なまえさんが僕の黒子になったら、真っ先に手術で消してあげるよ」
「えっ! ひどい!」

 馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど、ここまで馬鹿だとは正直思わなかったな。自分が言った言葉の意味、本当にわかってるの? そう言えば、なまえさんは小首を傾げて不思議そうな顔をする。いい加減、呆れるよ。

「なまえさんが黒子になったら、もうこうしてなまえさんと話すことはできなくなるし、触れることもできなくなるよ」
「あ……」
「笑い合うことも、抱き合うことも、頭を撫でてあげることも、もう二度とできなくなる。なまえさんはそれでもいいの?」

 馬鹿ななまえさんにもよくわかるように穏やかな声音で言い聞かせてやれば、なまえさんは焦げた茶色の瞳を大きく見開いて、その眼から大粒の涙をぽろぽろと零す。本当に馬鹿だな。泣くくらいなら最初から言わなければいいのに。きっとそこまで考えが及ばなかったのだろう。ああもう、本当に馬鹿で、愛おしい。

「いや、だ……っ! 雪男くんと、話したり、触ったり、できなくなるの……やだっ!」
「うん。僕もいやだ。だからもうそんな馬鹿なこと言わないで」

 そもそもなぜ言い出したのか。今だに止まらぬ涙を親指で優しく拭ってやりながら尋ねれば、なまえさんは切なげに瞼を伏せた。長くも、短くもない睫が、美しい茶玉を隠してしまう。

「だって……ずっと一緒には、いられないでしょう?」

 震える声、震える睫。その姿は今にも壊れてしまいそうで、ひどく儚い。僕はすぐになまえさんの放った言葉の真意を理解して、ため息をひとつ漏らす。なまえさんの肩が、びくりと揺れた。

「うん。ずっと一緒には、いられないね」

 僕がそう言えば、彼女は更に目許に影を落として、震える。悲しみに揺れる華奢な体を抱き寄せれば、驚きながらもしがみつく手は離さない。決して離れたくないのだと、主張するように。

「僕らはいつか、必ず最期を迎える。人は永遠を誓えない生き物だ」
「うん」
「それはどうしたって抗えない。僕らは神様でもなければ、悪魔でもないんだから」
「うん」
「だから僕は、ずっと一緒に、なんて絶対に言わないよ。どうせ嘘になるから」
「うん」

 諭すように言えば、なまえさんはただただ頷くばかり。その声に抑揚はなく、僕は急に、なまえさんが今どんな気持ちなのかさっぱりわからなくなってしまった。それでもなまえさんに伝えたい言葉があるから、構わず続ける。ねえ、知っていたかい。僕はひどく自分勝手な人間なんだよ。

「なまえさんが、僕とずっと一緒に居たいって思ってくれるのはすごく嬉しいよ。僕だって気持ちは同じだ」
「ほんとう?」

 嘘なんて、欠片もない。永遠を誓うことはできないけれど、これだけは誓ってもいいさ。僕だって君と、ずっと一緒に居たいんだよ。それをはっきりと言葉にはしない。それでも、彼女には伝わったらしい。ふわり、ありがとうと微笑んだ。なぜだかひどく、泣きたい気分だ。

「雪男くん」

 私はやっぱり、あなたの黒子になりたいよ。幸せそうな笑みを湛えて、なまえさんはそう口にした。君は本当におかしな人だよ。

「最期まで、一緒に居ようね」
「そう、だね」

 どこか吹っ切れたようななまえさんの表情と、言葉に、僕は素直に頷くことができなかった。本当に嫌になるよ。今更、悲しくなるなんて。君を散々馬鹿にしたけれど、本当に馬鹿なのは、卑怯な言い逃ればかりして君の心根に触れることを恐れている、僕の方だ。

「私、雪男くんがずっと大好き。この気持ちは、たとえ死んだって、変わらない」

 そう言ってなまえさんは僕の背中に腕を回し、胸板に顔を埋めた。その暖かい体温に触れて、とくりと響く心音に触れて、僕がひっそりと涙を流していたなんて、いつまでも君は知らないままでいい。




garden of century

その庭園に、100年後の僕らは居るのだろうか。



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11/11/9 加筆修正




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